1902'1'24 |
東京東京市神田区鍋町(現・千代田区内神田3丁目)で庶子として誕生 |
1916 |
慶應義塾商工学校に入学する。学生時代には俳句に没頭していた |
1921 |
歩兵第1連隊に志願入隊し、見習士官で予備となる |
1923 |
慶應義塾商工学校卒業後、松竹蒲田撮影所へ入社する |
1925 |
原作、脚本も手がけた『南島の春』で監督デビュー。以降庶民を描いた作品を次々に監督する |
1936 |
肺結核に侵されて数ヶ月間休養。回復後に松竹を退社 |
1942 |
大映に移籍する |
1945'3 |
招集されるが体格検査で病弱のため1年間延期とされ即日帰郷 |
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戦後松竹に復帰するが、『伊豆の娘たち』の1作限りで東宝に入社 |
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東宝争議が発生。五所は組合側につき、今井正、伊藤武郎、亀井文夫らと砧撮影所に立てこもった。 |
1950 |
争議が終結し東宝を去る |
1951 |
平尾郁次らとともに独立プロ・スタジオ8を結成し、新東宝と提携した |
1953 |
『煙突の見える場所』でベルリン国際映画祭国際平和賞を受賞した |
1957 |
『黄色いからす』がゴールデングローブ賞外国語映画賞を受賞 |
1964 |
小津安二郎に代って日本映画監督協会理事長を16年間にわたって務めた |
1966 |
紫綬褒章受章 |
1972 |
勲四等旭日小綬章を受章 |
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1981'5'1 |
死去 |