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五所平之助

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五所 平之助
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日本の映画監督、脚本家、俳人。日本最初の国産トーキー映画『マダムと女房』の監督として有名である。本名は五所 平右衛門(ごしょ へいえもん)。俳号は五所亭。一貫して市井の人々を描き、庶民派監督として知られた。俳人としても知られており、「春燈」同人として五所亭という俳号で活躍した。俳人協会の監事も務め、句集に『わが旅路』『生きる 五所平之助百句集』(各永田書房)がある。
Wikipediaより引用
経歴
1902'1'24 東京東京市神田区鍋町(現・千代田区内神田3丁目)で庶子として誕生
1916 慶應義塾商工学校に入学する。学生時代には俳句に没頭していた
1921 歩兵第1連隊に志願入隊し、見習士官で予備となる
1923 慶應義塾商工学校卒業後、松竹蒲田撮影所へ入社する
1925 原作、脚本も手がけた『南島の春』で監督デビュー。以降庶民を描いた作品を次々に監督する
1936 肺結核に侵されて数ヶ月間休養。回復後に松竹を退社
1942 大映に移籍する
1945'3 招集されるが体格検査で病弱のため1年間延期とされ即日帰郷
戦後松竹に復帰するが、『伊豆の娘たち』の1作限りで東宝に入社
東宝争議が発生。五所は組合側につき、今井正、伊藤武郎、亀井文夫らと砧撮影所に立てこもった。
1950 争議が終結し東宝を去る
1951 平尾郁次らとともに独立プロ・スタジオ8を結成し、新東宝と提携した
1953 『煙突の見える場所』でベルリン国際映画祭国際平和賞を受賞した
1957 『黄色いからす』がゴールデングローブ賞外国語映画賞を受賞
1964 小津安二郎に代って日本映画監督協会理事長を16年間にわたって務めた
1966 紫綬褒章受章
1972 勲四等旭日小綬章を受章
1981'5'1 死去
5+
4+
煙突の見える場所
マダムと女房
3+
2+
個人的感想
1981 5'1 死去
1980
1979
1978
1977
1976
1975
1974
1973
1972
1971
1970
1969
1968 女と味噌汁 監督
1967 宴 監督
1966 かあちゃんと11人の子ども 監督
1965 恐山の女 監督
1964
1963 100万人の娘たち 監督・脚本
1962 かあちゃん結婚しろよ 監督・脚本
1961 愛情の系譜 監督・製作
雲がちぎれる時 監督・製作
猟銃 監督
1960 白い牙 監督
「通夜の客」より わが愛 監督
1959 からたち日記 監督
1958 蟻の街のマリア 監督
欲 監督
螢火 監督
1957 挽歌 監督
黄色いからす 監督
1956 或る夜ふたたび 監督・脚本
1955 たけくらべ 監督
1954 鶏はふたたび鳴く 監督
愛と死の谷間 監督
大阪の宿 監督・脚本
1953 煙突の見える場所 監督
1952 朝の波紋 監督
1951 わかれ雲 監督・脚本
1950
1949
1948 面影 監督
1947 今ひとたびの 監督
1946
1945 伊豆の娘たち 監督
1944 五重搭 監督
1943
1942 新雪 監督
1941
1940 木石 監督
1939
1938
1937 花籠の歌 監督・脚色
1936 新道 後篇良太の巻 監督・脚本
新道 前篇朱実の巻 監督・脚本
朧夜の女 監督・原作
1935 人生のお荷物 監督
花婿の寝言 監督
1934
1933 愛撫(ラムール) 監督
恋の花咲く 伊豆の踊子 監督
花嫁の寝言 監督
1932
1931 マダムと女房 監督
1930
1929
1928
1927
1926
1925
1924
1923
1922
1921
1920
1919
1918
1917
1916
1915
1914
1913
1912
1911
1910
1909
1908
1907
1906
1905
1904
1903
1902 1'24 東京で誕生

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レビュー
煙突の見える場所
1953ベルリン国際映画祭ドイツ乗員陪審賞、国際平和賞
1953ブルーリボン撮影賞
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小国英雄(脚)
上原謙
田中絹代
芥川比呂志
高峰秀子
関千恵子
田中春男
花井蘭子
浦辺粂子
坂本武
三好栄子
中村是好
小倉繁
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 東京北千住のおばけ煙突(見る角度によって本数が違って見えるためにそう呼ばれる)が見える下町。足袋問屋に勤める緒方隆吉(上原謙)は、戦災で夫を亡くした弘子(田中絹代)をもらい、慎ましい生活を送っていた。一方弘子はこんな自分をもらってくれた隆吉に恩返しをするため、競輪場の両替えをしたり、家の二階に下宿人の久保健三(芥川比呂志)と東仙子(高峰秀子)を置いたりして、いざという時のために金を貯めていた。そんな一家の縁側にある日赤ん坊が置かれていた。手紙からこの子が弘子の前夫の子であることが分かるのだが…
 戦後しばらくした庶民の生活を真っ正面から捉えた悲喜劇で、監督の代表作。
 本作を観たのは本当にたまたま。リバイバル上映がかかっていた時に、目的持って観た本命の出来が今ひとつで、なんかそのまま帰るのも癪なので、もう一本観ていくか。と言う気持ちで鑑賞。
 いや、むしろこっちを本命にしても良かった。そう思えたくらいに本当に上手い作品だった。
 本作の舞台は徐々に復興が果たされ、特需目の前の時代の日本。だが一般市民は日本がどうなるかよりも、今日の食い物にありつくこと。そして慎ましやかで良いから一家を構えることを目標に、少ない金を貯めながら、代わり映えのしない日常を過ごしていた。
 …映画全体から受ける印象はそんな感じ。前提となる設定自体が相当重いし、なんか暗い雰囲気になるか?
 …と、思ったのだが、内容はかなり小気味のいい人情コメディだった。
 淡々と代わり映えのない毎日を送ることは、男でも女でも戦争を経験した人間にとってはある種の理想であり、それで基本は満足しているが、それでも胸の中には徐々に不満が溜まっていく。そんな時に不意に現れた闖入者が一気に人間関係を変えてしまう。これによって互いに本音をぶちまけ合って大喧嘩もやらかし、それで互いの事をより知るようになって仲が深まっていく。コメディの形式としては基本中の基本であると共に、戦後の日本でこんな小粋なものが作られたことも興味深いところ。
 フランスのコメディに『赤ちゃんに乾杯』という作品があるが、コメディの闖入者としては赤ちゃんが最適だろう。
 こう言う不意の事態に直面した時、普段威張ってる夫の方はてんで無力。せいぜい嫌味を言うくらいが関の山で、それまで何も言わずに夫に従うだけだった妻の方がいきなり積極的に動き、赤ん坊を守る側に入る。結局これを観ていると、これこそが夫婦の姿なんだろうな。と思わせるところが本作の面白さだろう。確かにわたし自身が隆吉にシンパシーを覚えてしまったこともある。
 だから本作をコメディとして笑ってるってのは、引いて考えると自分自身の情けなさってやつを笑ってることにもなる。それが苦く、それでも楽しい。
 戦後復興期の東京の風景が全編に渡って描かれているのも良い。今の目で観ると「こんなに変わったのか」という所と、「ここは変わってないな」と思える場所があって、とても興味深く観ることができた。『機動警察パトレイバー』の下町の風景の原風景とはこう言うものだったのかも?とも思わせてくれる。

 しかし、上原謙は上手いな。二枚目スターの役を普通にこなしつつ、こんな情けない男までちゃんと演じられるのだから。

 助監督に三輪彰
製作年 1953
製作会社 新東宝
ジャンル 小市民(人生)
売り上げ
原作
無邪気な人々 <A> <楽>
椎名三 (検索) <A> <楽>
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キーワード
マダムと女房
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北村小松(脚)
渡辺篤
田中絹代
市村美津子
伊達里子
横尾泥海男
吉谷久雄
月田一郎
日守新一
小林十九二
関時男
坂本武
井上雪子
帝国ジャズバンド
宮田ハーモニカバンド
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 劇作家の芝野新作(渡辺篤)は、最近やかましくなってきた東京の町に辟易し、静かな住居を求めていた。そして田園調布に居を決めるのだが、その隣の家に越してきた一家はパーティとジャズ好きで、日々騒音をまき散らす。仕事にならないと文句を言いに行ったところ、美しいマダムが出てきて…
 日本初の全編トーキー映画(土橋式トーキー)として知られる作品で全て同時録音により制作されている。
 この作品の最大の功績は、言うまでもなく音を中心にしていると言う事。それは田舎道で聞こえてくる鳥の声であったり、ジャズの演奏であったり、あるいは言い争いの声であったり。その意味では、なかなか観ることの出来ないパターンの作品でもある。
 ストーリーは添え物のようなものだが、音を楽しむために軽快なコメディ調に仕上げられており、それで充分楽しめる。主人公の作家というのが短気で内弁慶という描写されているので、挑発に簡単に乗って口喧嘩するわ、おだてられるとすっかり良い気になってしまったり、美人に弱かったりと、典型的な“普通の”日本人として描写されており、それがどこか自分に重ね合わせられるのがなかなかよろしい。後にドリフで多用されたような軽いコメディで、現代でも気をおけずに観られるので、普通の映画としても充分楽しめる。

 本作では全て同時録音なので、声がちょっと潰れてしまい、会話シーンが聞き取りにくいという欠点もあるけど、だからこそ、“会話”ではなく“音”を中心にしたと考える事が出来るだろう。なんかこの音声を聞いていたら、大学時代の8ミリ映写機を思い出してきたよ。
 尚、凝り性の五所は閉口してしまい、一ヶ月を費やして防音装置を施したスタジオに改装させたとのこと。最初の作品だからこそのエピソードだ。
製作年 1931
製作会社 松竹
ジャンル コメディ(ファミリー)
売り上げ
原作
北村小松 (検索) <A> <楽>
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