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ジュディ・ガーランドの夫でライザ・ミネリの父。 | ||||||||||
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1986 | 7'25 死去 | |
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1984 | ||
1983 | ||
1982 | ||
1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | ||
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | ||
1965 | いそしぎ 監督 | |
1964 | ||
1963 | けっさくなエディ 監督 | |
1962 | 明日になれば他人 監督 | |
1961 | 黙示録の四騎士 監督 | |
1960 | ベルズ・アー・リンギング 監督 | |
1959 | 肉体の遺産 監督 | |
1958 | 走り来る人々 監督 | |
恋の手ほどき 監督 | ||
1957 | バラの肌着 監督 | |
1956 | 炎の人ゴッホ 監督 | |
お茶と同情 監督 | ||
1955 | 蜘蛛の巣 監督 | |
1954 | ブリガドーン 監督 | |
1953 | 三つの恋の物語 監督 | |
バンド・ワゴン 監督 | ||
1952 | 悪人と美女 監督 | |
1951 | 巴里のアメリカ人 監督 | |
可愛い配当 監督 | ||
1950 | 花嫁の父 監督 | |
1949 | ボヴァリー夫人 監督 | |
1948 | 踊る海賊 監督 | |
1947 | ||
1946 | ジーグフェルド・フォリーズ 監督 | |
雲流るるはてに 監督 | ||
1945 | ヨランダと泥棒 監督 | |
1944 | 若草の頃 監督 | |
1943 | キャビン イン ザ スカイ 監督 | |
1942 | ||
1941 | ||
1940 | ||
1939 | ||
1938 | ||
1937 | ||
1936 | ||
1935 | ||
1934 | ||
1933 | ||
1932 | ||
1931 | ||
1930 | ||
1929 | ||
1928 | ||
1927 | ||
1926 | ||
1925 | ||
1924 | ||
1923 | ||
1922 | ||
1921 | ||
1920 | ||
1919 | ||
1918 | ||
1917 | ||
1916 | ||
1915 | ||
1914 | ||
1913 | ||
1912 | ||
1911 | ||
1910 | ||
1909 | ||
1908 | ||
1907 | ||
1906 | ||
1905 | ||
1904 | ||
1903 | 2'28 イリノイ州シカゴで誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||
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いそしぎ 1965 | |||||||||||||||||||||||||||
1965米アカデミー歌曲賞 | |||||||||||||||||||||||||||
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カリフォルニアの海岸の一軒家に住む画家の女性ローラ(テイラー)と息子のダニー。それを憂えたミッションスクールの校長エドワード(バートン)は学校にも通っていないダニーを半ば強制的に寄宿舎のある学校に入れたのだが、それに対しローラは激しく批判。そんなローラと会合を続ける内、その自由奔放さに惹かれていくようになるのだが… 「本当の自由とは?」というテーマを真っ正面から捉えた作品で、1965年全米興行成績7位。主題歌“The Shadow of Your Smile”はスタンダード・ナンバーとなり、映画史に残る傑作の一本と言われている。ただし、私にとっては全く感性に合わない名作の一本でもある。 一応本作の映画史における意義については理解しているつもりではある。 いわゆるアメリカン・ニューシネマが世に出るようになって、「これは新しい」と賞賛されるようになったが、それ以前にもその精神で作られた作品は数多くあった。 基本的にはそれまでの映画の手法を踏襲しているが、重いテーマに正面から挑む。特にマイノリティの立場に立って、社会とどう向き合うか?ということをテーマに考える訳である。決まり事だらけの世の中にあって、どう自由に生きるか?と言う事を正面から描いたものが多い。むしろニューシネマよりも映画としてはまっとうな作品とも言える。作品としては『紳士協定』(1947)やら『噂の二人』(1961)なんかがあるが、本作も又その代表作の一つと言える。 ただし、テーマがそれだけストレートなだけに合う作品と合わない作品というのが自ずから出てくることになる。私に関して言うならば、自由奔放に恋愛を追求した結果、家庭が壊れるというパターンの映画が最も苦手で、その意味では本作はまさしく私に一番合わない作品だった。 自由ってのは、社会の規範から全て解放され、気に入った人間だけとつきあっていくという事なのか?なんて事を考えてしまうと、どんどん素直に見られなくなっていくし、一人の自由な人間を作るために傷つく人間の多さを考えると、割にも合わないし。 更にラストシーン、エドワードは全てのしがらみから解放されるってことなんだが、この瞬間に正気に戻ったら、このまま崖からダイブするんじゃね?という思いにも駆られてしまって、なんだか妙に落ち着かない思いにさせられる。 |
恋の手ほどき Gigi |
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1958米アカデミー作品賞、監督賞(ミネリ)、脚色賞、。撮影賞、ミュージカル映画音楽賞、歌曲賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞、編集賞 1958ゴールデン・グローブ作品賞、助演女優賞(ジンゴールド)、監督賞(ミネリ) 1959英アカデミー作品賞 1991アメリカ国立フィルム登録簿登録 |
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『風と共に去りぬ』のアカデミー賞獲得数記録を破り、9個のオスカーをもたらす。 MGMミュージカルの金字塔。原作はコレットによる「ジジ」。モーリス=シュヴァリエは「半世紀以上もの間エンターテイメントの世界に貢献した」事を称え、アカデミー特別賞を受賞する |
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お茶と同情 Tea and Sympathy |
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1957英アカデミー主演女優賞(カー) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ニューイングランド大学に在学するトム・リー(ジョン・カー)は、スポーツに燃える他の学生とは異なり、詩を詠んだり演劇を好む感受性の強い学生だった。だが、そんなトムを学友達はシスター・ボーイとあざけり、トムにとって舎監のビル(エリクソン)の妻ローラ(デボラ・カー)だけが心のよりどころとなっていく。トムの父と親しいビルは、びしびしトムを鍛えようとするが、トムのローラに対する思いは募るばかり… ロバート・アンダーソンによる同名戯曲の映画化。舞台で主役を演じたカーがここでも主役を演じたことで有名になる。 映画技術が日夜進歩しているアメリカにおいては面白いことに演劇は決してすたれることなく、きっちり棲み分けが出来ている。これは演劇の本場が東海岸で、映画の本場が西海岸という地理的な要因も大きいと思うが、良い意味でも悪い意味でもどちらも時代に合わせて変化すると共に、双方が影響を与えあって成長してきたからだろう。例えば映画で用いられる舞台演出はかなり簡易的なものとして舞台にも用いるため、演劇の方もかなり見栄えがするようになったりもしている。一方、ニューヨーク派と呼ばれるインディペンデント系の監督達はブロードウェイの本場ニューヨークで活動するため、演劇の経験者が多いし、映画ではNGだが演劇ならOKという演出要素を映画演出好んで取り入れるのが特徴。 映画が演劇に影響を与えることも、演劇が映画に影響を与えることも多いのがアメリカの特徴。その意味で本作は見事に後者の代表とも言える作品であろう。 物語そのものは実はベタベタの文芸作品で、昼メロそのまんまの物語展開。けっこうこれってげんなり来るような話なのだが、これは1950年代のアメリカでは演劇では許されているが、映画では避けられてきた物語。当時のハリウッドで好まれたのはむしろマッチョな男で、女性の方をぐいぐい引っ張っていくタイプの物語だった(ここで言えばトムの親父やビルのようなタイプ)。そんなのとは完全に逆行する物語がここには展開。むしろマッチョでなければならない。という無理よりも、もっと素直に生きるべき。というのが主題で、しかも不倫まで扱っている。この時代に映画にするにしては先進的すぎる内容だ。 時代を合わせて考えるのならば、大変興味深い。そう言えばこの年は『バージニア・ウルフなんて怖くない』も製作されているので、まさしくこの年がハリウッドが新しくなる転換点だったのかもしれない。 まあ尤も、内容は決して好みとは言えないため、評価はそんなに高くはならないんだけど。 |
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炎の人ゴッホ Lust for Life |
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1956米アカデミー助演男優賞(クイン)、主演男優賞(ダグラス)、脚色賞、美術監督・装置賞 1956NY批評家協会男優賞(ダグラス) 1956ゴールデン・グローブ男優賞(ダグラス) |
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伝道者を志しつつその道を断たれたゴッホ(ダグラス)は絵の道一本で身を立てることを決心する。パリに出たゴッホはそこでゴーギャン(クイン)と出会い、意気投合。アルルで共同生活を始めるのだが、やがてゴーギャンの粗野な性格に我慢が出来なくなっていく。 ゴッホの生涯をゴーギャンとの交流を中心に描いたアーヴィング・ストーンの原作を映画化。主演はたっての願いだったというカーク・ダグラス。思い入れが強いためか、ややオーバーな演技ではあるが、鬼気迫るものを感じさせてくれる。 本作は一応ゴッホの半生を描いた作品になっているものの、その中でゴーギャンとの共同生活が中心に描かれているのが本作の特徴。この設定だとゴッホは神経質で限られた人としか交流出来ない人間で、一方のゴーギャンは人好きして豪放磊落な性格。この二人の共同生活が上手くいくはずはなく、結局ゴッホの方は気を遣いすぎてだんだんストレスが溜まっていく。現実世界でも起こりそうな事なのだが、それを丁寧に描かれると、だんだんいたたまれないような気持ちにさせられてしまう。正直この二人の関係を観てるだけでかなりきつい。 まあ、そう言うきつさを演出することが本作の狙いだっただろうし、ダグラスもクインも上手いので、その二人の掛け合いは見応えがあるのだが、余計それが身につまされてしまう所もあり。主人公二人がごつい男二人だってのもなんだね。 伝記映画と言うより名優二人を観るための作品なのだろう。 |
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ブリガドーン Brigadoon |
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1954米アカデミー美術監督・装置賞、衣装デザイン賞、録音賞 1954ゴールデン・グローブ撮影賞 |
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バンド・ワゴン The Band Wagon |
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1953米アカデミー脚本賞、ミュージカル映画音楽賞、衣装デザイン賞 1995アメリカ国立フィルム登録簿登録 |
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すでに人気が盛りをすぎたダンス映画の名手トニー・ハンター(アステア )の元に旧友のレスター(レヴァント)とリリー(ファブレイ)のマートン夫妻がやってくる。トニーのために特別に舞台用のダンスコメディ「バンド・ワゴン」を書き上げたと言うのだ。自信を喪失していたトニーは難色を示すが、ダンスの楽しさにあふれた脚本に惹かれ、出演を決める。だがこの脚本を買い取った製作者の趣味により脚本は全く変えられてしまうのだった。案の定結果は惨澹たるものだったが、この舞台を通じトニーはギャビー(チャリシー)という女性ダンサーを知る。性格が似ているために反発しあう二人だが、再起を期して完全新作の「バンド・ワゴン」で地方周りをしようというトニーに、ギャビーも付き合うと言ってくるのだった。 ミュージカルの歴史そのものを振り返ったミューカル・コメディ。当時ハリウッドは空前のミュージカル・ブームであり、その歴史を振り返ることで“今”を見つめ直すことを主眼とした作品と言っても良い…と言っても堅苦しいものではまったくなく、ミュージカル・レビューの間に軽妙なストーリーを入れると言う、ミュージカルの基本部分はきちんと押さえられており、それゆえにバランスの取れた良質な作品に仕上がっているのが特徴。とにかく楽しいし、いつも通りのアステアの軽妙なシャレとダンスを堪能できる、魅力的な作品。 映画史に名前を残す人物はそれこそ数多く存在するが、ある時代の映画そのものを引っ張り、数々の実験的要素を取り入れさせた人物として忘れてはいけないのがアステアと言う人物。もちろん役者としての実力は折り紙つきだが、同時にこの人物を際立たせるために映像表現は格段の進歩を遂げ、特撮も多くの貢献を受けている。映画そのものに貢献した偉大なる人物である。ただ、彼の役どころは決して重々しいものではなく、むしろ軽快に、洒だつにすいすいと世の中をわたっているような人物として描かれるのだが、それゆえにこそ重要なのだろう。傍目から観る限り軽い人物でも、その人物像を作り上げるために行っている努力は涙ぐましいもので、特にダンスシーンは最新の注意を払って行われてもいる。 本作はそんなアステア自身のルーツを探ると言った意味でも重要な意味を持ち、苦労を重ねつつも、決してユーモアを忘れず、夢を与えるダンスを提供し続けるダンサーをしっかり演じきっている。 。ここでアステアがまるで自分自身を思わせる役柄を演じているのが興味深いところ。売れていると言うことは、それだけで実はかなり不安が大きいのだろうな。大スターであればあるほどプレッシャーの重圧で実は苦悩が深いと言う、ちょっとした皮肉心を見ることもできるだろう。 |
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巴里のアメリカ人 An American in Paris |
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1951米アカデミー作品賞、脚本賞、撮影賞、ミュージカル映画音楽賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞、監督賞(ミネリ) 1951英アカデミー作品賞 1951ゴールデン・グローブ作品賞 1993アメリカ国立フィルム登録簿登録 |
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パリに住んで絵の勉強をしているアメリカ人青年ジェリー・ミュリガン(ケリー)。アパートの一室で絵筆を動かすが、夢見がちな彼はいつも窓から外の世界を眺めている方が多く、絵の勉強は一向に進んでなかった。そんな彼が売る絵はパリの人間には全く受けないが、あるアメリカ人の金持ち婦人ミロ・ロバーツ(フォック)が保証人になってくれた。だが彼女が見初めたのは絵ではなくジェリー本人だった。そんな時ジェリーは清楚なパリ娘リズ(キャロン)を見かけて一目惚れしてしまう。やがて愛しあうようになった二人だが、リズには既に婚約者が… MGMミュージカルの代表作で、ミュージカルはアカデミーとは相性が悪いというジンクスを見事打ち破って1951年の作品賞のみならず、7つのオスカーをもたらした作品。1951全米興行成績も3位と大ヒットを記録。これまでMGMに数々の楽曲を提供してきたジョージ・ガーシュインの曲を全編に使いMGMミュージカルの最高峰とも言われている。 ストーリー展開はご都合主義の嵐で、リアリティなんてまるでないし、パリが舞台と言うことになってる割にベタベタなアメリカンなセット丸出し。ダンスナンバーがほとんど物語に関係なく出てくるのもちょっと下手かな? とはいえ、それを感じさせなくするのが演出の良さ。一々細かいギミックがうまく作用してる。冒頭シーンの狭い部屋が実に広く見える辺りの演出からぐいぐい引っ張ってくれる。ケリーは完璧主義者と言われるだけあって、どんな動作もしっかり画面映えするように作られてる。 それにもちろんダンスシーンのすばらしさは言うまでもない。ジョージ・ガーシュインの名曲で彩られるダンスナンバーが実に素晴らしい。たとえセット丸出しでも、音楽で一気に幻想的世界へと入っていく。ラストの長いダンスシーンはため息が出るほどのすばらしさ(あれがクライマックスで、17分もの長さで、なんと542,000ドルをかけたのだとか)。 本作はプロデューサーのアーサー・フリードの長年の夢の企画で、その企画に大いに乗り気になったケリーがMGMの首脳陣に掛け合って製作開始となったのだとか(その際ケリーは『赤い靴』を重役に見せてダンス映画の素晴らしさをアピールしたのだとか。 |
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花嫁の父 Father of the Bride |
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1950アカデミー作品賞、主演男優賞(トレイシー)、脚色賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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弁護士のスタンリー・バンクス(トレイシー)の娘ケイ(テイラー)はある日、バクリー・ダンスタン(テイラー)という青年を家に連れてきて、結婚したいと言い出す。突然の発言に驚き慌てるスタンリー。娘の結婚までの父親としての心の過程を負う。 ヴェテランのトレイシーが父親役に、18歳のテイラーが花嫁役を演じたと言う事でヒットを記録した、嫁入り映画の佳作。1950年全米興行成績も7位と健闘した 映画という素材は現実とは違う。現実にないものを撮ろうとするのは自然の成り行きとも言える。本作はその一つの答えのようなものだ。 現実世界で味わうことなく、しかもリアリティを増す方法。それを本作では「心理状態」というものにその題材を取っている。焦った時に頭の中でぐるぐる回る支離滅裂な思考。自分勝手に、それでもなんとか冷静にと思っているのだが、結果的に堂々巡りをするばかり…モノローグが効果的に用いられている。 私は娘を持ってる訳じゃないけど、昔好きな女性を目の前にすると確かにこうなった(笑)。頭の中で高速でしゃべりまくるんだよな。誰でもそう言うことはあるんじゃないかな?これを視覚化できるのは映像ならではの表現形式だ。その辺見事。 ただ、そう言う焦った表現というのは、観ている側にも伝染してしまう。これを観てる内に身体が痒くなってきて、いたたまれない気分になってしまった。なんて言うか、私にとって本作は妙に“痛い”作品になってしまった。観てる側が映画に同化してこそ成功。だけど、同化したくない(笑) 本作はこの年に18歳でホテル王の息子ニッキー・ヒルトンと結婚したエリザベス・テイラーが花嫁を演じるというので前評判も上々(ただし、1951年に離婚)。 |
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若草の頃 Meet Me in St. Louis |
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