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クリストファー・ノーラン
Christopher Nolan

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鑑賞本数 8 合計点 35 平均点 4.38
 脚本家のジョナサン・ノーランの兄。
allcinema Walker ぴあ IMDb CinemaScape
wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ
書籍
2017 ダンケルク 監督・製作・脚本
ジャスティス・リーグ 製作総指揮
2016 バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 製作総指揮
2015
2014 インターステラー 監督・製作・脚本
トランセンデンス 製作総指揮
2013 マン・オブ・スティール 製作
2012 ダークナイト ライジング 監督・製作・原案・脚本
サイド・バイ・サイド フィルムからデジタルシネマへ 出演
2011
2010 インセプション 監督・製作・脚本
2009
2008 ダークナイト 監督・原作・原案・脚本
2007
2006 プレステージ 監督・製作・脚本
2005 バットマン・ビギンズ 監督・脚本
2004
2003
2002 インソムニア 監督
2001
2000 メメント 監督・脚本
1999
1998 フォロウィング 監督・製作・脚本・撮影・編集
1997
1996
1995
1994
1993
1992
1991
1990
1989
1988
1987
1986
1985
1984
1983
1982
1981
1980
1979
1978
1977
1976
1975
1974
1973
1972
1971
1970 7'30 ロンドンで誕生

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ダンケルク 2017
2017米アカデミー編集賞、音響賞、編集賞、作品賞、監督賞、撮影賞、作曲賞、美術賞
2017英アカデミー音響賞、作品賞、監督賞、作曲賞、撮影賞、編集賞、特殊視覚効果賞
<A> <楽>
エマ・トーマス
クリストファー・ノーラン
ジェイク・マイヤーズ(製)
クリストファー・ノーラン(脚)
フィオン・ホワイトヘッド
トム・グリン=カーニー
ジャック・ロウデン
ハリー・スタイルズ
アナイリン・バーナード
ジェームズ・ダーシー
バリー・コーガン
ケネス・ブラナー
キリアン・マーフィ
マーク・ライランス
トム・ハーディ
マイケル・フォックス
ジョン・ノーラン
マイケル・ケイン
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 1940年5月末。ドイツによる電撃作戦によってフランス国内は蹂躙され、フランスの応援に来たイギリス軍も徹底した敗北を叩き込まれてしまう。一度軍を帰国させて再起を図ろうとするイギリス首相チャーチルだが、ドーバー海峡に面するダンケルクでの撤退作戦は困難を極める事となる。新兵のトミー(ホワイトヘッド)もその中にいたが、友軍の兵士を浜辺に埋葬している無口なギブソン(バーナード)と行動を共にする事になるのだが…
 第二次世界大戦を題材にした映画というのは非常にたくさんある。理由はいくつもあろう。とにかく派手で画面映えがするし、歴史の一部としても重要。観た人の記憶に残りやすいと言う事もあって、戦争映画の名作は数多く存在する。
 そしてその戦争も様々だが、史実の戦争では第二次大戦が最も多い。最も派手だし、リアリティもあるためとても好まれる傾向がある。連合国側に断ったものが圧倒的に多いものの、枢軸側で描いたものも、あるいはドイツに占領されてしまったヨーロッパの国々の立場で描いたものとか、当然日本で作られたものは日本側に立って描かれる。
 実に様々だが、史実では有名であるものの、映画ではあまり描かれなかった部分というのもある。
 例えば本作のような撤退戦とか。
 どうしても戦争は勇ましい雰囲気の方が画面映えするために、地味な撤退戦は好まれないが、これはこれでドラマとしては重要な要素をいくつも含んでいる。
 
一つには極限状態を作りやすいと言う事。戦争映画の醍醐味はまさにそういった極限状態の中での人間ドラマであるのだから、主人公達は追いつめられていた方が演出的には面白くなる。それにこれだけ絶望的な状況をどのように打破するのか?という興味も持たせやすくなる。

 そして
もう一つは、逃げることがメインのため、必然的に狭い場所を伝わっていく関係上、かなり予算が抑えられるという点。
 実はノーラン作品において、
予算を抑えるというのはかなり切実な問題。ノーランは本物にこだわる監督で、できる限りCGを使わず、本物を使おうとする傾向がある。現に本作で用いられたスピットファイアは本物が用いられるほど。もしこんな具合で戦車戦闘機攻撃機の行き来する勝ち戦を描いたとすれば…
 だからこれくらいが丁度良いのだ。
 それになにより、こんなニッチな戦いを有名監督が作るということが一番大切。分かりやすい戦いではないから展開が見えずに楽しめる。

 強いて言うなら、物語全般的に少々地味というところがあるが、それはそれで良し。
 同じ時間を三つの物語をザッピングして行うという特殊なやり方で戦場を俯瞰する作り方は賛否分かれるだろうけど、元々戦争映画は群像劇で作るパターンが多いので、そんなに違和感は無い。華がなさ過ぎるという指摘も、なんせ本物のスピットファイアを飛ばしてそれが観られたというだけで充分だろう。
インターステラー 2014
2014米アカデミー視覚効果賞、作曲賞、美術賞、音響賞
2014英アカデミー視覚効果賞、作曲賞、撮影賞
2014日本アカデミー外国作品賞
2014ゴールデン・グローブ音楽賞

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エマ・トーマス
クリストファー・ノーラン
リンダ・オブスト
ジョーダン・ゴールドバーグ
ジェイク・マイヤーズ
キップ・ソーン
トーマス・タル(製)
ジョナサン・ノーラン
クリストファー・ノーラン(脚)
マシュー・マコノヒー
アン・ハサウェイ
ジェシカ・チャステイン
エレン・バースティン
マイケル・ケイン
マッケンジー・フォイ
ティモシー・シャラメ
ジョン・リスゴー
デヴィッド・オイェロウォ
コレット・ウォルフ
フランシス・エグゼビア・マッカーシー
アンドリュー・ボルバ
ウェス・ベントリー
ウィリアム・ディヴェイン
デヴィッド・ジャーシー
ケイシー・アフレック
リーア・ケアンズ
トファー・グレイス
マット・デイモン
ビル・アーウィン
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 近未来。地球は異常気象と次々に引き起こされる植物の枯死によって人類は滅亡の危機にあった。元宇宙飛行士で農場を経営しているクーパー(マコノヒー)は、娘のマーフの部屋で起こる怪現象を目にしていた。それが何者からのメッセージではないかと気づいたクーパーはマーフと共に、そのコードが示す座標へと向かうのだが、そこはなんと壊滅したはずのNASAの秘密基地であり、そこで彼を迎えたブランド教授(ケイン)は、クーパーに、人類の生き残りをかけた危険な任務を依頼する。
 過去から現代にかけ、連綿と作られ続けてきた、そして作り続けられてくるだろうSF映画。夢を描く映画という素材にはぴったりのジャンルだが、一括りにSFと言っても、様々なものがある。
 最も多いものはアクション映画の延長にあるもので、基本的に単純明快なストーリーと、手に汗握る冒険を演出するというもの。これはこれでいくつもの名作を生み出してきている。
 だから一概にSF映画というと子ども向きアクション映画と直結されることが多いが、それだけに留まる訳ではない。いや、そもそもSFとは現実から離れた設定の多様性と、その超現実の中で展開される物語こそが醍醐味であるので、そちらの方を主体にした物語もある。上手い映画はアクションを程よく取り入れつつ、その設定を活かそうとする。スピルバーグが常に目指していたのはそういった、エンターテインメントでありながらちゃんと設定としても、物語としても完成度の高い作品でもあるのだ。
 だから、割合はそう多くないかもしれないが、量産されるSFアクションの中で、それがしっかり活かされているものもちゃんと存在する。
 ただ、SFの中には、更にそれらとはちょっと違った境地に立ったものも存在する。

 映画ではなく小説の方では、SFは60年代70年代という時代を経て、ハードSFと言われる非常に観念的な作品が描かれるようになっていったが、それに合わせるように、映画の方でもかなり観念的なSF作品というものが作られるようにもなっていった。その代表と言えるものが『2001年宇宙の旅』(1968)と言うことになるだろう。他にも、例えば『バーバレラ』(1967)とか、『惑星ソラリス』(1972)『ストーカー』(1979)、ちょっと毛色は違うかも知れないけど
『惑星ザルドス』とか、時代時代にいわゆるカルト作品と呼ばれるようになる観念的な作品がいくつか作られるようになっていった。そしてこの手の作品は色々批判されていても、今も多くのファンを持っている。
 そしてノーラン監督が新しいSF作品を制作するにあたって選んだのが、観念的な物語であったのは非常に面白い。
 思えば、ノーラン監督の出世作であり原点となった『フォロウィング』であれ『メメント』であれ、かなり観念的なものとして作られていたし、SF作品だった『インセプション』も結構観念的なものだった。この手の作品は監督の得意とする…いや、作りたかったものなのだろう。
 その上に立って本作を見てみよう。
 本作の場合は、当初はディストピアもの、あるいはエクソダスものと思わせておいて、冒頭部分に置かれた伏線を回収するために超次元世界を出すという形を取っている。誰も見たことのない世界を映像化するわけだから、この部分は観念化せざるを得ず、その部分が本作の非常に特徴だったところになっているのは確か。そして多分、あの超次元的描写こそが一番撮りたかったところなんじゃないかとも思っている。それが上手く行ったかどうかはともかくとして、観念的でありつつ、ちゃんと視聴者に理解できるように作られているし、広げた風呂敷を畳むために使った観念的描写がきちんと物語のオチとしての機能を果たしている。

 SF的な用語や小物(特にTARSやCASEの存在感)も、敢えて難しくしないよう出来る限り平易なものを用いている小技も素晴らしい。これだけ小難しい題材を、きちんとヒットできるよう緩急織り交ぜた演出も冴える。
 そのため、全般的に本作の好感度は高い。

 ただ、全般的に本作を観てみると、なんとなくいろんな映画のつぎはぎって印象もある。作品の端々に『2001年宇宙の旅』とか
『コンタクト』から来てるとしか思えない部分もあったり、日本のアニメの影響も結構強そうだし(『トップをねらえ!』『ほしのこえ』(2002)っぽいところが散見されたり)、TARSやCASEは『2001年宇宙の旅』のHALと『サイレント・ランニング』(1972)のロボットから。何よりタルコフスキーっぽい描写がやたら多いな。そりゃ本作の先駆的作品とも言える『惑星ソラリス』の影響も強いけど、『鏡』(1974)『ノスタルジア』(1983)『サクリファイス』(1986)からも結構な引用が感じられる(すげえ関係ないけど、あの氷の惑星での格闘はカーペンターの『ゼイリブ』(1988)じゃね?とか思った瞬間かなり気分的に醒めた)。それと物語のメインはいろんなSF小説からだろう。特にクラークの「2001年」や「幼年期の終わり」の影響は多いようだが、「タウ・ゼロ」や「メトセラの子ら」など、数多くのSF小説が引用されているようだ。でも一番引用が大きいのは星野宣之の漫画「2001夜物語」なんじゃないかな?その辺の描写がちょっと気になってしまって、集中できなかったかな?

 あと、超次元的な描写を盛り込み、そこから得られた叡智が人類を救うことととなった訳だが、それ以前の冒険とかが全部ひっくり返されてしまったのが虚しい。偶然ワームホールに入り込んでしまっただけで全てが解決されるなら、それ以前の物語は、たまたまそこに至る意味のない道筋になってしまう訳だから。そんな意味では寄り道が長すぎるよな。最初と最後をつなげるストーリーに意味をもたせるんだったら、途中の無意味な冒険譚も、某かの意味をラストに持たらせてほしかった。
ダークナイト ライジング 2012
2012英アカデミー特殊視覚効果賞
2012日本アカデミー外国映画賞
2012放送映画批評家協会視覚効果賞、アクション映画賞、アクション映画男優賞(ベイル)、アクション映画女優賞(ハサウェイ)
2012国内興行成績第8位
2013MTVムービー・アワード作品賞、格闘シーン賞、悪役賞(コティヤール、ハーディ)、シャツなし演技賞(ベイル)

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エマ・トーマス
クリストファー・ノーラン
チャールズ・ローヴェン
ベンジャミン・メルニカー
マイケル・E・ウスラン
ケヴィン・デラノイ
トーマス・タル(製)
ジョナサン・ノーラン
クリストファー・ノーラン(脚)
クリスチャン・ベイル
マイケル・ケイン
ゲイリー・オールドマン
アン・ハサウェイ
トム・ハーディ
マリオン・コティヤール
ジョセフ・ゴードン=レヴィット
モーガン・フリーマン
マシュー・モディーン
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
特撮事典
 人々の尊敬を集めた地方検事ハービー・デントの罪を被り、ゴッサム・シティから姿を消したブルース・ウェイン=バットマン(ベイル)。それから8年が経過したが、ブルースは半引退の身で、ゴッサム・シティも束の間の平安を享受していた。そんな時、新たなるテロリスト、ベインが現れた。核融合装置を手にしたベインはゴッサム・シティを孤立状態に置き、刑務所を解放して街を無法地帯に変えた。それを見たブルースは自らの封印を解き、再びバットマンとしてベインの前に立つ…
 ヒーローものとしては極めて異であった前作『ダークナイト』。これはヒーローの脱構築作品であると共に、“ヒーロー論”を極限まで押し進めた作品だった。あの作品でヒーローのあり方を示したバットマンが再び帰ってきた。しかも同じ『ダークナイト』の名を冠して。
 あの作品でかなり衝撃を受けた身としては、これは言うまでもなく観なければならない作品の筆頭である。喜び勇んでIMAXで拝見。
 …これはとても面白い作品だが、
『ダークナイト』を越える衝撃を与えてくれるほどのものではなかった。それが正直な感想である。
 それが感想とはいえ、それでも本作には最高点を上げたい。それだけの力を持った作品だ。
 まず本作は『ダークナイト』の続編には違いないが、それ以前にノーラン版バットマンの総括作品である。三部作であるため、一作目の『バットマン・ビギンズ』も含めての最終作と考えねばならないだろう。
 まず第一作目『バットマン・ビギンズ』
ヒーローの誕生を描いた。両親を殺され、暗闇を恐れる青年が、自らのトラウマを克服して闇の騎士となるまでを描いた。正直これがそんなに面白い作品だとは思ってないのだが、これもまたヒーロー論としては大切な部分が入っていた。
 ここではつまり、ヒーローは心に闇を持つ存在であるという前提条件が出されたことになる。バットマンという格好の素材を得たことが大きいが、これまでのどの作品よりも、ヒーローは闇に近く、その闇があるからこそ強くなれることを示して見せた。それまでの健全なヒーロー像からかけ離れたヒーローで、これもヒーローの脱構築を目指した作品であることが分かる。しかし物語はあくまで正当論を崩すことなく展開していった。
 そして二作目『ダークナイト』
ヒーローのあり方を描いた作品と言えよう。自らの思いに頼らず、ヒーローであればこういう態度を取らねばならないという正義を執行する側の覚悟が語られていた。
 それに対して本作は、
ヒーローの引き際について描いた作品と言えよう。まさしく三部作の最後にふさわしい話である。
 2作目で既にヒーローの覚悟は描かれた。そしてその結末は一つしかあり得ない。即ち、正義に準じた死である。この部分に向かっていかに物語を構築するかが本作の重要な点だった。
 そこで物語をどう作るか。ここでノーランは二つの視点を作った。一つは有象無象の市民の中からの視点、神の如き視点から見た視点。
 そして市民からの視点部分でヒーローの後継者を作り上げた。ジョン・ブレイクという若者警官を物語の重要な部分に配し、この正義感溢れる青年(しかも孤児という設定まで与えて)が、やがて消えたヒーローの代わりとなるべく活躍する成長の物語として描いた。他にもフォーリー警察副部長という、目端が利く小人物を作り、その心境の変化によって、街の人間の意識を作り上げる。
 この流れは、ベインによって支配され完全な無気力状態に陥っていた街の人々が希望を見いだし、支配に対する反抗と圧政からの脱出という、反抗の物語として捉えられる。
 バットマンはいなくなった。しかしヒーローは消えはしない。市民の心に正義を求める心があるならば、そこに再び新しいヒーローが現れるだろう。とするもの。
 このフォーマットは実は結構なじみが深い。日本では、いわゆる
平成ウルトラマンシリーズは全てこのフォーマットに則って作られている位だから。
 この形に持っていったか!と言うのが、特撮ファンにとってはなんとも嬉しいところ。少なくとも新しいウルトラマンはハリウッドにおいても完全肯定された気分にされた訳だから。
 ただし、これは
特撮ファンに取っては限界でもある。これがあるから私はこの作品を肯定せざるを得ず、そこから一歩踏み出すレビューが書けない。なんせこれを否定したら、私のこれまで培ってきたものが全部否定してしまう訳だから

 それでも敢えてこの作品について語るのであれば、この作品からもノーランの挑戦心がビンビンに伝わってきたと言うことだろうか。フォーマットは確かに特撮というかヒーロー作品の最後に則ってはいるものの、そこから逸脱させている部分も多々存在する。
 まず、ここまでの二作によって成長してきたブルースに、もう一段階の成長を描いて見せた。正義のためなら自分の楽しみはおろか命まで差しだしても構わないと『ダークナイト』で行き着くところまで行ってしまったヒーローの姿があったのだが、そこに新たなる修行を加えることによって、それを変質させてみせた。命を捨てることによって、生きる事を選択させたのだ。ここにおいてこれまでの自分自身を超える物語を見せた。この部分があるため、『ダークナイト』で決まっていたと思われたラスト、つまりバットマンの死で物語が終わるという形から脱却させてみせた。あのラストシーンは、実は三部作を通して一つ一つブルースはきちんと成長していることを示している。
 実際あのラストはノーラン自身のこれまでのフィルモグラフィから見ても異色。例えば『インセプション』のようにあそこはアルフレッドの驚いた顔を見せてブルース自身は見せないのがノーランらしさのはずなのに、敢えてあそこでブルースの顔を出してみせたのは、すべきことをして、後は姿を消すことも一つの成長として描いたということになるのだ。
 形に囚われることなく進歩していくこと。その中できっちりと個性を見せているノーランという監督はやっぱりすごい人だと思う。
インセプション 2010
2010米アカデミー撮影賞、視覚効果賞、音響賞、作品賞、脚本賞、作曲賞、美術賞
2010英アカデミープロダクションデザイン賞、音響賞、特殊視覚効果賞、作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞、編集賞
2010日本アカデミー外国映画賞

2010LA批評家協会美術賞
2010ゴールデン・グローブ作品賞、監督賞、脚本賞、音楽賞
2010放送映画批評家協会撮影賞、編集賞、美術賞視覚効果賞、音響賞、
作品賞、監督賞、脚本賞、音楽賞
2010セザール外国映画賞
2010キネマ旬報外国映画第10位

2010スクリーム・アワードスクリーム賞、SF映画賞、SF男優賞(ディカプリオ)、助演男優賞(ゴードン=レヴィット)、ブレイクアウト男優賞(ハーディ)、ファイトシーン賞
2010
ローリング・ストーンベスト2位
2010ツィッタートレンド第1位
2010アメリカ映画協会トップ10
2010世界興収ランキング3位
2010アメリカ映画協会ベスト
2010アメリカ脚本家組合オリジナル作品賞
2010アメリカ製作者組合賞

2010ブロードキャスト映画批評家協会アクション映画賞、撮影賞、編集賞、美術賞、視覚効果賞、録音賞
2010ジェイムソン・エンパイア作品賞
2010
映画com.ベスト第2位
2010
映画com.ワースト第5位
2010キングベスト第3位
2010ナショナル・ボード・オブ・レビューベスト10

2010アメリカ映画協会トップ10
2010
ピーター・トラヴァースベスト第2位
2010
ロジャー・エバートベスト第6位
2010
アメリカ監督組合劇映画部門
2011MTVムービー・アワード恐怖演技賞、
作品賞、キス・シーン賞、格闘シーン賞、名セリフ賞、お口あんぐり賞
2011サターンSF映画賞、監督賞、脚本賞、音楽賞、アクション映画賞、主演男優賞(ディカプリオ)、主演女優賞(ペイジ)、助演男優賞(ハー-ディ)、プロダクションデザイン賞
2011オンライン映画批評家協会オリジナル脚本賞、編集賞

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クリストファー・ノーラン(脚)
レオナルド・ディカプリオ
渡辺謙
ジョセフ・ゴードン=レヴィット
マリオン・コティヤール
エレン・ペイジ
トム・ハーディ
ディリープ・ラオ
キリアン・マーフィ
トム・ベレンジャー
マイケル・ケイン
ピート・ポスルスウェイト
ルーカス・ハース
タルラ・ライリー
ティム・ケルハー
マイケル・ガストン
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 他人の夢の中に潜入してアイデアを盗み出す企業スパイ、この分野においては世界屈指の才能を持つコブ(ディカプリオ)は、国際指名手配犯として逃げ回りつつ高額で仕事を請け負っていた。そんなコブに、大企業のオーナーのサイトー(渡辺謙)から、ライバル会社の後継者ロバート(マーフィ)の夢に入り込み、会社を解体するイメージを植え付ける“インセプション”の依頼が舞い込む。成功すれば、再び幸せな人生を取り戻すことができる事を約束されたコブは、その危険な任務を引き受けるのだが…
 映画を観ていると、自分のツボにはまる作品というものが時々入り、その理由を考察してみると、自分なりに映画を観るテーマというものを見つけることが出来るものだ。
 私にとってテーマとは何か?と言うと、結構いくつも見つかったりするが、一つの大きなテーマは言うことが出来る。
 それは
“悪夢映画”と言うもの。昔から夢に関する映画が好きだったが、その中でも悪夢を主題にする映画は見事にツボにはまることが分かった(子供の頃に印象に残った作品の多くはそれだったし、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984)で完全に参ってしまった経緯がある)。多分悪夢を主題にした作品は、これからもずっと観続けていくことになるだろう。

 そんな理由で、本作はこの夏最も期待してた一本だった。予告を観るなら、これが夢を主題にした作品と言うことは分かるし、なによりあのノーラン監督作品である。期待しない方がおかしいって奴だ。

 結果を言うなら、本作は諸手を挙げて
「素晴らしい」とまでは言えないまでも、相当に満足度は高い作品だった。ノーランらしさって奴を色々拡大して見せられたし、やっぱり夢の映画って良いな。と思えて、自分のツボって奴を再認識できただけでもよし。

 ただ、本作の場合良い部分だけでなく、いくつか引っかかるところもあるので、徒然にそれらを書いてみようか?
 一つには本作は
すっきりし過ぎてるって所だろうか。夢なんだからもっと不条理な世界が展開するのかと思ったら、思ってる以上に物語に筋が通りすぎていて、拍子抜けしてしまった気分。むしろあっさりし過ぎ?突然変なものが現れるとか言うのはほとんど無く(車道を電車が走り抜けるシーン位かな?)、不条理なはずの夢を題材にしていながら徹頭徹尾条理で押しきってしまった。
 夢に階層を作り、深度を増していって、それぞれで物語を展開させるのは面白いが、それぞれの世界が全部理解可能になっているので、夢という感じじゃなくなってる。夢を不条理にするのはコーディネーターの役割であり、そのプログラムにすべて負っているため、たとえばモンスターが出現するとか、何の脈絡もなしに地面が陥没して落下するとか、ルートを通らずして敵が突然目の前に現れるとかいうことがなく、人間の深層意識があたかもすべてコントロール可能なように描かれているし、夢の深度を増してもきっちりした世界観の中から出ていない。
夢の階層が単なる舞台替え以上の機能を果たしてない感じがあり
 どこからどこまでが夢だか分からなくなり、何度目覚めても夢から逃れられない。的な描写もあるのはあるが、それらもやはりコーディネーターの作り出したプログラムとされているし、不条理と思えた部分さえきっちりとプログラム内。これでは
夢を主題にした意味があんまりない
 もちろんこの不満は
的外れだというのは分かってる。その部分まできっちりしているからこそ本作の物語はきちんと展開できるのだし、その大前提を離れると作品自体が本気で訳分からなくなってしまう。むしろこれは夢を定義づけることで初めて可能となった物語である。
 それは頭では理解できるのだが、
好み。と言う観点から見てしまうとかなりずれる
 もう一つ。本作は雰囲気こそ壮大だが、
実質的にはとても狭い物語だった。と言うこと。
 それこそ純粋に一人の人間の夢の中に入り、そこでプログラムを書き換えるだけで話が終わってしまう。主人公のやってることは雇われ仕事の一つに過ぎず、スケール感がとても小さくなってしまった。任務失敗で夢と現実の区別が付かなくなってしまうとか、現実世界を夢が浸食するとか、そういった意味でのスケール感がなく(言葉ではいくつかあったけど)、主人公は淡々と任務をこなし、いくつかの危険を冒して無事任務を完了する。それだけの作品になってしまった感じ。
 緻密なプロットを構築し、見たことのない物語を構築するには、物語の設定を出来る限り小さくしないことにはまとまりきらないのだから。実際これで失敗した作品なんてのは、それこそ毎年イヤと言うほど作られている。その轍を踏まないと言うだけで充分本作は立派だ。
 最後に主人公の立ち位置があまりに限定されていることだろう。ほぼ全編を通して自分のことを喋っているにも関わらず、
最後までその人となりが理解出来ない。分かっていることは、かつて妻と長時間夢の中にいたこと、それが原因で妻を自殺に追い込んでしまったこと。二人の子供がいるが、帰国できないために子供と会うことが出来ない。これしか分かってないし、ミッションを遂行するモチベーションも「子供たちに会いたい」と言う意外がない。あれだけ出ずっぱりなくせに背景が希薄すぎるのも気になるところ。その部分だけは少々描写不足だったんじゃないかな?
 以上三つが私が感じた違和感なのだが、どちらもちゃんと説明付けられるし、その程度で本作が失敗したとも言えない。単に私が「こうあってほしい」と思っていたことがすり抜けてしまったから言うわがままに過ぎない。

 とは言え、作品としては十二分に楽しかった。夢に入り込むこと自体よりも、この作戦のためだけにプロフェッショナルを集め、それぞれが自分のなすべき事をしっかり行っているという、本物のプロがなしてる作戦模様の方が楽しいし、夢という曖昧なものを相手にしているのに、やっていることは全部理にかなうことと言うのも一種のギャップで、そこが面白い。考え得る事態をあらかじめ想定して、様々な防衛ラインを築き、それでも予想外のことが起こる。そんな夢の探検にはまってしまう登場人物たち。とても愛着をもてるキャラ達だ。願うべきは、ノーラン監督によるシリーズ化だろうな。少なくとも私は確実に全部劇場で観るし、必要とあらばソフトも全部買うぞ。

 あとくだらないことだが、思いついたことを一つ。ノーラン監督はマイケル・ケインが殊の他お気に入りらしく、本作で4本の作品に登場させているが、やっぱりイギリスの監督って、ケインを登場させるのがステータスって事なんだろうか?ファンとしては、今もなお多くの監督に愛されていると思うだけでなんか嬉しい。
ダークナイト 2008
2008米アカデミー助演男優賞(レジャー)、音響賞、美術賞、メイクアップ賞、視覚効果賞、音響賞、編集賞
2008英アカデミー助演男優賞(レジャー)、作曲賞、撮影賞、美術賞、衣装デザイン賞、メイクアップ&ヘアー賞、編集賞、音響賞、特殊視覚効果賞
2008日本アカデミー外国映画賞
2008ゴールデン・グローブ助演男優賞(レジャー)
2008LA批評家協会助演男優賞(レジャー)
2008シカゴ映画批評家協会助演男優賞(レジャー)、撮影賞
2008トロント映画批評家協会助演男優賞(レジャー)
2008ボストン映画批評家協会助演男優賞(レジャー)
2008サンフランシスコ映画批評家協会助演男優賞(レジャー)
2008セントルイス映画批評家協会助演男優賞(レジャー)
2008サンディエゴ映画批評家協会助演男優賞(レジャー)
2008フェニックス映画批評家協会助演男優賞(レジャー)
2008放送映画批評家協会助演男優賞(レジャー)、アクション映画賞、
作品賞、アンサンブル演技賞、音楽賞
2008ブルーリボン外国作品賞
2008
キネマ旬報外国映画第3位
2008AFIベスト10
2008毎日映画コンクール外国映画ベストワン賞
2008報知映画作品賞
2008映画俳優組合賞助演男優賞(レジャー)
2008映画館が選ぶ映画館大賞1位
2008
CDV-Jマイベスト洋画2位
2009MTVムービー・アワード悪役賞(レジャー)、作品賞、男優賞(ベイル)、格闘シーン賞
2009サターン作品賞/アクション、アドベンチャー、サスペンス、助演男優賞(レジャー)、脚本賞、音楽賞、
主演男優賞(ベイル)、主演女優賞(ギレンホール)、助演男優賞(エッカート)、監督賞

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ジョナサン・ノーラン
クリストファー・ノーラン(脚)
クリスチャン・ベイル
マイケル・ケイン
ヒース・レジャー
ゲイリー・オールドマン
アーロン・エッカート
マギー・ギレンホール
モーガン・フリーマン
エリック・ロバーツ
ネスター・カーボネル
モニーク・カーネン
ロン・ディーン
キリアン・マーフィ
チン・ハン
リッチー・コスター
アンソニー・マイケル・ホール
キース・ザラバッカ
コリン・マクファーレン
ジョシュア・ハート
メリンダ・マックグロウ
ネイサン・ギャンブル
マイケル・ジェイ・ホワイト
ウィリアム・フィクトナー
マシュー・オニール
エディソン・チャン
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
新シリーズ第2作
特撮事典
 ゴッサムシティで悪を懲らしめるバットマン(ベイル)と、影でバットマンを支援するゴードン警部補(オールドマン)のお陰で犯罪は減少傾向にあったが、バットマンの存在に危機感を覚えたギャング達の中に、更に凶悪なジョーカー(レジャー)と名乗る正体不明の男が頭角を現していた。バットマンを嘲笑うかのごとく次々と凶悪事件を引き起こしていくジョーカー。そんな中、新しく赴任した正義感溢れる地方検事のハービー(エッカート)はバットマンとも協力して犯罪の一掃を強力に進めていくことを宣言する。それはすぐさまジョーカーの知るところとなり、バットマン、ハービー共に標的とされていくのだった…
 3年前『バットマン・ビギンズ』を叩きつけ、新生バットマンを宣言したノーラン監督が再び主演のベイルと組んで作り上げた新制バットマンシリーズ第2作。本作でジョーカーを演じたレジャーは撮影後急死した事でもニュースになったが、記録破りのヒットを記録中
(流石にトップの『タイタニック』は抜けそうにないが)
 これ観たときは、
「凄い」とは思うと同時に「やってくれた」というか、「やっちまった」という気分にさせられた。正直な話を言わせてもらえれば、本作は全くわたしの美意識には合わない。というか、わたし自身にとても嫌な気持ちをもたらしてくれる。ただ、それを超えて凄まじいものを見せてくれた気分にさせられる。
 作品毎に何かしらの新機軸を取り入れ続けるノーラン監督だが
(前作『バットマン・ビギンズ』では徹底して“心の闇”を描こうとしたように)、枠組みとしての挑戦はこれまで成りを潜めさせていたと思える。ところが、この超大作で、枠組みを見事にぶっ壊すやり方を使ってしまった。バートン監督が『バットマン』(1989)では自分を抑え、『バットマン・リターンズ』(1992)で弾けたように、まさにこれはノーラン監督による映画の枠組みに対する挑戦である。
 この作品の新機軸。それは
「映画として作ってない」という事。このつくり方は映画ではなく、ゲームのつくり方だ。
 ヒーローものというのは大抵はフォーマットが決められているが、その中で重要な要素は
「わたしがやらねば誰がやる」という自意識にある。ヒーローはヒーロー故に苦しめられ、やむにやまれぬ状況に追い詰められながら戦っていくというのが通常のヒーローものの基調となる。つまり、ヒーローは、巨悪を前にして、必ずそれを倒さねばならない状況へと追い詰められていくものである。これはつまり主人公の選択の幅は無茶苦茶狭いということ。
 例えば同じ“私設自警団”ヒーローが主人公の
『スパイダーマン3』と較べてみると分かりやすいだろう。あの作品でのピーターが自分の意志で選択したものは驚くほど少ない。せいぜいブラックスーツを脱ぐときに選択をした事と、MJをさらったヴェノムとサンドマンに対抗するためにゴブリンJrに助けを求めた事くらいだが、これもストーリーの展開上、やはりやむにやまれず行った行為として捉えることが出来る。ヒーローはあまり選択の幅を持たせないのがフォーマット。決断は必要かもしれないけど、それは物語の節目。あるいは最後の決断にのみ使われるものと言うのが定式。
 しかるに本作の場合、全くそれを逆転させてしまった。主人公のブルース:バットマンは嫌と言うくらいに選択の場に立たされている。しかも、それらはことごとく二択になって。
 最初にブルースが取らねばならない選択はバットマンを取るかレイチェルを取るか。という選択。そこでバットマンの方を取ることで物語は開始されるのだが、選択はその後山ほど登場する。レイチェルを取るかハービーを取るか(これはしつこいほど描かれる)、ジョーカーを殺すか殺さないか。自分の正体を明かすのか明かさないのか。トゥーフェイスを許すのか許さないのか。劇中いくつもの選択肢が現れ、苦悩しつつそれら一つ一つに答えていくわけだが、その答えは全て正解とは言えない。いやむしろ、映画が終わってみると、かなり悪い選択を行ってしまって、
いわゆるバッドエンドの一つになってしまった感じがする。最初にレイチェルを選ばなかったことによってレイチェルはハービーの方に行ってしまうし、ジョーカーを殺さないことでレイチェルを殺してしまう。命を救うのをレイチェルではなくハービーにすることでトゥーフェイスを誕生させてしまった。ハービーの名誉を守ることでバットマンが犯罪者になってしまった…
 物語は一方向しかないので、「もしも」は無いのだが、もしもどこかでブルースが自分の役目ではなく、本音を優先した選択を上手くやっていれば、完全なハッピーエンドの終わり方もあったのではないか?そう思うと、これはやり直しの利かないゲームをやってる気分にさせられてしまう。
 更に選択を強いられるのはバットマンだけではなく、劇中の多くのキャラは同じように幾度となく二択の選択しに直面し、そのどちらかを選ぶことで物語は展開していくことになる。非常に単純な二択問題。
Yes/No、Do/None、Right/Left、そしてTwo-Face。これらを事ある毎に出すことによって、物語の展開を予測の付かないものにしてしまった。そう言う言う意味で、ハービーが常にコイントスやってるのと、トゥーフェイスの登場は、本作においては必然性のある役割なのだ。
 確証はないけど、この脚本を書く際、ノーラン兄弟が、物語を一方向にせず、数多くの二択を作って、もしこちらを取ったらどうなる?と言うことで話し合った結果なんじゃないだろうか?いろんな選択はあり得るのだが、間違った選択も入れることにして(と言うか間違った選択の方を多くして)、物語を作っていったら、先が読めない変な物語になってしまったと言う事なのかも。
 確かに新しいつくり方ではあるが、真似して作る作品がないことを願いたい。こういうのは本作一本で良いよ。
プレステージ 2006
2006米アカデミー撮影賞、美術賞
2006サターンSF映画賞

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クリストファー・ノーラン
ジョナサン・ノーラン(脚)
ヒュー・ジャックマン
クリスチャン・ベイル
マイケル・ケイン
スカーレット・ヨハンソン
パイパー・ペラーボ
レベッカ・ホール
デヴィッド・ボウイ
アンディ・サーキス
エドワード・ヒバート
サマンサ・マハリン
ダニエル・デイヴィス
ジム・ピドック
クリストファー・ニーム
マーク・ライアン
ロジャー・リース
ジェイミー・ハリス
ロン・パーキンス
リッキー・ジェイ
モンティ・スチュアート
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
奇術師(書籍) クリストファー・プリースト
 19世紀末のロンドン。ここには二人の天才的マジシャンがいた。華麗なパフォーマンスで魅せる“グレート・ダントン”ことロバート・アンジャー(ジャックマン)と、天才的なトリックメイカー“ザ・プロフェッサー”ことアルフレッド・ボーデン(ベイル)である。2人は修業時代からマジックの腕を競い合っていたのだが、水中脱出のマジックにアンジャーの妻が失敗して命を落としてしまった。その原因がボーデンにあったことから、アンジャーは彼への復讐に取り憑かれていく。二人のマジックはロンドン中から賞賛を受けるものの、憎み合う二人は事ある毎に互いのマジックを邪魔しようとする。ボーデンの瞬間移動のトリックがどうしても分からないアンジャーは、何とかしてその秘密をボーデンに吐かせようと、あれこれ画策するのだが…
 ノーラン監督は実験的な映画を数多く作っているが、その姿勢が大変面白く、予告などでも「この結末は言わないように」とのことだったので、わくわくしていた。このレビューも一応それに従い、
オチの方はなるだけ避けるように書いてみよう
 私自身の話になるが、私は根が単純なのか、どんでん返し映画にはコロッと騙されることが多い。年少の頃はそれが恥ずかしかったから、強がってそう言う映画をわざとこき下ろしてみたり、あるいはさも最初から分かっていたかのように振る舞ったものだけど、近年になってむしろこう言うのは
騙される方が面白いと言うことに気が付いた。映画って言うのはびっくり箱みたいなものだから、斜に構えて観るよりも、映像の中にドップリと漬かって、どんでん返しのラストが来た瞬間、のけぞる方が絶対楽しい。そう言う意味では感謝すべきは『シックス・センス』(1999)だろう。この作品で、騙される楽しみって奴を知った
 それで、ノーラン監督の『メメント』は、私にとってはベストのどんでん返し映画の一つ。この作品の場合、特殊な設定ではあるが、時間軸を崩したことが謎解きの煙幕として上手く機能していて、それが謎に絡んでいて見事に騙されたし、凄く楽しかった。
 それで本作だが、確かにノーラン作品っぽい出来。『フォロウィング』並に時間軸をごちゃごちゃに、最後の結末に向けて話が展開している。
 ちょっと話をまとめてみよう。大まかに分け、物語の時間軸は5つに分かれる。
 @二人の修業時代。
 Aお互いに憎み合いながら芸を磨いていく時代。
 Bボーデンのマジックのタネが分からず苦悩するアンジャー。
 Cついに自分なりの瞬間移動を作り上げてマジックを行うアンジャー。
 Dアンジャー殺しの汚名を着せられて処刑されようとするボーデン。

 このうち、物語のメインは
Bだが、その中に他の時間軸の話が次々と入り込んでくるため、観てる側はかなり混乱する。この混乱こそが最後の謎の伏線の煙幕になっているのだが、どうやら今回に関してはそれはさほど上手く機能できなかったように思える。
 この作品には二つのどんでん返し要素が隠されているのだが、二つあることで、作り手の方もどこまで突っ込んで良いのか混乱してしまったのでは無かろうか?これみよがえしに謎解きの一歩手前まで何度も持っていくため、
途中で二つとも分かってしまうのだ。折角騙されようと思って観てるのに、「まさかこれじゃなかろうな?」と思ったことがことごとく当たってしまう。これは結構虚しいよ。いやそもそも、劇場で映画観る場合、怒濤の如く映像で押しつぶされ、考えることさえ面倒くさくさせて欲しかった。映画観ながら考えてしまうってのは、つまりはそれだけ退屈だって事だし。しかも最後の一つの謎は「ありえねえ!」と叫びたくなるようなもの。
 一応主人公はジャックマン演じるアンジャーの方にウェイトがかかっているのだが、その
復讐の感情に同調できなかったのも痛い。何故あそこまで憎まなければならないのか。色々描いていても軽すぎる。
 ラストも不満。あそこでマイケル=ケイン演じるカッターの満足した顔で終わるんじゃなくて、
後ろからステッキで床叩くコツコツという音が聞こえているか、足下を映してこそ、本当のハッピーエンドになったのに。
 ただキャラに関してはかなり良かった。ジャックマンってワイルドな役も似合うけど、洗練された紳士の役もかなり似合ってる。芸域がかなり広い人だって事がよく分かった。マイケル・ケインも良い歳の取り方してるねえ。『トゥモロー・ワールド』(2006)のアレにはびっくりしたけど、執事みたいな役が実によく似合う。改めてファンになりそう。ヨハンソンもいつの間にか悪女が似合う女性になっていて、美しさに磨きがかかってきたね。ただ一方ベイルだが、この人ひょっとして芸域が狭くなってない?なんかトム=クルーズの亜流に見えてきたんだけど…
 ちなみにここに出てくる
交流電気の発明家ニコラ・ステラ(ボウイ)は実在の人物で、エジソン電灯の技師で発明家だったが、エジソンが発明した直流電気に対し交流電気の有用性を主張し、袂を分かったという人物。実際ジョージ・ウェスティングハウスという貴族の後援の元、ウェスティングハウス・エレクトリックという会社を設立している(現在は東芝傘下)
バットマン・ビギンズ 2005
2005米アカデミー撮影賞
2005英アカデミープロダクション・デザイン賞、音響賞、特殊視覚効果賞
2005ゴールデン・ラズベリー最低助演男優賞(ホームズ)
2005
全米BoxOfficeトップ7位
2005ゴールデン・トマト・アウォーズアクション/アドベンチャー

2006MTVムービー・アワードヒーロー賞(ベイル)、作品賞、悪役賞(マーフィ)

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クリストファー・ノーラン
デヴィッド・S・ゴイヤー(脚)
クリスチャン・ベイル
リーアム・ニーソン
マイケル・ケイン
モーガン・フリーマン
ゲイリー・オールドマン
渡辺謙
ケイティ・ホームズ
キリアン・マーフィ
トム・ウィルキンソン
ルトガー・ハウアー
ライナス・ローチ
ラリー・ホールデン
コリン・マクファーレン
ジェラルド・マーフィ
サラ・スチュワート
リチャード・ブレイク
ラデ・シェルベッジア
エマ・ロックハート
ガス・ルイス
クリスティーン・アダムス
キャサリン・ポーター
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
新シリーズ第1作
特撮事典
 少年時代、両親が町のちんぴらに殺害されるのを目撃したブルース=ウェイン(ベール)は、成長してもそのトラウマから悪を憎む心を振り払うことが出来ないでいた。自分の心の闇を直視する旅に出たブルースはやがてヒマラヤの僧院に行き着く。そこで師となるヘンリー=デュガード(ニーソン)の手ほどきを受け、やがて独り立ちをする。そして彼は悪の蔓延るゴッサム・シティへと帰ってきた。悪を倒すことを自らの使命として…
 アメコミの老舗DCコミックから誕生したバットマン。同じDCコミックにはスーパーマンがあるが、その後塵を拝する形でコミック化されたバットマンは
一つの大きな特徴を付けられた
 自身が宇宙人で、文字通り人間を超える存在のスーパーマンは、ひたすら善意により悪をくじいて人間を助けようとする。その姿も国旗の色である青と赤の原色に身を包み、徹底した“陽”の面を強調したヒーローだったのに対し
(スパイダーマンも同じ色なのはちゃんと理由があるのだ)、バットマンは、科学で身を守っているとはいえ、あくまで人間。しかも“悪を憎む”事に特化したヒーローであり、その活動も主に夜に行われる。黒一色に身を包んだ“陰”の部分を強調した存在に仕上がっていた。
 やがて時は流れ、コミックでは相棒のロビンが登場し、バットマンの姿も黒一色から濃紺と白に変わっていくに連れ、その性格もどんどん軽くなっていった。どちらかというとどたばたのコメディ色を強調していくようになったわけだ。そんなわけでTV化された際はこれがベースとなり、劇場版となった『バットマン』(1966)も、ツッコミどころ満載のギャグ作品に仕上げられ、やがて表舞台から姿を消していった。
 それを復活させたのがティム=バートン監督。バートン監督が作り上げた『バットマン』(1989)
あくまでオリジナル版の“陰”の部分を強調したものであり、今から思うと、これこそが90年代のハリウッド映画の始まりだったのかもしれない。
 バートン版のバットマンは悪に対し、本当に情け容赦ない。悪を懲らしめることが悪なら、それも受け止めてやる。
これは私がやりたいからやっているのだ!何が悪い。と言う鋼鉄の意志を持つ孤高のヒーローとして誕生したのだ。
 これは目から鱗。
こんな格好良い、そしてこんな身勝手なヒーローを見せつけてくれるとは!
 しかしながら、この孤高のヒーローも、続編毎にどんどんパワーダウン。やがては原作コミックと同じようにギャグへと走るようになっていく。
 そして最後の『バットマン&ロビン』(1997)から8年後にノーラン監督により、新たに本作が制作された。
 
『ビギンズ』の題の通り、本作もオリジナル版への原点回帰が図られているが、流石に若手随一のノーラン監督。目指すべき方向は同じでも、立脚点をまるで変えてしまった。バートン版の“闇”が舞台と悪を憎む心に集約されていたのに対し、ここでのテーマは、心の闇になっている。
 ここでのブルースは確かに悪を憎む心はある。ただし、バートン版ではモチベーションだったそれが“トラウマ”として位置づけられているのが大きな特徴。だからここでのブルースは悩みまくっている。自分のこの思いは、本当に正しいものなのか、それとも、大きな間違いを犯そうとしているのではないか?だからそれが修行という形で現れる。自分が悪に染まってみることによって悪を理解しようとしたり、肉体と精神を鍛え上げようとしたり…そこで一見克服したかのように見えながらも、やはり悩みつつ悪と戦う姿がそこにはあった。ヒマラヤでラーズと袂を分かち、僧院を破壊していながら、自分の師であるデュカードを助けたところにそこは現れているだろう。実際、デュカードの精神こそが本来“悪を憎む”という意味においては正しかったはずなのだ。だが、ブルースは両親が愛したゴッサム・シティを憎む切ることは出来ない。結果として、彼は悪の温床としてのゴッサム・シティではなく、その中にある悪を一つ一つ潰していくことを選ぶこととなる。しかし、それも又新たなる彼の悩みともなっていった。この作品でバットマンはほとんど直接人を殺していない。悪を憎もうとも人を憎むことが最後まで出来ないまま終わる。
 それにブルースの心理的なアンビバレンツを主題とするなら、ゴッサム・シティをこれまでのゴシック様式を捨て、近代建築に変えたのも理解できる。
私自身、最初ゴッサム・シティを見た時は、「駄目だよこれじゃ」とか思ったのだが、これはひょっとして狙って行ったのかも知れない。敢えてそれを行った狙いは、おそらくこの作品のテーマ、心の闇に関係がある。近代建築で覆われた、見た目大変美しく整った町並みの内部はどうだ?実際に中に入ってみて、何気なく角を曲がってみると、そこにはカオスが潜んでいる。汚い町並みと、腐敗した人間ばかりがそこにはいる。人間の心そのものをここでは表現しようとしていると、そのように思う。そうなると、ウェイン邸を燃やしてしまったのも、過去への決別つまりトラウマの克服を象徴していたのかも知れない。ブルースがコウモリをモティーフとしたバットマンになるのも、自分のトラウマを克服するためと言う理由が付けられている。ノーラン監督の狙いが心の闇にあるのならば、一々象徴的な出来事として解釈することも可能だ。細かく分析しても面白いかも知れない(ここではやらないけど)
 一方、本作で乗り切れない部分もやはりあった。心理描写においては大変巧みなノーラン監督も、
アクション部分は大変月並みなものになってしまったのが極めて残念。CGを駆使して派手な演出するのは最近のハリウッドの特徴だが、派手な“だけ”の演出はいい加減飽きた。CGを使えばどんなものも表現できるのならば、むしろ地味なものをじっくり見させる方向へとそろそろ移行しても良い時期。闇を舞台とするバットマンだったら、遙かにそっちの方が重要になるはず。同じく金を遣うんだったら、そう言うところで凝って欲しかったぞ。バットモービルが「戦車」になってしまったのには笑ったけど、あの使い方も、もうちょっと使い道考えて欲しかった。あのカーチェイスはくどいだけ。
 キャラの使い方に関してはかなり面白い。評価すべきはやっぱりニーソンの使い方だろう。昔からヒーロー役ばかりやってるこの人を敵として用いる場合、これはベストの使い方。それに皮肉なことに、悪役ばかりで有名なオールドマンをゴードン巡査部長という、正義側に置いたのも卓見。この人の巧さを充分に引き出していた。ベールも前作
『マシニスト』(2004)で極限まで落とした体重を、ベスト体重以上に上げたのみならず(40キロ地殻の増量だったそうだ)、20〜27歳という年代の違いまでちゃんと表現していたのは、やっぱり凄いな。若手俳優の中でも特に芸の幅というものを見せつけてくれた感じだった。マイケル=ケイン、モーガン=フリーマンというヴェテランの使い方も良し…まあ、渡辺謙の使い方は大きく間違っていたとしか言いようがないけど。
 全般的に見て、「大当たり」という所まではいかないけど、
充分当たりの作品と言える。
インソムニア 2002

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ブロデリック・ジョンソン
ポール・ジャンガー・ウィット
アンドリュー・A・コソーヴ
エドワード・マクドネル
ジョージ・クルーニー
キム・ロス
チャールズ・J・D・シュリッセル
スティーヴン・ソダーバーグ
トニー・トーマス(製)
ヒラリー・セイツ(脚)
アル・パチーノ
ロビン・ウィリアムズ
ヒラリー・スワンク
モーラ・ティアニー
マーティン・ドノヴァン
ニッキー・カット
ポール・ドゥーリイ
ジョナサン・ジャクソン
★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 アラスカの小さな町ナイトミュート。白夜のこの町で17歳の少女の変死体が発見された。撲殺された上に、爪を切られ、髪まで洗われてゴミ袋に詰められて放置されたのだ。早速、ロス警察から捜査課のヴェテラン刑事ウィル=ドーマー(パチーノ)とハップ(ドノヴァン)が捜査応援にやって来る。ウィルの提案で、海辺の小屋に犯人をおびき寄せることに成功したのだが、深い霧に犯人を見失ったウィルは誤ってハップを射殺してしまう。その罪の仮借と沈まぬ太陽のお陰で不眠(インソムニア)にかかるウィル。そして三日目。ウィルのもとかかってきた電話。それは少女殺しの犯人、フィンチ(ウィリアムズ)からのものだった。フィンチは言う「眠れないのかい?」…
 これを観終えたときの正直な感想を言わせてもらうと、かなりがっかりした
 ソダーバーグ製作でパチーノ、ウィリアムズの競演。しかもウィリアムズは悪役に挑戦すると言うことで、とても楽しみにしていた作品だった。パチーノは巧く、特に不眠症が進んで憔悴していく過程の演技は絶品だったし、ウィリアムズも、元々が“欲ばかりが高く、気が小さい頭でっかちの人間が人を殺してしまった”と言う感じの役をちゃんとこなしていた。冷静に事を進めようとする熱血刑事を演じたスワンクも悪くない。それに劇中に度々現れるイメージはサブリミナル的な効果を上げる事にも貢献している。白夜の中で判断力を失っていく刑事。と言う設定も実に気に入った。
 だけど、これだけ魅力的な小技を使っておいて、なんでこんなに当たり前の作品を作ってしまったのだ?と言う感じ。
 結局、せいぜい普通の刑事映画っぽい。
 ところが、それで酷評を書くつもりでパソコンを前にして、色々考えを巡らせていたら、なんかすっきりしなかった。言い表すことが難しい、表には現れないメッセージのようなものがあったのでは?そんな気がしてならなかった。
 それで、こういう場合によくやるように、
色々とキー・ワードを当てはめてみて、それに合うものをどんどん純化していく方法を試してみた。すると色々と考えがまとまってきた。まず、何が不思議だったかを見つけ、その事を追求してみた。
 何が不思議だったか、何がこの作品を不安定なものにしているのか…
それは一箇所だ。
 ウィルがハップを撃つシーン。
これが、故意であったのか、本当の間違いであるのか、最後まで解き明かされないと言う事実。何せウィル本人が「分からないんだ」と言うくらいだから。
 これだけ大切な部分をこんなに不安定にしたのを、単なる監督の力不足だとする事も出来る。が、まさか
ノーラン監督がそんな根本的な間違いをするか?
 それでその部分を中心に物事を考えてみた。
 よく漫画で見かけるシーンだが、何か悩み事を前にした男の両肩に天使と悪魔が乗って、耳に囁いていると言うシーンがある。戯画化されているが、これは人間の中にあるアンビバレントを見事に表した構図だと思う。そして大概の場合、漫画では人は悪魔の声の方に従う。それはそうなのだ。
両側から色々な事を言われ続けると、人の判断力はどんどん低下していく。やがて、一番簡単な方法、この状態から逃げる方法を考え始める。そうしていると、甘い声の方が魅力的に思えてくるものだ
 この天使と悪魔は自分の中からやってくるものだが、通常だったら人は表面上の強い意志があり、自我は抑えられる。社会的な部分
(表層的な意識とも言う)が低下したときにこそ、人の奥底にある自我が現れ始める。こんな時に、人は内面の声、妄想のようなものに耳を傾けてしまいたくなる。
 ウィルは非常に意思が強い人間として描かれているにもかかわらず、ここでは強いストレスを受けていて、意思力が奪われ、エゴが表層に現れかねない状態として描かれている。
 これにはちゃんとした理由があり、かつて正義のためと信じ、捏造した証拠物件が内部監査局によって明らかにされようとしていたのだから。しかも、相棒のハップから、保身のためにその証拠を監査局に差し出す用意があるという衝撃の事実を聞かせられていた。
 更にそれに追い打ちをかけるように白夜のこの町で、不眠症(イムソムニア)にかかるウィル。彼の判断力は徹底的に低下し、そこでハップを撃つ。と言う事態に発展する。
 ここからがこの映画の主題となる。この映画の主要部分は犯人との対決ではなく、ウィル本人が不安定な精神状況の中、二つのアプローチがかけられる。その極限状態での選択こそが最も重要なものであった。片やウィルを尊敬し、彼の正の部分に働きかけるエリー=バー(スワンク)と、ウィルの凶行を見て、共犯者に引きずり落とそうとするフィンチ。天使と悪魔とが彼の両耳に語りかける状況がここに完成する。
 それで、不安定な状態で両耳から語りかけられ、悪魔の甘言に乗ってしまうウィル。だが、もう片方からの天使の声も依然として続いている…
 一度下してしまった極限の選択。だが、それは撤回不能のものではなかった。
 そこがこの作品の主題ではなかったのか?そう考えると、かなりすっきりする気がする
(これが私の妄想に過ぎないと言う可能性も勿論あるけど)。一見難解に見えるけど、結構しっかりしたイメージを内包してるのではないかな?エリーもフィンチも人間的側面を持たせたのはそのせいかもしれない(フィンチを、全てを計算ずくで行った神の如き存在として描くこともかのうだったのに、それを敢えてしなかったし)
 でも、ウィル本人の口からそれを語らせるのが良かったのか?もしこの作品で失敗した部分があるとしたら、実はまさにその部分だったかも?
メメント 2000
2001米アカデミー脚本賞、編集賞
2001LA批評家協会脚本賞
2001
ゴールデン・グローブ脚本賞
2001インディペンデント・スピリット作品賞、監督賞、助演女優賞(モス)、脚本賞、
撮影賞
2001放送映画批評家協会脚本賞、
作品賞
2001オンライン・ムービー・アワード第7位

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クリストファー・ノーラン(脚)
ガイ・ピアース
キャリー=アン・モス
ジョー・パントリアーノ
マーク・ブーン・Jr
スティーヴン・トボロウスキー
ジョージャ・フォックス
ハリエット・サンソム・ハリス
カラム・キース・レニー
ラリー・ホールデン
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 逆向きに語ることによって、単純な物語がとてつもなく謎めいた作品に早変わりする。
 ビデオで観直すことを前提に作られた作品とも言える。

 

フォロウィング 1998

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クリストファー・ノーラン(脚)
ジェレミー・セオボルド
アレックス・ハウ
ルーシー・ラッセル
ジョン・ノーラン
ディック・ブラッドセル
★★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ

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