サンライズ
Sunrise: A Song of Two Humans |
1927〜28米アカデミー撮影賞、芸術的優秀作品賞、主演女優賞(ゲイナー)、美術賞 |
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カール・マイヤー(脚)
ジャネット・ゲイナー
ジョージ・オブライエン
マーガレット・リヴィングストン
ボディル・ロージング
J・ファレル・マクドナルド
ジェーン・ウィントン |
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★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
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避暑地の村にやってきた女性(リヴィングストン)が退屈紛れにその地の村に住む実直な農夫の男(オブライエン)を誘惑した。優しい妻(ゲイナー)と幸せに暮らしていたはずの男にとって、彼女の都会の匂いは魅惑的で、ズルズルと引きづられて家財から牛まで売り払ってしまう。そしてついには女の勧めに従って妻を殺し、女と2人で都会へ逃げて行こうとまで考えるが…
ドイツの劇作家ヘルマン・ズーデルマンの小説に基づいて制作された作品で副題は「ふたりのための歌」。ドイツの第一線で活躍し、戦前のドイツ映画の一時代を築いたムルナウ監督ががアメリカでのフォックス入社第一回作品となった(既に大監督となっているムルナウに対し、フォックスは莫大な予算を提供。制作を一任したという。原作、脚色、撮影を全てドイツ人で固め、ムルナウの作家性を存分に引き出す事に成功している)。以降の映画は監督よりもプロデューサの意見の方が強くなっていき、本当に作家性のある作品は大作映画では少なくなっていくから、監督にとってはとても良い時代だったのだろう。
そもそも1920年代のドイツ映画は『カリガリ博士』(1919)に代表されるドイツ表現主義華やかし時代で、ムルナウ監督自身もその提唱者として知られるが(代表作として『吸血鬼ノスフェラトゥ』が挙げられよう)、20年代後半になって監督の志向も少し変わってきたように思える。そもそも表現主義は誇張された表現を使うことによって映画でしか出来ない表現を作ろうとした方向性にあるが、それが幻想的な方向にばかり行っていた。ラング監督の『メトロポリス』(1926)なんかはそれが極端に誇張されているのが分かるが、ムルナウ監督は同じ表現を使いつつ、本作でそれを自然界にある方向へと向かわせていった。ここでのクライマックスシーンの大嵐なんかは、特撮としての見所のみならず、映画で大自然を切り取ろうとしている努力と見ることも出来よう。これは多分に実験的要素があったため、スペクタクルを求めていた視聴者にはあまり受けが良くなく、興行的には奮わなかったそうだが、映画を一歩新しい方向性へと踏み出させたという意味においては映画史に残る作品と言えよう。
演出も流れるような流麗なカメラ・ワークと言い、表現主義らしい明暗がくっきりと分かれた表現方法など、サイレント映画の強みを上手く使っている。
物語も今にして見ると、流れこそ単純ではあるが、後のフィルム・ノワールへとつながるサスペンスの流れもしっかりしているのも分かる。こんな早い時代にストーリー運びのテンポやスペクタクル性まで取り入れた作品を作り上げたと言うことで、ムルナウ監督の実力がうかがい知れよう。
ちなみにこのストーリーはアメリカ国内よりも実は日本で大いに受けたとのこと。当時の日本映画でも都会からやってきた男に田舎娘が誘惑されて起こる悲劇という物語が大変多く(立場は逆転してるけど)、日本では時事的にぴったり合い、当時の若手監督達に多大な影響を与えたという。
第1回アカデミー賞は実は2つ作品賞があり、作品賞を取ったのが『つばさ』(1927)だったが、芸術的優秀作品賞を取ったのが本作。この出来なら頷ける。
本作の美術監督を務めたのはムルナウと共にハリウッドにやってきたエドガー・G・ウルマー。 |
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