| 1928'11'3 |
大阪府豊能郡豊中町(現・豊中市)に生まれる。 |
| 1933 |
一家で兵庫県川辺郡小浜村(現・宝塚市)川面に引っ越す |
| 1939 |
自分の名前「治」に虫を付けて「治虫」をペンネームとする |
| 1944 |
体の弱い者が集められる強制修練所に入れられ、軍需工場で格納庫の屋根にするスレートを作った |
| 1945'6 |
勤労動員中6月の大阪大空襲に遭遇 |
| 1945'7 |
大阪帝国大学附属医学専門部入学 |
| 1946'1'1 |
在学中に『少国民新聞』の大阪版に4コマ漫画4コマ漫画『マアチャンの日記帳』で漫画家デビュー |
| 1947'1 |
「新寶島」発刊。当時としては異例のベストセラーとなる |
| 1950'4 |
新創刊された雑誌『少年少女漫画と読み物』に『タイガー博士の珍旅行』を初連載 |
| 1950'11 |
雑誌『漫画少年』(学童社)にて『ジャングル大帝』の連載を開始 |
| 1951 |
『アトム大使』を『少年』(光文社)に連載 |
| 1951'3 |
大阪帝国大学医学専門部を卒業。毎日放送開局時のアナウンサー採用試験に合格。 |
| 1952 |
宝塚から東京に移住する |
| 1952'3 |
第十二回医師国家試験に合格 |
| 1953 |
『少女クラブ』(講談社)にて『リボンの騎士』の連載を開始 |
|
『漫画少年』編集部からの紹介で豊島区のトキワ莊に入居 |
| 1953'9'18 |
医籍登録 |
| 1954 |
『漫画少年』に『火の鳥』の連載を開始 |
| 1955 |
漫画雑誌『漫画読本』(文藝春秋新社)に『第三帝国の崩壊』『昆虫少女の放浪記』を発表 |
| 1957 |
東京都渋谷区代々木初台に借家 |
| 1958 |
東映動画の演出家白川大作から請われて嘱託となり西遊記(1960)の原案構成を受けもつ |
| 1959 |
松下井知夫が中心となって結成した「ストーリー漫画研究会」に参加 |
| 1959'10 |
岡田悦子と結婚。 |
| 1960 |
練馬区谷原町(現・練馬区富士見台)に自らデザインした自宅を建てる |
| 1961 |
手塚プロダクションに動画部を設立。当初は6人のスタッフから始まった |
| 奈良県立医科大学から医学博士の学位を授与される |
| 1962 |
動画部は「虫プロダクション」と改名する |
| 1963 |
自作をもとに日本初となる30分枠のテレビアニメシリーズ]鉄腕アトムを制作 |
| 「ある街角の物語」が芸術祭奨励賞、第1回大藤信郎賞、ブルーリボン教育文化映画賞を受賞。 |
| 1964 |
長女・るみ子が誕生 |
| 1965 |
日本初の1時間枠テレビアニメ新宝島を1月3日に放送 |
| 日本初のカラーテレビアニメシリーズ『ジャングル大帝』放映開始 |
| 1966 |
実験漫画雑誌『COM』を創刊する |
| 虫プロの版権部門を独立させた会社「虫プロ商事」を発足する |
| 1967 |
『ジャングル大帝』が第28回ヴェネツィア国際映画祭サンマルコ銀獅子賞を受賞 |
| 1968 |
漫画制作のための手塚プロダクションを設立 |
| 1970 |
『火の鳥』で第1回講談社出版文化賞の児童まんが部門で受賞 |
| 日本万国博覧会(大阪万博)にて「フジパンロボット館」をプロデュース |
| 『アポロの歌』に過度の性的描写があるとして、一部地域で青少年に対する発売禁止を受ける。 |
| 1971 |
虫プロ社長を退任。(虫プロ商事の社長は継続)。手塚プロダクション動画部を作る |
| 1972 |
『ブッダ』を連載開始 |
| 1973 |
自らが経営者となっていた虫プロ商事と虫プロダクションが倒産し、個人的に1億5000万円の借金を背負う
『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)で『ブラック・ジャック』連載開始 |
| 1975 |
漫画作品『ブッダ』、『動物つれづれ草』により第21回文藝春秋漫画賞を受賞。
『ブラック・ジャック』により第4回日本漫画家協会賞特別優秀賞を受賞。 |
| 1977 |
『三つ目がとおる』、『ブラック・ジャック』により第1回講談社漫画賞少年部門受賞。 |
| 1978 |
日本アニメーション協会(Japan Animation Association = JAA)の初代会長に就任する |
| 日本初の単発2時間枠のスペシャルアニメ番組100万年地球の旅 バンダーブックを放送。 |
| 1979 |
児童漫画の開拓と業績により巖谷小波文芸賞受賞 |
| 1980 |
サンディエゴ・コミック・コンベンション・インクポット賞受賞。
国際交流基金のマンガ大使として国連本部、米国の大学で現代日本のマンガ文化について講演。 |
| 1983 |
『陽だまりの樹』により第29回(昭和58年度)小学館漫画賞(青年・一般向け部門)受賞 |
| 1984 |
実験アニメーション『ジャンピング』がザグレブ国際アニメーション映画祭グランプリおよびユネスコ賞を受賞 |
| 1985 |
『おんぼろフィルム』が第1回国際アニメーション映画祭広島大会グランプリ受賞 |
| 東京都民文化栄誉章受章。 |
| 講談社漫画賞特別賞受賞 |
|
フランスで開催された「日仏文化サミット85」に参加。 |
| 1986 |
『アドルフに告ぐ』により、第10回講談社漫画賞一般部門受賞 |
| 1987 |
愛知県岡崎市で開催の地方博覧会「葵博」の総合プロデューサーを務める |
| 1988 |
「日本昆虫倶楽部」を創設し初代会長に就任する |
|
戦後マンガとアニメーション界における創造的な業績により朝日賞受賞 |
|
実験アニメーション「森の伝説」で毎日映画コンクール大藤賞受賞 |
|
ザグレフ国際アニメーション映画祭CIFEJ賞(青少年映画賞)を受賞 |
| 1988'3'15 |
進行性のスキルス胃癌が発見される |
| 1989'2'9 |
死去 |
|
没後に日本政府から勲三等瑞宝章叙勲[268]。日本SF作家クラブ主催第10回日本SF大賞特別賞受賞。 |
| 1994'4'25 |
兵庫県宝塚市に、宝塚市立手塚治虫記念館が開館 |
| 2002 |
米アイズナー賞の「漫画家の殿堂」入り |
| 2004 |
漫画『ブッダ』の英訳版がアイズナー賞の最優秀国際作品部門を受賞 |
| 2014 |
バルセロナのコミックサロンで、手塚治虫作「人間昆虫記」が外国作品部門で受賞 |
| 2020 |
アメリカの漫画の賞ハーヴェイ賞で"Harvey Awards Hall of Fame"受賞 |