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山中貞雄

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山中 貞雄
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日本の映画監督、脚本家。サイレント映画からトーキーへの移行期にあたる1930年代の日本映画を代表する監督のひとりであり、28歳の若さで亡くなった天才監督として知られる。わずか5年間の監督キャリアで26本の時代劇映画(共同監督作品を含む)を発表したが、今日までフィルムがまとまった形で現存する作品は『丹下左膳余話 百萬両の壺』(1935年)、『河内山宗俊』(1936年)、『人情紙風船』(1937年)の3本しかない。
1937年の『人情紙風船』完成直後に日中戦争に召集され、翌1938年に中国の開封市で戦病死した。
姉のトモは加藤家に嫁ぎ、加藤泰の母となる。
内田吐夢は「山中ほど人に愛され、親しまれ、信頼された男は稀であろう。誠実で嘘がなく、しかも味がある」と述べている。伊丹万作は「日本の監督の九十パーセントを私は新しい知己として得たし、この中には随分偉い人も好きな人もあるがまだ山中ほど愛すべき人はいず、山中ほどの好漢もいない」と述べており、わずか2、3回会ううちに山中を好きになったという。野田高梧も山中が「一度会っただけで、もうすぐその場から好きになれる人だった」と述べている。
助監督時代に「社堂沙汰夫(しゃどうさだお、社堂慶太郎または啓太郎だったとする説もある)」というペンネームを名乗った。社堂というペンネームは英語のシャドウ(影)からとったものであるが、呼びにくかったため、周りからは「社汰やん」「社堂やん」もしくは「沙堂やん」と呼ばれた。
映画監督の新藤兼人は、山中を尊敬する映画監督と呼び、『盤嶽の一生』を見て映画界入りを志したと述べている。市川崑と黒木和雄は山中を好きな監督に挙げており、とくに黒木は山中を主人公にした劇映画『ロングロングアゴウ』を長年構想していた。1995年にキネマ旬報が発表した映画人選出による「日本映画オールタイムベストテン」では、『人情紙風船』が4位、『丹下左膳余話 百萬両の壺』が9位に選ばれ、同時に発表された「日本映画監督ベストテン」では山中が9位に選出された。2009年に同誌が発表した「オールタイム・ベスト映画遺産200 日本映画篇」でも、『丹下左膳余話 百萬両の壺』が戦前作品で最高位となる7位に選出された。
Wikipediaより引用
経歴
1909'11'7 京都市下京区高倉通松原下ル樋之下町で誕生
1927 商業学校5年生で先輩のマキノ正博を通し牧野省三と面談。マキノプロへの入社を約束させる
1928 牧野プロから嵐寛寿郎プロダクションに移籍し、「社堂沙汰夫(しゃどうさだお)」というペンネームで脚本家としてデビュー
嵐寛寿郎プロダクション解散
1929'3 嵐寛寿郎に招かれて東亜キネマにシナリオライター兼助監督として入社
1929'12 1年志願の幹部候補生として福知山市の歩兵第20連隊に入隊。この間に複数の映画シナリオを作成している
1931'8 嵐寛寿郎プロダクション(第二次寛プロ)立ち上げで移籍する
1932 『磯の源太 抱寝の長脇差』で監督デビュー
1932'9 伏見深草の歩兵第9連隊へ演習のため2週間入隊
1932'11 寛プロの親会社にあたる新興キネマへ転社
1932'12 日活に移籍する
1933 小津安二郎との親交が始まる
1933'6 井上金太郎が音頭を取って結成した「監督八人会」の一員に加えられた
1934 京都市鳴滝在住の映画人とシナリオ執筆集団「鳴滝組」を結成し、
梶原金八の共同ペンネームで20本近くの時代劇映画のシナリオを執筆した
1936 日本映画監督協会を結成し、山中もその発足メンバーに名を連ねた
1937 日活を退社。PCL映画製作所人情紙風船を監督する
日中戦争に召集される
1938 同じく招集されていた小津安二郎が来訪する
1938'9'17 キャンプ地で病没
5+
河内山宗俊
丹下左膳餘話 百萬兩の壺
4+
人情紙風船
3+
2+
個人的感想
前々からこの人の作品は凄いと言われていて、なかなか観る機会を持てなかったのだが、丹下左膳餘話 百萬兩の壺を観てつくづく感心した。悲惨さを一切感じさせない豪放磊落な性格は、それまで観ていた左膳像とは随分異なり、とても素直に観られただけでなく、剣劇の描写の巧さもあり、なるほどこれは素晴らしいと思ったもの。一方河内山宗俊は観終えても今ひとつピンと来なかったのだが、考えている内に自分なりに理解出来るようになったら、やっぱりこれは素晴らしいと思えるようになる。
つくづくこの人が早逝したのは日本映画界にとっても大変な痛手であったと思う。
年代
1963 恋と十手と巾着切 原作
1960 がんばれ!盤嶽 構成
1959 戦国群盗伝 脚本
江戸遊民伝 脚本
1956 朱鞘罷り通る 原作
1955 旗本やくざ 原作
1939 その前夜 原案
1938 9'17 死去
1937 人情紙風船 監督
1936 河内山宗俊 監督・原作
1935 怪盗白頭巾 監督
丹下左膳餘話 百萬兩の壺 監督
大菩薩峠 第一篇 甲源一刀流の巻 応援監督
1934
1933
1932 天狗廻状 前篇 監督・脚本
磯の源太 抱寝の長脇差 監督・脚本
1931 鞍馬天狗 解決篇 脚本
1930 続・鞍馬天狗 電光篇 脚本
右門六番手柄 仁念寺奇談 脚色
1929 右門一番手柄 南蛮幽霊 脚色
鞍馬天狗 脚本・助監督
1928
1927
1926
1925
1924
1923
1922
1921
1920
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1910
1909 11'7 京都で誕生

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原緋紗子
一ノ瀬ゆう子
岬たか子
岩田富貴子
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 江戸の下層の庶民の心情を見つめたリアリズム作品
 長屋に住むその日暮らしの人間達の日常をペシミスティックに描く
製作年 1937
製作会社 PCL映画製作所
ジャンル 人生(貧困)
時代劇
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原節子
衣笠淳子
三好文江
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 河内山宗俊(河原崎長十郎)江戸界隈で腕を鳴らすやくざものだが、今やろくなしのぎもなく、毎日ぶらぶら用心棒のようなことをして過ごしていた。そんな彼に絡んできた足の悪い浪人の金子市之丞(中村翫右衛門)と立ち会ったが、やがてお互いの気っぷの良さを知った二人は仲良く肩を組んで居酒屋へと繰り出すようになる。殺伐とした生活の中でも、二人は甘酒売りの少女お浪(原節子)の清らかな心を愛し、彼女を守ってやろうとするのだが、お浪の弟は放蕩もので、ついには大きな借金をこさえて姉を身売りに出してしまう…
 歌舞伎の世界では結構有名な河内山宗俊を主人公とした作品で、現存する山中貞夫の残した3本の作品の内の貴重な一本。
 そもそも河内山宗俊とは実在の人物で、一応僧職にあったそうだが、大変な遊び人で知られた人物(劇中でも坊さんに化けるシーンでその設定を少しだけ使っている)。死に方もろくなものではなかったらしいが、こう言うのを粋と感じるのが歌舞伎の定番なので、一種のヒーローとして持ち上げられた。
 そんな河内山を題材に取り、それをかなり純粋なヒーローに仕上げたのが本作で、山中作品の中ではあまり評価されることはないが、観てしばらくして、今回改めて考えてみると、大変面白い事に気づいた。
 本作は時代劇というか、任侠劇なのだが、物語の枠組みを通してみると、実はとてもそうは見えない。
 私が見る限り、本作は侍を描いた作品ではなく、ヨーロッパ中世の騎士物語のように見えてしまう
 実際の騎士と騎士物語の騎士は別物と考える必要はあるのだが(アーサー王の物語に描かれるのを理想の騎士像と仮定して)、騎士の理想とは、愛に殉じること。しかもその愛は決して肉体的なものではなく、精神的なものとしてである。だから、無垢な存在のために命を張る事こそがその理想であり、たとえ自分がどれほど汚れていようと、否、汚れているからこそ、純粋な一個の存在をなんとしても守ろうとする。そのための死に場所は自分で見つけるものだ(多分、それこそが私自身が求める格好良い生き方なんだろうと思う)
 本作の河内山と金子は、確かにやくざもので、碌でもない人生を送ってきたし、爛れたような生活を送っている。そんな彼らの前に、この界隈にはまずいない清らかな乙女として登場するお浪。二人はこの少女を汚そうなどと全く考えない。むしろ彼女を掌中の珠のように、大切に守ろうとしている。ここには色恋が介在せず、ひたすら純粋な思いによって守ろうとしているので、河内山と金子の間にはライバル心はない。彼女を間に挟んで、純粋な男の友情が描かれることになる。
 ただし、ここにお浪の弟が絡むことで、話は難しくなる。彼は河内山をよく知っており、彼の生き方を目指している。多分河内山もそんな彼の姿を見て自分自身の昔の姿を照らし合わせて、どこかほほえましく見ている一方、彼がお浪に対する仕打ちには真剣に怒っている…それがたとえ自分自身がかつて通ってきた道だったとしても。
 結局河内山はお浪が苦しむのは、自分自身にその責任があることを知ることになるのだ。
 だから、どこかでその責任を取らなければならなかった。彼らは遊び人には違いなく、自分自身が立派な人間ではないことを知っている。しかし、死に場所だけは自分で見つけたのだろう。この生き方は端から見れば、単なる馬鹿のようであっても、自分自身を裏切ることなく、自分を貫き通す。これが彼らの生き方だった。
 彼らが騎士として剣を預ける清純な存在としてお浪役の原節子がやっぱり凄い。見事な存在感だった
 君主無きところに騎士道精神があり得るか?そんなことを感じさせてくれる。
製作年 1936
製作会社 日活
ジャンル 時代劇(任侠)
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丹下左膳餘話 百萬兩の壺
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達美心子
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物語 人物 演出 設定 思い入れ
 ここの丹下左膳の凄まじさは、その剣術にある。防御を一切取らず、ただひたすらに突っ込んでいく。
 これまでは伊藤大輔が丹下左膳を作っていたが、そこでのニヒリズムとは一線を画した作品で、性格が違いすぎると製作側から「餘話」のタイトルが付けられた。
 山中貞雄は、それまでカメラ目線というものを大切にする監督とは一線を画し、カメラを意識させないというハリウッド形式を取ったこと。
製作年 1935
製作会社 日活
ジャンル 時代劇(人物)
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