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2008 | ||||||||||
2007 | ||||||||||
2006 | ノット・レイテッド 〜アメリカ映倫のウソを暴け!〜 出演 | |||||||||
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2005 | ベティ・ペイジ 監督・脚本 | |||||||||
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2004 |
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2003 | ||||||||||
2002 | ||||||||||
2001 | ||||||||||
2000 | アメリカン・サイコ 監督・脚本 | |||||||||
1999 | ||||||||||
1998 | ||||||||||
1997 | ||||||||||
1996 | アンディ・ウォーホルを撃った女 監督・脚本 | |||||||||
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1953 | 1'12 カナダで誕生 |
アメリカン・サイコ 2000 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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80年終わり頃のニューヨーク。27歳にして一流企業の副社長パトリック・イトマン(ベイル)。高級マンションに住み、美しい婚約者もいる彼は一見誰もが羨む生活を送っていた。だが、その生活を維持するために彼は常に自分自身とも、自分自身のライバルとも戦っていかねばならなかった。そのストレスからか、徐々にパトリックは精神を崩していく。やがてそれは「人を殺したい」という渇望へと変わり… 出版時、衝撃的な内容で話題となったエリス原作の同名小説の映画化。原作そのものがあまりに衝撃的だと言うことで世間から大バッシングを受けたので、これを映画化するのはかなりの冒険だったようだ。 確かに作りは大作と言うよりはモロにインディペンデンス系だし、一般的には残酷的な表現も噴出してる。 だが、意外にアメリカ本国ではかなり受けが良かった。 その一つの理由として考えるに、それは80年代のノスタルジーというのがここにはあったからではないだろうか。 本作の舞台は丁度80年代後半(劇中レーガン大統領がテレビに出ているが、これは1987年の、いわゆるイラン・コントラ事件の釈明会談)。日本ではバブル真っ盛りだったが、その好景気は実は国内に留まっていたわけではない。溢れるジャパンマネーは実は世界にも多くの好景気をもたらした。その最たる場所がアメリカ。ただし、日本の好景気が直接影響を及ぼしたのは企業の方。80年代は実はアメリカにとっても、貧富格差を一気に拡大した年代でもあるのだ。その中で成功者と失敗者は極端な格差を強いられるようになる。 この作品に登場するのはいわゆるヤッピー(Young urban professionalsの頭文字にHippieを混ぜ合わせた造語)と呼ばれる男達。目先の利く彼らは主にプランナーとして雇われ、会社に莫大な利益をもたらし、若くしてトップに上り詰める人達も存在した。 彼らは自分たちが選ばれた人間であることを自覚しており、トップにいても常に高みを目指さねばならないジレンマに陥ることになる。ここでの彼らの生活にそれはよく現れているだろう。彼らは完璧な容姿を保つため、自分自身の生活では徹底的な節制を行い、トレーニングやコスメに余念がない。人と会うときも“完璧な自分”を徹底して演出していかねばならない。時に金に糸目を付けない派手すぎる遊びもするが、それさえも、許されたほんの一握りの人だけが出来る遊びになる。 日本のバブル期と歩調を同じくしながら、意識の差にこれだけ開きがあるのは、欧米では伝統的に人の上に立つ人間は自らを律しなければならないという、いわゆるエリートの意識が強いからだと言われる。エリートの概念がない日本は、金を持つと成金になってしまうのがその辺の違いかも。 …とはいえ、そんな生活が羨ましいか?と問われると、全くそんな風には思わない。というか、こんな自縄自縛に陥る窮屈な生活してたら多分私の気がおかしくなる。特にここで登場する若者達は、みんな立場的には同じだが、心の中で目の前の人間の破滅を願いつつ、表面的には親友のふりをしなければならないし、人間関係を崩さないために細心の注意を払わねばならない。自分の悪口を言われたくなければ、どんな些細な会でも出席し、愛嬌を振りまかねばならない…書いてるだけで気持ち悪くなりそうな生活を送っている。 そんなんでおかしくならないはずはないだろう。むしろここでのパトリックはまだ正常な精神を持っていたのだと思うぞ。表面的にはなんとか今までに踏みとどまっていても、心がどんどん崩壊していく過程を丁寧に描いているのにはかなり好感度高い。 描写で言っても、恐ろしいほどに殺人シーンに現実味がない。ほとんど前触れ無しに人を殺し、その後、当たり前のように作り物の生活に戻っていくシーンは、観ていて溜息が出るほどだし、そして後半のあの大どんでん返しには参った。 そもそも私は悪夢映画が大好きなのだが、よもやそっち方面に持っていってくれるとは。それまでは単なるモノマニアっぽい作品として思っていたけど、まさかこれが本当に悪夢映画でありつつ、しっかりどんでん返しの映画であったというのが嬉しい。中盤以降これは間違いなく私のような人間のために作られた映画であることを自覚し、凄く楽しみながら観ることが出来た。ラストシーンにもう一ひねりあったら完璧だったのだが、そこだけが残念。 今やハリウッドを代表する若手スターに成長したベイルの演技はこの時点でも素晴らしいもので、中盤以降のコロコロと人格が入れ替わる辺りは名人芸とさえ言える。これだったら『ダークナイト』(2008)でバットマンじゃなくてジョーカーを演っても良いくらいのキレっぷり。対して個性派俳優で大ファンのデフォーも貫禄の怖さを持って演技してる。 もうなんだか、私のために作られたみたいな気分にさせられ、凄く愛おしい作品。 |
アンディ・ウォーホルを撃った女 1996 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1996インディペンデント・スピリット新人作品賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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