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1989 | 11'21 死去 | |
1988 | ||
1987 | ||
1986 | ビバリーヒルズ・マダム 監督 | |
1985 | RECKLESS DISREGARD レックレス・ディスリガード 監督 | |
私立探偵スペンサー(6) 監督 | ||
1984 | ゲームの達人 監督 | |
1983 | ||
1982 | ベッツィ&ジョディ/美女物語 監督 | |
勝利への大停電 監督 | ||
1981 | エデンの東 監督 | |
1980 | スペース・エイリアン 監督 | |
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ザ・シティー 監督 | |
1976 | コンバット・恐怖の人間狩り 監督 | |
1975 | 刑事コロンボ 魔術師の幻想 監督 | |
刑事コロンボ 忘れられたスター 監督 | ||
1974 | 刑事コロンボ 5時30分の目撃者 監督 | |
刑事コロンボ 祝砲の挽歌 監督 | ||
パニック・オン・ザ・5:22 監督 | ||
安楽死 監督 | ||
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | ||
1968 | 甘い暴走 監督 | |
1967 | 恐怖のアマゾン脱出 監督 | |
1966 | ||
1965 | 帰郷 監督 | |
1964 | ||
1963 | ||
1962 | ||
1961 | ||
1960 | ||
1959 | ||
1958 | ||
1957 | ||
1956 | ||
1955 | ||
1954 | ||
1953 | ||
1952 | ||
1951 | ||
1950 | ||
1949 | ||
1948 | ||
1947 | ||
1946 | ||
1945 | ||
1944 | ||
1943 | ||
1942 | ||
1941 | ||
1940 | ||
1939 | ||
1938 | ||
1937 | ||
1936 | ||
1935 | ||
1934 | ||
1933 | ||
1932 | ||
1931 | ||
1930 | ||
1929 | ||
1928 | 3'19 トロントで誕生 |
コンバット・恐怖の人間狩り Shoot |
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刑事コロンボ 魔術師の幻想 | |||||||||||||||||||||||||||
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魔術師として有名な手品師サンティーニ(キャシディ)。実は彼は過去尋問官としてナチスに協力していたという事実があり、それを知る興行主は彼の弱みにつけ込み上前をはねていた。サンティーニは脱出マジック中のわずかな時間を利用して、興行主の殺害を図るのだった。トリックを使ったアリバイ作りは完璧のはずだった。だがコロンボは被害者の倒れた向きの不自然さに気付く… コロンボシリーズは比較的マジックを主題にする作品が多い。実際の手品のギミックを使ったり、映像や最新技術の機械を使ってのトリックで使われることもあるが、ここまで本当に「手品」してるのは珍しい。 推理ものは一種手品のタネ明かしに似ている。通常タネは分からぬまま視聴者を混乱させておいて、名探偵がさらりとそれを解いてみせる。という方法。倒叙ものだと、タネは一見視聴者に分かっているように思わせておいて、更にもう一つタネを仕込んでいる。みたいなことをやってひねるのが楽しい。 本作の場合、キャシディが使った単純な手品が最初に登場する。それが犯人捜しの重要なキーとなっているのだが、何故それが出来たのか。これは分からないように出来ているのが面白い。結果的に単純に謎を崩していくだけでなく、その謎が解けた時、「な〜んだ」と思わず呟かせる辺りのさじ加減がなかなか。 こどもの頃これを観た時、「なるほど手品というのはちゃんと仕掛けがあるんだ」ということを初めて気づかせてくれた作品でもある。 コロンボシリーズの全てに登場しているというちょい役マイケル=ラリーが本作では本名役で登場(引退した綱渡り名人役)。 |
刑事コロンボ 忘れられたスター | |||||||||||||||||||||||||||
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かつてブロードウェイの大女優として名を馳せたグレース(リー)がカムバックを果たそうとするが、プロデューサの夫が資金提供を断ったため、その財産を狙って夫を自殺に見せかけて殺害する。その死に不信を抱いたコロンボは聞き込みを開始するが、グレースの旧知の振り付け師ネッド(ペイン)の虚偽の証言に捜査は難航する…。 本作はシリーズ中最もファンの多い話と聞くが、それもよく分かる。ストーリーはともかく(どこかで観たような物語というのはさておき)、キャラの立たせ方において、本作ほど見事なものはない。 本シリーズは華やかなメディアの舞台裏を題材としたものが多く、本作もブロードウェイの舞台裏を描くもの。ストーリーとしては『何がジェーンに起こったか?』(1962)を素のまま本当の犯罪ものにしてしまったような話で、ベティ=デイヴィス張りにジャネット=リーが頑張っている。リーと言えば、『サイコ』(1960)での叫び声が印象深いが、それに勝とも劣らぬ鬼気迫る演技力を見せてくれた。誰にも見向かれてないのに一生懸命演技指導する姿。最後は病気によって自分が夫を殺したことさえも忘れてしまい、その罪をかぶったペイン演じるネッドを弾劾する様。全てが見事に決まってる。 それで彼女を愛する役のペインの演技が泣かせる。彼は彼女を女として愛するというのではなく、演技者としての大ファンだからこそ、彼女を守ってやろうとするのだろう。そう、まるで『サンセット大通り』(1950)におけるシュトロハイムのように…ラスト、全てを忘れてしまったグレースの罪を全てかぶり、その当の本人になじられながら警察に引かれていくというオチも泣かせる。 とにかく演技者のはまり具合に泣かせられる作品だ。謎解きとしてはさほどではないけど、全てを知って尚、誤認逮捕を敢えて行うコロンボも、人間味溢れる演技を見せてくれた…刑事としては失格だけど(笑) |
刑事コロンボ 5時30分の目撃者 | |||||||||||||||||||||||||||
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人妻と密会している所を夫に踏み込まれた精神分析医のコリアー(ハミルトン)はもみ合いの末、彼女の夫を殺してしまった。得意の催眠術を使い、夫人の意識を自分の良いように扱い、自らのアリバイを作り上げるのだが、そこには目撃者が。しかし、彼の目は… 様々なタイプの犯人が登場するのが本作の醍醐味だが、そろそろネタが尽きてきたか、話は随分と荒唐無稽なものになっている。催眠術師が何でも出来るというのは、後年日本でも『催眠』(1999)等というくだらない作品が作られたが、パターンは同じ。催眠術というのは、“本人の望むことはさせられない”とされているにもかかわらず、明らかにそれに反した行いを行わせるのは、設定ミスとしか思えない。超能力を持った人間と戦ってるみたいなもんだ。 ラストのオチはそれでもコロンボらしく人を食って面白くはあったけどね。結局相手に勝ち誇らせておいて、それが罠になっているってのが面白い。 |
刑事コロンボ 祝砲の挽歌 1974 | |||||||||||||||||||||||||||
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時代に取り残され、廃校が噂される陸軍幼年学校の校長(マクグーハン)は、記念式典で理事長が発射する祝砲に細工を施して廃校を主張する理事長を爆死させる。捜査に当たったコロンボは現場に残された布きれに疑問を感じ…。 ヴェトナム戦争も終結し、職業軍人という言葉も徐々に薄れてきた時代を巧く捉えた作品で、これはテレビで昔観た時に結構驚いた記憶がある。 その時はアメリカってのは自由な国だから、こういう学校もてっきり自由な雰囲気に溢れているんだろうと思いこんでいたのだが、この厳しさはどうだ。やっぱり兵士とは、こういう厳しさの中でこそ育てられるのか。と妙に感心したものだ。 それでもやっぱり自由さというのはよく現れていた。規則が厳しければ厳しいほど、それをすり抜けることに喜びを覚える人というのはいるものだ。 結果的にそれこそが事件を解く手がかりになるのだから、その辺の設定が面白い所だな。コロンボの立てる根拠薄弱な仮説を裏付けていく過程が楽しい。それに今回はコロンボには徹底的に似合わない訓練風景なんかも見られる。 |