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2002 | スティーヴィー 監督・製作・編集 | |
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1999 | 栄光へのダンクシュート 監督 | |
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1997 | プリフォンテーン 監督・脚本 | |
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1994 | フープ・ドリームス 監督・製作・脚本 | |
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フープ・ドリームス 1994 | |||||||||||||||||||||||
1994米アカデミー編集賞 1994全米批評家協会ドキュメンタリー賞 1994NY批評家協会ドキュメンタリー賞 1994LA批評家協会ドキュメンタリー賞 1994シカゴ映画批評家協会作品賞 1995MTVムービー・アワード新人監督賞(ジェームズ) 2005アメリカ国立フィルム登録簿登録 |
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シカゴのスラムに住むアーサー・エージーとウィリアム・ゲーツという二人の少年は、それぞれ自分たちのバスケットの才能を使い、貧困からの脱出を試みる。家庭環境や学校での軋轢に悩み、様々な困難にぶつかりつつも、バスケットに青春を賭ける二人の少年を二年間にわたって追ったドキュメンタリー作品。アカデミー賞では編集部門賞にノミネートされながら、ドキュメンタリーにノミネートされなかったという不思議な作品でもある。 「バスケに青春を賭ける」。日本ではこの言葉は、どこか白々しく、そして「若者らしさ」として捉えられる傾向にある。実際の話、たいていの人はスポーツは若い内にやって、その後は引退してからそれなりに勉強して大学行って一般企業に就職して。と言う道を歩むのが普通。たまにドロップアウトしたりもするが、それはそれで食える生活が出来る事が前提にあるからにほかならない。だから本当にプロになれる人がいても、それを横目で見て本気で悔しがる人もそうは多くあるまい。スポーツは趣味の一つ、余暇の一つと言う認識が大きいから。 しかし、世界的に見るなら、日本の状況は真に平和的。かつて冷戦時代の東側の各国の場合、スポーツは国際大会で国家の威信を見せるために行われたので、才能ある選手は国家の管理下に置かれて激しい訓練を強いられたものだし、これが貧国である場合、何とかして目立って国を出たいとか言うこともあるだろう(その辺市川監督の『東京オリンピック』(1965)は参考になる)。 しかしそれは世界一豊かなアメリカでは状況はまったく異なる。なんせ貧富の差がシャレにならないレベルで広く、持たざるものの大部分は持たないままで一生を終えるしかない国なのだから。 だからと言って、持たない者が這いあがれなくはないと言う半ば幻想を与えてくれるのもアメリカと言う国。篤志家が多く、奨学制度が発達している分、努力すれば何とかなることもあるのだ(娯楽作だが、『コーチ・カーター』はそう言ったリアルな部分を巧く映画にしていた)。更に、一芸に秀でていれば、それ以上のものも得られる。アメリカのプロスポーツ選手のうち、かなりのパーセントはこうやって栄光を掴むことに成功した者達なのであり、類まれな素質と不断の努力によって栄光を掴み取れた、アメリカン・ドリームの体現者なのだ。 しかし、ほんの一握りの成功者がいると言うことは、当然ながら、その下にはその何倍何十倍もの挫折者がいる。才能はあっても、ほんの僅かの運の無さであったり、あるいは才能の開花がちょっとずれてしまった人たちが… 本作はそう言った人たちをリアルタイムで見つめた作品であり、才能がある貧しい少年たちの努力と、挫折の記録である。 リアルタイムと言うことは、ひょっとしたらここに描かれた少年たちは、何かの弾みで成功する可能性を秘めていたわけだが、それが成功した場合は、本作の位置づけはまったく異なる意味合いを持ったことだろう。観てる側も、「ひょっとしたら?」という思いで観る事が出来るし、そう言う意味では大変面白い構成のドキュメンタリー作品である。 ただ、ちょっとだけ文句を言わせてもらえるなら、もうちょっと編集には気を遣って欲しかった。ありていに言えば、かなり退屈。同じことをやるにしても、だらだらしたインタビュー部分はもう少し切り詰め、合間のコラージュを有効活用すればかなり観ごたえのある作品に仕上がってくれたのではないかな。ドキュメンタリーとは言っても、その部分は欲しかったところ。 あと、ここに登場した家族に、製作の方からなにがしかの援助はあったのだろうか?と余計なことも考えてしまう。あのまま放っておくと、人情的にちょっと心が痛む…これがフェイクドキュメンタリーだったら、そう思わせたら大成功だろうけど(ちなみに二人の内のアーサーは実際にプロになれたそうだ)。 |