次期首相の前評判も高い若杉議員(木下ほうか)が狙われているとの情報を受け、警視庁は特別警戒を敷く。そんな中、ミスボーグに率いられたサイボーグ組織Σ(シグマ)が現れる。超科学を持つΣの前に、警視庁の精鋭は全く歯が立たなかったが、そこに颯爽と現れた一人の男と顔が付いたバイク。それこそΣに父を殺され、復讐に燃える大門豊(古原靖久)と父勇の遺したロボット“ザボーガー”だった。同じく大門勇の開発されたロボット同士の戦いの幕が切って落とされる。
青年期と中年期の二部作で展開する特撮ドラマ。青年期のタイトルは「たたかえ!
電人ザボーガー」で古原靖久を主役とするストレートなヒーローもの、中年期のタイトルは「耐えろ大門!
人生の海に!」で板尾創路を主演に、くたびれた中年ヒーローが宿命の戦いを繰り広げる。
最初、この作品が作られるという噂を聞いた時、正直「何の冗談だ?」と思えた。
「電人ザボーガー」これは特撮を良く知る人なら当然知っているが、「仮面ライダー」や「ウルトラマン」と比べてしまうと、相当に知名度が落ちる作品である。しかも円谷でも東映でもなく、あっと言う間に消えてしまったビー・プロダクションの作品。ここまでマイナーな作品を作るなんて、なんと無謀な。
それでも監督の名前見た途端、なんか納得してしまったのも確か。井口昇だったら、ウケ狙いだけでもやるだろう。まあ、ヒットはしないだろうけど、一特撮ファンとして見てやるか。そんな気持ちを持って劇場へ…
はっきり言って、私は大きな間違いをしていた。多分井口監督は、他の版権がもらえなかったので、仕方なくマイナーな作品を選んだのだと思ってた。おそらくはどんな作品でも、昔の特撮だったら何でも言いから作りたいのだろう。そんな先入観を持っていたのだが、それは大間違い。
観てはっきり分かった。間違いなく井口監督は最初から「ザボーガー」を作りたかったに違いない。そう思わせてくれる作品だった。
ではオリジナルのテレビ作品「電人ザボーガー」とはどんな作品だったのか。
70年代は特撮の最も盛んな時代で、東映と円谷、東宝などで特撮番組が作られていたが、後発で特撮技術も金も少なかったビー・プロは、先行するそれらの作品と差別化を図らざるを得なかった。
折しも70年代というのは激動の時代だった。同時多発に起こった学生運動はあっと言う間に燃え広がり、いわゆる先進国全体を巻き込む巨大な運動になっていった。一方ではアメリカで起こったヒッピー運動も大きな広がりを見せていた時代だった。
これは大きな意味合いを持ってもいた。当時“常識”とされていたことに対し、若者が疑問を呈した運動とも言える。つまり、“常識を疑う”ことをこの運動は内包していた訳だ。
これはメディア界にも大きな影響を与えた。いわゆるアメリカン・ニューシネマはこれらの運動の影響を受けた作品でもある。
特撮にもその波は来ていた。「ウルトラマン」シリーズでも、例えば「ウルトラセブン」の「ノンマルトの使者」、「帰ってきたウルトラマン」の「怪獣使いと少年」など、明らかに正義を逆転させた作品が出ていたし、「仮面ライダー」に至っては、ヒーローの誕生そのものが悪の組織によるものという、明らかに正義の逆転によって作られていたものだ。概ねストレートなヒーロー物語の中にそういう話が挿入されると、深く考えさせられるようになる。
ビー・プロは、そこに活路を見出した。「ザボーガー」に至るまで何作かの特撮番組を作ったが、それらは通常のヒーローものと比べると、明らかに異質な作品に仕上げられるようになった。具体的にそれらの作品は、「正義とはいったい何なのか?」という疑問から出た話が多かったのだ。その中には、正義を行っているはずのヒーローの活躍を、視点を変えてみると悪人に見えるというものもあった。極端にそれが出たのが「ザボーガー」の前に作られた「鉄人タイガーセブン」だった。最早今になったらネタにしかならないが、主人公が誤って無実な人を攻撃してみたり、これまで正義だと思ってやっていたことが全て否定され、ついにはイップスになってしまい変身できなくなってしまうとか、無茶苦茶な描写がなされていたものだ。
「電人ザボーガー」は、「タイガーセブン」の反省もあって、かなり純粋なヒーロー作品としては作られているのだが、作り手が同じなので、話の端々に、そう言った疑問が挿入されていったものだ。
一言で言えば、「電人ザボーガー」とは、“正義とは何か?”ということを大まじめに考えた作品だった訳だ。
この前提あってこそ、この映画は意味を持つ。
特に本作の前半。復讐に燃える主人公大門は、Σを倒すことだけが正義を全うすると信じ、そのためだけに戦い続ける。ここら辺は暑苦しい普通のヒーローの姿なのだが、そんな彼がミス・ボーグの悲しい姿を見せられ、更に自分が救っている市民が、救うに値しないものだという事を知らされたとき、彼は正義を見失ってしまい、その葛藤が相棒ザボーガーの破壊を招いてしまう。
この下りは本当に秀逸で、ここ観ただけでも「これこそビー・プロの遺伝子だ」と思えてしまう。
この作品は基本笑いを中心とするコミックショー的な作品だけに、その中にこれを入れてくれた事がなんとも嬉しいし、井口監督が本気でこの作品を作りたがった理由がわかる。
ポストモダンの時代を経て、視聴者はだいぶすれてしまった感があり、正義を相対的に考えるようになった。むしろ“正義”は胡散臭いものであり、疑ってかかる傾向が強まってきた。こんな時代に、それでも作られている特撮も色々チャレンジをしているが、概ね今作られているものは、“正義”を曖昧にしているのが特徴でもある。
そんな中、真っ正面から“正義”を主題にした作品が作られている。それだけでも大変嬉しいものである。
先に少し書いたが、作品そのものはコミカルで、特撮も敢えて安っぽく作られているが、この暑(苦し)さを受け入れる人は必ずいる。この熱い魂を心の中に持っている人だったら、絶対に観てほしい作品だ。 |