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1969 |
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1964 | 拳銃残酷物語 監督 | ||||||||||
1963 | 俺は地獄の部隊長 監督 | ||||||||||
海の鷹 監督 | |||||||||||
1962 | 望郷の海 監督 | ||||||||||
銃弾の嵐 監督 | |||||||||||
ブルータウン 青い街の狼 監督 | |||||||||||
殺人者(コロシ)を追え 脚本 | |||||||||||
1961 | 野獣の門 監督 | ||||||||||
1960 | コルトが背中を狙ってる 監督 | ||||||||||
俺は欺されない 監督 | |||||||||||
1959 | 大学の暴れん坊 監督・脚本 | ||||||||||
海は狂っている 監督・脚本 | |||||||||||
逃亡者 監督 | |||||||||||
1958 | 血の岸壁 監督 | ||||||||||
麻薬3号 監督 | |||||||||||
1957 | 九人の死刑囚 監督 | ||||||||||
私は前科者である 監督 | |||||||||||
1956 | |||||||||||
沖縄の民 監督・脚本 | |||||||||||
逆光線 監督 | |||||||||||
太陽の季節 監督・脚本 | |||||||||||
1955 | 顔役(ボス) 監督 | ||||||||||
若き魂の記録 七つボタン 監督・脚本 | |||||||||||
地獄の用心棒 監督・脚本 | |||||||||||
1954 | 或る女 助監督 |
太陽の季節 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ボクシングに燃える高校生の津川竜哉(長門裕之)は、ある日遊び仲間と共に銀座に繰り出し、武田英子(南田洋子)という女性と知り合った。やがて結ばれる二人だったが、英子に対する独占欲はありながら、愛情を求める英子を同時に鬱陶しくも思うようになっていった。竜哉の子供を身籠もったという英子に対し、竜哉の取った態度は… 石原慎太郎のデビュー作であり、芥川賞受賞作を映画化した作品で、1956年邦画興行成績7位。 そもそも日本人は清貧の思想があり、特に金に関しては、金を持っていること自体に罪悪感を持つ風潮があったが、原作は、「金持ちで何が悪い」と完全に開き直っていたのが大きな特徴。今から考えると、デビュー当時から慎太郎節は健在だったって事になるんだろうけど、原作が当時の文壇に与えた衝撃は大きかった。 下から見上げるだけのものではない。上から見下げる視点でも文学は作れるのだ。何も無理に卑下することはない。この開き直りは、日本文学に大きな幅を与えた。 これは文学界だけではなく、当時の若者に大いに受け入れられる。作品には無秩序な若者のエネルギーがそこには溢れており、これが一種のあこがれとなり、石原慎太郎の髪型をまねた“新太郎刈り”とアロハシャツにサングラスで遊び回る“太陽族”なる言葉が出来て、社会現象にまでなった。 それをいち早く映画化したのが本作というわけだが、物語そのものは原作に準じていながら演出部分で失敗。むしろ今観ると、この作風は後のATG作品っぽく仕上がっていると思える。 何となく金持ちの道楽ってよりは、貧乏ったらしい青春賛歌って感じ。あれだけ金持ちを演出してるというのに、それが浮きっぱなしに見えてしまう。ラストも「分かっちゃいねえ」という長門裕之演じる主人公の方に「分かってないのはお前の方だ!」とツッコミを入れたくなる。 それでも本作と同年公開された『狂った果実』(1956)によって日本のヌーヴェル・ヴァーグが始まったと考えるならば、日本映画界にとっては充分意味があったのだろう。 本作は石原裕次郎のデビュー作としても知られるが、兄の慎太郎の付き添いで撮影現場に行ったところ、そこでスカウトされたとかとも言われている。 |
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