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フリードリヒ・ウィルヘルム・ムルナウ
Friedrich Wilhelm Murnau

評価 年代 レビュー 書籍
F・W・ムルナウ
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ドイツの映画監督。サイレント時代の巨匠で、フリッツ・ラングらとともにドイツ表現主義映画を代表する監督である。
Wikipediaより引用
経歴
1888'12'28 北ラインヴェストファリアビエルフェルドで誕生
第一次世界大戦にパイロットとして従軍するが、スイスに不時着したことから抑留される。
1919 コンラート・ファイトとともに映画スタジオを設立し、監督デビュー
1922 吸血鬼ノスフェラトゥが大ヒットするがブラム・ストーカーの遺族から訴えられる。
1924 UFAに移籍し、最後の人を撮影する
1927 フォックス・フィルムに招かれて渡米し、サンライズを監督する。
映画界で初めてサウンドカメラによる撮影と、移動撮影による映像美が高く評価される。
1931 ロバート・J・フラハティと共同で『タブウ』を完成させる
1931'3'11 自動車事故で死去
5+
吸血鬼ノスフェラトゥ
4+ 最後の人
サンライズ
ファウスト
3+
2+
個人的感想
ヘルツォークのノスフェラトゥ(1978)を観てから、これにはオリジナルがあることを知り、吸血鬼ノスフェラトゥを観ることを熱望していた。そして実際に観て、その作風がとても気に入ってしまった。他の作品も軒並み高得点で、私にとっては最高の監督の一人である。
1931 タブウ 監督・原作
1930 都会の女 監督
1929
1928 四人の悪魔 監督
1927 サンライズ 監督
1926 ファウスト 監督
1925 タルテュッフ 監督
1924 最後の人 監督
1923
1922 ファントム 監督
燃ゆる大地 監督
吸血鬼ノスフェラトゥ 監督
1921 フォーゲルエート城 監督
1920 ジェキル博士とハイド氏 監督
1919 サタン 監督

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レビュー

 

サンライズ
Sunrise: A Song of Two Humans
1927〜28米アカデミー撮影賞、芸術的優秀作品賞、主演女優賞(ゲイナー)、美術賞
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カール・マイヤー(脚)
ジャネット・ゲイナー
ジョージ・オブライエン
マーガレット・リヴィングストン
ボディル・ロージング
J・ファレル・マクドナルド
ジェーン・ウィントン
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 避暑地の村にやってきた女性(リヴィングストン)が退屈紛れにその地の村に住む実直な農夫の男(オブライエン)を誘惑した。優しい妻(ゲイナー)と幸せに暮らしていたはずの男にとって、彼女の都会の匂いは魅惑的で、ズルズルと引きづられて家財から牛まで売り払ってしまう。そしてついには女の勧めに従って妻を殺し、女と2人で都会へ逃げて行こうとまで考えるが…

 ドイツの劇作家ヘルマン・ズーデルマンの小説に基づいて制作された作品で副題は「ふたりのための歌」。ドイツの第一線で活躍し、戦前のドイツ映画の一時代を築いたムルナウ監督ががアメリカでのフォックス入社第一回作品となった(既に大監督となっているムルナウに対し、フォックスは莫大な予算を提供。制作を一任したという。原作、脚色、撮影を全てドイツ人で固め、ムルナウの作家性を存分に引き出す事に成功している)。以降の映画は監督よりもプロデューサの意見の方が強くなっていき、本当に作家性のある作品は大作映画では少なくなっていくから、監督にとってはとても良い時代だったのだろう。
 そもそも1920年代のドイツ映画は『カリガリ博士』(1919)に代表されるドイツ表現主義華やかし時代で、ムルナウ監督自身もその提唱者として知られるが(代表作として『吸血鬼ノスフェラトゥ』が挙げられよう)、20年代後半になって監督の志向も少し変わってきたように思える。そもそも表現主義は誇張された表現を使うことによって映画でしか出来ない表現を作ろうとした方向性にあるが、それが幻想的な方向にばかり行っていた。ラング監督の『メトロポリス』(1926)なんかはそれが極端に誇張されているのが分かるが、ムルナウ監督は同じ表現を使いつつ、本作でそれを自然界にある方向へと向かわせていった。ここでのクライマックスシーンの大嵐なんかは、特撮としての見所のみならず、映画で大自然を切り取ろうとしている努力と見ることも出来よう。これは多分に実験的要素があったため、スペクタクルを求めていた視聴者にはあまり受けが良くなく、興行的には奮わなかったそうだが、映画を一歩新しい方向性へと踏み出させたという意味においては映画史に残る作品と言えよう。
 演出も流れるような流麗なカメラ・ワークと言い、表現主義らしい明暗がくっきりと分かれた表現方法など、サイレント映画の強みを上手く使っている。
 物語も今にして見ると、流れこそ単純ではあるが、後のフィルム・ノワールへとつながるサスペンスの流れもしっかりしているのも分かる。こんな早い時代にストーリー運びのテンポやスペクタクル性まで取り入れた作品を作り上げたと言うことで、ムルナウ監督の実力がうかがい知れよう。
 ちなみにこのストーリーはアメリカ国内よりも実は日本で大いに受けたとのこと。当時の日本映画でも都会からやってきた男に田舎娘が誘惑されて起こる悲劇という物語が大変多く(立場は逆転してるけど)、日本では時事的にぴったり合い、当時の若手監督達に多大な影響を与えたという。
 
 第1回アカデミー賞は実は2つ作品賞があり、作品賞を取ったのが『つばさ』(1927)だったが、芸術的優秀作品賞を取ったのが本作。この出来なら頷ける。

 本作の美術監督を務めたのはムルナウと共にハリウッドにやってきたエドガー・G・ウルマー
製作年 1927
製作会社 フォックス・フィルム
ジャンル 表現主義
犯罪(ノワール)
売り上げ
原作
ヘルマン・ズーデルマン (検索) <A> <楽>
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関連
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wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ
ファウスト
Faust - Eine deutsche Volkssage
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エリッヒ・ポマー(製)
ハンス・キーザー(脚)
ヨースタ・エックマン
エミール・ヤニングス
ウィルヘルム・ディターレ
カミルラ・ホルン
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 真理の探究者、ファウスト博士(エックマン)は自分の限界を知り、自殺しようとするのだが、その時悪魔メフィスト(ヤニングス)が彼の前に現れる。メフィストはファウストの魂と引き替えに若さと力とを約束し、ファウストはそれに乗るのだが…

 ゲーテで有名な「ファウスト」の映画化。本作の原作はゲーテではなく ルドウィッヒ・ベルガーとなっている。翻案だろうか?
 ファウスト博士というのはゲーテが考え出した小説の人物ではなく、実在した人物である。
 ファウストの生涯は伝説となり、様々な逸話を作り出した。その内のエピソードの一つは、彼が、悪魔と契約を結んだ。とされる話なのだが、これも伝説によると、ファウストは悪魔に魂を売る際、その代価として、「私に「時よ止まれ。お前は美しい」と言わせてみろ」と迫る。悪魔は様々な手練手管を用い、ファウストに快楽を教えようと働きかけるが、最初の内はそれで満足していたファウストは徐々にそのような生活に飽きるようになっていった。それを見た悪魔は離れていき、虚しさを感じつつ旅をしたファウストは、荒れ果てた荒野を見つけ、そこを豊かな土地にすることを自分の目標とし、自分の知識の全てを用い、骨身惜しまず働く。何度と無く失敗を繰り返しつつも、徐々に人が集まり、共同で努力を続けていくうちに、ついにはその地は緑なす原へと変わっていった。老人となったファウストは、ある日塔の上から自分の手で作り出した丘を眺め、満足をもって「時よ止まれ。お前は美しい」と呟いたと言う。そしてファウストはこの世界から姿を消した。後にその部屋を訪れた人々は、ファウストがいた部屋にまるで大きな爪でそぎ取ったような傷痕が残されているのを発見する。と言うもの。
 これ自体がなかなか深い物語だが、それだけにこれを小説化を試みた人は結構いたらしい。その最高傑作とも言えるのがゲーテによる「ファウスト」である。彼は作品で恋物語を絡めてみたり、悪魔に人格を与えてメフィストフェレスという存在を創造したりし、元ネタを人間の業に絡めてより深くドラマ化していた。尚、日本でも手塚治虫氏がいたくこの物語を気に入って、自分のライフ・ワークの一つとして何度か漫画化、あるいは映像化しようと試みていた。氏の絶筆漫画が「ネオ・ファウスト」であったのはご存じの通り。
 ゲーテは前半部分に恋物語を絡め、後半部分に人のために働くファウストを描いているのだが、この映画はその部分だけを抜き出して映画化したため、物語のラストは映画オリジナルのものとなっている。むしろファウスト自身よりその恋人であるマルガリータの方にスポットが当てられているのが特徴。その分、ちょっとラスト部分には首を傾げてしまうけど、まあ、この時間ではあの大作を全部やれないことを考えると、英断だったのかも知れない。
 まあ、取り敢えずストーリーは置いておいて見てみると、いくつもの画期的な要素がこの映画にはある。
 まずはキャラクター。ドイツサイレント映画を代表するエミール・ヤニングスがメフィスト役をやっているのだが、これが又凄い。天使を相手に渡り合うシーン。ファウストを誘惑するシーン、人間の女性に迫られてたじたじとなるシーン、高笑いをしたり、逆に絶望したりと、表情を見るだけでも凄いもんだ。ドイツにはこんな役者もいたんだよなあ。
 それと特撮技術がふんだんに使われている画面もかなり凄い。クレイアニメーションやモンタージュ合成を駆使し、画面はとかく見栄えがする。映画の可能性を限界まで引っ張ろうとする監督の姿勢がよく現れていた。白黒画面で、しかもこの時代にこれだけの合成を用いたというのが凄いな。この年フリッツ=ラング監督の『メトロポリス』も作られていて、ドイツ映画の凄さというのをまざまざと見せ付けてくれた。
 …ただ、残念ながらこの年を境として、ナチスによる弾圧により、ドイツ映画は衰退の一途を辿る事になる…潰されてしまったドイツ映画の可能性を思う。
製作年 1926
製作会社 UFA
ジャンル SF(未来世界)
売り上げ
原作
ファウスト <A> <楽>
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (検索) <A> <楽>
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関連
最後の人
Der letzte Mann
The Last Laugh
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カール・マイヤー(脚)
エミール・ヤニングス
マリー・デルシャフト
マックス・ヒラー
エミリー・クルツ
ハンス・ウンターキルヒェン
★★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 ホテル・アトランティックのドアマン(ヤニングス)は、自らの仕事に誇りを持ち、その金ぴかの制服は近所の人々からも尊敬を受けていた。だが彼がもう年老いたことを知った支配人は彼をドアマンからトイレの世話係に降格させてしまった。プライドのため家族にもそれを言えなかったが…

 映画黎明期の中心となり、ドイツ映画界に多大な足跡を残したムルナウ監督。この人の作品は、それまでに無かった派手な撮影や特撮など、新しいジャンルを切り開いたことで知られるが、本作もやはり映画史的には重要な作品となる。
 内容的には仕事一筋の男の生きざまを丁寧に描くという、その中では最も地味で単純な作品となった。
 しかし、これこそが監督の代表作とも言われているし、映画史に残る名作として知られている。
 これは、それまでエンターテインメント性ばかりを追求し、結果コメディか特撮に頼るようになっていた映画に、本物のドラマを投入するきっかけになったからなのだろう。派手な物語でなく、たった一人の内面を描くだけでも充分にドラマを作ることが出来ることを世に示しただけでも充分過ぎる足跡を残したと言えるだろう。
 実際、この物語は、人のプライドというものを極端な形で描き出してみせており、それを戯画化された普遍的な人間のあり方として提示している。誰しも持つプライドというのは、自分がつきあっている人よりも偉いと思いたい心として示されており、ホテルの使用人に過ぎない主人公が、それでもドアマンであることにこだわる姿が哀れというか、人間の真理を示しているようで、その哀れさがむしろ笑えてしまうほど。
 そのコメディ性が遺憾なく発揮されたのが、もう落ちるところまで落ちたと思った男が、突然大金持ちになってしまうというラストシーンだろう。これを「あり得ない」としてリアリティの欠如を言うよりも、「これはコメディなんですよ」ということを暴露したようなもので、そのエクスキューズがなければ、笑いも知りつぼみになってしまっただろう(それはそれで名作になったかもしれないけど)。なんでもこれは製作会社の意向あってのことだったらしいが、思わぬ面白い効果になったと言う事だろう。
 観ている側が自分人を顧みて、悲惨さを笑うという高度な笑いを提供してくれたこの作品は、間違いなく映画の幅を広げた名作と言える。
 そして本作は小道具の使い方が又見事。主人公がドアマンというだけあって、ホテルのドアが何度も現れるのだが、主人公がドアをくぐるたびに人生の転機を迎えていく。こういうアイテムの使い方もドイツ的なメタファーとして良い感じで仕上げられてる。

 名バイプレイヤーと言われるのヤニングスが本作で地味な普通の男を演じているのも特徴か。悪人面で、エキセントリックな演技ばかりしていた人が、こういう役をやると一気に飛躍したようにも思わされる。でもこれこそが役者の力というものなのだろうな。一切の字幕がないため、全てを体で演じてくれたヤニングスに拍手を送りたい。
製作年 1924
製作会社 UFA
ジャンル 人生(男の一生)職業(旅館)
売り上げ
原作
歴史地域
関連
吸血鬼ノスフェラトゥ
Nosferatu
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エンリコ・ディークマン
アルビン・グラウ(製)
ヘンリック・ガレーン(脚)
マックス・シュレック
アレクサンダー・グラナック
グスタフ・フォン・ワンゲンハイム
グレタ・シュレーダー
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 ヴィスボルクに住むヨナサン・フッター(グラナック)は上司ノッカーの命令で家を売るためトランシルヴァニアのオルロック伯爵を訪ねる。だが、村人は恐がり、その屋敷には吸血鬼が住むと言い合っていた。元来陽気なフッターは噂も気にせず、オルロック伯爵の屋敷に行く。そこで体験した恐ろしい体験。一方、首尾良くヴィスボルクに着いたオルロック伯爵はそこで美しいヨナソンの妻ニーナ(シュレーダー)と出会っていた…

 サイレント映画の傑作。子供の頃に多分テレビだと思うが、何かの機会に観て、その恐ろしさに目が離せなかった記憶がある。故に、本作が私が最も好きな吸血鬼映画となった。
 それで、時が流れ、再びテレビで観る機会を得たが、出来は大満足。子供の頃の記憶と相まって、しかも人物の描き方やライティングの方法など、技術的にも素晴らしい作品に仕上がっていた(特に伯爵の描き方は感動もの)。
 兎に角鬼気迫るシュレックの演技は素晴らしいの一言。言葉を用いずに、いや言葉を用いないことでこれだけの不気味さを演出できたことに喝采を送りたい。
 『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』(2000)を観て、ますます惚れ直した。
 本来本作はオリジナル通り「吸血鬼ドラキュラ」として製作されるはずだったのだが、原作者ブラム・ストーカーの遺族により著作権侵害で訴えられてしまい、仕方なく名前を変えて公開となったが、これはこれで独自の進化を遂げていったところが面白い(『ノスフェラトゥ』(1978)としてリメイクもされている)。ポップ・カルチャーに与えた影響もあり、それも又本作の優れた点として記憶されるべきだろう。
製作年 1922
製作会社 ベルリン映画スタジオ
プラナ・フィルム
ジャンル サイレント(怪奇)ホラー(吸血鬼)
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原作
吸血鬼ドラキュラ <A> <楽>
ブラム・ストーカー (検索) <A> <楽>
歴史地域 トランシルヴァニア(ルーマニア)
関連 吸血鬼ドラキュラ(1957)
吸血のデアボリカ(1970)
ノスフェラトゥ(1978)(同一原作)
特撮事典
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wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ

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