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ジョージ・スティーヴンス
George Stevens

評価 年代 レビュー 書籍
George Stevens
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経歴
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4+
3+
2+
個人的感想
1975 3'8 死去
1970 この愛にすべてを 監督
1969
1968
1967
1966
1965 偉大な生涯の物語 監督・製作・脚本
1964
1963
1962
1961
1960
1959 アンネの日記 監督・製作
1958
1957
1956 ジャイアンツ 監督・製作
1955
1954
1953 シェーン 監督・製作
1952
1951 陽のあたる場所 監督
生きるためのもの 監督
1948 ママの想い出 監督
1942 希望の降る街 監督
女性NO.1 監督
1941 愛のアルバム 監督
1940 病院の一夜 監督
1939 ガンガ・ディン 監督
1938 モーガン先生のロマンス 監督
1937 偽装の女 監督
踊る騎士 監督
1936 有頂天時代 監督
1935 乙女よ嘆くな 監督
愛の弾丸 監督
1934 旅鴉子供連れ 監督
ハリウッド・パーティー 監督
1933 海上御難の巻 監督
1920 狂へる悪魔 出演
1904 12'18 カリフォルニア州オークランドで誕生

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レビュー
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この愛にすべてを 1970
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フランク・D・ギルロイ(脚)
エリザベス・テイラー
ウォーレン・ベイティ
チャールズ・ブラスウェル
ハンク・ヘンリー
オルガ・ヴァレリー
テリー・ガー
★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
フランク・D・ギルロイ (検索) <A> <楽>
ジャイアンツ
Giant
1956米アカデミー監督賞(スティーヴンス)、作品賞、主演男優賞(ディーン、ハドソン)、助演女優賞(マッケンブリッジ)、脚色賞、劇・喜劇映画音楽賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞、編集賞
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ジョージ・スティーヴンス
ヘンリー・ジンスバーグ(製)
フレッド・ジュイオル
アイヴァン・モファット(脚)
エリザベス・テイラー
ロック・ハドソン
ジェームズ・ディーン
マーセデス・マッケンブリッジ
サル・ミネオ
ロッド・テイラー
キャロル・ベイカー
バーバラ・バリー
デニス・ホッパー
★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
製作年 1956
製作会社 ジョージ・スティーヴンス・プロ
ジャンル 人生(男の一生)家族
売り上げ $35,000,000
原作 ジャイアンツ(書籍)エドナ・ファーバー
歴史地域 テキサス(アメリカ)
関連 グレン・マッカーシー(ジェット・リンクの モデル)
allcinema Walker ぴあ IMDb CinemaScape
wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ
ジャイアンツ
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1956米アカデミー監督賞(スティーヴンス)、作品賞、主演男優賞(ディーン、ハドソン)、助演女優賞(マッケンブリッジ)、脚色賞、劇・喜劇映画音楽賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞、編集賞
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★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 テキサスの大牧場主ディック・ベネディクト(ハドソン)のもとに、東部メリーランドの女性レズリー(テイラー)が嫁いできた。祖父の代から大農場を経営するディックはあくまで自分のやり方を変えようとしなかったが、時代は着実に移っていった。ディックの元で働いていた牧童のジェット(ディーン)は石油を掘り当て、ディックの資産をはるかに凌ぐ石油成金となり、二人のこども達も、新しい価値観で生きるようになっていった…
 エドナ・ヴァーバーによる原作の映画化で、20有余年に渡る激動期のアメリカの家族を描く大作。1957年の全米興行成績も3位と大健闘した。ただ本作の場合有名なのはそっちではなく、“ジェームズ=ディーンの遺作”として。生涯たった三作の映画しか出演せず、華々しく逝ったディーン。そのイメージは死んだからこそ、ますます高まっている(生きていたら今世紀を代表する大スターになっていたかも知れないし、あるいはモンゴメリー・クリフトの二の舞になってたかも知れないが、それは誰にも分からない)
 内容はアメリカにおける価値観の変転を静かなタッチで描く作品で、かつて栄えた大規模農場(安い賃金でメキシコ人を使い数千頭の牛を広大な牧場で飼っていた)の第一次産業華やかりし時代から、石油を用いた工業の時代へ、そしてサービスの時代へと変わっていく。祖父の代からカウボーイとしてタフな生き方をしてきたディックは、結局「時代遅れな人間」とされてしまい(家族を守ろうという不屈の精神は最後まで輝き続けるが)、石油を掘り当てて時代の寵児となったかつての牧童ジェットに膝を屈することになる。更に時代に飲まれたこども達はみんなディックとレズリーの元から去っていく。そんな時代の流れを淡々と描いている所なんかはなかなか良い出来。これを第二次および第三次産業を重視する東部と、あくまで第一次産業を大切にする西部の地域性の問題と考えることもできるだろう。
 映画評を見ると絶賛される事が多い本作なんだが、私にはなんか合わない作品だった。ストーリーそのものは悪いとは思わないけど、ディーンの存在がとにかく邪魔。本来だったら重要な役所だからこそ、もうちょっと演技に幅のある人間を連れてきた方が良かったと思うぞ(本来アラン=ラッドがこの役を演るそうだったから、そっちの方が良かったんじゃないかな?)。前半は甘ったれた小僧ぶりを隠そうともしないし、後半の老けメイクは全然似合わない(いくら髭つけて皺作っても、物腰が年寄り臭く見えない)。もうちょっとふてぶてしさや嫌味さを演技出来る人間だったらまだ良かったのにねえ。それに『エデンの東』(1955)『理由なき反抗』(1955)同様、「俺に愛をくれよ!」的な演出はどうにも合わない。
 ディーンは自分の出演シーンの撮影終了直後に交通事故に遭い、作品を観ることなく死亡。異例なことだが、故人でありながらアカデミー主演男優賞にノミネートされる(事故については『クラッシュ』(1996)で結構細かく語られてるので、興味ある人は一見をお薦めする)。これによりディーンは伝説の人間となり、本作も彼の作品として語られるようになった。

 …しかし、最後に敢えて一言言わせて欲しい。
 これはテイラーとハドソンを中心とした群像劇であり、決してディーンだけの映画ではないと言うことをもう少し考えてやるべきだ。大体MGM専属でそうそう他の映画会社の作品に出られないテイラーを、当時準メジャーに過ぎなかったWBが上手く引っ張ってきたこと自体が当時としては重要だったはずなんだけど。。それと、この時代には珍しい人種差別問題に直接言及しているのも特徴か。
製作年 1956
製作会社 ジョージ・スティーヴンス・プロ
ジャンル 人生(男の一生)
家族
売り上げ $35,000,000
原作
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著者名 (検索) <A> <楽>
ジャイアンツ(書籍)エドナ・ファーバー
歴史地域 テキサス(アメリカ)
関連 グレン・マッカーシー(ジェット・リンクの モデル)
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シェーン
Shane
1953米アカデミー撮影賞、作品賞、助演男優賞(バランス、デ・ワイルド)、監督賞(スティーヴンス)、脚色賞
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A・B・ガスリー・Jr(脚)
アラン・ラッド
ヴァン・ヘフリン
ジーン・アーサー
ブランドン・デ・ワイルド
ウォルター・ジャック・パランス
エミール・メイヤー
ベン・ジョンソン
エリシャ・クック・Jr
エドガー・ブキャナン
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 ワイオミングの高原地帯。この地では開拓民とカウボーイ達の間で土地を巡る諍いが起こっていた。そんな時ひょっこりと現れた流れ者のカウボーイ、シェーンは開拓民のスターレット一家に厄介となる。彼の噂を聞きつけたカウボーイ達は、早速彼にちょっかいを出し始める。挑発を受けてもどこ吹く風と受け流していたシェーンだったが、それがスターレット一家に及んだ時、ついに立ち上がる。
 流れ者のカウボーイがやってきて、虐げられている人々を助け、再び旅に戻っていく。ストーリーだけを見る限りはいかにも西部劇らしい、まことに単純且つオーソドックスな構成であるのだが、西部劇を代表する一本に挙げられるほどの作品。名作揃いのこの年において全米興行成績堂々の3位(尚、1位は『聖衣』で2位は『地上より永遠に』)を記録する。
 この映画にはちょっとした思い出がある。
 私には映画について話すことが好きな友人が何人かいるが、その中には議論好きな人間もいる。お互いに好きな映画の、どこが面白いかと言うことを分析し合ったり、時には真っ向から意見の対立した映画について議論をかわすこともある(激論のあげく、喧嘩別れしてしまった友人もいる)。本作は後者であり、私はこの作品をとても気に入っているのだが、彼はこれを「くだらない」と一言の元で切り捨ててしまった。
 それから意見を言い合うのがとても楽しかったし、そのお陰で自分にとって、このオーソドックスな作品のどこが面白いのか、はっきりさせることも出来た。友人というのはありがたいものだ。

 私は本作を「オーソドックス」と称したが、実はちょっと違う。この映画がその後の西部劇のオーソドックスを作り上げたのだ(殊にイーストウッド主演のマカロニ・ウェスタンはこのパターンを嫌と言うほど用いてるが)。実は本作はそれまでの西部劇と本作は少し毛色が違っているのだ。
 それまでの西部劇の主人公は、ここまで明確に弱いものを助けるという方向性を持っていなかった。むしろ自分自身に降りかかった問題を処理する。あるいは人から命令されたものを守るため。と言う方向性の方が強かったくらい。西部劇だったらそれが出来た。なにせアメリカには明確な敵としてネイティヴ・アメリカンを登場させることが出来たから。彼らを敵に仕上げることによって、西部の男達は皆一致団結して戦うことが出来たのだ。だからこそ、以前は開拓民とカウボーイは一心同体であり、共に共通の敵と戦うことが出来た。たとえ途中で心が離れてしまったとしても、最終的には同じ敵に対し一致団結してぶつかっていくことになる。
 だがしかし、本作にはネイティヴ・アメリカンは登場しない。ここにいるのは額に汗してなんとかこの土地に作物を実らせようとする開拓民の一家と、その土地を狙うカウボーイ達。一見して立場の違いは明らかだ。主人公の側は、立場の弱い、それでも夢を持つ開拓民で、それに対しカウボーイ達は悪人になってる。当時それは全く価値観を逆転させるものだったのだ。本来カウボーイこそが西部代表する男達であり、開拓民は彼らに守られる役を担っていた。その守る側であるはずのカウボーイを悪として描いた。先ずこれが卓見。そして主人公側を守る人間も、やはりカウボーイである。彼は流れ者で非常に強い。彼も又、同業者であるカウボーイの群れに入り、抑圧する方に変わることも出来たのに、敢えて開拓民の側に立っている。
 この構図を考えてみると、一つの映画によく似た構図であることに気づく。実は翌年に公開されることになる邦画、黒澤明監督の『七人の侍』(1954)とよく似ていると言うことに(日本には身分制度があったため、こちらの方がより明確にその事を示していたが)。奇しくも一年前後して、同じテーマがアメリカと日本で作られたと言うのが興味深い。
 しかも本作品の面白いところは(これも『七人の侍』にも通じるのだが)、決して強いものがお情けで弱いものを守っているというわけではないこと。シェーンも又、この一家に精神的に依存している。つまり彼も又、この家にいることで守られているのだ。ここに共生関係が成り立っているのだが、それを克明に描くことで、シェーンという人物が、分かちがたく強さと弱さの両面を持っていることを印象づけてくれる。
 そして私が一番本作で評価したいのは、シェーンがひたすら耐えている姿を映しだしたこと。
 彼は耐える。本業でない開拓の手伝いに、同業者であるカウボーイ達が投げかける嘲笑に、そして恋心に。
 彼は耐える。耐えて耐えて、そして最後に爆発する。このカタルシスのすごさ、格好良さ。このタメが上手く作られていたことを一番評価したい。邦画の任侠ものに相通じるのだが、最後の爆発、つまり見せ場を演出するために、ひたすら主人公に耐えさせる描写が必要であり、しかもその耐えている部分で飽きさせないようにする事。それが本作の一番の重要な部分であり、本当にしっかり演出できている。日本で本作が評価されているのはむべなるかな。日本の任侠映画は、西部劇、その中でも特に本作の影響が強いと思うほど。それにより本作のカタルシスは溜飲の下がる思いをして歓声を上げて観ることが出来る。
 しかし、物語はそこで終わらない。一旦爆発してしまった以上は、彼はもうそこにはいられなくなってしまう(シェーンはここにいたかったから爆発を抑えていたのでは?)。ここまでスターレット一家のために働いておきながら、実はシェーンと彼らの間の溝は埋まるどころかますます広がってしまっていた。途中までシェーンもスターレット一家も、カウボーイとしての彼の異質な部分を減らそう、考えないようにしよう。と言う方向性に向かっていったのだが、最後の最後でやはりカウボーイは開拓民とは異質なものであることを明確にしてしまった。そんな彼がここに留まることは出来ない。カウボーイとしてしか生きられない彼がここに留まれば決して良い結果にはならないから。故にこそ、あそこで去るシェーンは確かにカウボーイとの戦いには勝ったけど、開拓民との交流には失敗している。トータルで言うなら彼は決して勝ってはいないのだ。
 そのことが分からない少年を引き合いに出すことで、彼が去るラスト・シーンは言うまでもなく全映画における名シーンとして記憶され得る。
 これを可能としたのは、監督があまり西部劇を得意としない人だったから。これまでの西部劇のセオリーを無視し、そのリアルで抒情的な雰囲気を演出することでシェーンという人物を魅力的に描けた。主題曲の「遥かなる山の呼び声」に乗せて始まるオープニングだって、それまではあんな牧歌的なものを作ろうと思わなかっただろう。
 そしてそれまでB級アクションスターだったアラン・ラッドを一気にメジャーに押し上げた作品だったが、このイメージがあまりにも強すぎたのは、その後の彼の役者人生に暗い影を投げかけることになってしまったのは皮肉な話(それでも一生当たり役に恵まれない役者の方が多いのだから、幸運だと言っても良いか?)
製作年 1953
製作会社 パラマウント・ピクチャーズ
ジャンル 西部劇
売り上げ $9,000,000
原作
シェーン <A> <楽>
ジャック・シェーファー (検索) <A> <楽>
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陽のあたる場所
A Place in the Sun
1951アカデミー監督賞(スティーヴンス)、脚色賞、撮影賞、劇・喜劇映画音楽賞、衣装デザイン賞、作品賞、主演男優賞(クリフト)、主演女優賞(ウィンタース)
1951
ゴールデン・グローブ作品賞
1991アメリカ国立フィルム登録簿登録
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ジョージ・スティーヴンス(製)
マイケル・ウィルソン
ハリー・ブラウン(脚)
モンゴメリー・クリフト
エリザベス・テイラー
シェリー・ウィンタース
アン・リヴェール
レイモンド・バー
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 カリフォルニアにある小さな町へやってきた野心家の青年ジョージ・イーストマン(クリフト)は、伯父の経営する水着工場でめきめきと頭角を現していった。アンジェラ(テイラー)との婚約も決まり、出世街道に乗り出そうとしていたのだが、つまみ食いのつもりで関係を持った同僚のアリス(ウィンタース)から妊娠したと言われ、捨てるなら彼との関係を公表すると言い出す。複雑な感情を内包しつつジョージはアリスをデートに誘う。湖にボートを浮かべた二人だったが…
 セオドア・ドライサーの「アメリカの悲劇」2度目の映画化にして、名作として名高い作品。原作にあった階級闘争の部分を廃し、メロドラマを中心にしたのが大いに受けた作品。1951全米興行成績も8位と健闘。
 非常に教科書的な作品で、後に多くの映画に模倣されるほどの完成度を誇る作品なんだが…どうなんだろう?面白いのは確かだったし、キャラクターもよく立っている…だけどなんだろうか?何故か妙に退屈に思えてしまう。
 ストーリーが分かってるから?それは確かにあるだろう。有名な作品だから、自然と情報が入ってきて、どう物語が展開するのか、事前に殆ど分かっていて、その確認をしてしまった感じだから。
 それとあまりにもパクられ続けたためか、目新しさがなかった事も。もっともっと早く観るべき作品だったか?
 でも、一番重要なのはクリフトに感情移入が出来なかったからなんだろうな。実際役者としてのクリフト、演技が巧くてもあんまり好きじゃないんだよ。結局その先行する苦手意識が本作でも続いていたんじゃなかろうか?それに彼の演じるジョージの歯切れの悪さにちょっとむかついてたし…要領が良いんだか悪いんだか、煮えきれないジョニーの態度がどうにも気にいらない。むしろこれが当時の等身大のアメリカ人ってことなのかな?実際はこの歯切れの悪さこそが本作の売りなんだが、それが受け入れられないのが根本的な問題。エリザベス・テイラーも、言われるほど素晴らしい演技者とは思えなかったし。
 調べてみて分かったが、夏を舞台とする本作、撮影は冬に行われたそうな。勿論撮影所は雪に埋もれていたため、機械で雪を溶かしつつ、出演者は寒さをこらえて泳いだり、ウォータースキーをしたりしたそうだ。役者って大変なんだなあ。
 本作で熱演したクリフトとリズを、会社側は宣伝のためロマンスをでっち上げようとしたそうだが、その必要なく本当になってしまうと言うおまけが付いた。
製作年 1951
製作会社 パラマウント・ピクチャーズ
ジャンル 犯罪(過失致死)
売り上げ
原作
アメリカの悲劇 <A> <楽>
セオドア・ドライサー (検索) <A> <楽>
歴史地域
関連
キーワード
有頂天時代
Swing Time
1936米アカデミー主題歌賞、ダンス監督賞
2004
アメリカ国立フィルム登録簿登録
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パンドロ・S・バーマン(製)
アラン・スコット
ハワード・リンゼイ(脚)
フレッド・アステア
ジンジャー・ロジャース
ヴィクター・ムーア
ヘレン・ブロデリック
エリック・ブロア
ベティ・ファーネス
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 「ネバー・ゴナ・ダンス」はまるで空中浮揚しているかのようなアステアのステップが楽しめる
 1936アカデミー主題歌賞受賞。ダンス監督賞ノミネート
製作年 1936
製作会社 RKO
ジャンル 恋愛(ラブコメ)
ダンス
売り上げ $886,000
原作
アーウィン・ゲルシー (検索) <A> <楽>
歴史地域
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