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『ルパン三世』シリーズ(日本テレビ系)、『それいけ!アンパンマン』シリーズ(日本テレビ系)や『名探偵コナン』シリーズ(日本テレビ系)などを制作していることで知られ、分社化・合併・社名変更などを経て現在の「トムス・エンタテインメント」となった。その為、制作した作品の制作クレジット表記は時期によって「東京ムービー」、「東京ムービー新社」、「キョクイチ東京ムービー」、「トムス・エンタテインメント」と変遷している。なお、最終的に社名が現在のトムス・エンタテインメントに変更された2000年(平成12年)以降も、「東京ムービー」の名はアニメ制作ブランド名として2011年(平成23年)頃まで残り続けた。
また、近年、デジタルリマスター化の際などにクレジット表記をそれまでの古い表記(東京ムービーなど)から、トムス・エンタテインメント名義に変更する事例もある(特徴の節も参照)。
なお、同社の英語表記「TMS」は、東京ムービー新社(Tokyo Movie Shinsha Co., Ltd.)が著作権表記に用いた略称と同じものであり、周年カウントについては旧・東京ムービーがアニメを制作開始した1964年(昭和39年)を起点としている。
…Wikipedia |
1964 |
服飾メーカーである旭一シャイン工業株式会社の子会社として設立 |
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年代 |
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監督 |
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演出・コンテ |
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脚本 |
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原画・動画 |
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放映日時 |
1969'12'7〜1971'11'28 |
Wikipedia |
フジテレビ系列の日曜日19時-19時30分枠における『モーレツ欲張りゲーム』の後を継いで、1969年12月7日から1971年11月28日にかけて全104話が放送されたテレビシリーズ。
よみうりテレビの土曜日19時-19時30分枠における『巨人の星』で、視聴率的にも成功を収めていた広告代理店の旭通信社&提供スポンサーの大塚グループ[注釈 27]&企画の東京ムービー(下請制作はAプロダクション)が、今回は『週刊マーガレット』に連載中であった原作漫画を題材にすることで、フジテレビの日曜日19時-19時30分枠を新たに獲得した。『巨人の星』と同様に成功を収めたアニメ番組でもあった。
フジテレビの同枠は、アニメ番組の『マッハGoGoGo』が1967年6月末に枠移動(日曜19時台前半枠→日曜18時台後半枠)後、『爆笑ヒットパレード』(週レギュラー版、56分番組)→『リッカー スクラム歌合戦』→『爆笑ダイヤモンドショー(第2期)』→『東京ぼん太ショー』(56分番組。ただし1969年2月2日から2か月間は前半枠)→『紅白スタージェスチャー』→『モーレツ欲張りゲーム』といったバラエティ番組が続いていた。しかし本作からは、旭通信社→アサツー ディ・ケイ時代の変化に応じて提供スポンサーや制作会社を替えながらも2006年に日曜朝に移動した『ONE PIECE』まで、同枠を長らく担当することになった。
裏番組に視聴率の高かった『柔道一直線』(TBS系)と『アップダウンクイズ』(当時NET系)と言う2つの強敵番組があったにもかかわらず、それまでテレビを見ていなかった小学生
- 高校生の女子が本作品を見るようになったこともあり、平均視聴率は平均視聴率19.9%、最高27.1%(1971年1月10日放送)を記録した(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。主題歌レコードは70万枚を売り、主題歌の中の1フレーズが流行した。
日本での放送終了後、日本国外でも放映され、イタリアでは後にトップ選手として活躍するフランチェスカ・ピッチニーニがバレーボールを始めるきっかけになった。フジテレビにおいても、バレーボール中継に力を入れるきっかけとなり、放送期間中にはフジサンケイグループで春の高校バレーをスタートさせ、1977年からはバレーボールワールドカップの中継のみならず、運営そのものに関わっている。 |
個人的感想 |
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ジャンル |
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原作 |
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スタッフ |
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協力会社 |
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放映日時 |
1969'4'28〜9'26 |
Wikipedia |
佐賀潜の『民法入門』を原作としたテレビアニメ。 在名テレビ局が初めて自社製作したアニメであり[2]、キー局以外の放送局が制作した初の深夜アニメでもある。
サブタイトルはすべて六法の条文に基づいて付けられた。ヨハン・ゼバスティアン・バッハのトッカータとフーガニ短調のメロディーに合わせて法律条文が示されるという、当時としては画期的な表現が用いられていた[3]。
本作の放送終了後、名古屋テレビ製作のアニメは1977年に放送された『無敵超人ザンボット3』(テレビ朝日系列)まで8年間存在しなかった。また、深夜帯のアニメ放送自体も20年近く途絶えたが、1986年の『ハートカクテル』(日本テレビ制作)から徐々に復活し、1990年代にテレビ各局で定着することとなる。 |
個人的感想 |
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ジャンル |
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原作 |
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スタッフ |
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協力会社 |
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放映日時 |
1964'8'3〜1965'10'4 |
Wikipedia |
1963年11月から1966年2月まで集英社『少年ブック』に連載されていた手塚治虫の漫画作品、およびそれを原作とするテレビアニメである。また「ビッグX」は、薬品またはエネルギーの名称であると共に、それにより変身した主人公を指す場合もある。 |
個人的感想 |
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ジャンル |
ヒーロー(SF) |
原作 |
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スタッフ |
朝岡隆志 |
18話演出 |
泉久次 |
45,46,50,59,60話演出 |
今泉俊明 |
36,40,43,58,60話演出 |
上野寿夫 |
33話演出 |
内田弘三 |
57,58話脚本 |
おおいひさし |
41,49話演出 |
大隅正秋 |
59話演出 |
岡部英二 |
47,51,52,59話演出 |
岡本欣三 |
40,45,47,48,50,53,54話脚本 |
岡本光輝 |
22~26,30話演出 |
小沢協 |
2,4,13,20,27,29,35, 脚本 |
小沢正 |
26,28,31,36話脚本 |
梶平太朗 |
39,44話演出 |
木下蓮三 |
53話演出 |
後藤田信広 |
55話演出 |
佐々木哲治 |
6,7話演出 |
佐田誠 |
13,17,27話演出 |
佐野美津男 |
34,38話脚本 |
清水浩二 |
19,28,29,32,35話演出 |
鈴木英二 |
24,34,42話演出 |
高木清 |
21話 |
高木寛 |
21話脚本 |
田中八寿雄 |
38話演出 |
月岡威 |
1,4,16話演出 |
つのだじろう |
1,3,6,7,11,16,18話脚本 |
成橋均 |
5,10話脚本 |
花島邦彦 |
46,49,59話脚本 |
広瀬正 |
17話脚本 |
保利吉紀 |
14話脚本 |
堀川豊平 |
5話演出
15話脚本 |
本間文幸 |
57話演出 |
村野守美 |
12,14話演出
12話脚本 |
山野浩一 |
8,9,19,22~25,33,37,39,41~44,51,56話脚本 |
山本恵三 |
2,4,13,20,27,29,35, 脚本 |
光山勝治 |
12話 |
渡辺和彦 |
2,10話演出 |
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タイトル
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放映日時 |
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原作 |
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スタッフ |
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協力会社 |
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