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特撮事典

半島映画

怪獣大決戦ヤンガリー


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2001年
シム・ヒョンレ(監) 
 考古学の権威キャンベル教授と古生物学者ヒューズ博士の二人が率いる発掘隊はが2億年前に棲息していた大怪獣ヤンガリーの化石を発見する。しかし、キャンベルはその発見を独り占めしようとヒューズを罠にはめて放逐してしまう。それから2年。事故続きの発掘現場にヒューズが現れ、ヤンガリーの危険性を説き発掘を中止するように訴えるが、その時謎のエイリアンから放たれた光線を浴びたヤンガリーが復活してしまう…
 40年近く前になるそうだが、かつて韓国映画の特撮作品として
『大怪獣ヨンガリ』というのがあったそうだ。一種の伝説と化したこの作品、いつかは観てみたいと思いつつ、ビデオレンタル店でおかしなタイトルを見つけたのが本作を観るきっかけだった。『ヤンガリー』?で、早速レンタル(「ヤンガリー(YONGGARY)」=「龍(YONG)」+「獣(GARY)」の合成で、韓国の伝説上の怪獣のことを意味し、日本語表記が違うだけで実は同じタイトル)
 いやあ、なんつーか…
 
素晴らしいぜ韓国。韓国マンセー!!!!!!。
 ここまで馬鹿げた作品を良くも真面目に作れたもんだ。
ここまで突き抜けたら最高だよ
 
馬鹿も馬鹿。設定からして馬鹿だし物語も馬鹿。演出も馬鹿。「ありえねー!」連呼しつつ、凄いストレス解消になった。
 ストーリーそのものは、
「あ、骨だ」→「怪獣の化石だ!」→「手柄は俺独り占め」→突然のエイリアン襲来→悪人滅ぶ。→怪獣暴れる。→人間対怪獣→「悪いのはエイリアンだ」→エイリアンに攻撃→怪獣回心→新しい怪獣出現→怪獣プロレス→正義の怪獣勝つ→エイリアン滅ぶ
 フローを書いただけだと、端々に思いっ切り無茶があるものの一応怪獣もののフォーマットに収まってるが、肝心のヤンガリーは世代の若いCGなので合成丸わかり。もの凄く身軽な分重量感が無いが、その辺は全く頓着しない作りになっている。何せ飛んできたミサイルを身をかがめるだけで避けてしまうというのだから、身軽さは折り紙付きだ。そして怪獣が出てきた時の人間の反応が、ほとんどの人間が驚いてるよりは喜んでる。極端なのは園児バスからヤンガリーを見ている子供達で、この空間には危機感ゼロ。みんな手を叩いて喜んでる(ミサイルが飛んできても喜んでる)。更に防衛隊の面々はみんな揃いも揃ってくだらないジョークを連発し、何の手も打たずにヤンガリーを都市部に入れて、そこからおもむろに攻撃してる。町を壊すことを全く頓着しておらず、何人死のうが都市が麻痺しようが、一切お構いなし。明らかにヨンガリー本体よりも人間による破壊の方が甚大なものになってる。戦争状態にあるのに市街地には普通に人が歩いてるし…この世界で朝鮮戦争が再発したらきっと韓国は滅ぶわ。それになんで指揮者が揃いも揃ってアングロサクソンばっかりなんだ?
無国籍この上なし
 で、エイリアンの洗脳が解けてヤンガリーが突然人間の味方になるのはともかく、エイリアンがそこで更なる怪獣サソリゲスを投下…だったら最初からそうすれば問題なかったんじゃないか?…というか、
怪獣そのものが必要じゃなかったとしか思えないんだけど
 ツッコミ放題といわば言えるけど、この馬鹿さ加減がビデオで観る分には大変心地良い。
「ありえねえよこんなの」「馬っ鹿でえ」「さすが韓国。やることがひと味違う」「おいおいおい」…一人で観てながら、これほど画面に向かって語りかけた作品は数少ない
 だから見終わった時、決してこれを時間の無駄だったとか、つまらんもんだったとか、何か私の大切なものが汚されたとか…そうは思わなかった。むしろ何か大切な経験を味わったような、すがすがしい気持ちにさせてくれたのは確かな話…
思わなかったんだってば
 なお、日本のビデオ版のラストソングは大槻ケンヂ率いる特撮によるもんで、その名も
「ヤンガリー」(そのままやん)。大槻ケンヂ本人の言によれば、「あまりの出来に絶句し、下手に格好良い曲を歌えば、こちらがボケ役になると判断し、最大限にボケを引き立てるような曲を提供した」とのこと。結果として本編にツッコミを入れるという凄い曲になる。歌詞だって「見つけた化石はほじくるな〜(ヤンガリー、ヤンガリー)。私の妻のように恐ろしい〜(ヤンガリー、ヤンガリー)…水銀コバルトカドミウム〜(ヤンガリー、ヤンガリー)」そりゃヘドラじゃ!是非一聴をお薦めする。

 決して小さくまとまることなく、突き抜けた作品を作り続けて欲しい。韓国映画の未来に幸大きからんことを!日本じゃ流石に作れなくなってしまった大切な部分をこの映画は教えてくれる。
 だからこそ、最大限の賛辞をもって本作品には最低点を進呈しようと思う。
 「ウルトラマンタロウ」を素直に楽しめる胆力を持った人にはお勧めしたい。

 

キャンベル
【きゃんべる】
 考古学の権威で、ヒューズ博士と共に2億年前の怪獣ヤンガリーの化石を発見。その発見を独り占めすべくヒューズを放り出し、発掘の指揮を執る。 甘崎
サソリゲス
【さそりげす】
 宇宙人が宇宙から連れてきた怪獣。ヤンガリーが地球側に寝返ったので、ヤンガリーと戦うべく投入される。 甘崎
Tフォース
【てぃー-ふぉーす】
 パーカー大尉率いる特殊部隊で、なんとロケットを背負って空を飛びながらヤンガリーに立ち向かっていく。 甘崎
デイモン
【でいもん】
 ヤンガリーの額に埋め込まれたクリスタルで、エイリアンの指令の受信機となっている。これを破壊されるとヤンガリーは本来の性格を取り戻す。 甘崎
パーカー
【ぱーかー】
 特殊部隊“Tフォース”の隊長。率先してロケット背負って出撃する。 甘崎
ヒューズ
【ひゅーず】
 古生物学者。科学者にしては良心的で、発見したヤンガリーの化石をそのままにしておくように勧めるが、同行したキャンベル博士に疎まれて放り出されてしまう。 甘崎
ホリー
【ほりー】
 ヒューズ博士の助手で、復帰したヒューズ博士と共にヤンガリーの弱点を探す。 甘崎
ヤンガリー
【やんがりー】
 2億年前に棲息していたという伝説の怪獣。「ヤンガリー(YONGGARY)」=「龍(YONG)」+「獣(GARY)」の合成。発掘された化石をエイリアンによって命が与えられる。 甘崎
私の妻のように恐ろしい
【わたし-の-つま-の-ように-おそろしい】
 都市部を破壊するヤンガリーを見た将軍の一人が漏らした言葉…相当不幸な結婚だったんだね。 甘崎

 

グエムル 漢江の怪物

2006年
ポン・ジュノ(監)
 ソウルを流れる漢江の河川敷で三代で売店を営むパク一家。家長のヒボン(ピョン・ヒボン)、愚鈍で兄弟からも馬鹿にされる長男カンドゥ(ソン・ガンホ)、アーチェリー国体選手の長女ナムジュ(ペ・ドゥナ)、かつて学生運動の闘士であり、今は無職の次男ナミル(パク・ヘイル)。カンドゥには中学生になる一人娘ヒョンソ(コ・アソン)がおり、彼女が一家全員の愛情を一身に受けていた。そんなある日、河川敷から突然正体不明の巨大な生き物が出現し、驚く人びとを次々に襲う。ヒョンソを連れて逃げようとしたカンドゥだったが、怪物に追われる人びとの中でヒョンソの手を離してしまい、ヒョンソは怪物に連れ去られてしまうのだった。その後、怪物は強力なウィルスの宿主であるとした政府によってパク一家は強制的に隔離されてしまう。そんな時、カンドゥの携帯に死んだと思われたヒョンソから助けを求める一本の電話が入る…
 韓国では記録を塗り替える大ヒットを記録し、興奮そのままに日本に乗り込んできた韓国製モンスター作品。事前情報でもかなりの高評価を得ていたし、友人などはこの作品が日本の特撮作品の屋台骨を揺るがすのでは?などとも言っていたし、結構楽しみにしていた。
 それで一見。
 まずはっきりしているのは、これは日本の怪獣作品と較べるべきものではないと言うこと。
 日本の怪獣映画は『ゴジラ』(1954)を頂点とし、独特の進化を遂げてきた。それは一種の
“伝統芸能”というか、“粋”の領域に入り込んでいるのかもしれない。日本の怪獣ものにとって重要なのは“タメ”の部分。つまり怪獣を出さずにどれだけ人間で持って行けるか。と言う演出である。最後のカタルシスへとつなげていく重要な“間”という奴である。ある映画批評家は「怪獣映画では、怪獣が出た時点で物語は終わる」と言っていたが、それはその通りで、今の日本で怪獣映画を作ると、怪獣が出た時点でプロレスになってしまい、物語そのものが意味をなさなくなってしまうのである。
 これには構造的な問題もある。
 円谷英二が世に送り出した空前絶後の怪獣映画『ゴジラ』は多くの影響を映画界に残してくれたが、同時に負の遺産も残してしまった。それもいくつか挙げられるが、その一つが、
“怪獣は巨大である”というテーゼを作り出してしまったことにある。
 巨大怪獣は、その
巨大さ故に人間と断絶する
 その断絶をいかにして埋めていくか。これが以降の日本怪獣映画における最大の命題となった。これには様々な方法が考案されたのだが、何故か最も肝心な部分。何故怪獣を人間サイズにしなかったのか?と言うごくごく単純なものを作ろうとしなかったのか。そこに問題があるのだと思う。
 作れる要素はあったはずなのだ。少なくなくとも30年前にだったら、それを作ろうと思った人間がいてもおかしくなかったんだが…多分諸般の事情があるのだろうが、お陰で日本における怪獣映画とはすなわち巨大怪獣の出る、怪獣プロレスの作品になってしまった
(アニメだったら結構あるんだけどねえ)。東宝や円谷、東映大映といったメジャーがそう言う呪縛に捕らわれているんだったら、松竹か日活辺りが出してみても良かったと思うんだよな。
 しかし、海を隔ててそれを考えている人がいたわけだ。何も慧眼というわけではない。
日本映画が取り残してしまったものをすくい上げただけだ
 ただ、その分、色々考えられている。怪獣のサイズがあの大きさだからこそ、最初遠目になんだか分からない存在というシチュエーションが活きるのだし、特に怪物が人間を“下からすくい上げる動作”が多いのも感心できる点。あまつさえ怪物を踏み台にするシチュエーションまで用意されている。あのサイズだからこそ出来ることを最大限に活かした演出は見事と言おう。
 それに、本作は怪物そのものよりも人間ドラマの方に力点が置かれている。
 それに関してはクリアしてると言って良いんじゃないかな?無力なはずの一家族が、家族を助けるために命がけで戦う!というのは、燃えるシチュエーションだが、実はこう言うのは結構少な勝ったんじゃないかな?彼らに怪物と戦う使命のようなものは無い。あるとすれば、ただ家族が無事でいればいい。というだけの実に単純な動機に突き動かされているに過ぎない。当然特殊装備なんぞ無く、おじいちゃんの持っている財産や、へそくりまで導入して何とか怪獣に近づいて、何とか子供を救おう。と言うもの。必死なのは分かるが、ただ必死なだけ。しかし逆にそれが妙なリアリティとなっているのが面白い。少なくとも、これだけ人間よりのストーリーが展開する怪獣ものは日本にはなかった。近いのを挙げればハリウッドのモンスター作品だろうけど、家族を助けると言うシチュエーションをここまで出したものは記憶がない。本当に家族を大切にする、
韓国という土壌の上にこそ成り立った物語なのだ
 それと、本編を貫くブラックな笑いも重要。最初にホルムアルデヒドを漢江に流したという事件は事実を元にしたそうだが、これでアメリカと韓国の関係を端的に示しただけでなく、軍と民間人の軋轢や、金で転ぶ友情など、どことなく滑稽に、しかし痛切に批判して見せている。この作品が韓国国内で大受けしたというのは、結局怪獣そのものよりも、こういった批判精神の方に共鳴する人が多かったと言うことなんじゃ無かろうか?

 一応褒める部分は多いのだが、同時にこの作品には問題も多く、実は最後までどうしても乗り切れないものも感じてしまう。怪物と人間との対決は緊張感があるんだが、肝心な人間同士の問題で、あんまりにも簡単に軍の病院から脱走する主人公とか、いくら金がものを言うと言っても、あんまりにも簡単に買収されてしまう人間のいい加減さとか、これは笑うべきなんだろうか?それとも韓国的なリアリティなんだろうか?その辺が斟酌できなかった。何より、怪物が何故生まれてきたのか。本当に怪物は一体だけしかいないのか?その辺が綺麗にスルーされているのはいただけない。怪獣映画では、そう言ったケレン味があってこそ楽しいんだから。
 それにしてもシチュエーションは結構
古くささを感じるんだよなあ。次男のナミルは学生時代は闘士であり、それ故にまともな就職も出来ない上、手慣れた動作で火炎瓶まで作ってる。あまつさえ「俺たちが民主化に貢献したのに」とまで言ってる。これって朴 正煕軍事政権の時代の話じゃないのか?朴政権が転覆したのって、1979年。今から30年前だよ。ポン監督、その時からこの作品を考えていたんだろうけど、設定の大枠を変えないのは問題じゃないか?

 結論言わせてもらうと、本作は決して傑作ではないが面白い作品には違いない。怪獣好き以外の人間にも広くお薦めできる。

 

グエムル
【ぐえむる】
 漢江から出てきた怪物。ホルムアルデヒドによって突然変異した生物らしい。その姿は機動警察パトレイバー WXIII(2001)に出てきた怪物と酷似している。 甘崎
パク・カンドゥ
【ぱく-かんどぅ】
 パク家長男。娘のヒョンソが怪物にさらわれてしまい、家族総動員で娘を助けに行く。 甘崎
パク・ナムジュ
【ぱく-なむじゅ】
 カンドゥの妹。国体に出るほどのアーチェリーの名手。 甘崎
パク・ヒョンソ
【ぱく-ひょんそ】
 カンドゥの娘。しっかり者で父親を支えていたが、怪物が現れた直後にさらわれてしまった。 甘崎

D−WARS


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2007年
シム・ヒョンレ
 ロサンジェルスのセブン・パーム・リゾート地区が突然陥没。巨大ハリケーンに襲われたような惨事に見舞われる。取材に訪れたレポーターのイーサン(ベア)は、そこで巨大な蛇のウロコのようなものを目撃したことから少年時代の記憶を蘇らせる。それは、古美術店の店主ジャック(フォスター)が語った"500年に一度、運命の女性を巡って正邪の戦いが勃発し、人類が滅亡の危機に直面する"という話だった。しかもその鍵を握る女性を守るために自分がいると聞かせられたのだった。そしてその時がやってきた。運命の女性サラ(ブルックス)を探し当てたイーサンの前に巨大な怪物が現れる…
 前に本気でどうしようもない作品『ヤンガリー』を作り、映画ファンからも特撮ファンからも失笑を買ったシム監督の第二作目は、やっぱり特撮作品だった。しかし、流石に色々パワーアップはしていて、少なくとも『ヤンガリー』と較べれば、遥かに見栄えのする作品に仕上がってる
(比較対象が酷すぎるので、大概どんな作品でもあれと較べればマシだという話はともかくとして)。それに色々な意味で日本の特撮ファンには嬉しい小技が効いているところもありがたい。少なくとも本作は「SF」ではなく本当に「特撮」と呼びたくなる作品であることは確か。
 本作を悪く言おうと思ったら、それこそいくらでも言える(というか、後で言うけど)。でも、これは特撮として観るなら、
かなり温かい目で観たくなるのも事実。
 なんせこのプロットは、まさしく日本の最早“伝統芸”と言うべきテレビの戦隊もののものとそっくり。第一話に強大な軍団が空なり地の中なり次元の裂け目なりから現れ、都市部を一気に破壊。数多くの戦闘員とモンスターのパワーは通常兵器を圧倒する。するとその時、どこからともなく善なるキャラが現れ、そこら辺にいる(あるいは伝説の)青年達に未知のパワーを与え、すぐさま青年達は五色のヒーローに変身して悪の軍団と戦う。そして巨大な敵が現れると、ヒーロー達は、既に用意されていた巨大メカに飛び乗って合体。巨大ロボット同士の戦いへと赴く。そして最終回。ことごとく悪の軍勢の(被害者がほとんどでないレベルの)邪悪な企みを退けてきたヒーローの前に、悪の軍勢の(必ず巨大なロボット状の存在の)秘密兵器が現れる。その時天空から新たな力が…本当にこのパターンは脈々と続いてる。
 と、まあ、結局この作品、今も脈々と続く戦隊もののプロットを見事なほどになぞっている。尺が短いので、どちらかというと総集編というか、
1話と最終話を強引にくっつけ合わせたような作品になってるけど、よっぽどシム監督戦隊作品が好きと見える。
 だから、本作を悪く言うと、特撮テレビ好きの自分自身を傷つけそうなので
怖くて言えない
 とりあえず本作の面白いところは、ツッコミをなかなか入れられない構造になってると言うことだろう。というか、わざわざ隙を見せておいて、ツッコミ入れようとすると、それに対する答えが次に出てくる。例えばなんであんなでっかい蛇が出てきて目撃情報がないんだ?と思った次の瞬間には目撃者が現れ、なんでモンスターに対して銃を使わない?と思ったら、次の瞬間には銃を使うし、何でこんな規模になるまで軍隊は放っておく?と思うと、次の瞬間に軍隊が出動する。と言った具合。特撮ファンに対して
変なところで律儀なんだよな
 それに、シム監督自身が知事のシュワルツェネッガーに直訴したと言われるロス市内でのロケも泣かせる。本物の町の中で特撮ができるなんて。それだけでも特撮ファンとしては感服つかまつる。蛇を全面的に持ってきたのも好感度は高い。ドラゴンではなく、中国流の竜にこだわったのも新鮮。
 そりゃ悪く言えばいくらでも悪く言える。本作が昨年公開されたアメリカでは実際にこのような映画評だったそうである。
「おそるべき編集、大根役者、どうにもならないストーリー、CGI時代のエド・ウッドの再来だ」「エド・ウッドに7500万ドルとCGを与えたらできる映画」「シム・ヒョンレはウーヴェ・ボルのペンネームか?」等々(Wikipediaから)。その評は本当によく分かるのだ。私が言うのも何だが、映画ファンの目で見た本作はというと…やっぱり噴飯もので、これだけ内容のない作品を作ってくれたと言うだけでも凄いもん。本作の最大にして唯一の売りは“派手なこと”だけ。それ以外を期待すると馬鹿を見るし、それ以上のものを求めて観てはいけない作品でもあり。私に潜む…潜んでないけど、特撮ファンの血がこれを否定することを拒否する。
 と、言うことで、本作は本当に“映画ファン”のための作品ではない。“特撮ファン”のための作品なのだ。そう割り切って観れば、少なくとも一部の人間には受けは悪くない(はず)。

<本作の突っ込みどころは微妙なところでかなり多い。
 そもそもなんで500年前の朝鮮で“アストロック”なんて西洋の名前が出てくるのか。他が韓国の名前なので、これも統一すべきだったんじゃないかな?
 ブラキから逃れるために心中するナリンとハラム。下が海で、あの程度の高さから、しかも足から飛び降りて死ぬようなことは無いと思うんだけど。ナリンが生きていれば良かったんだから、海に落ちた時点で引っ張り上げれば良いだけの話。
 ジャックはイーサンの親父さんに席を外させるために「そこの角の薬屋に行け」と言ってたのに、その後イーサンに長々と喋っていてお茶まで飲んでる。そこの角ってどんなに遠いんだ?
 イーサンの相棒ブルースの能力は凄すぎる。何事もないように市の住民台帳をハッキングして見せたり(新聞社のデータベースじゃなくて、ちゃんと「市の」と本人が言ってる)、電話一本でヘリをチャーターして見せたり、必要な時になると必ずイーサンの元にいるとか、都合良いことおびただしい。つかこいつ何者だよ?
 ロスとメキシコは比較的近いとは言え、それでも車で一日近くかかる距離がある。その間なんの攻撃を受けてない。
 最後にイーサンの胸の護符が発動してアストロックを全滅させる訳だが、それ以前に全く発動しなかったのはなんで?何度も死にかけてるんだけど。
 全てが終わった後、イーサン以外の人物は全員死ぬか天に昇ってしまった。さて、ここはどこ?イーサンはどうやって帰ればいいの?
 …ツッコミ所が無いとか言いながら出てくる出てくる。>

 

アストロック
【あすとろっく】
 邪悪な蛇ブラキ配下の兵士達。 甘崎
イーサン
【いーさん】
 少年時代、古美術商のジャックから運命の人間として見いだされた青年。現在テレビ局のレポーターをしている。割とイケメンでファンも結構いる。 甘崎
イムギ
【いむぎ】
 朝鮮の昔からの伝承で、未だ竜になれない蛇のこと。伝承では人々に悪さをする天災の象徴だが、ここでは竜になる前段階として描かれる。 甘崎
サラ
【さら】
 ロス在住の女性。実はヨイジュを体に宿す運命の女性。 甘崎
ジャック
【じゃっく】
 ロスで古美術商を営む老人。実は500年前に天界からヨイジュを守るために使わされた人物その人で、時としてイーサンの前に姿を現し、アドバイスや力になる。 甘崎
ダウドラー
【だうどらー】
 アストロック軍が擁する亀のような頑丈な恐竜。背中にミサイルランチャーとおぼしき巨大な砲塔を持っている。 甘崎
ナリン
【なりん】
 500年前に朝鮮で生まれたヨイジュを体に宿す女性。 甘崎
ハラム
【はらむ】
 500年前朝鮮でヨイジュを守るために訓練を受けていた青年。やがてヨイジュを宿すナリンと恋仲になる。 甘崎
バルコ
【ばるこ】
 アストロック軍の擁する空飛ぶ翼竜型の怪獣。 甘崎
ブラキ
【ぶらき】
 修行の末竜となる資格を得た巨大な蛇。しかしその精神は邪悪で、善の蛇イムギから 甘崎
ブルース
【ぶるーす】
 イーサンの相棒のカメラマン。市のデータベースをハッキングしたり、電話一本でヘリコプターをチャーターしたりと、もの凄く都合の良い人物。 甘崎
ヨイジュ
【よいじゅ】
 イムギが竜となるために必要とされる紋章。500年に一度女の子の体に宿り、彼女が20歳になったときにそのパワーを取り込むことで竜となる。現在はサラがその継承者。 甘崎