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_(書籍) _(書籍) |
1980 | 12'20 死去 | |
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1941 | ダンボ 監督 | |
1940 | ファンタジア アニメーション監督 | |
ピノキオ 共同監督 | ||
1939 | ||
1938 | ミッキーの造船技師 | |
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1895 | 11'4 誕生 |
ダンボ Dumbo |
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1941米アカデミーミュージカル映画賞、歌曲賞 1947カンヌ国際映画祭アニメーション賞(ディズニー) |
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サーカスの象ジャンボ夫人がコウノトリから受け取った赤ん坊。彼女はその子をダンボと名付けてとても大切にするが、人並み外れた大きな耳を持つダンボはみんなに馬鹿にされていた。ついカッとして暴れ回るジャンボ夫人は閉じこめられてしまい、更にその大きな耳を笑いものにする芸を強いられるダンボ。そんな孤独なダンボに同情した鼠のティモシーがダンボにささやいたのは… 言うまでもなくディズニーアニメの傑作の一本。私の幼少時代には既に絵本があって、家にも置いてあったのだが、実際に本作をこの目で観たのは随分後になってから。 その目で観ると、本作は徹底して子供のためとして作られていることが分かる。どんな人間でも必ず良いところがある。何より自分のことを分かってくれる友達がいる。という事を前面に押し出した極めてストレートな内容となっている。時間もほどよく、小さな子供でも充分楽しめる内容になるように相当に吟味されて作られていることが分かる。だからといって無難な内容ではなく、ダンボは数多くの危機に見舞われるし、他人からも馬鹿にされ続けるという責め苦を負わされることになるのだが、テンポの良さが、その重さをしっかり受け止めているところが特徴だろう。アニメーションとしてのバランスの良さは特筆すべきものがある。 製作はなんと1941年という事で、既にヨーロッパでは戦争が始まっていて、アメリカにも戦火が迫っていたのだが、だからこそこういったベーシックなものを作ろうとしたのかもしれないね。この年代でここまでの発色と動きをアニメで出来たことは驚かされる。 後本作の特徴として色彩感覚の凄さもありだろう。原色でここまでやると、ちょっと目が痛くなるほどなのだが、特に酔っぱらいのシーンはほとんどサイケデリック風。調子が悪い時なんかは吐きそうだが、あれを閉じこもった大音響で観ていたらトリップ出来そうなくらい。 ちなみにこの製作の年に日米は戦争に入ってしまったため、本作が日本に入ってくるのは13年後の1954年。全世界の国々にその国の言葉でというディズニー戦略で日本でも最初から吹き替えで作られている。 |
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ファンタジア Fantasia |
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1940NY批評家協会特別賞(ディズニー) 1990アメリカ国立フィルム登録簿新規登録 |
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クラシックの名曲をベースに、音楽に合わせたアニメーションが展開される。 「トッカータをフーガ 二短調」オーケストラの入場から始まり、指揮者レオナルド・ストコフスキーによる映画の説明から開始。様々な色の照明と、人の影、そして人が出てこないアニメーション。 「くるみ割り人形」①金平糖の踊り(Dance of the Sugar Plum Fairy)②中国の踊り(China Dance)③葦笛の踊り④アラビアの踊り⑤トレパーク⑥花のワルツの六曲をそれぞれ異なるアニメーションで。 「魔法使いの弟子」魔法使いイェン・シッドの弟子のミッキーマウスが師匠の帽子をかぶって水くみの魔法を使う。 「春の祭典」 地球の生物の進化をアニメーションと音楽で表現する。 「交響曲第六番 田園」ギリシア神話に登場する動物たちの祭典。 「ラ・ジョコンダより 時の踊り」動物たちの踊り。 「禿山の一夜 アヴェ・マリア」 悪魔に支配された不気味な一夜が明けるまで。 モノクロ時代からアニメ映画を作り始め、カラー映画としても『白雪姫』(1937)、『ピノキオ』(1940)と、既に大ヒットを放ったディズニーが満を持して放った作品。 この作品はアニメーションと一口で言うにはちょっと複雑すぎるルーツを持つ作品である。 1930年代に映画に音がつき、30年代後半からカラー映画が作られるようになった。順番は音からカラーである。 それを敢えて逆転させ、美しいカラー画面のみで勝負を賭けたのが本作になる。音声は一切なし。音楽は生演奏で行う。映画とクラシック音楽を融合させた総合芸術のような作品である。フィルムだけでエンターテインメントを作り出す映画の流れとは全く別系統になってしまったが、そのチャレンジ精神は称えたい。 おそらくこれを実際に味わえた人は大変な贅沢な気分にさせられたことだろう。 今はDVDなどのソフトで音楽付きで楽しむことは出来るが、本来大画面で生演奏を前提にした作品だけに、テレビで観るにはあまりに勿体ない作品である。現時点で私が出来るのはこの方法だけで、寂しい。大画面フルオーケストラで全身で作品を味わってみたいものである。 この方法を考案したのはウォルト・ディズニーらしいが、ディズニーの考えだと、10年くらいに一度、新しい話を一本程度入れ替えてずーっと上映したいという願いがあったそうだ。面白い考えだったが、そこまではいかなかったようだ。その代わりのように世紀の変わり目となる1999年に『ファンタジア 2000』(1999)が作られている。 |
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ピノキオ Pinocchio |
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1940米アカデミー作曲賞、歌曲賞 1994アメリカ国立フィルム登録簿新規登録 |
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おもちゃ職人のゼペットは木であやつり人形を作り、それをピノキオと名付けた。子供のいないゼペットはピノキオが「自分の子供になりますように」と星に願ったところ、その夜にブルー・フェアリーが現れてピノキオに生命を授けた。そして、一部始終を見ていたコオロギのジミニー・クリケットを先生に命じ、「勇気を持って正直で優しい性格になれば人間になれる」と言い残し、消えて行った。翌日、本当に命が与えられたことを喜ぶゼペットはピノキオを学校に送り出す。 カルロ・コロディの童話「ピノキオ」のアニメ映画化作。ピノキオ自体は大変メジャーな童話で、現代に至るまで数多くの映像化作品が作られているが、ほぼこれが最初の映像化となったため、後に作られるピノキオ作品のフォーマットになった。 ただ、本作がフォーマットになることが良かったのか悪かったのか。 私自身は小学校の時に岩波書店で出ていた原作を読んでいる。これはこども向きとはいえ、かなり原作に近い筆致で書かれたもので、内容は大変硬質だった。物語は大変残酷で、ピノキオは勝手放題。親であるゼペットの期待を裏切ることに全く気にしないし、自分の行いが誰かを死に追いやったとしても気にしないという性格。今にして思うに、これだけ全く感情移入の出来ない主人公を良くも作ったものだと逆に感心するほどである。 それは念頭にあったが、ディズニーが作るんだったら、相当脱色されたものになるだろうと思っていたが、予想以上だった。 映画化するに際し、自分勝手なピノキオをの造形でだいぶ改変を行った。ピノキオの勝手な性格はかなりマイルドになり、さらにピノキオを諫める役としてコオロギを登場させた。このコオロギはなんの力も無いためにピノキオを止めることは出来ないまでも、良心を代弁させることで、ピノキオの勝手さをかなり抑えることに成功している。 実際完成したこの作品は、かなりピノキオが可愛くなっていて、多少の勝手さも一般的な魅力に寄せた感じになってる。かなり感情移入が出来る魅力的なキャラクターが出来上がった。 ただ、それが良かったのかどうかは難しい。ストーリーこそ沿ってるとは言え、肝心な主人公が全くの別キャラになってしまっても良いんだろうか? すくなくともこれに関しては良い部分と悪い部分があって、子どもが見ても普通に楽しめる内容になったお陰でピノキオの物語は世界中で楽しまれるようになったというのが良い部分。イタリアローカルの童話が世界的メジャーな作品になったのは大きい。 一方悪い部分は、作品の持つ個性を殺してしまったこと。童話における最も重要な要素は、それがどんな形であれ、作者の思いが優先されるはずである。それが失われたときに作品としては既に別物になってしまう。 どっちの要素もあるので、なんとも言いがたい。 ただ、この作品の作画のクォリティはとんでもないものだ。特に鯨の遊泳シーンなんて、技術の進んだ今の目で見ても全く遜色ないどころか、むしろこっちの方が凄い。どれだけ手間かけて一コマずつ描いていったのかと思うと気が遠くなるほどの労力が掛けられていた。これを観るだけでもこの作品を観る価値はある。 |
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