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1986 | 10'11 死去 | |
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1942 | バンビ 監督 | |
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1937 | 白雪姫 監督 | |
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1901 | ||
1900 | 1'23 ニュージャージー州プレインフィールドで誕生 |
バンビ Bambi |
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1942 アカデミー作曲賞、劇・喜劇映画音楽賞、歌曲賞、録音賞 1947ゴールデン・グローブ特別賞(ディズニー) |
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大鹿グレート・スタッグの子として生まれたバンビは兎やスカンク、牝鹿のファリンらと楽しく遊びながらすくすく成長していく…やがて母を人間に捕らわれる悲しみや、ファリンをめぐっての他の牡鹿との争いを経て、逞しい牡鹿となっていく過程を描く。 原作はフェリックス・ザルテン。既にシドニー・フランクリン監督により実写用に映画化権は買われていたが、この原作に惚れ込んだウォルト=ディズニーは何とかして本作をアニメーションで作りたく、大金を出して映画化権を買い直す。その際相当強引な手段を使ったとも言われるが、その甲斐あって、1942年全米興行成績は堂々の1位。未だに子供にも大人にも観られ続けるアニメーションの大傑作となった。 これの初見は小学校低学年。学校の体育館にスクリーンを張って上映された作品だった。私が思い出せる限り最も古い映画の一本だ。そして多分、初めて私に衝撃を与えてくれた映画でもある。 確か私が子供時分に持っていた鹿のぬいぐるみはバンビだったはずなので(記憶は相当曖昧)、名前くらいは知っていたが、それをスクリーンで観られたと言う事だけでも充分(この時は吹き替え版)。 記憶さえも曖昧な、それでも凄い感動を受けたと言う事もあって、LDが出た時は真っ先に購入した。それで拝見し、改めてそのすごさに感動(LDは字幕版を買ったため、バンビがスカンクに対して「FLOWER!」という下りは、記憶では「はぁ〜なっ?」だったはずだが…とか思い出しながら)。 観た当時は当然小学生低学年だけに、何かこう胸にわき上がる感情があっても、それを説明することが出来ないわけだが、今なら多少はその時感じ取った感情を説明できそうだ(一言「感動した」で済ませられるのを長々と説明する方が変?)。 それで改めて本作の魅力というものを考えてみると、先ず動物達のリアリティ。この作品のためにディズニーは2匹の子鹿を買い、スタッフが徹底的に子鹿を観察することによって出来たという。今だったらビデオでお手軽に出来ることだが、当時は馬鹿高いフィルムを膨大な量使って撮影し、更に実際に手に触れてその感触を大切にした(宮崎駿監督はアニメスタッフに徹底的に「生」の感触にこだわらせようとするので有名だけど、この故事(?)に倣ってるんだろう)。お陰で当時の稚拙な技術にも拘わらず、完成度は無茶苦茶なレベルで高い。実際現在とは較べものにならないスタッフと金をかけたとは言っても、これだけ質が高ければ、それこそ永久保存されて、元が充分に取れるぞ。そしてその残酷な部分も含めて生きると言うことはどういう事か、と言うことを観客の前に出している。 バンビというと子鹿の姿ばかりがメディアには流れるが、それは物語のほんの一部に過ぎない。この物語は成長していく過程を丁寧に描いていくことが重要なんだから。立派な牡鹿になって、ライヴァルの牡鹿と角突き合わせて戦うシーンの勇壮さ。母を失いながら、逃げることしかできないその無力さ。どれもこれも、生きると言うことの残酷さ、悲しさと、それを越えて行かねば生きられないと言う強烈なメッセージを内包していた。そして生命の連鎖は続いていく… 単純にこれを動物の生活をアニメーションにしたと言うだけではない。この作品の持つイメージとは、擬人化にこそあった。リアルな動物の描写と相まって、生命とは何か。と言う壮大なテーマが内包されている。この作品の肝は自分自身をバンビになぞらえることが出来る。と言う点にこそあるはずだ。 生きるとは単純且つ力強い。激動を経ても、自分が生き続ける限り、生命の強さは続いていく。そしてやがて自分の跡を継ぐものが現れ、自分の生命がバトン・タッチできる。その単純なすばらしさをここでは見事に映し取っている。 そう。生きると言うことは非常に単純だと言うこと、そして大変力強いものであると言うことを、そこで感じた。それが一部だと思う。 …長じて生き方が複雑になり、仕事や人間関係など色々なことでウジウジと悩むような大人になってしまった自分を振り返ってみると、もっと単純に生きられないもんか?などとも今、これを書いていて思う。 当時アニメはあまりにも金がかかることがあって、主に短編で作られていたのだが、ディズニーは本作の投入により、長編アニメーションは十分に採算に合うことを証明してくれる。その後ディズニーの一つの看板として“トゥルー・ライフ”シリーズを作り続けていくことになる。 |
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白雪姫 Snow White and the Seven Dwarfs |
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1937米アカデミー作曲賞 1938ヴェネツィア国際映画祭偉大な芸術トロフィー 1938NY批評家協会特別賞 1989アメリカ国立フィルム登録簿登録 |
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魔法を使える女王が治める平和な国。だがそれも女王の持つ鏡が「一番美しいのは女王様」と行っている間だけだった。鏡が「一番美しいのは白雪姫」と囁いた時、平和は崩れ去ってしまった。嫉妬のあまり白雪姫を殺そうとする女王と、そんな白雪姫を逃がす狩人… 世界的なアニメーション映画を作り続けているディズニー。一貫して子どもをターゲットとしてアニメを作っているのだが、当初、その方向性は二つに分かれていたように思う。 一つは低年齢層の子ども全般をターゲットにしたもので、動物を用いた作品。代表作は映画では『ダンボ』(1941)だろうけど、キャラものではミッキーマウスやスティッチなどもも入る。まあこれがディズニーの基本となる。 そしてもう一つ、それは幼児から思春期前の女の子をターゲットにした作品群。これも現在にいたるまで連綿と作り続けられている女の子を主人公にした作品群となる。ディズニー映画としてはむしろこちらの方がメインな位で、これも又ディズニーを特徴づける作品と言える。 そしてこの女の子を主役にした作品は、決して画一的ではなく、時代によって女の子の性格や物語展開に各段の違いがあるのも特徴。これらの作品を観る時、その年代を念頭に置いて観ると、この時代の女性像が透けて見えてくるようでとても興味深い。 そんなディズニー映画の最初の大ヒット作となった作品が本作で、この作品こそが現在に至るディズニー映画の牽引役を果たしたという、映画史に残る名作(当初普通の映画の倍近い50万ドルと言われたが、結果として170万ドルの制作費となるのだが、公開の年だけで850万ドルを稼ぎ出したという)。ハリウッドは1時間半ものアニメを誰が観る?と冷淡だったが、記録的な大ヒットを飛ばし、数々のスタンダードナンバーをも記録する。ディズニーの飛躍は、ひとえに本作にかかっていると言って良い。 実際、この映画の影響力は映画に留まらず、「白雪姫」と聞いたら真っ先にここに登場したキャラが念頭に浮かぶし、こびとさんのイメージもここからきている。はっきり、世界の文化にまで影響を与えた作品でもある。現在に至るも、まだ子どもたちによって定期的に観られている。 前述したが、それでこれを観ると、この当時の女性像も見えてくる。そしてその姿は、今の時代、しかも男の目からすると、大分ズレた感覚を感じるものでもある。 ちょっとだけ言いたい放題言わせてもらうと、まず白雪姫の描写。この子は自分の置かれた環境をそのまま受け入れてしまう。彼女にとっては、多少の悲しみはあったとしても、「怒り」とか「悔しさ」とかのネガティブな感情が全く欠如してる。城を追い出されたからと言っても、すぐに新しい環境の中で自分の居場所を作り、それなりに満足した生活を作り出す。これを徹底したポジティブシンキングと取ることもできるが、アニメではそれは「ちょっと残念な」女の子のように見えてしまう。あの挙動不審な手の動きも(『アリス・イン・ワンダーランド』(2010)でもやってたけど)なんかそんな気にさせられてしまう。 そして物語においても、白雪姫は物語の中心にいながら、驚くほど何にもしていない。与えられた運命をそのまま受け止め、流されていく内に、周りが勝手に物語を進行させていくだけ。更に後半になると、白雪姫はただ寝てるだけになる。せいぜい彼女が主体的にやったのはこびとたちの家を住みやすくしたことくらい。後はリンゴ食べただけ(しかもこれ、全く主体性がない)。 極端なこと言わせてもらうと、これは男の側から見た女性の理想像にも思えてしまう。女の子には自己主張はいらない。素直な心で、こどものようにただ待ってるだけであってほしい。そんな欲求が透けて見えるような気がしてくる。 これがこの時代の価値観と見るか、あるいは普遍的なものと見るかで評価は変わるだろうが、今の目で観ると、少々いやなものを感じてしまう。 昔観た時は全くそんなこと考えてもいなかったが、レビュー書くにあたって、自分の中にこんな感情があったことに気づかされた。 |
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