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1974 | ノストラダムスの大予言 潤色 | |
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1971 | ゴジラ対ヘドラ 監督・脚本 | |
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1931 | 3'30 誕生 |
ゴジラ対ヘドラ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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宇宙から飛来した放射線により生まれた生物。その不思議な生物がヘドロで汚れた海に落ちたことから、ヘドロを身にまとう怪獣・ヘドラが誕生した。光化学スモッグや硫酸ミストを撒き散らすこの生物に対するは水爆実験の結果生まれたゴジラだった… 特撮はあまり顧みられることがなく、一般にマニア受けするだけと捕らえられがちだが、実際の所はきちんとテーマ付けがされており、きちんと時代性を見ることもできる。特に本作はそれが顕著で、真っ正面から公害問題に取り組んだ作品だけに見事に時代性に合い、この年の邦画興行収入も9位と健闘している。 この映画は初期ゴジラの最終作品なのだが、ゴジラにとどめを刺そうとすべく作った作品のようにも思える。この映画を「ゴジラのヌーベルバーグ」と呼ぶ人もいるようだが、確かに今までのゴジラ映画の常識を次々に破ってくれた事は確かだろう。 かつてゴジラは核兵器の脅威の警告という意味合いを持って製作された。だがやがてその辺が曖昧になり、ゴジラの「放射能火炎」を格好良いと思う子供が出てくるようになったのは、明らかに方向性の迷走が観られている。一方では日本には多くの原発が立ち並び、その「クリーンなエネルギー」の宣伝に躍起になっている世論。だが、もう一つ、脅威が起こってきた。それが公害というものである。ここに登場するヘドラはそのままオリジナルの『ゴジラ』(1954)に対するオマージュであり、人間の所行が怪物を生み出すという事の意味を改めて突きつけてくる。このヘドラこそが実はゴジラの本来の姿であり、負の意味でのゴジラの合わせ鏡のような存在だったのだ。 この映画の何が凄いか。と言うとまず最初に思い出すのがオープニングの歌だろう。サイケ調のゴー・ゴーで公害の恐ろしさを訴えている。これが夢に出そうなくらいに怖く、故に引き込まれる。へドラの攻撃方法も大部分は公害そのもの。かなり公害問題を意識していることが窺える。 ヘドラ出現の過程は怪獣の出現形式に則ってるが(最初は謎だったのが徐々に明らかになっていき、最後にカタストロフが起こると言う形式)、ゴジラとの戦いは見応えがあるし、(極めて個人的な『ゴジラ対メガロ』(1973)を除けば)人間とゴジラの共闘態勢というのがここまで明確になったのはこの作品が唯一だろう。それにその課程で姿を変えていくヘドラの存在感は特筆すべきだろう。魚から爬虫類へ、そしてほ乳類へと成長する過程は、生物の進化そのものを示しているのだが、最後の姿は二足歩行の、あたかも人間のような姿に変わっているのだ。うがった見方かもしれないが、人間の存在こそが実は地球を滅ぼす。と言う意味合いを持たせようとしたのかも知れない。 しかし、何と言ってもこの戦闘シーンには恐ろしい売りがある。何と、ゴジラが空を飛んでる! ちょっと待て、こら。どこをどうやったら「飛ぶ」なんて発想が出るんだ?しかもその飛び方が後ろ向きで奇妙に可愛いと言うおまけまで付いている。そりゃ、飛べるへドラに対抗するにはそうするのも一つの手だろうが、ちょっと安直すぎない? 必死の思いでヘドラを倒した後のラストは救いが無くて、見終わった後に重い気分にさせてくれるが、さすがにそれは一般受けしなかったようで、以降のシリーズではより明確に怪獣プロレス化していくことになる。 ちなみに本作には重要な共演がなされている。実際には顔のでないスーツアクターのことなのだが、初代から一貫してゴジラに入り続け、ゴジラに生物感を与え続けてくれた中島春男と、後に彼を継いでゴジラアクターとなる薩摩剣八郎(この時点では中山剣吾)が同時に登場している。新旧ゴジラ役者の対決でもあったのである。 |
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