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まよなか(書籍) _(書籍) |
2012 | ||
2011 | ||
2010 | ||
2009 | ヘブンズ・ドア 監督 | |
2008 | ||
2007 | ||
2006 | 鉄コン筋クリート 監督 | |
2005 | ||
2004 | ||
2003 | アニマトリックス 製作 | |
2002 | ||
2001 | ||
2000 | ||
1999 | ||
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1974 | ||
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | ||
1968 | 2'2 カリフォルニアで誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||
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鉄コン筋クリート 2006 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2006毎日映画コンクールアニメーション大藤信郎賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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昔情緒を色濃く残した運河の中州にある宝町。その町に二人の若いストリートギャングが住み着いていた。驚異的な身体能力と暴力性を持ち、あたかも飛ぶかのように町を駆け回るクロ(二宮和也)とクロと常に行動を共にしながら、あくまで純粋無垢で自分の価値観でしかものを見ないシロ(蒼井優)。二人はやくざ相手に立ち回りをしたり、金を奪ったりしながら、それでも町とは上手くやっていた。だが、そんな宝町に蛇(本木雅弘)という大人がやってきた… 松本大洋原作の映画化作品。丁度この漫画が連載当時、私は掲載紙を買っており、漫画の始めから終わりまで全てをリアルタイムで読んでいる。私にとって『ZERO』から読み始めた松本大洋作品の中でも、むき出しの暴力性や、心理的描写など、当時最高クラスの作品だったと思う。だけどそれが面白かったか?と言われると、否と答えるしかない。特に中盤、シロとクロとが仲違いをしていったあたりから、読んでいくのがどんどんキツくなっていった。クロの暴力性の痛々しさや、決して後戻りすることのない時代を逆行させようとするクロの痛々しいまでの願いが心に響きすぎて、逆に拒絶されたような気分にさせられたから。終わりが分かっているならば、逆に凄く楽しめる作品なのだが、先が見えない状態で暗黒の心理描写を延々と読ませるのは、ちょっと酷だった(連載当時の私の心理状態が決して良かった訳ではなかったし)。 それを完全映画化。これをアニメにするのは相当に苦労するだろう。一体どうなるんだろう?と言う思いで劇場に。 冒頭部分で思わず歓声を上げそうになった。 この色遣いと言い、町の雰囲気と言い、まさしく漫画版「鉄コン筋クリート」そのまんまの世界が広がっている。そしてまさにアニメならではのクロとシロの疾走感。これは凄い作品だ。単に動くと言うだけではない。敢えてパースを狂わせてあたかも身体能力が超常的なものに見せる技法までしっかりと再現されている。ここまでのものが出来るのか。 しかもストーリーもしっかり原作の全てを取り込んで過不足無くきちんとまとめられている。クロが暗黒面に陥る時も、モノクロでは限界のある漫画描写をしっかりアニメの側に持って行って作られているし、原作にあったラストの切なさも、別な意味でしっかり作られていた。流石に歳食ったからか、クロの精神描写も、「上手い描写」というところできちんと止め、下手に飲み込まれることもなかった。 強いて言うなら、クロ役の二宮和也の声がこなれてなかったことくらいだけど、イタチの声は上手かったな。まだまだ発展途上と言うことか? 一言で「素晴らしい作品」と言えるし、普通だったらそれで良いのだが、実は観終わってからしばらくの間、もやもやした気持ちが抑えられなかった。 それでしばらく考えている内、このもやもやした感情は“悔しさ”なんじゃないか?と気が付いた。 改めて考えるなら、確かに悔しい。それは間違いのないことだ。 本作は本当に画期的ないくつもの要素を持っているのだが、そのことごとくが、本当に悔しい思いにさせられる。 敢えてここに書くと、多分裏切り者扱いされるだろうが、はっきり言って今の押井守が当初志向していた(と私が思っていた)要素がここには溢れている。人間の欲望渦巻く、しかも下町情緒溢れる町で蠢く人間達の姿を縦横無尽にカメラを移動させ、微に入り細にいたり街の様子を描いていき、その中で人間の精神に分け入っていく。言わば町が主役の作品であり、その中で実験的な技法を駆使して…ああ、そうか。私が押井に求めていたのはこれだったんだ!確かにその志向性は過去の押井作品にはあったのだが、『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995)以来、それが単なるファッションになってしまったとしか思えなくなってしまった。押井マニアとして考えてはいけなかったこと。他人の作品でそれが分かったのが無茶苦茶悔しい。 二つ目に、本作を監督していたのはアメリカ人だと言うこと。本作はクロとシロだけを中心に考えるのなら、いっぱしのポップアート的な作品として観られるのだが、実はそれだけではない。彼らが動き回っているその足下には骨太な人間ドラマがあるのだから。不感症を自認する若い刑事沢田が徐々に情緒に目覚めていく姿も良いのだが、特にネズミと呼ばれる老やくざの生き方は痺れる。既に時代遅れになった自分のことを自覚し、自分が面倒看ていた木村の前に体を投げ出すその姿。その格好悪さが格好良い!今や日本のアニメーションは世界的にも認められているが、てっきりアメリカ人はANIMEをポップカルチャーの一つの形にしか見なしてないと思ってたし、まさかここまで邦画を研究していたとは思いもしなかった。日本にこの姿を実写で描ける若手がいるか?と考えると、アリアス監督の実力が見えてくるし、日本人ではなくアメリカ人にこれを描かせてしまったのが悔しい。マジ日本のアニメはうかうかしてられないと思った瞬間。 そして三つ目。この絵が動いているのを観ている内に、同じスタジオ4℃制作で、自分の中で否定してきた『MIND GAME マインド・ゲーム』(2004)が傑作に思えてきたこと。確かにこれはまるでベクトルは違っているにせよ、あれがあったからこそ、本作が出来たのだと思うと…ちょっとそれも悔しい。 少なくともアニメに否定的でない、あるいはこれを好きな人だったら絶対に観て欲しい…観るべき作品だ。 |