ラ・シオタ駅の到着
L'arrive'e d'un train a` La Ciotat |
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★★★★ |
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僅か一分足らず。単に機関車が駅に入ってくるところを撮影しただけの作品なのだが、この作品が後年の映画に与えた影響は莫大なものだった。
一つには、ここでの登場人物はそれぞれ“演じて”いること。それまでの映画はある意味全てがドキュメンタリーで、記録のために撮影されることがほとんどだったが、あたかも自然の出来事のように、演じることで映画の画面作りが出来ることを示したこと。これが物語へとつながる重要な転換点になっている。まだここでは単に歩くだけかもしれないが、舞台と同じように物語を作ることが出来ることをここで示して見せた。
そしてもう一つ。映画は平面的なものではないと言うこと。それまでの舞台劇は基本的には舞台の上で演技がなされるので、視点は平板なものになる(それを逆手に取った演出も存在するが)。それに対して映画は一枚のスクリーンに投影されるために、本来は完全な平板なものなのだが、実際に人が演じるよりも奥行きを感じることが出来るという面白い効果をつけることが出来た。この作品では斜め向こうから汽車が走ってくるだけだが、それがあたかも自分の方に向かって汽車が走ってくるかのような錯覚をもたらすことが出来るようになった。
人間が生で演じるよりも逆に映画の方が立体的に見せられるとは皮肉なものだが、その皮肉が、現実よりも更にリアルなものとして映画を位置づけることになる。
映画の発展のために、作られるべき時に作られた作品とも言えるだろうが、これがあってこそ、現在の映画があると思うと感慨深いものがある。
シオタはリュミエール兄弟の別荘があったところで、ここにリュミエール家の人々を集めて撮影。現在もこの駅のキオスクは「キオスク・リュミエール」と名付けられている。
本作がカメラアングルの誕生と言える。
本作が衝撃的だったか、これから1900年までの間に100本以上の列車の到着が世界中で撮影されることになる。 |
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