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1960年 ロジャー・コーマン(監) |
強欲なマシュニク(ウェルズ)の経営する花屋で働く青年シーモア(ヘイズ)。彼はマシュニクの娘で心やさしいオードリーに惹かれているのだが、店ではドジばかりでいつもマシュニクに怒鳴られどおしだった。そんなある日、シーモアは見たこともない植物を手に入れた。オードリー2と名付けたその植物は人の血が好みである事が分かり、シーモアは自分の血を与え、オードリー2は次第に成長していった。やがてオードリー2を店に飾るようになると、それまで閑古鳥が鳴いていた花屋はとたんに大盛況となっていった… 一応本作の立ち位置はホラーに入るのだろう。確かに人外の生物が次々と人を襲うようなシーンがあるし、設定的にもホラーとして間違いはない。しかし、むしろ本作はコメディにカテゴライズした方が良い感じ。舞台装置の安っぽさもあって、チープな作品だが、それが逆に魅力となってるB級のお手本みたいな作品だ。こういうジャンル映画って実に好みだ。 安っぽいと言えば、これほど安っぽいものもないくらいで、舞台の大部分は花屋の中と、せいぜい街角、歯医者の診察室くらい。オードリーの描写も素人が作れるくらいの出来。特撮だったらオードリーに触手が生えて人を襲うくらいのことはやるだろうけど、それすらもなし。これだけだったら映画を一本分作るにはきつい。テレビの30分番組で丁度良いくらいのサイズだ(事実撮影自体はわずか2日で終わってしまったとか)。オチも酷いし。 ただ、その足りないものを補うものが本作にはある。言うまでもなく、それはキャラクタの魅力…というか、変態的なキャラを観ているだけで全然飽きないということ。とにかく本作は主人公を含めて変な奴らばかりが出てきて、ことごとく本編とは関係ないところで個性を出しまくっているので、そのずれた感性を観てるだけで楽しくなってくる。メインストーリーがシンプルにできている分、そういった小ネタの方で楽しむのが本作の醍醐味だろう。 その中でも個性出していたのが本作がデビューとなるニコルソンで、あのひきつった笑い声と言動は一度観たら忘れられぬ個性を出してくれている。のちにバートン監督が『バットマン』でニコルソンをジョーカーに指名したのは、これを見ただけで理由が分かってしまうほど。貴重な作品を見せてもらった気がする。 |
オードリー | → | |||
【おーどりー】 | ||||
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オードリー2 | → | |||
【おーどりー-つー】 | ||||
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オリン | → | |||
【おりん】 | ||||
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シーモア | → | |||
【しーもあ】 | ||||
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PAIN | → | |||
【ぺいん】 | ||||
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マシュニク | → | |||
【ましゅにく】 | ||||
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電撃フリント DVDスペシャルBOX |
1966年 ダニエル・マン(監) |
天変地異を自在に引き起こす装置で世界中の国々を脅迫する国際スパイ組織ギャラクシー。ZOWIE(国際連帯秘密諜報機構)は、彼らに対抗するため有能な軍人デレク=フリント(コバーン)をスカウトする。初めは渋っていたフリントだったが、ギャラクシーの放つ刺客に狙われる事で、スパイとなる決心を付ける。度胸と勘の良さとZOWIEの分析能力をフルに用いて悪と戦うフリントの戦いを描くシリーズ第1作。1966年全米興行成績9位。 1960年代アクション映画の代表作はなんと言っても007シリーズだが、このヒットにあやかって、特にアメリカではTV、映画双方でいくつかのそれに類似した作品を作り上げた。このスパイシリーズの特徴としては、携帯用の近代兵器を駆使するエージェントと、それ以上の科学力を持つ敵との戦いを前提に、最後は主人公の溢れるばかりのパワーによる力押しという、爽快感を押し出す事で、強引に話を終わらせるというパターンを作る。 その意味で本作はその類型パターンの最たるものとは言え、突き抜けた科学設定や無茶苦茶な主人公の強さをコメディ・タッチで描き、はっきり言ってしまえば当時の007を遥かに先んじた物語を作る事に成功していた。当時007シリーズは『007 サンダーボール作戦』(1965)。この当時はまだリアル路線を行っていたが、本作が作られた後で製作されたのが『007は二度死ぬ』(1967)だから、おそらく本作こそが後の007シリーズに大きな影響を与えたものと思われる。 しかし、ごちゃごちゃ言うよりも、本作の場合、とにかくコバーンを見ろ!これに尽きる。 コバーンは007のコネリーとは違い、軍人然としていて自身も動くが、むしろ人に命令する方が似合う。笑みよりもへの字口が似合うキャラクタなのに、この作品に限ってはそのキャリアをあっさりと覆し、不敵な笑みを浮かべながら自身がアクションをこなし、強烈なセックスアピールまでする。私の知ってる限り、これだけ弾けたコバーンが見られるのは本作くらい。 しかもこれが妙に似合う所が不思議。元々が強烈なキャラだから、落ち着かずに強烈なキャラを演じたのが上手くはまったのかも知れない。物語どうこうよりも、コバーンを見るべき作品なんだろう。 凄く楽しい作品には違いない。 |
ギャラクシー | → | |||
【ぎゃらくしー】 | ||||
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ギラ | → | |||
【ぎら】 | ||||
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クラムデン | → | |||
【くらむでん】 | ||||
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国際連帯秘密諜報機構 | → | |||
【こくさい-れんたい-ひみつ-ちょうほう-きこう】 | ||||
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フリント | → | |||
【ふりんと】 | ||||
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ロドニー | → | |||
【ろどにー】 | ||||
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名称 | → | |||
【】 | ||||
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華氏451 |
1966年 フランソワ・トリュフォー(監) オスカー=ウェルナー、ジュリー=クリスティ、シリル=キューザック |
本を読む事が禁じられている近未来。モンターグ(ウェルナー)は禁止されている書物の捜索と焼却にあたる有能な消防士だったが、既に妻リンダ(クリスティ)との間は冷え切っており、その分情熱を持って焚書の仕事に生きていた。だがある日クラリス(クリスティ2役)という女性と知り合い、禁止されている本について興味を持ち始めるのだった。 ブラッドベリ原作の映画化作品。トリュフォー監督の作品の中では異色作になるんだろうけど、監督の美的感覚が遺憾なく発揮されている。ラストの雪の降る林を徘徊するシーンが何より印象的。それ以外にも様々なシーンで絵画的な構図を使い、全般的に非常に美しい作品に仕上がっている。 画面をほどよく彩るSFチックな小物の使い方もさりげなくてかなり好感を持てる。近未来と言う設定だと都市部が用いられる事が多いが、田舎町を使ったのがなかなかの慧眼。人の生活そのものがそれ程変わっているわけではなく、多少便利な道具が増えただけと言うのがなかなかに心憎い演出(これを「しょぼい」と称することも出来るけど、日常的なアイテムだったらしょぼくて当たり前。さりげなく変わったものをさも当たり前に出す事がSF映画では大切だ)。目を惹くモノレールもなかなか使い方が良い。例の飛ぶ人たちに線がくっついてるが見えてしまうのはちょっといただけないものがあるけどね。 キャラクターを見ると、ウェルナー扮するモンターグは微妙な表情を上手く使っていた。最初の使命に燃える消防士として登場しながら、家に帰るとやりきれなさそうな表情に変わる。そして後半の本を得てからの自信に溢れた表情。最後の、まるで老成したかのような満足した表情。と、変化が実に見事だ。そしてその妻リンダと謎の女性クラリスの2役を演じたクリスティが好演を見せる。本作はSF的な設定よりも人間の表情の方をしっかり撮る事の方が重要だし、それに良くはまっていたと思う。さすがと言うべきか。 本作の肝は本というものを非常に前面に押し出したところだが、燃やされる本をじっくり見てるとなかなか味わい深い。『ロリータ』(1962)やら『地下鉄のザジ』(1960)やら、兎角映画化された作品が次々と燃やされるのは、何か大変勿体ないような、監督の遊び心が見えるような、複雑な思いがする。読書好きな私としては、結構胸がギューッと来るんだよな。思わず何の本だ?と身を乗り出してしまった。 そしてラストに登場するブックマンの存在感。これが又実に良い。思わず真剣に自分だったら何の本になろうかと考えてしまったよ。そこでも「私は『火星年代記』です」とか言うお遊びが出てるのも良し。 ところでブックマンの中で日本語で「他人の陰口になにかと聞き耳を立て…」とぶつぶつ言ってのがいたけど、あれは何の本なんだ? |
華氏451 | → | |||
【かし-よん-ご-いち】 | ||||
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消防士 | → | |||
【しょうぼう-し】 | ||||
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ブックマン | → | |||
【ぶっく-まん】 | ||||
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モンターグ | → | |||
【もんたーぐ】 | ||||
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リンダ | → | |||
【りんだ】 | ||||
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