| 青春の蹉跌 |
| 1974キネマ旬報日本映画第4位 |
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| ★★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 3 |
5 |
5 |
3 |
4 |
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高校時代は学生運動の闘士であった青年江藤賢一郎(萩原健一)は今、法学部の学生としてひたすら司法試験を目ざしていた。学業のかたわら、家庭教師をしていた大橋登美子(桃井かおり)
に思いを寄せられ、やがてふたりは肉体関係を結んでしまう。一方で世話になり続けの伯父のひとり娘田中康子(壇ふみ)との間の縁談が決まる。自分の未来のため、登美子と別れようとする青年だが、その時彼女から妊娠を告げられる…
実話を元とした石川達三の小説の映画化。
映画とは、一つの平面に映し出された画像であり、それ故にこそ、構造的に限界がある。
そこに心象風景をどう入れていくか、それは映画における課題の一つであり、そして可能性を示唆するものであり続ける。
それでいくつかの方向性が考え出されてきた。関係のない画像を挿入する方法や、あるいはモノローグと言った形で(このモノローグというのは映画が作り得た最高の表現形式の一つだと思う)表す方法。等々…
その中でも最高の形式と言い得るものは、多分、画面にドラマ風景を映し出しつつ、しかもそれが心象風景と重なっていると言う表現形式ではないかと思っている。海外を見るなら、なんと言ってもタルコフスキーがそのトップだと思うが、邦画の良作にも、決してそれに負けない表現形式を手に入れているものも少なくない。
本作を観て、驚かされたのは、まさにその点が見事に映し出されているように思えたから。青年が見ている風景は、ただ映されているだけではない。彼の思い、苛立ちがそこには映されている。
自分の存在理由が分からなくなった時、ここは私のいるべき場所ではないと思った場所では、画面がいくら明るくとも、動きは停滞して見える。そこに「えんやーとっと」との合いの手が入ると、ますますその停滞感が増すと言う面白い作りとなっている。
殆ど何も言わない、モノローグさえ「えんやーとっと」しか出てこない青年の、どうしようもない苛立ちが見事に表された、好作。
物語そのものは『陽のあたる場所』(1951)と変わりがないのに、主人公の倦怠感が特に激しく描写され、そのため全く違う作品のように見えてしまうのも本作の面白さだろう。まさに70年代を象徴するかのような作品。 |
| 製作年 |
1974 |
| 製作会社 |
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| ジャンル |
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| 売り上げ |
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| 原作 |
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| 歴史地域 |
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