|
|
||||||||||||||||||||||
市川崑大全 監督市川崑 映画監督市川崑―崑さんをめぐる映画の旅 光と嘘、真実と影―市川崑監督作品を語る KON―市川崑 時代の証言者〈1〉日本を描く―平山郁夫&市川崑 市川崑の映画たち シネアスト 市川崑 三谷幸喜のありふれた生活7 ザ・マジックイヤー 対談 時代の証言者〈1〉日本を描く―平山郁夫&市川崑 編纂 日本の名随筆 (40) 著作 つる 映画女優―シナリオ写真集 細雪のきもの |
2008 | 2'13 死去 | ||||||||
ザ・マジックアワー 出演 | |||||||||
2007 | ユメ十夜 「第二夜」監督 | ||||||||
2006 | 犬神家の一族 監督 | ||||||||
市川崑物語 出演 | |||||||||
2003 | 娘の結婚 監督 | ||||||||
ちりぬるを 監督 | |||||||||
2002 |
|
||||||||
2001 | かあちゃん 監督 | ||||||||
2000 | 新選組 監督・脚本 | ||||||||
どら平太 監督 | |||||||||
1996 | 八つ墓村 監督・脚本 | ||||||||
刑事追う!<TV> 演出 | |||||||||
1994 | 四十七人の刺客 監督 | ||||||||
1993 | 帰って来た木枯し紋次郎 監督・脚本 | ||||||||
1991 | 天河伝説殺人事件 監督 | ||||||||
1988 | つる -鶴- 監督 | ||||||||
1987 | 映画女優 監督 | ||||||||
竹取物語 監督 | |||||||||
1986 | 鹿鳴館 監督 | ||||||||
子猫物語 監督 畑正憲と共同監督 | |||||||||
1985 | ビルマの竪琴 監督 | ||||||||
1984 | おはん 監督 | ||||||||
1983 | 細雪 監督・製作・脚本 | ||||||||
1981 | 長江 監督 | ||||||||
幸福 監督 | |||||||||
1980 | 古都 監督 | ||||||||
1979 | 病院坂の首縊りの家 監督 | ||||||||
銀河鉄道999 監修 | |||||||||
1978 | 女王蜂 監督 | ||||||||
火の鳥 監督 | |||||||||
1977 | 獄門島 監督 | ||||||||
悪魔の手毬唄 監督 | |||||||||
1976 | 妻と女の間 監督 | ||||||||
犬神家の一族 監督 | |||||||||
1975 | 吾輩は猫である 監督 | ||||||||
1973 | 股旅 監督 | ||||||||
時よとまれ、君は美しい ミュンヘンの17日 共同監督 | |||||||||
|
|||||||||
1972 |
|
||||||||
1971 | 愛ふたたび 監督 | ||||||||
1970 | 日本と日本人 監督 | ||||||||
1969 | 太陽のオリンピア-メキシコ1968- 監督 | ||||||||
1967 | トッポ・ジージョのボタン戦争 監督 | ||||||||
1965 | 東京オリンピック 総監督・脚本 | ||||||||
1964 | ど根性物語 銭の踊り 監督 | ||||||||
1963 | 雪之丞変化 監督 | ||||||||
太平洋ひとりぼっち 監督 | |||||||||
1962 | 私は二歳 監督 | ||||||||
破戒 監督 | |||||||||
1961 | 黒い十人の女 監督 | ||||||||
1960 | おとうと 監督 | ||||||||
足にさわった女 脚本 | |||||||||
ぼんち 監督 | |||||||||
女経 監督 | |||||||||
1959 | 野火 監督 | ||||||||
あなたと私の合言葉 さようなら、今日は 監督 | |||||||||
鍵 監督・脚本 | |||||||||
1958 | 炎上 監督 | ||||||||
1957 | 東北の神武たち 監督 | ||||||||
満員電車 監督 | |||||||||
穴 監督 | |||||||||
1956 | 処刑の部屋 監督 | ||||||||
ビルマの竪琴 監督 | |||||||||
1955 | 青春怪談 監督 | ||||||||
こころ 監督 | |||||||||
1954 | 女性に関する十二章 監督 | ||||||||
億万長者 監督 | |||||||||
わたしの凡てを 監督 | |||||||||
1953 | 愛人 監督 | ||||||||
青色革命 監督 | |||||||||
プーサン 監督 | |||||||||
天晴れ一番手柄 青春銭形平次 監督 | |||||||||
1952 | あの手この手 監督 | ||||||||
足にさわった女 監督 | |||||||||
若い人 監督・脚本 | |||||||||
ラッキーさん 監督 | |||||||||
1951 | 結婚行進曲 監督 | ||||||||
ブンガワンソロ 監督 | |||||||||
盗まれた恋 監督 | |||||||||
無国籍者 監督 | |||||||||
恋人 監督 | |||||||||
夜來香 監督 | |||||||||
1950 | 暁の追跡 監督 | ||||||||
熱泥地 監督 | |||||||||
銀座三四郎 監督 | |||||||||
1949 | 果てしなき情熱 監督 | ||||||||
人間模様 監督 | |||||||||
1948 | 三百六十五夜 大阪篇 監督 | ||||||||
三百六十五夜 東京篇 監督 | |||||||||
花ひらく 眞知子より 監督 | |||||||||
1945 | 娘道成寺 演出 | ||||||||
1936 | 新説カチカチ山 監督デビュー | ||||||||
1915 | 11'20 三重県伊勢市で誕生 |
犬神家の一族 2006 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
信州。日本有数の財閥犬神家の当主佐兵衛が亡くなった。莫大な遺産は彼の三人の腹違いの娘に残されることになったのだが、佐兵衛は奇妙な遺言を遺していた。実は佐兵衛にはこの地に大恩人であるる野々宮大式という人物がおり、その孫娘である珠世に自分の孫の誰かを結婚させて、その人物に家宝の三種の神器を含む財産全て譲るとしたのだ。この遺言に不穏なものを感じた弁護士の若林は東京の私立探偵金田一耕助(石坂浩二)を呼び寄せるのだが、その若林自身を皮切りに、不可解な猟奇事件が起こっていく。犬神家の家宝「斧(よき)、琴、菊」(よきこと聞く)に合わせるように、琴糸で殺されたり、菊人形の上に生首を乗せられたり… かつて角川映画第一弾として華々しく登場した『犬神家の一族』(1976)のリメイク作で、オムニバス作品を除けば市川監督の最終作品となる。 監督、主演、多くの脇役がオリジナルメンバーで出てくるという、一種豪華なリメイクなのだが、流石に30年の月日は長かった。もう既に老人役が似合うようになってきた石坂浩二を青年役に起用するのはかなりの暴挙。はっきり言ってオリジナルメンバーが出てくる度に、懐かしさよりも痛々しさの方が出てきてしまう。 年取った役者に合わせてか、オリジナル版と較べるとテンポもややスローになり、たたみかけるようなショックシーンはかなり緩和されているため、安心して観られる出来には仕上がっているのだが、元が推理作品よりもホラー作品に見られるほどの衝撃度だったため、そのおとなしさが不満に感じてしまう。 それとねえ。市川監督、分かってないよ。わざとやってるのかもしれないけど、旧作の衝撃というのは、作り物でも充分だったけど、現代のCG作品を見慣れた目にいかにも「作り物です」と言った小道具の数々は、嘘っぽさしか見えないんだけどねえ。全く変わらないリメイクじゃリメイクの意味無いじゃん。 勿論、だからと言って本作が決して悪い訳じゃない。物語に関しては旧作よりも分かりやすく整理されていたし、元が良い分安心出来る。それに大野雄二のスコアは音が良くなってますます冴えてる。 旅館の女中役に深田恭子は華がありすぎるし、ほとんど素人丸出しとしか見えない三谷幸喜とか、多少ミスキャストはあるにせよ、キャラに関しては悪くないと思うよ。助清役の尾上菊之介は結構上手かったし。 ところで、随分後になってからだが、市川監督が亡くなって、この映画に言及するサイトが多く、それを読んでいたら、何故監督がこの作品にこだわったのかが少しだけ分かった気がした。 旧作と本作には一つ違いがある。 それは他でもないラストシーン。旧作になかったシーンが追加されているのだ。 事件を解決した金田一が、まるで逃げるかのように旅館を後にする。彼はお礼を言われることがとても恥ずかしく、照れてしまったのだと考えられる。 ちなみに旧作の場合、金田一は人々にお礼を言われるのが恥ずかしかったか、電車を一本早め、誰も見てない駅の構内を一人走るシーンで終わる。私なんぞに言わせれば、これで充分金田一の人となりを伝えてると思うのだが、監督にとってはその点が最後まで心残りだったのかもしれない。これが金田一と長くつきあってきた監督なりの決着の付け方だったのかもしれない。 |
かあちゃん 2001 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2001日本アカデミー主演女優賞(岸惠子) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
どら平太 2000 | |||||||||||||||||||||||||||
2000日本アカデミー主演男優賞(役所広司)、助演男優賞(片岡鶴太郎)、撮影賞、照明賞、美術賞、編集賞 2000ベルリン国際映画祭特別功労賞(市川崑) |
|||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||
八つ墓村 1996 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1996日本アカデミー主演男優賞(豊川悦司)、音楽賞、撮影賞、照明賞、美術賞、録音賞、編集賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
助監督に手塚昌明。 |
四十七人の刺客 1994 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1994日本アカデミー助演男優賞(中井貴一)、美術賞、録音賞、編集賞、作品賞、主演男優賞(高倉健)、監督賞(市川崑)、脚本賞、音楽賞、撮影賞、照明賞 1994東京国際映画祭審査員特別賞 1994毎日映画コンクール日本映画ファン賞 1994報知映画助演男優賞(中井貴一) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
助監督に手塚昌明。 |
帰って来た木枯し紋次郎 1993 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1993日本アカデミー助演男優賞(岸辺一徳) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
助監督に手塚昌明。 |
天河伝説殺人事件 1991 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
製作は角川春樹。 |
つる -鶴- 1988 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1988日本アカデミー主演女優賞(吉永小百合) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
雪の夜、貧しい大寿(野田秀樹)の家につる(吉永小百合)という美しい女が訪ねて来た。驚愕する大寿に「嫁になりに来た」と告げるつる。そして大寿とつる、そして大寿の母由良(樹木希林)の生活が始まったが、つるは実に働き者で、大寿の家は明るさへと変えられていった。そんな時、つるは由良が使っていた機織り道具を見つけて機を織ってみたいと言うのだが… 吉永小百合の映画出演100本記念作品として選ばれたのは、なんと「鶴の恩返し」(あるいは「夕鶴」か?)だった。 大変幻想的な作品で、出演者の実力も確かにある。ただ、物語としての完成度はどうにも低い。少なくとも分かり切った物語を作るのならばどこかでひねりが欲しいのだが、それが全然なく、なんかそのまま観てしまったと言う感じ。 ソフトフォーカスに彩られた雪の画面は幻想的ではあるのだが、問題は肝心の鶴の造形が…いくら時代とはいえ、この作りものばればれの鶴は、流石に引くぞ。一瞬ギャグかと思ってしまったほどだよ。 それと、吉永小百合の“美しさ”は撮れている。だけど“可憐さ”はどうだったかな?これ作るんだったら20年間…せめて15年前、市川監督の脂が乗りきっている時に作って欲しかった。 |
映画女優 1987 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1987キネマ旬報日本映画第5位 1987毎日映画コンクール日本映画優秀賞、撮影賞 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大正の時代、大部屋女優として16歳で映画デビューを果たし、時代を駆け抜けた田中絹代と言う女優の仕事と、その愛を描いた作品。 日本の誇るトップスターの一人で、映画以外でも恋多き女性として知られる田中絹代というスターの半生を描いた作品で、一人の女性を描くことで日本映画史を作り上げた、市川監督の意欲作。興行的には芳しくなかったが、批評家受けは良かった作品でもある。 本作に歴史的な意味合いがあることは認めるし、勉強にもなる作品でもある。映画、殊に邦画を語るならば、是非観ていてほしい作品ではあるのは確か。 ただ、その前提に立ったとしても、観るには結構きつい作品でもある。 まず、物語がどうにもすっきりしないのが一つの問題。できるだけ一人の人間を客観的に観ようとしているとは思うのだが、演出がおかしくて、客観的に見えない。本作の脚本書いたのは新藤兼人だそうだが、この人はとにかく人の描き方が極端で戯画化されたものばかり。それを実在の人物に当てはめるもんだから、田中絹代が観た目通りの(?)エキセントリックな人間としか描かれてなかった。温かい心情を排することによって、一側面だけがクローズアップされ、観ていていたたまれず。それにあのラストはなんだ?唖然としたよ。 それと、やっぱりキャストがなあ。同じく大女優として吉永小百合を持ってきたのだろうが、そもそもこの二人は全く演技の質が違う。情熱的直情的な田中絹代を、清楚さを求められる吉永小百合に演らせるのには無理があった。そもそも中心がおかしいのだから、彼女を取り巻く男優陣も浮いてしまった。 野心的な作品であることは認めるが、いかんせんいろいろなところで駄目。 |
竹取物語 1987 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
1987日本アカデミー新人俳優賞(小高恵美) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||
竹取の翁が竹林で光る竹を見付け、そこから女の子が産まれてきた。ご存じ「竹取物語」を新解釈で映像化する。かぐや姫の正体は一体何だったのか。そして彼女の恋の行方は… 1987年邦画興行成績2位。 この作品を何と称すればいいのだろう。音楽は最高だったし、SFチックな造形も決して悪くない。沢口靖子も可愛かったし、キャスティングも豪華。ラストの展開もまあ良いだろう。 褒められるところは多いのだが、それらを全部合わせると、どうしてこの程度の作品になってしまうのか。かえってそれが不思議なくらいである。本当にどうってことない作品なんだよな。歌だけは突出して良かったのだが、それだって日本で作っておいてあれじゃあねえ。これがあの市川崑作品だと言うことに絶望を覚える。 そう言えば当時これを観て、「もう邦画は立ち直れないかもしれないな」と思ったものだ。この程度のものしか作れない監督ばかりか!(最近の邦画、質が高くなって嬉しい)。 |
ビルマの竪琴 1985 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1985年邦画興行成績1位。市川監督によるセルフリメイク作。市川監督の妻で名脚本家和田夏十に捧げるのが目的だった。テレビCMの宣伝活動に加え、センチメンタルな反戦映画として受ける。配給収入も29億5000万円の大ヒット。市川作品の中での最大のヒットとなった。 |
おはん 1984 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1984日本アカデミー主演女優賞(吉永小百合) 1984キネマ旬報日本映画第6位 1984毎日映画コンクール日本映画優秀賞、女優主演賞(吉永小百合)、美術賞 1984報知映画主演女優賞(吉永小百合) |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
古物商の幸吉(石坂浩二)は、勝手気ままな商売ばかりで妻のおはん(吉永小百合)に迷惑かけっぱなし。更に女好きで、芸者おかよ(大原麗子)と昵懇になってしまい、ついにおかよの住む芸者家に転がり込んでしまった。身を引いたおはんは7年もの間実家で暮らすのだが、その間に幸吉との間にできた一粒種の悟を立派に育て上げていた。悟の存在を知った幸吉は、やがておはんの家に通うようになっていく。 宇野千代の同名小説の映画化。市川崑監督の肝いりで、制作・脚本も自ら手がけている。 内容としてはいかにも溝口健二好みの作品を新解釈で市川監督が仕上げたが、流石にこういうドロドロした作品はちょっと手に余ったか、妙にちぐはぐな感じの作品になってしまった。どろどろのド演歌の世界だからこそ、市川監督にはすっきり演出してほしかった所だが、逆にそのキレが変な風に活きてしまったため、非常にバランスが悪い。 それに内容的にもかなり退屈。とにかくおはんという存在が歯がゆすぎて仕方なし。 それに、1980年代はポストモダン華やかかりし時代。そんな時に大作映画はまるで1960年代から引っ張ってきたかのようなものばかりで、いかにも「これこそが日本文芸だ!」みたいな出され方をすると、凄く鼻につく。 とにかくこれ観れば、当時の日本映画の衰退ぶりがよく分かる。 |
細雪 1983 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1983日本アカデミー新人俳優賞(仙道敦子) 1983毎日映画コンクール日本映画優秀賞、美術賞 1983報知映画助演男優賞(伊丹十三) 1983ヨコハマ映画祭助演男優賞(伊丹十三)、第8位 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1938'7'5の神戸大水害をベースにする。 日本の美を強く意識する。 |
古都 1980 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
病院坂の首縊りの家 1979 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アメリカに旅立つためパスポートの写真を撮影にいった金田一耕助(石坂浩二)は写真館の主人からおかしな頼みを受ける。主人に従って“病院坂の首縊りの家”と呼ばれた法眼家の廃屋へと足を踏み入れたところ、そこで風鈴に見立てられた生首を発見するのだ。調査を始めた耕助は法眼家にまつわる忌まわしい過去に直面することになる…。 これまで多くの横溝作品は映画化されてるが、本作の映画化はこれのみ。市川&石坂コンビの最後の作品で、推理作家役で横溝正史自身も出演してる。 小説の方も作品としてはまあまあだったけど、映画もそれなりの作品に留まった感じ。元々が小品と言った感じの作品だが、それを長々とやってしまったためか、なんだか物語がだらだらしてるし、意味のないヌードシーンとかもやかましい。それに人間関係がグチャグチャしすぎ。小品。 それでも出てるキャラクターは良いんだよね。桜田淳子の演技や草刈正雄の格好良さなど、画面映えする要素はたくさんある。ああ、そう。市川版の売りでもある加藤武の警部役は今回も冴えまくってるね。この人は市川崑の創作だそうだが、設定上同じ人物ではないそうだ。だから毎回金田一と初対面と言うことらしい。 |
女王蜂 1978 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
伊豆天城の旧家、大道寺家の娘智子(中井貴恵)に近づく男が次々と殺されるという事件が発生する。事件に巻き込まれる形となった金田一耕助(石坂浩二)は、19年前に起こった事件との関わりを推測するが… 快調に飛ばす市川版角川金田一第4作。 私が小学校の時、テレビでCMが流れ、なんか凄く怖かった記憶があるんだが、実際に後になって観てみると、「怖い」というより、なんか定式に則った金田一シリーズだなあ。と言う感じ。このシリーズの特徴で、画面はさすがに綺麗なんだが、物語はなんかたるい感じ。 本作の致命的なところは、ヒロインを中井貴恵にしたところ。どうにも彼女を巡ってこんなに人殺しが起こることが理解できない。もう少しキャラを考えて欲しいね。沖雅也はなかなかおいしい役だったけどね(原作だともうちょっと男臭いんだけど、映画だと良い具合にさわやかさと獣っぽさが現れてた)。 本シリーズは全部市川組のオールキャストで作られているので、キャラの配置を見てみると面白い。 |
火の鳥 1978 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
獄門島 1977 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
終戦直後の引き上げ船で「俺が島に戻らなければ妹たちが殺される!」と言い残して死んだ鬼頭千万太の遺書を預かった金田一は、その戦友に代わって獄門島と呼ばれる島を訪れるが、千万太の言い残したように次々と奇怪な殺人事件が起こる。これがハイクに見立てたものである事を看過する金田一だったが… 横溝正史の同名小説の映画化作品で、これまで同様市川崑監督が製作と監督を兼ねている。 この作品の最大の特徴は、原作と犯人が違っているという衝撃の事実である。直前にテレビシリーズもあり、犯人が分かっている人が多いための配慮らしいけど、そのお陰でプロットがゴチャゴチャになってたし、源作の良さがちょっと駄目にされてしまった感がある。 まあ、確かに画面の美しさ、役者達の狂気の演技など、見るべき点は多いんだけどねえ。やっぱり物語上の無理がどうしても見え隠れしてしまって… 確かに原作と映画の違いを出そうとして犯人を変えているとか、ラストを変えるとかしてる映画は結構あるんだけど、その全ては駄作になっている。本作もその例に漏れずってところか。 でもこの作品、一つ重要なシーンが存在する。他でもなく、崖の上に釣り鐘がぽつんと置いてある。いかにも間に合わせの安普請かも知れないけど、実はこのシーンは、後のテレビのサスペンスで嫌と言うほど繰り返されたモティーフとなっている。 |
悪魔の手毬唄 1977 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1977キネマ旬報日本映画第6位 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
古い因習がいまも力を持つ鬼首村(オニコベムラ)で、殺人予告状が舞い込み、それを解決するよう依頼された金田一耕助が村へやってくる。やがて、事件の背後に村を二分する二大勢力、由良家と仁礼家の存在が浮かび上がってくる。真犯人を見つけ出すため、失われた手毬唄の秘密を追う金田一だが… 一応これは角川映画とされているが、実質的には東宝が製作し、後の市川&石坂コンビ作品は角川との提携で東宝が製作。という形を取るようになった。 さすが市川崑監督だけあり、そつない作りの作品に仕上がっている。実際に原作の持つおどろおどろしさが映像美と相まってほど良い具合の仕上がり具合を見せているし、登場するキャラも個性が良く出ていた。 石坂浩二の金田一は一番はまっていると言われるが、それも納得。茫洋として小汚い金田一耕助は、やっぱりこれだね。あと、若山富三郎の磯川警部のはまり具合がとても素晴らしい。ここでは磯川警部が旅館の女将に寄せる恋慕の情がちゃんと描かれていて、これも又良し。 ただ、原作の緻密なプロットやラストの展開などがごっそりと抜けているのが残念。いくつも問題はあるぞ。そもそも推理小説を映画化するのは、とても簡単な一方、それを「良作」とするにはかなり難しい。小説と違って途中で観るのを止める訳にはいかないし、否応なしに物語が迫ってきて、謎解きの醍醐味がなく、ただ観ているだけになってしまう。 それをカバーするために、市川監督は映像の良さを選んだのだろうけど… 物語そのものに唸らせるものがなく、淡々と流れるだけ。結局それが当時の邦画の特質なんだろうな。映画的には決してそれが悪いと言うつもりはないけど、私はあんまり好きになれないな。 |
犬神家の一族 1976 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1976ブルーリボン助演女優賞(高峰三枝子) 1976キネマ旬報日本映画第5位 1976毎日映画コンクール撮影賞、録音賞、音楽賞、日本映画ファン賞 1976報知映画作品賞 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
信州。日本有数の財閥犬神家の当主佐兵衛が亡くなった。莫大な遺産は彼の三人の腹違いの娘に残されることになったのだが、佐兵衛は奇妙な遺言を遺していた。実は佐兵衛にはこの地に大恩人であるる野々宮大式という人物がおり、その孫娘である珠世に自分の孫の誰かを結婚させて、その人物に家宝の三種の神器を含む財産全て譲るとしたのだ。この遺言に不穏なものを感じた弁護士の若林は東京の私立探偵金田一耕助(石坂浩二)を呼び寄せるのだが、その若林自身を皮切りに、不可解な猟奇事件が起こっていく。犬神家の家宝「斧(よき)、琴、菊」(よきこと聞く)に合わせるように、琴糸で殺されたり、菊人形の上に生首を乗せられたり… 角川書店の映画進出第一作。監督に実力派の市川崑を配し、おどろおどろしくも美しい猟奇事件を演出することによって大ヒットし、1976年邦画興行成績も2位と大健闘。 元々が映画畑ではない出版業者が初めて映画製作に乗り出したという邦画の一大トピックだったが、野心家として知られた当時の角川春樹社長の狙いは見事に的中。映画単体の興行収入のみならず、原作本はベストセラーとなり、日本の文壇にも一大推理小説ブームを巻き起こす事に成功した。日本におけるメディアミックスの第一作とも言えよう。 この考え自体は実は数年前からアメリカで起こっていたムーブメントで、大ヒットした『ある愛の詩』(1970)で原作本までもが売れ、その後『ゴッド・ファーザー』(1972)でのギャング小説ブームがあったという事実を鑑みて、メディアミックス戦略として映画進出を考えたと思われる(ただ、この強引な抱き合わせは邦画の衰退にもつながったのだが、それは他のところで)。 実際、日本のメディアミックス第一作というだけでなく、この映画は後の日本の文化に多くの影響も与えている。文壇の推理小説ブームはやがてテレビにも進出。現在に至るも数多くのサスペンスドラマが作られ続けているし、映画においても「斧(よき)、琴、菊」(よきこと聞く)に表される見立て殺人は今や当たり前になり、更にあの印象的な“逆さV字開脚”佐清の死に様(これも見立て殺人で、スケキヨの下半身を逆さにしたことで斧(よき)を示す)は、一体どれだけパクられたか分からないほど。日本映画界にどれだけ本作が貢献したかを考えるだけで、本作は高く評価されて然りだ。 勿論それだけ本作の演出が素晴らしかったと言うことに他ならない。一見B級作品をここまでの作品に仕上げたのは市川崑監督の実力だし、謎解きそのものよりも雰囲気を作ることに徹底したお陰と言えるだろう。 終戦直後の雰囲気。猟奇的な、しかし妙に官能的な見立て方。佐清の不気味さと彼を中心とする事件の展開方法。全てがはまり、後に何作も作られることになる市川版(石坂版)金田一作品の中でも突出した演出力を誇っている。市川作品らしいカットバックを多用した画面構成。大野雄二の音楽。見事にぴたりとはまってる。 そしてその演出を見事に演じて見せたキャスティングの巧さ。なんだかんだ言っても金田一。と言われると他の誰を差し置いて石坂浩二の顔が浮かぶし、それと真っ向組み合う形となった犬神松子役の高峰三枝子の名演ぶり。結局彼女が全ての殺人事件をかぶることになるのだが、それに至るまでの頑なな表情と、全ての謎が明らかになった時に、崩れ落ちる表情のギャップ(なんだかんだ言っても、サスペンスドラマが今ももてはやされているのは、犯人役の顔が変わる瞬間を楽しみにしてるからなんじゃないかな?)は素晴らしいし、全身返り血だらけで仁王立ちになるシーンなどは、一世一代の名演とも見える(特にこのシーンは素晴らしく、顔全体にべったりと血糊を付けながら、全く表情を変えず睨み付けるのは並のホラーよりも怖く、そして綺麗だ)。他にも佐清と青沼静馬を演じ分けたあおい輝彦の不気味さも好青年ぶりのギャップや、高峰の妹役三条美紀や草笛光子の屈折したコンプレックスぶり、ちょい役でさえ手を抜かない演技ぶりなど、語るべき部分はいくらでもある。 あまりにも画面が素晴らしすぎて、物語が少々置いてけぼりになっているきらいはあるものの、邦画が誇る第一級作品であることは間違いなし。 本作により、市川監督と石坂浩二の金田一役ははまり、以降角川はこの二人を中心としてシリーズ化していくことになる。 |
吾輩は猫である 1975 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
股旅 1973 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ATG作品。やくざが決して格好良い存在ではないことをリアルに描く。脚本に谷川俊太郎が参加 アンチ・ヒーローとしての渡世人を青春群像劇として描く |
愛ふたたび 1971 | |||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||
日本と日本人 1970 | |||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||
トッポ・ジージョのボタン戦争 1967 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||
東京オリンピック 1965 | |||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||
東京オリンピック | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1965英アカデミードキュメンタリー賞、国連賞 1965カンヌ国際映画祭国際批評家賞、青少年向最優秀映画賞 1965キネマ旬報日本映画第2位 1965毎日映画コンクール音楽賞、録音賞、特別賞(市川崑) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1964年。日本の復興を印象づけ、高度成長時代の象徴ともなった東京オリンピックが開催された。その日本で行われた印象深いオリンピックの出来事を綴ったドキュメンタリー。スタッフだけで556人。内、カメラマンが164人、録音技師が57人。130台ものカメラが用いられた。ただし、本作は最初から芸術性を高めるように作られたため、ドキュメンタリーとしては異色で、いくつかの嘘も入っている。そのため「記録か芸術か」という議論にもなった。 19世紀にクーベルタン男爵によって復活された近代オリンピックは、その始まりから国威誇示の為に行われてきた(第1回は起源であるギリシアで行われたから別にしても)。オリンピックを招致する事は、それだけ国が世界的に認められてきたという事を示すものとして捉えられていたわけだ。 その意味において、日本でオリンピックが開催されたと言うことは、敗戦国である日本がいよいよ世界にきちんとした国として認められた事をはっきりと示す出来事。それだけに力がこもってる。 オリンピックを単なるスポーツの祭典としてではなく、国威を印象づけるために映画が作られることは、既に一度1936年のベルリンオリンピックで行われている。この時は当時の首相ヒトラーの肝いりで、ナチス子飼いと言われたリーフェンシュタール監督によって『オリンピア』という名前で公開(現在手に入れられるソフトとしては『民族の祭典』と『美の祭典』という二巻ものとなってる)。 映画史に残る名作として知られる『オリンピア』は単なる記録ではなく、スポーツを演出として捉え、選手の躍動美を中心に描いたものであり、見事なモンタージュ作品として仕上げられていた。 その影響もあったのだろう。本作も又、モンタージュ理論を駆使して作られているが、本作の場合は肉体美と言うよりも、むしろ選手の内面である精神面の方を映像で描こうという試みに思える。 オープニングから、日本の復興を印象づける工事から始まり、競技も勝ち負けよりも選手の表情や、肉体を使った喜びや悲しみの方を印象づけるように作られてる。素材がきちんとしているのならば、その組み合わせでここまでのものが作れる事を示し、モンタージュを駆使することで、映像はそれだけで心まで表現できることを見事に証明した作品でもある。 精神を描き出そうという本作の試みは、当時のオリンピック担当大臣の河野一郎からは「これは記録映画ではない」と不満が出たものの、海外でも評価が高く、オリンピックを撮影した映画の中でも最高作と言われている。 改めて思うのは、スポーツというのは何も結果を見るだけでは終わらない。勝ち負けの喜怒哀楽も含め、戦っている人間の姿を観る事が楽しいのだな。その事をよく分かっているからこそ、本作では競技そのものよりも人間の表情をよく映し出している。 『オリンピア』、本作、そして実際の今のオリンピックを観るにつけ、スポーツというのはどんどん進化していったことも思わせられるものである。特に走り高跳びは随分変わってきてる。『オリンピア』の時はヒッチキックと呼ばれる脚でバーを踏み越える方法、本作ではベリーロールと呼ばれる正面からのジャンプ。現在は背面跳びばかり。着地のマットも進化しているから、着地の危険を考えずに済むようになってきているのだな。 監督は当初黒澤明の予定だったが、予算で折り合わずに、何人かの監督と交渉の後、市川に決まる 話題性のお陰で大ヒットを記録。累計国内で2000万人が観たという。主にこれは映画教室のお陰。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ど根性物語 銭の踊り | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
雪之丞変化 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1963毎日映画コンクール美術賞(西岡善信) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
江戸に公演にやってきた上方の女形役者、雪之丞(長谷川一夫)は、かつて商売敵たちのために首を吊った父の仇を討つべく、敵である土部三斎(中村鴈治郎)や広海屋(柳永二郎)に近付く。そうとは知らず雪之丞に惚れてしまった三斎の娘・浪路(若尾文子)と、そんな彼女を利用しようとする雪之丞が逢い引きを重ねるうち、江戸の盗賊頭・闇太郎(長谷川一夫、二役)と、女盗賊のお初(山本富士子)は、雪之丞に興味を抱く… 市川雷蔵を向こうに回し、啖呵を切る長谷川一夫。二役が見事にはまってるね。雪之丞役は本当に女形かと思ってしまうほどのはまりっぷりだった。本当に華のある役者さんだと思う。ただ、こればっかりは仕方ないとは言え、やっぱり年齢がなあ(当時55歳だそうだ)。 後この映画は“闇”の使い方が上手いという事が挙げられるだろう。それが長谷川一夫の艶っぽさを増している部分があるんだけど、容姿の衰えをカバーしてる部分もある事は確かだ。ただ、それが上手くはまっていて、闇の中に白づくりの長谷川一夫が立ち、ぴたりと決めたポーズで殺陣を行う。ここはとても綺麗。歌舞伎っぽさと映像の融合は成功だと思う。 本作を監督した市川崑は既に内外に認められる一流監督であったが、この前に監督した『破戒』が興行的失敗に終わったことで、会社側から娯楽作を作るように命じられての制作だったとか。だから企画も兼任。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
太平洋ひとりぼっち | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1963キネマ旬報日本映画第4位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1962年に一人で小型ヨットに乗り94日かけて日本からアメリカまで太平洋横断を成し遂げた、堀江謙一の同名体験記をもとにした作品。 堀江謙一の手記が出てからあっという間に映画化が決定したことから、どれだけこれが日本中でニュースになったのかがうかがえるが、石原裕次郎主演作品の中では実はこれが一番好き。他の作品だとどうにもスーパーマンになってしまい、どれを見ても印象的には似たものになるんだけど、これは実在の人物の事だから、一個の人間としてのリアリティを感じさせてくれる。 堀江謙一の原作は小学校の頃の愛読書の一つだった(時効だから言うけど、町の図書館で名前を書かずに「太平洋ひとりぼっち」と「世界一周ひとりぼっち」を借りっぱなしにしたのは私です)。それが単純ながら理由としては大きいな。 冒険心に富んだ、それで等身大の人間が行った太平洋横断という快挙は子供心に色々夢を与えてくれたものだ…冒険とはほど遠い大人になってしまったのがちょっと悲しいな? 今ではさほど珍しくなくなった太平洋横断という行為も、やはり最初の人物というのは色々苦労するものだ。形の上ではこれは日本からの密出国及びアメリカへの密入国になるわけだし、勿論許可も取ってない。だから日本では会場警察に捕まらないよう、慎重に事を運ぶ必要があったのに、大凪の為ヨットが全然動かなかったりとか、途中で飲料水が駄目になってしまったりとか、アメリカに着いてからのことも考えてなかったとか、映画を観ていたら当時の本の活字や挿絵まで思い出されてきた(後の著者の作品「世界一周ひとりぼっち」とこんがらがってる部分もあるけど)。 映画では苦労話だけでなく、タイミング良く家族との葛藤の話や、夢の話なんかも挿入したりして、たった一人の航海なのに、ちゃんとドラマとして作られていたのもポイントとして高い。 そう言えばビールで米を炊く話は覚えていたけど、バターと粉末牛乳と角砂糖でクリームを作った話は覚えてなかったなあ。試したことはないんだけど(試したいとは現時点では思わないけど)、おいしいんだろうか? 尚、本作は石原雄二路が石原裕次郎独立の記念作品だが、本作の台風のシーンが円谷プロの立ち上げの最初の仕事だったでもある(まだ東宝に義理のあった円谷自身は面だって参加はせず、若手の訓練にさせたとのことだが、実際には結構手が入ってるそうだ)。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
私は二歳 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1962ブルーリボン監督賞 1962キネマ旬報日本映画第1位、日本映画監督賞 1962毎日映画コンクール監督賞、脚本賞 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
破戒 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
黒い十人の女 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1961キネマ旬報日本映画第10位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
テレピプロデューサーの風松吉(船越英二)は双葉(山本富士子)と結婚はしているが、プレイボーイの上に職業柄、彼に身を寄せる女性は後を絶たず、彼に未練を持っている女性も数多くいた。その中でも芸の行きづまりを感じている女優の石ノ下市子(岸恵子)は他の風と関係を持った女達と合うたびに「風を誰か殺してくれないかしら」とばかり言っていた。そんな話を耳にした風本人は、十人の女が自分を謀殺しようとしていると思い込む。そして風は双葉と語らって、これを一挙に打開する策を練るのだが… 本作は一種のブラック・ユーモアなんだが、時代というものを良く捉えており、しかもそれぞれのキャラの魅力を見事に引き出している作品だ。監督の美術性というものは、やはり人を捉えるところにあったのだと再認識させられる。色男故の悩みに捕らわれる船越英二の描写も良いが、静かに静かに、しかし徐々に徐々に狂気の度を増していく岸恵子や山本富士子の描写は見事と言うしかない。 終戦から15年。日本は他のどの国よりも先行してテレビメディアの与える役割が強くなっていった時代であり、そのメディアに男も女も踊らされ始めていることがここからも伝わってくる。ここに表される男の象徴はマッチョや厳格さではなく、神経質な美形で、権力よりもメディアに対する影響力の方が重視されつつある。それは今も同じようなもんだが、この時代にそれをちゃんと見越した演出は卓見。 一方、ストーリーはまるで冗談みたいな話が元で、それで本当に人死にが出てしまうと言う展開は、一種ぞっとするものを含んでいる。ただ実際人間関係のもつれなんてのは、端から見てる分には冗談にしか思えないことが多く、その皮肉として考えると、なかなか深いものも感じられる。 更にメディアに毒されているというのは、全てが虚構の中にあるかのように考えてしまうこの登場人物の行動にも表れている。恋愛も虚構から始まり、死も又虚構。しかし、男女間の愛情は虚構では終わることがないし、死は不可逆。虚構から始まった物語は、最後に重い事実のみを残していくことになる。そもそも虚構である映画だからこそ、それが映えていく。 後味は決して良くはないが、色々考えさせられるし、何より今だからこそ分かる時代性を先取りした設定が見事だ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
おとうと | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1960ブルーリボン作品賞、主演女優賞(岸恵子)、監督賞(市川崑)、撮影賞 1960キネマ旬報日本映画第1位 1960毎日映画コンクール作品賞、監督賞女優主演賞(岸恵子)、男優助演賞(森雅之)、女優助演賞(田中絹代)、撮影賞、美術賞 1961カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会賞(市川崑)、パルム・ドール |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3つ違いの姉弟げん(岸恵子)と碧郎(川口浩)は複雑な家庭環境の中、まるで寄り添うように生きていた。病弱な母の代わり、甲斐甲斐しく碧郎の面倒を看るげんだったが、反抗期を迎えた碧郎はことごとくげんに反抗するようになる。悪い友達とつきあうようになり、警察にまで目を付けられるようになった碧郎を必死にかばうげんだったが、不健康な生活を続けていた碧郎が結核にやられてしまう… 幸田文の代表作を市川崑監督が入魂の映画化。当時大映にいた監督は水木洋子の脚本に惚れ込み、絶対自分が映画化したいために大映に脚本を買わせたそうだ。 原作の方は既に読んでいた。確かに良い作品だとは思うのだが、そのあまりの暗さにかなりげんなりした気分にさせられていた。 あの作品の映画化というと、どう見積もっても気分が浮き立つような作品にはならないはず。それは最初から分かっていたのだが、映画の出来は私の予想を超えていた。 本作が「原作に対する最高の批評」と呼ばれるのは伊達じゃない。映画としての完成度はもの凄く高かった。 …だけど、完成度が高いからこそ、その暗さは半端なものじゃなく、観ていることそのものがきつくなった。もう観てるだけで痛々しくていたたまれない気分(それも狙いか?)。 市川作品の初期には必ず登場していた、これも名脚本家である和田夏十(監督の妻でもある)、は本作ではクレジットされていないが、4時間近くあった脚本を再構成したのが和田だという(ラストの名場面とされるロング・ショットも和田のアイディア)。全くすさまじい脚本だった。 この作品はストーリーだけでなく、映像美としても語ることができる。名カメラマン宮川一夫の実力を遺憾なく発揮している。まるで白黒映画のような雰囲気は、フィルムに特殊効果をかけて、色調を落として全体をくすんだ雰囲気に作り上げる。これは協力を得て編み出した“銀残し”と呼ばれる独特の手法を用いたお陰。 映画単体として考えるなら、これは最高級の作品。ただし、私自身の何かがこの作品を拒否する。レビュー書くも複雑な心境だよ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ぼんち | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1960ブルーリボン助演女優賞(中村玉緒) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
船場で四代続いた足袋問屋の一人息子喜久治は家の中では絶対的な権力を持つ祖母きのと母勢以の指図で嫁を取らされては離縁を迫られることを繰り返させられていた。それに従うことの窮屈さの鬱憤を晴らすように花街で浮名を流すものの、そこにも祖母と母の力が及ぶようになり… 大阪を舞台に老舗暖簾の愛憎劇を描いた山崎豊子の同名小説の映画化。 題名の「ぼんち」とは、今はもう死語となっているらしいが、関西弁で「若旦那」とか言う意味らしい。関東圏でもそういうのを「ぼんぼん」と呼ぶことがあるが、本作では喜久治の父の遺言で「ぼんぼんになったらあかん、ぼんちになりや。男に騙されても女に騙されてはあかん」とあるように、「ぼんぼん」と「ぼんち」ははっきりと区切られており、その「ぼんち」になろうと志しながら、結局「ぼんぼん」で終わってしまう男をペーソス溢れる物語に仕上げている。 監督の市川崑は年代によって随分作風も変化していくのだが、1950年代から60年代初めあたりは、「何者かになろうとするが何者にもなれない男」と言うのがテーマっぽい。脚本の和田夏十の功績も大きいが、その出来は素晴らしいものばかり。 本作に関しても、とりたてて大きな事件が起きるわけではないが、老舗のお坊っちゃんとして生まれた男が味わう挫折や、それでもフワフワと生きて何度も同じ間違いを繰り返していく微妙な男の生きざまを、突き離したようで暖かく見守るようなタッチが絶妙。 ただなんというか、この物語、当時よりも1990年代あたりの日本の方が身近に感じるものなのかもしれない。 これといってしたいこともないが、食うには困らない。家族から監視され続けているような生活ながら、息抜きが出来る場所はいくらでもある。ぐうたらな人間から見れば、羨ましいばかりの生活だが、これって、デフレ時代の日本人のかなりのパーセントが味わっていたような生活でもある…と言うか、フリーター時代の私自身って、まさしくこんなような立場だった。だからこそなのかもしれないけど、ここで主人公の感じている苛立ちや、葛藤といったものもダイレクトに感じられてしまい、妙に心に迫ったものだ。フワフワした生活をしながら、「俺は何かになれる」。でも「何になるか全く分からない」と心のなかで堂々巡りをし続けていた頃の自分のことを思い出させてくれて、ちょっと胸が痛くなる。 そんな痛みを与えてくれるような物語を見せてくれる本作は、結構私にとっては大切な一本でもある。 『炎上』に続いての主演となった市川雷蔵も不思議なはまり具合を見せている。この人は目立つ役をやらせればとことん目立つ役をやれるのに、目立たない役を演らせたら、しっかりそれに準じた役作りが出来る。とても器用な役者で、まさに本作にはうってつけだったと思う。 しかし、ここまで色々書いたけど、本作の一番の見所はヴェテラン女性陣の演技を堪能できるってことに尽きてしまう。そこに戦後の大スター市川雷蔵が絡むのだから、贅沢すぎる作品でもある。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
野火 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1959ブルーリボン監督賞、撮影賞 1959キネマ旬報日本映画第2位 1959毎日映画コンクール男優主演賞(船越英二) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
炎上 1958 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1958ブルーリボン主演男優賞(市川雷蔵)、助演男優賞(中村鴈治郎)、撮影賞 1958キネマ旬報日本映画第4位 1958毎日映画コンクール助演男優賞(中村鴈治郎) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
地方の寺の住職であった父から口癖のように、「この世で最も美しいものは驟閣である」と教えこまれて成長した溝口吾市(市川雷蔵)は、父の遺書を携えて京都の驟閣寺を訪れた。父の親友でこの寺の住職である田山道詮の好意で徒弟として住むことになった。吃音癖がある吾市だが、父の愛した驟閣寺で働けることを喜び、寺の仕事も真面目に行い、学校でも優等生を通していた。やがて長く続いた戦争が終わり、驟閣寺は観光名所となり進駐軍の将兵を始め観光客が押しよせるようになった。ある日、米兵と訪れ、ふざけて境内に上がった女に我慢ならなかった吾市は女を引きずり下ろすが、それが寺の賠償問題へと発展してしまう。正義を行ったはずなのに、逆に皆に恨まれるようになった吾市だが… 国宝である金閣寺に放火した実在の青年のことを三島由紀夫が「金閣寺」と言う題で小説化。その映画化作品。そのままの題は使えなかったらしく、映画の題は『炎上』となり、寺の名前も驟閣寺になっている。市川雷蔵の初の現代劇でもある。 本作は元の小説自体が凄まじかった。宗教的に言って、こういう強い思いこみを持った人間こそが、新しい宗教を作ったり、その宗教を栄えさせる事が出来るんだろうけど、そのゆがみっぷりが堂に入ってる。坊さんが陥る一種のフェティシズムで、現代で言えばストーカーのようなものだと思えるが、それを描けたのも三島だからこそだった。三島の書く作品にはフェティの描写が多いけど、これはその極めつけだ。 エリートと呼ばれる人間ほど挫折には弱いと言うが、それは外面から見ているだけのことであり、そのような人間の内面の葛藤がどれほど重いのかを考える必要がある。彼の思いとは、自分にとって最も高貴なもの、美しいものを道連れにしなければならないものだったのだから。まさにこれは三島由紀夫という人物の内面描写に他ならない。 これほど精神に入り込むような主人公役を市川雷蔵という稀代の名優に設定することで、一種奇怪じみた凄まじい作品に仕上がった。市川雷蔵という人物の役者魂がここからはっきりと伝わってくる。 市川は普段は全然目立たない人だったという。スターであるにも拘わらず、人混みに紛れてしまうと、全然所在が分からなくなると言うほど、実生活は地味だったそうだが、ひとたびカメラの前に立つと、信じられないオーラを漂わせる人物だったそうだ。そんな彼が望んで主役になったと言うだけに、この作品の力の入れ方は半端なものじゃなかったようだ。本作はその市川雷蔵と言う人物の両面性を巧く引き出していた。実際、最初の内はとてもこれが後で眠狂四郎になるなど、知っていてさえ違和感を覚えるほどだったのに、後半になって狂気じみてくれば来るほど、ゾクゾクするほどの存在感へと変わっていく。改めて考えてみると、やっぱり凄いキャラクターだったんだなあ、としみじみ。 人前で巧く喋れないが故に、人前で話すことを極端に恐れ、自分に自信が持てない吾市。だが、驟閣寺に対する想いはあまりにも深く、それが妄執となってしまっている。更にかつて自分と父を裏切った母がそこに絡んでくる。行き場のない思いが充満していく…非常に抑え気味の表情であるにもかかわらず、それをしっかり描写出来たのは、市川崑監督の力量を改めて感じさせられる。監督の力量とキャラクターのパワーが見事に合致した作品だと言えよう。 ただ正直、本作はもう観たいと思わない。マジで精神まで持って行かれそうになった。精神状態が安定してない時にこれ観てたら、本当にやばかったと思う。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
東北の神武たち | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
穴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
満員電車 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大学を卒業した茂呂井民雄(川口浩)は大手ビール会社である駱駝麦酒株式会社に就職した。「日本には我々が希望をもって坐れる席は空いてない。訳もなくはりきらなくては」という持論から、何事にも張り切って仕事をしようとするが、会社の歯車は否応なしに彼を消耗させていく。更に故郷の父(笠智衆)から母の乙女(杉村春子)が発狂したとの知らせを受ける… 所得倍増計画により、右肩上がりの成長を見せる時代の日本を皮肉とペーソスをたっぷりと入れて描いたシュールなコメディ。 市川崑は日本を代表する映画監督の一人だが、彼のフィルモグラフィを眺めていると、いくつかの区分に分けられると思う。その中でも脂が乗り切る前(要は「巨匠」と呼ばれる前の時代)、パートナーの和田夏十と組んで作られたこの頃の作品は、実験精神にあふれ、とても面白いのが揃ってる。 この頃は市川監督もいろいろチャレンジをしていたが、その中で作られた本作は前衛劇調を取り入れつつ、その時代の人間の精神の荒廃を鋭く突いており、社会風刺としてもきちんと機能した良作に仕上がっている。 前衛的で社会風刺が利きすぎているため、テーマに中心を置きにくい作品ではあるが、誤解を恐れずに言えば、本作のテーマは人と人とのつながりと言うことになるだろうか。人間が本来持つべきの親子の情愛、男女の性愛、男同士の友愛。そんなものが社会の歯車によって壊されていき、一見まともに見えていても、深いところで徐々に壊れていく。現代社会はそんなところだ。と言う部分と、壊れた人間に再生はあり得るのか?というポジティヴな側面を持ち、当時の日本社会を端的に示した感じだろう。 同じ市川監督の『おとうと』もそうだが、こう言う役柄に川口浩は適役で、若者の持つ不遜さと不安定さ、情けなさもしっかり演じきっていた。脇を固める笠智衆、杉村春子といったヴェテラン陣のはまりもよく、単純な前衛劇になってないのも良い。 …まあ、少なくとも、そう言った社会の歯車になろうと思ってもなれなかった人間にとっては、コメディというよりも恐ろしいリアリティを持って迫ってくる作品ではある…少なくとも、胃を壊しかけ、どんなに給料がよくてもこんなところで働いたら早死にしてしまう。と、全く違う職種に転職した人間の目からしたら…今だって歯車には違いないけど、それを納得してやってるから。 そんな意味で、これを早い時期に観なくてよかったと胸をなでおろしている自分がここにいる。 ちなみに本作の助監督として増村保造が入っている。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ビルマの竪琴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1956米アカデミー外国語映画賞 1956ヴェネツィア国際映画祭サン・ジョルジョ賞(市川崑) |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1945年夏。泥沼のビルマ戦線において、損害の軽微な一小隊があった。柔軟な発想を持つ隊長井上(三國蓮太郎)は、竪琴の名手水島上等兵(安井昌二)に現地人の格好をさせ、竪琴をかき鳴らせつつ、現地人を安心させると共に退却路を確保していたのだ。更に崩れ落ちそうな士気を歌でとりまとめ、結果的にほとんど人的損害なしに行軍することが出来たのだった。やがて、小隊はタイ国境の近くで終戦を知り、武装解除を受ける。収容所送りになった井上小隊だが、一人水島だけは行方不明となってしまうのだが… 竹山道雄原作の同名小説の映画化。竹山道雄本人はドイツ文学者で(日本におけるドイツ文学研究には欠かせない人物だった)、実際には戦争には行っておらず、小説自体はむしろファンタジーの類に近いのだが、完成度は大変高いため、児童文学にカテゴライズされることもある。私も子供の頃に子供用に書かれた薄い本を読んだ記憶がうっすらとあるが、大人になって読み返しても、やっぱり面白かった。むしろ戦争を殊更に悲惨に描くのではなく、こんな一面もあったかもしれないじゃないか。という発想は、今観ても充分新鮮さを保っている。 流石にビジュアル的シーンの多い映画だと、叙情的な部分はややなりを潜めているが、悲惨さを強調することによって、逆にその牧歌的な意味合いと水島上等兵の決意の程が対比的に描かれることになり、原作とは違った味わいで楽しめる。この当時の市川監督はこういう挑戦的な作風でもきちんとしたのが作れたのが凄いと改めて思わされる出来となっていた。 下手に安易な戦争否定に走ることなく、あくまで人間的な感情の変化と、仲間意識とで話をつないでいく。結局映画とは、人間を描くことこそが重要であると言うことをはっきりと主張しているのだろう。 もし強いてこの映画の平和的思想を取り出すとするならば、結局平和とは、上から与えられるものではない。相互の心遣いと個人の信頼に基づくところから始めねばならない。という事になるか? |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
こころ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
青春怪談 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
億万長者 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
小心者の税務署徴税係の館香六(木村功)は、毎日毎日足を棒にして税金滞納者の家を回るが、それぞれの家の苦労話を持ち出され、どうしても税金徴収が出来ないままでいた。そんな館を中心とした人間模様をオムニバス形式で描く作品。 のっけから「世界平和のために原爆を作りましょう」とかブラックな話題を持ち出し、なかなか味があるブラックコメディに仕上がってる。怪獣映画好きにとっては特筆すべき『ゴジラ』が生まれたこの年に、その裏では(実質的にはこちらが表か?)こんな作品も作られていたんだね。コメディの皮にくるんでいるからこそ、かえってぞっとする描写に溢れている。それに又、極端ながら当時の下町の風俗をよく表していたのも大きな特徴か?実際本当に苦しいからこそ、あの手この手で税金を逃れようとする人々が浅ましく、そしてそれが笑いとなる。 一応主人公ながら、結局狂言回しで終わってしまう木村功が良い味を出してた。嫌味な役が多い人だが、さすがにヴェテランの片鱗をここでも見せてる。 当初全然分からなかったけど、市川崑監督作品だったんだね。こういうブラックコメディも作るんだ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
わたしの凡てを | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
愛人 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
青色革命 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
天晴れ一番手柄 青春銭形平次 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
足にさわった女 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ラッキーさん | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
若い人 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ブンガワンソロ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
夜來香 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
銀座三四郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
人間模様 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
娘道成寺 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
新説カチカチ山 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||
動物村で音楽会が開かれた。大人気スターのウサギの團子之輔が舞台に上がると、大盛り上がりとなった。その時、客席にいたウサギのお嬢さんがタヌキの山賊に誘拐されてしまう。責任を感じた團子之輔は真っ先に狸を追う。そして彼に加勢するのは動物たちの他に五月人形の金太郎や桃太郎や丹下左膳だった。 市川崑が21歳の時の作品で、約7分のモノクロアニメーション作品。 後に日本映画界を牽引した重鎮の市川崑が初期の頃はアニメーションを手がけていたという事実が面白い。 アニメと言っても、紙芝居を動かした感じの作品で、紙があまり良くないのか、色々と荒さが目立つ作品だし、背景も荒いし絵も稚拙、ディズニーアニメの丸パクリっぽいところも多々ある。現代だったら著作権問題に触れてしまう描写も多々。 しかしアニメーション技術の発展というのはそう言うものである。技術、絵柄、動きすべてを手本から学び、手本を超えようとすることから始まるのだから。 まず日本でもアニメーションは作れることを内外に示すことが出来たし、発展の礎に市川崑の名前が燦然と輝いているのが素晴らしい。 いずれにせよ日本アニメ史における重要な一本だろう。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
|