ファニー・ガール |
1968米アカデミー主演女優賞(ストライサンド)、作品賞、助演女優賞(メドフォード)、撮影賞、ミュージカル映画音楽賞、歌曲賞、音響賞、編集賞
1968ゴールデン・グローブ女優賞(ストライサンド)
1969英アカデミー主演女優賞(ストライサンド)、撮影賞 |
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レイ・スターク(製)
イソベル・レナート(脚)
バーブラ・ストライサンド
オマー・シャリフ
ウォルター・ピジョン
アン・フランシス
ケイ・メドフォード
リー・アレン |
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★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
2 |
5 |
4 |
1 |
3 |
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トップスターを夢見るファニー(ストライサンド)は、実力はあるがそのきつい性格が災いし、何をやっても上手くいかない。運良く舞台に上がれば、興行主と衝突し、コーラスをさせれば一人だけ突出し…そんな時に彼女はギャンブラーのニック(シャリフ)と出会う。やがて彼女の性格を受け止めるジーグフェルド一座との出会いにより、彼女の才能が開花する時がやってきた。そしてあっという間にトップスターへと上り詰めるが、そんな時、又しても彼女の前にニックが現れる。競馬の馬主となり、すっからかんになったニックだったが、そんな彼にこそ、ファニーは惹かれていく…
ファニー=ブライスの生涯を描いた作品で、バーブラ=ストライサンドデビュー作。1968年度授賞式でストライサンドは『冬のライオン』のヘップバーンと主演女優賞をダブル受賞となり、1969年全米興行成績2位。
アメリカ映画史において1968年というのは特別な年になる。前年『俺たちに明日はない』(1967)によって始まったアメリカン・ニューシネマのブームが始まっていたが、同時にこの年は時ならぬミュージカルブームでもあった。オスカーを得たを『オリバー!』(1968)初めとして、アンドリュース主演の『スター!』、ヴァン・ダイクの『チキ・チキ・バン・バン』、アステアの『フィニアンの虹』、ブルックス監督デビュー作の『プロデューサーズ』などなど。おそらくこれは映画の流れが変わりつつあることを恐れた製作側が敢えて昔ながらの手法を取り入れた結果だと思われるが、お陰で保守的な作品と革新的な作品とが混在することになった。大変な混乱ぶりだが、だからこそ非常に興味深い年でもある。
アカデミーの結果を見れば分かるとおり、この年では保守的な作りに軍配が上がったが、同時にその下で脈々と新しい作品が息づいていた。この混乱ぶりが楽しめる。
本作はそう言う意味ではかなり保守的な作りの作品で、一応実在の人物を元にしているが、ストーリーそのものはほとんど『スタア誕生』(1954)そのまんま(後年ストライサンドが『スター誕生』(1976)で主演してるのも皮肉っぽい)。派手で目を惹くものではあっても、演出は結構古くさいもの。私はこの手の物語が一番苦手なので、どうしても感情移入は出来ず(ワイラーの演出もあんまり好きじゃないし)。
ただ、本作の最大の功績はバーブラ=ストライサンドという女優を生み出したという点にこそあっただろう。ふてぶてしさと、突出した歌唱力のお陰で、他のキャラ全てを喰ってしまってる。本来強烈な個性を持つはずのオマー=シャリフさえも輝きを失って見えるほど(シャリフはストライサンドからスケジュールを変更してまで指名されて出演)。どう見たって、到底本作がデビューとは思えないほどの堂々たる主役ぶりだ。
結局本作はストライサンドを観るためだけの作品とは言える。ファンだったら是非とも観て欲しい。そうでなかったら毒気に当てられっぱなしになるだろうけど。
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おしゃれ泥棒
How to Steal a Million |
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フレッド・コールマー(製)
ハリー・カーニッツ(脚)
オードリー・ヘプバーン
ピーター・オトゥール
イーライ・ウォラック
ヒュー・グリフィス
シャルル・ボワイエ
マルセル・ダリオ |
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★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
3 |
4 |
3 |
4 |
4 |
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モンマルトル街が有名となる。 |
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コレクター
The Collector |
1965米アカデミー主演女優賞(エッガー)、監督賞(ワイラー)、脚色賞
1965カンヌ国際映画祭男優賞(スタンプ)、女優賞(エッガー)
1965ゴールデン・グローブ女優賞(エッガー)
1965キネマ旬報外国映画第6位 |
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ジョン・コーン
ジャド・キンバーグ(製)
スタンリー・マン
ジョン・コーン(脚)
テレンス・スタンプ
サマンサ・エッガー
モーリス・ダリモア
モナ・ウォッシュボーン |
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★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
3 |
3 |
3 |
4 |
3 |
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噂の二人
The Children's Hour |
1961米アカデミー助演女優賞(ベインター)、撮影賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞、録音賞
1962キネマ旬報外国映画第9位 |
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ウィリアム・ワイラー(製)
ジョン・マイケル・ヘイズ(脚)
オードリー・ヘプバーン
シャーリー・マクレーン
ジェームズ・ガーナー
ミリアム・ホプキンス
フェイ・ベインター
ヴェロニカ・カートライト |
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★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
2 |
5 |
4 |
1 |
3 |
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親友同士のカレン=ライト(ヘップバーン)とマーサ=ドビー(マクレーン)は共同で寄宿学校を経営しており、評判も上々だった。だが、富豪のティルフォード家の問題児メリーが学校に入った時から状況は一変した。立場の弱い同級生を先導して学校に不服を申し立て、更に祖母にカレンとマーサは同性愛者であると言いふらしてしまう。名誉毀損で訴える二人だが、学校の評判は地に落ちて生徒は誰もいなくなり、カレンは婚約者のジョー(ガーナー)の事を思い、婚約も破棄してしまうのだった。どん底にある二人だったが…
リリアン=ヘルマンの戯曲「子供たちの時間」の映画化。
ワイラー監督はかつて同じを用い、ミリアム=ホプキンス、マール=オベロンを主演に『この三人』を監督したが(私は未見)、その時は時代の制約があったため、監督自身は大変不満に思っていたらしく(具体的には同性愛的な発言の部分)、本作で再挑戦(この年はプレミンジャー監督による『野望の系列』でゲイの上院議員が登場するが、そのどちらもプロダクション・コードに引っかからなかった)。
ワイラー監督はとにかく役者に無理を強いることで有名で、しかも満足行くまで徹底的に撮影を続けたため、“90テイク・ワイラー”の異名を取ったそうだが、そんな監督が用いたというだけでヘップバーン、マクレーンとも名演ぶりを見せる。『ローマの休日』の時とは異なり、ヘップバーンは抑えた演技に徹し、一方、激しい気性を見せるのがマクレーンの方。世代交代を見ているかのようでこの配役は面白い。特にヘップバーンはワイラー監督自身が作り出した『ローマの休日』での清楚なイメージが見事なほどに打ち砕かれてる。それが俳優としての成熟って奴なのかも知れない。
ただ、こういう徹底的に人間を責め、人間性をむき出しにさせる作品ってのは、どうにも心地悪く、キャラが上手ければ上手いほど観てるだけきつくなる。
本当にこれ、観終わった後、どーっと疲れを感じる作品である。本作を観る場合、それなりの心構えと、安定した精神状態が必要。
尚、原作はスコットランドで起こった実話が元となっているが、この戯曲を書いたリリアン=ヘルマン自身を主人公とした『ジュリア』(1977)でヘルマン役のフォンダが劇中必死になって書いている戯曲こそがこの「子供たちの時間」である。 |
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ベン・ハー
Ben-Hur |
1959米アカデミー作品賞、主演男優賞(ヘストン)、助演男優賞(グリフィス)、監督賞(ワイラー)、撮影賞、劇・喜劇映画音楽賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞、特殊効果賞、編集賞、録音賞、脚色賞
1959英アカデミー作品賞
1959NY批評家協会作品賞
1959ゴールデン・グローブ作品賞、助演男優賞(ボイド)、監督賞(ワイラー)、特別賞(アンドリュー=マートン 戦車競技演出) |
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サム・ジンバリスト(製)
カール・タンバーグ(脚)
チャールトン・ヘストン
ジャック・ホーキンス
ヒュー・グリフィス 族長
スティーヴン・ボイド
ハイヤ・ハラリート
マーサ・スコット
キャシー・オドネル
サム・ジャッフェ
フィンレイ・カリー
フランク・スリング
テレンス・ロングドン
アンドレ・モレル
マリナ・ベルティ
ジュリアーノ・ジェンマ |
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★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
4 |
4 |
5 |
4 |
4 |
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ユダヤ人豪族の息子ベン・ハー(ヘストン)は旧友でローマ帝国駐留軍将校のメッセラ(ボイド)の裏切りに会い、奴隷として売られてしまう。ガレー船の船こぎとなったベン・ハーは、しかし戦いの中で沈む船から司令官アリアスを助けたことから、今度はローマ貴族の養子となってユダヤへと帰還するのだった。
かつて南北戦争の将軍で、小説家となったルー・ウォーレスによる原作の二回目の映画化作品(1回目は1925年のサイレント映画。未見)。
丁度この時代、映画界は激動を迎えていた。フランスでは全く新しい映画手法であるヌーヴェル・ヴァーグが始まり、保守的なハリウッドでも徐々に改革の波が押し寄せてきていた。そんな時代に、これぞハリウッド!という気合いを入れて製作されたのが本作。おそらくハリウッド史上最も大がかり且つ派手な作品で、当時天文学的とまで言われた1500万ドルが投入され、台詞のある役者だけで350人、エキストラが5万人を超えるという超大作に仕上がった。その規模はハリウッドにしても度を超えていたと言う。ハリウッド内でこれに比肩できるのは『クレオパトラ』(1963)くらいだろう(尤も世界的に見れば『戦争と平和』(1965)という更に桁違いの作品もあるが)。ワイラー監督がそれを非常に優れた作品として仕上げたお陰で、1959年のアカデミー賞を11部門総ざらえ。現在もその記録は破られていない(『タイタニック』(1997)と『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』(2003)はタイ記録)。
本作は二部作で、一部が奴隷状態からの回復を、二部では宿敵となったメッセラとの政治的駆け引きが描かれるが、どちらも単体の映画として観て良いくらいで、それぞれにちゃんと起承転結が付いており、どちらにも精神的な駆け引きのシーンもあれば、派手な見せ場もあり。と言う感じで、決して飽きさせない内容になっている。前半部分はガレー船での戦闘シーン、そして後半では勿論戦車競技で。現代であればCGでごまかす部分を全て手作りでやったという事で、特撮ファンとしても大満足の出来である。
本作の撮影にはカメラ65というMGM独自の方式が取られ、特に最後の戦車競技の迫力はここから来ている。
ただ、それだけに本作は是非とも劇場で観るべき作品だった。初見がビデオ。スクィーズサイズでテレビが14型というのは、あまりにも情けなすぎた。だから質の高さは認めるんだけど、思い入れはさほど高くない。一応持ってはいるので、その内にもう一度大画面で観直してみようと思ってる。
本作の助監督としてのセルジオ・レオーネの名前もあり。
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大いなる西部
The Big Country |
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★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
2 |
2 |
3 |
3 |
2 |
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大いなる西部
The Big Country |
1958米アカデミー助演男優賞(アイヴス)、劇・喜劇映画音楽賞
1958ゴールデン・グローブ助演男優賞(アイヴス)
1958キネマ旬報外国映画第1位
1959英アカデミー作品賞 |
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ウィリアム・ワイラー
グレゴリー・ペック(製)
ジェームズ・R・ウェッブ
サイ・バートレット
ロバート・ワイルダー(脚)
グレゴリー・ペック
ジェームズ・マッケイ
チャールトン・ヘストン
スティーヴ・リーチ
ジーン・シモンズ
ジュリー・マラゴン
キャロル・ベイカー
パトリシア・テリル
バール・アイヴス
ルーファス・ヘネシー
チャールズ・ビックフォード
ヘンリー・テリル少佐
チャック・コナーズ
バック・ヘネシー
アルフォンソ・ベドヤ
ラモン・グティエレス
チャック・ヘイワード
レイフ・ヘネシー
ドロシー・アダムス
チャック・ロバーソン
ボブ・モーガン |
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★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
2 |
2 |
3 |
3 |
2 |
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大いなる西部
The Big Country |
1958米アカデミー助演男優賞(アイヴス)、劇・喜劇映画音楽賞
1958ゴールデン・グローブ助演男優賞(アイヴス)
1958キネマ旬報外国映画第1位
1959英アカデミー作品賞 |
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ウィリアム・ワイラー
グレゴリー・ペック(製)
ジェームズ・R・ウェッブ
サイ・バートレット
ロバート・ワイルダー(脚)
グレゴリー・ペック
チャールトン・ヘストン
ジーン・シモンズ
キャロル・ベイカー
バール・アイヴス
チャールズ・ビックフォード
チャック・コナーズ
アルフォンソ・ベドヤ |
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★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
2 |
2 |
3 |
3 |
2 |
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無法地帯の西部の町に、東部からジェームズ・マッケイ(ペック)という伊達男がやって来た。西部の常識をことごとく無視する彼に、婚約者のパトリシアは反発を覚え、彼女の父親ヘンリーや牧童頭のリーチも胡乱気に彼を見るようになるが、彼は軽蔑を受けてもどこ吹く風で飄々と暮らしていた。だが、水場をめぐるヘンリーとヘネシー一家のいさかいに心を痛め、何とか二つの家の争いを止めようとするのだが…
主演も務めるペックが興した独立プロダクションによる、『白鯨』(1956)に続く第2作目。監督は実に18年ぶりに西部劇のメガフォンを取るワイラー。二つの家の水場をめぐる争いを主軸に広大な西部の町の情景を描いた作品。
これは確かに映画として良い作品なのだろうけど、私には何となく乗り切れなかった。理由は一つ。主人公のペックにある。何でも見事にこなせるのに韜晦ばかりして自分を見せない役は、格好良いと言うより、嫌味にしか見えないのが何とも(ペックってこんな役がとにかく多いな)。むしろ野性味溢れる魅力を見せたリーチ役の若き日のヘストンや、粗野ではあるが義に厚いヘネシー役のアイヴスの方がはるかに魅力的に見える。
ここでの主人公ジェームズの立場は非常に微妙。争いからは何も生み出すことは出来ないという信念をあくまで貫こうとする姿勢は政治的にリベラルなペック自身とも重なるのだが、その分爽快感はオミットされる上に、どうにも退屈に思えてしまう。
人に見せるのが正義ではない。と言う理論はよく分かるのだが、それが行きすぎると嫌味になってしまう。ペックを格好良く撮ろうとする努力が、逆に映画そのものを駄目にしちゃったんじゃないかな?それさえ我慢できれば(あるいは本当に彼を格好良いと思えれば)素晴らしい作品なんだけど…
ちょっと一つ不満。結局フラれてしまったパットとリーチのロマンスは無いのか?それはやっぱりあって欲しかったなあ。
本作は東西に分かれたアメリカを象徴する作品でもある。アメリカがワイルドさより理性を中心に持ってこようとした時代。そんな時の流れを、監督とペックは描きたかったのかも知れない。だから本作は西部劇の体裁は取っていても、実は現代劇としてみることが出来る。
尚、本作は本国アメリカではあまり話題になることはなかったが、日本では大ヒットを記録した。東西冷戦下において、その危機感を切実に感じ取った国民とは、何より日本人だったためかもしれない。
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ローマの休日
Roman Holiday |
1953米アカデミー主演女優賞(ヘップバーン)、原案賞(イアン=マクレラン=ハンター)、衣装デザイン賞、作品賞、助演男優賞(アルバート)、監督賞(ワイラー)、脚色賞、撮影賞、美術監督・装置賞、編集賞
1953英アカデミー女優賞(ヘップバーン)、作品賞、男優賞(アルバート、ペック)
1953NY批評家協会女優賞(ヘップバーン)
1953ゴールデン・グローブ女優賞(ヘップバーン)
1999アメリカ国立フィルム登録簿登録 |
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ウィリアム・ワイラー(製)
イアン・マクレラン・ハンター
ジョン・ダイトン (脚) |
オードリー・ヘプバーン |
グレゴリー・ペック |
エディ・アルバート |
テュリオ・カルミナティ |
パオロ・カルソーニ |
ハートリー・パワー |
マーガレット・ローリングス |
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★★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
5 |
5 |
5 |
5 |
5 |
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歴国を来訪中の小国のアン王女(ヘップバーン)がローマに滞在中、まるで人形のような扱われ方しかされていない自分の立場に嫌気が差し、宿泊先のホテルを脱出し、彼女のスクープに失敗したと思ってしょげた新聞記者ジョー・ブラッドレー(ペック)の前に姿を現した。睡眠薬を飲まされ、夢うつつのアンを誰とも分からず自分のアパートのソファに寝かしつけるジョーだったが、次の朝、彼女の顔を見てそれが王女であると知ったジョーは一計を案じる。自分の正体を隠し、王女の独占スクープをものにしてやろうと。しかしローマの観光名所を巡り、王女を取り戻そうとやってきた男達から逃げる内、二人の間には特別な感情が芽生え始める…
オールタイム・ムービー・ベストの統計を取れば先ず間違いなくトップ10の中に入るだろう、そしてラブ・ストーリー部門であればほぼ確実にトップを得るだろうと言われる程の名作であり、“銀幕の妖精”オードリー・ヘップバーンの名前をハリウッドが生んだシンデレラとし、その名を全世界に知らしめた作品でもある。
私にとっても非常に思い出深い作品で、基本的にラブ・ストーリー嫌いな私がこれだけ繰り返し観た映画も珍しい。そしてこの映画こそが古き良き映画を大好きにしてくれた恩人でもある。多分これからも繰り返し観るであろう映画の一本。
元々は私の母がこの映画の大ファンであったことが事の発端。田舎で初めてレンタルビデオ店が出来た時(当時一泊二日で1500円もした)、母に「借りてきてくれ」と頼まれてわざわざ借りに行った。
当時の私は、確かに映画好きではあったが、好きなのはSFとかアクション、あるいはアニメくらいで(特撮好きだと自覚できたのはもう少し後)、白黒のラブロマンスなど、いくら有名でも食指はのびなかった。
それでも折角借りたのだし、名作と言うだけに話のネタ位にはなるだろうと母の隣で(ついでに言うなら母の解説付きで)観始めたのだが…これがなんと、思いっきり引き込まれてしまった。センスのいい笑いが随所にちりばめられ、ローマの名所を綺麗に映しているのもあるが、やっぱり何と言ってもキャラクターが良い。野心家でスクープのために嘘をつくペック。彼とカメラマンとの掛け合いも大いに笑わせてもらった(今から思うとあの役はペックらしくない役柄だったと思うのだが、元々はケイリー=グラントが予定されたと言うことで納得。何故ペックになったかというと、実はペックはリベラル発言のお陰で赤狩りから逃れ、ヨーロッパにたまたまいたと言う事かららしい)。ついでに言うなら扉を守るために笑われながら献げ銃で歩き回るアパートの管理人や“目立たないように”真っ黒な服に身を固めた男達のずれっぷりも微笑ましい。だけどやっぱり何と言っても圧巻はヘップバーンだろう。あの溌剌とした笑顔と言い、秘密を隠すためにもじもじする仕草と言い、サンタ・マリア教会の「真実の口」での驚きっぷりと言い(あのシーンは実はペックのアドリブだったため、ヘップバーンの驚きの表情は本物だったそうだ)自分の義務を思い出し、しょげかえった表情と言い、最後の涙と言い(これも裏話があり、ヘップバーンはラストシーンでの涙がなかなかでなかったが、ワイラー監督が無駄になったテイクの多さを嘆いているのを見て思わず涙したところだったらしい。だからあれは本当に涙を流してるのだそうだ。さすがナインティ・テイク・ワイラーだけのことはあるエピソードだ)もう見事と言うしかないヒロインぶり。共演したペック自身が彼女は必ずアカデミーでオスカーを取ると確信したほどだったそうだ(ペックの助言により、この新人の女優がポスターで映画の題名より上にペックと並んで名前が挙げられている)。そして事実1953年のアカデミー主演女優賞は彼女の頭に輝くことになる。ただ授賞式当日、彼女はブロードウェイで「オンディーヌ」に出演中。舞台が終わると水の精の衣装のまま、白バイに先導されてセンター劇場に駆けつけたという逸話が残っている。彼女の服装はハリウッドきっての衣装デザイナー、イディス=ヘッドによるものだが、ヘッド自身、普段のオードリーの仕草を見て、これにしたとか。
更に本作の原作および脚本家についてはかなり長い間謎とされていた。クレジットにはイアン・マクレラン・ハンターとなっているが、その脚本家なる人物がそれまで知られておらず、オスカーを取ったにもかかわらずその後一本も仕事をしていないため、誰かの変名であろうとずーっと言われていた。事の真相が分かったのは何と1993年になって。ドルトン=トランボに、ハワード=サバーというUCLAの映画科教授がインタビューで「ウィリアム・ワイラーはあなたが『ローマの休日』の脚本を書いたことは知っていたのですか?」とカマをかけたところ、「どうしてそれが分かった?」と驚かれ、実は本作はトランボが脚本を書いていることが分かってしまった(彼はもう一本ロバート=リッチという名前で『黒い牡牛』の脚本賞を受賞しているので、自分名義ではない2つの脚本賞を受賞している)。これは彼が非米活動委員会により入獄させられたいわゆる“ハリウッド・テン”の一人だったため、映画界に生き残るためには必要な措置だったようだが、こんな所にも赤狩りの余波が漂っていることに気づかされる。
…そう言うわけですっかり本作が大好きになり、それで昔の映画って面白いのがたくさんあるんじゃないか?と、むしろ白黒映画の方をなるべく観るようになってしまった。今となって考えるに、映画好きである以上いつかは必ずこうなっただろうけど、その一歩を踏み出させてくれたのが本作だった。そう言う意味では大感謝だ。東京に住んでいた時名画座にかかった時など、真っ先に駆けつけたものだし、LDも持っている(DVDは未だ)。レビュー書いてるだけで又観たくなってきた。
本作は元々ハリウッド内のセット撮影が予定されていたが、ワイラーが強硬にローマでのオールロケを主張し、結果として大成功を収めた形となる。そして予算の都合上、チネチッタで編集も行われたため、初の完全海外製作のハリウッド映画でもある。 |
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探偵物語
Detective Story |
1951米アカデミー主演女優賞(パーカー)、助演男優賞(グラント)、監督賞(ワイラー)、脚色賞
1951英アカデミー作品賞
1952カンヌ国際映画祭女優賞(グラント) |
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ウィリアム・ワイラー
フィリップ・ヨーダン
ロバート・ワイラー(脚)
カーク・ダグラス
エリノア・パーカー
リー・グラント
ウィリアム・ベンディックス
キャシー・オドネル
バート・フリード
ジョージ・マクレディ
ジョセフ・ワイズマン
グラディス・ジョージ
フランク・フェイレン
ルイス・ヴァン・ルーテン
クレイグ・ヒル
ホレイス・マクマホン |
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★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
4 |
4 |
4 |
4 |
4 |
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場所をほぼ警察の所内に限定し、多彩の人物のあわただしい出入りをドラマの要素にしてしまった。 |
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黄昏
Carrie |
1952アカデミー美術監督・装置賞、衣装デザイン賞 |
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ウィリアム・ワイラー(製)
ルース・ゲイツ
オーガスタ・ゲイツ(脚)
ジェニファー・ジョーンズ
ローレンス・オリヴィエ
ミリアム・ホプキンス
エディ・アルバート
ベイジル・ルイスデール
レイ・ティール |
|
★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
2 |
3 |
3 |
1 |
2 |
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シカゴに働きに出た田舎娘キャリー(ジョーンズ)は、金に引かれてチャーリー(アルバート)という男と同棲を始める。彼らがよく行くレストラン「フィッツ・ジェラルド」の支配人ハーストウッド(オリヴィエ)は素朴な彼女に惹かれていく。キャリーとの結婚を考え、仲の冷え切った妻に離婚話を持ちかけるハーストウッドだが、妻にはまるで相手にされず、遂に店の金を盗んでキャリーと二人でNYへ駆け落ちした。幸福な暮らしを営んだのも束の間、私立探偵の追及に、残った金をすべて返し警察沙汰は免れたものの、彼には一生拭いきれぬ汚名が残り、まともな勤めも許されなかった。やがてキャリーは女優となり、彼の前から姿を消すのだった。
基本的に私は堕落を主題としたメロドラマが大嫌いだ。気分的に暗くなるし、何よりそう言う知り合いが結構いたりするから、何も現実問題であるものを映画で観たいとは思わない。実際、よくある話なんだよ。これは。だからこそ映画になりやすいのかもしれないけど、感情移入すると怖くなってくる。
男と女のメロ・ドラマだが、どうにも救いようが無く、観ていて気が滅入った。確かにジョーンズ、オリヴィエ共に演技は上手いが、勝手な男達に振り回され、結局真実の愛を見出せなかったキャリーと、外面的に申し分ないが、家庭の冷たさに健気な女性に救いを求めるハーストウッドの仲がどうしても見ていて気分が悪くなる。
実際にこういう話は良くあったりするからこそ、嫌になる。それがワイラー監督の実力である事は分かるのだが、こういう作品はどうにも苦手だ。
あのオリヴィエがこんな役を演ってるなんて!という驚きは確かにあるけど。
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女相続人
The Heiress |
1949米アカデミー主演女優賞(ハヴィランド)、劇・喜劇映画音楽賞、美術賞、衣装デザイン賞、作品賞、助演男優賞(リチャードソン)、監督賞、撮影賞
1949NY批評家協会女優賞(ハヴィランド)
1949ゴールデン・グローブ女優賞(ハヴィランド)
1996アメリカ国立フィルム登録簿登録 |
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ウィリアム・ワイラー(製)
ルース・ゲッツ
オーガスタ・ゲイツ(脚)
オリヴィア・デ・ハヴィランド
モンゴメリー・クリフト
ラルフ・リチャードソン
モナ・フリーマン
ミリアム・ホプキンス |
|
★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
4 |
5 |
3 |
2 |
4 |
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我等の生涯の最良の年
The Best Years of Our Lives |
1946米アカデミー作品賞、主演男優賞(マーチ)、助演男優賞(ラッセル)、監督賞(ワイラー)、脚色賞、劇・喜劇映画音楽賞、編集賞、録音賞
1946NY批評家協会作品賞、監督賞(ワイラー)
1946ゴールデン・グローブ
1947英アカデミー作品賞
1989アメリカ国立フィルム登録簿登録 |
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サミュエル・ゴールドウィン(製)
ロバート・E・シャーウッド(脚)
フレデリック・マーチ
マーナ・ロイ
テレサ・ライト
ダナ・アンドリュース
ヴァージニア・メイヨ
キャシー・オドネル
ホーギー・カーマイケル
ハロルド・ラッセル
スティーヴ・コクラン
グラディス・ジョージ
レイ・コリンズ
ミナ・ゴンベル
ドン・ベドー |
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★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
3 |
3 |
3 |
5 |
4 |
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第二時世界大戦が終結し、同じ輸送機に乗りあわせた同じ故郷に向かう3人の復員兵がいた。歩兵軍曹アル・スティーヴンスン(ロイ)、青年飛行大尉フレッド・デリー(アンドリュース)、両手を失って義手をつけた水兵のホーマー・パーリッシュ(ラッセル)。輸送機の中で意気投合した彼らは再開を約束して自分たちの町へ向かう。だが、戦争の進む中、すべてが変わっていた。故郷も、彼ら自身も…
1947年全米興行成績1位。さらにアカデミー8部門ノミネートで7部門でオスカー。興業成績と賞が見事に合致した例の一つ。戦場から帰った友人達三つの階層でのそれぞれの生活が描かれ、帰還兵を扱った作品としては、最高傑作とも言われる。ここまで重い内容の作品が受け入れられたと言うことが重要だろう。
第二時世界大戦はアメリカにとっては後の世界に対しての経済的地位的躍進を果たした。輝かしい戦果は、アメリカがいたからドイツ、日本に勝てたのだ。と言うイメージを世界に示すことを可能とした。アメリカにとって経済的効果は膨大なもので、この戦争によって築いた足がかりから世界中へアメリカ企業は躍進を果たす。実際、アメリカという国だけを見るならば、第二次世界大戦は、アメリカのための戦争だったようなものだ。戦争の週末はアメリカ国内にも大きな喜びをもたらした。
ただ、これは表の歴史。その歴史の裏には、数多くの犠牲者がある。そのことを突き付けたのがやはり映画であった。戦勝国がただ浮かれていただけでないことを如実に示したのがこの作品だったということになる。そこには大きな痛みが伴ったのであり、しかもそれは継続中である。と言うことを本作は表している。
確かに現在の目から観ると描写はまだまだ中途半端だし、物語も投げっぱなしの印象。具体的に言えば、この作品は退屈なのだ。事実当時の批評家からもあまり評価は高くなかったらしい(描写の甘さは、ほぼ同時期に公開された日本映画の『戦争と平和』(1947)、あるいは『風の中の牝鶏』(1948)の描写と較べてみればいい)。最後は当然の如くハッピーエンドだし。
しかし、改めて考えると、この突き放しこそがこの作品の真の価値なのではないだろうかとも思える。むしろ淡々と描くことで、当時の人たちに、改めて自分自身にとっての戦争の総括を求めようとしたのではないだろうか。この作品が当時おおいに受けたのは、本作の出来如何ではなく、観る人が、ほんの数年前の自分自身の姿をそこに見ていたからとも考えられる。そして彼らが、それでも立ち上がらねばならない。と言うところで終わる。この現実肯定のお陰で本作は赤狩りのやり玉に挙げられることはなかったのだろう。実際リアリティはともかく、ここに出てくる人間はみんな基本的に善人ばかりだ。
そうすると、本作の価値とは、その時代にいることで初めて感じることなのかも。これも又、時代の生んだ映画と言うことが出来るだろう。物語よりは設定で観るべき作品と言えるかも知れない。
この中での肝はやはり助演男優賞オスカーを得たハロルド・ラッセルだろう。彼は役者ではなく、実際に軍隊で両手を失った傷病兵。最初観た時はてっきり演技で付けているのかと思ったのだが、それにしては義手の使い方がはまってるなあ。とか思って観ている内、本当に義手を外すシーンがあってびっくりした。これが素人がオスカーを受けた最初の例となる。
本作はプロデューサーのゴールドウィンの肝入りによって作られたのだが、映画の主題がシリアスすぎると言われた時、「この映画が金を稼ぐかどうかなんて気にしない。ただアメリカの全ての老若男女にこの映画を観て欲しいんだ」と語ったとのこと。その思いが結実したと言うことになるか。
この脚本を担当したピューリッツァ賞を得た作家ロバート・シャーウッドだが、当時は文筆活動を辞めており、大統領側近となっていた。ゴールドウィンのたっての願いにより脚本を了解する。
尚、ラッセルは45年後、妻の目の手術代に充てるためオスカー像を競売にかけてアカデミーを慌てさせた。
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ミニヴァー夫人
Mrs. Miniver |
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シドニー・フランクリン(製)
アーサー・ウィンペリス
ジョージ・フローシェル
ジェームズ・ヒルトン
クローディン・ウェスト(脚)
グリア・ガーソン
ウォルター・ピジョン
テレサ・ライト
デイム・メイ・ウィッティ
レジナルド・オーウェン
ヘンリー・トラヴァース
リチャード・ネイ
ヘンリー・ウィルコクソン |
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★★★☆ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
3 |
4 |
3 |
4 |
3 |
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製作年 |
1942 |
製作会社 |
MGM |
ジャンル |
家族 |
売り上げ |
$21,173,600 |
原作 |
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歴史地域 |
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関連 |
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偽りの花園
The Little Foxes |
1941米アカデミー作品賞、主演女優賞(デイヴィス)、助演女優賞(ライト&コリンジ)、監督賞(ワイラー)、脚色賞、劇映画音楽賞、室内装置賞、編集賞 |
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サミュエル・ゴールドウィン(製)
リリアン・ヘルマン(脚)
ベティ・デイヴィス
テレサ・ライト
ダン・デュリエ
ハーバート・マーシャル
チャールズ・ディングル
カール・ベントン・リード
リチャード・カールソン
パトリシア・コリンジ |
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★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
1 |
4 |
4 |
3 |
3 |
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20世紀初頭のアメリカ南部。銀行主ホレイス・ギデンス(マーシャル)は心臓を患っていたが、その妻レジナ(デイヴィス)は夫を見舞いもせず、兄のベンとオスカーと金儲けの話ばかりしていた。二人は安い労働賃金を売りにこの町に綿工場を誘致しようと画策していた。レジナは兄たちに金を出資するために療養中のホレイスを家に呼び返すのだが…
原作はリリアン・ヘルマンの戯曲「子狐たち」。クーパーの代わりにWBから借り受けたベティ・デイヴィスを主演とするMGM映画。
私にとってつぼにはまる映画というのがある。自分でも最近になって気が付いたのだが、心がバラバラになっていた家族が再生していくというストーリーに妙に弱い。たとえそれがいくらベタでも、そのパターンを出されてしまうと、ころっと騙されてしまうのだが、一方でまるで駄目なのが、これとは逆のベクトルの作品。家族が憎み合って、最後はバラバラになってしまうと言うパターンは、どれほど素晴らしい出来であったとしても、観ているのが辛くなってしまい、最後は意識を他に漂わせてしまう。
そう言う意味ではワイラー監督作品ほど相性の悪い作品は無かろう。監督作品に出てくるむき出しの憎悪や肉親だからこそ出来る非情な仕打ちの数々は、観てるだけで辛くなってしまって(もちろん監督作品としては『ローマの休日』(1953)なんてのもあるんだけど)…
そして本作はそのワイラー監督の中でも最もそう言う傾向が強い作品。
はっきり言って、観るんじゃなかったと久々に後悔した作品だった。観ていて気持ち悪くなってきた。
あまりにもデイヴィスの鬼嫁ぶりが堂に入りすぎて、一種感心するほどの恐ろしさを出していたし(その後『何がジェーンに起こったか?』(1962)を観るに至り、その思いは確信に変わった)、心臓病の薬を手に夫を見殺しにするシーンは悪夢そのもの。あのときは流石に最後に薬を手渡すもんだとばかり思っていたのに、最後までそれをせず。驚かされた。
実際このシーンはハリウッド映画における名シーンの一つとなり、デイヴィスはハリウッド史上最高の悪女というイメージを植え付けられたそうだが、ここで幾度と無く駄目だしを出され、デイヴィスとワイラーの仲は悪化したとも言われるそうだ。
しかし、それだけ精神的にきつい物語でありながら、カメラアングルは素晴らしいの一言。ワイラー監督特有の階段がこれほど効果的に使われた作品は無かろう。上下からの視点も合わせ、カメラもよく動くし、それぞれがピタッ、ピタッとはまっている。キャラクタのなりきり方も凄く、映画としての完成度が高いことは言うまでもないのだが…
いずれにせよこれは大変消化に悪い作品だと言うことは確かで、少なくとも食事時に観ることはお薦めしない。
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西部の男
The Westerner |
1940米アカデミー助演男優賞(ブレナン)、原案賞、室内装置賞 |
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サミュエル・ゴールドウィン(製)
ジョー・スワーリング
ナイヴン・ブッシュ(脚)
ゲイリー・クーパー
ウォルター・ブレナン
フレッド・ストーン
ドリス・ダヴェンポート
フォレスト・タッカー
チル・ウィルス
ダナ・アンドリュース |
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★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
4 |
5 |
3 |
3 |
3 |
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新たに入植してきた農民と牧童の間でいざこざが絶えなかった1880年代のテキサスに一人の男がやってきた。コール・ハーデン(クーパー)は牧童から因縁を付けられ、馬泥棒として法廷に放り込まれる。そこで判事をしていたロイ・ビーン(ブレナン)が女優リリー・ラングトリーの大ファンであることを知ったコールはリリーの髪の毛を持っていると騙し、裁判を留保させ、自身は農民のマシューズの元に身を寄せる。だが農民と牧童の争いは日に日に激化していく。牧童側についてやりたい放題の判事に、コールは…
アメリカの建国史において、悪名高い“首つり判事”ロイ・ビーンという人物が存在する。法を犯したというより、自分の気に入らない人間を片っ端から首つりにしたという人物で、法の下に人殺しを続けたという悪評と共に、この人がいたからテキサスのバルベルデ郡は安全だったということもあって、ヒーローとしてもアンチ・ヒーローとしても有名な人物。映画にはそのままのタイトルを冠した『ロイ・ビーン』(1972)があるが、この人物を様々な側面を引き出して描いたのがクリント・イーストウッドの諸西部劇映画ではなかろうかと思われる。例えば『ペイルライダー』(1985)なんかでは主人公にその側面を持たせ、『許されざる者』では逆に敵として描いてる。西部劇に独特のこだわりを持つイーストウッド自身がかなり興味を持っていたキャラであり、とても魅力を持った人物と思われる。
そんなロイ・ビーンを描いた作品にはジョン・ヒューストンの『ロイ・ビーン』がある。そこでのロイは、破天荒ながらも一応の正義の人物として描かれていた。
それに対し本作は、明らかに悪人として描くところに特徴がある。しかし、悪人として描いて尚、本作で描かれるロイは魅力的だ。無茶苦茶な性格をしたキャラではあるものの、自分の欲望に忠実で、それ以外の価値観を持たないって描写が見事。悪い事をしていても、それがこの場所には必要悪であることを割り切ってやってるし、しかも性格は極めつけの陽性。悪びれるところがない。実際ある程度までは主人公コールとロイの間には友情も芽生えているし、この二人がどこか似た雰囲気を持つ描写もなかなかに巧い。
コールが典型的なヒーロー像のため没個性なので、こういう強烈なキャラがいてこそ、本作は楽しく観られる。
この構図、どこかで観たかと思ったら、そう言えば邦画の渡り鳥シリーズにおける宍戸錠がそれか。これも又ヒーロー映画の典型的例の一つか。 |
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孔雀夫人
Dodsworth |
1936米アカデミー美術(監督)賞、作品賞、主演男優賞(ヒューストン)、助演女優賞(オーペンスカヤ)、監督賞(ワイラー)、脚色賞、録音賞
1936NY批評家協会男優賞(ヒューストン)
1990アメリカ国立フィルム登録簿 |
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サミュエル・ゴールドウィン(製)
シドニー・ハワード(脚)
ウォルター・ヒューストン
ルース・チャタートン
ポール・ルーカス
メアリー・アスター
デヴィッド・ニーヴン
グレゴリー・ゲイ
マリア・オースペンスカヤ
スプリング・バイイントン
グラント・ミッチェル |
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★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
1 |
4 |
3 |
5 |
3 |
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自動車会社の社長サム=ダッツワース(ヒューストン)は二十年来働きづめで巨額の富を手に入れた。そして娘の結婚をしおに、妻フラン(チャッタートン)の願いを聞き入れて二人でヨーロッパ旅行に出かける。あこがれのヨーロッパに浮かれまくるフランを苦々しく見つめるサム。やがて二人の間には少しずつひびが入っていく。やがてクルト(ゲイ)というパリっ子との恋に夢中になったフランは、ついにサムに離婚を切り出してくる…
シンクレア・ルイス原作の小説の映画化で、一旦舞台劇となった後、その脚色をしたシドニー・ハワードの脚色でワイラーが監督。
上手い監督であることは認めるけど、ワイラー監督作品はどうにも苦手。監督が得意とするエゴむき出しで相手を傷つける台詞の多用が続くと、なんかげんなりした気分になる。これは私自身の資質の問題でもあるのだが、家族が壊れていく物語がどうにも苦手なので、特に本作は精神的にきつかった。
人間関係はお互いに仮面をかぶって行うことになる。相手には自分の悪い面を見せないように気遣いをするのがたしなみというものだ。いや、自分自身でも見たくないから仮面をかぶるのかも知れない。だが、それが剥がれる時が来るものだ。
ここではそれは妻のフランにとって、「これまでこんな男のために我慢し続けた」という思いであり、夫のサムにとっては、「大物ぶっていた自分自身は本当は妻に捨てられることを恐れる気の弱い男だった」という事実。
生活が安定しているのならば、それはお互い見ないように出来たのだが、旅に出ることで、日常性が崩れ、その気持ちに自分自身が気付いてしまった。それがお互いの関係の破壊へとつながっていく…これは実はアメリカという国そのものを示した作品とも言える。どんなに金持ちになってもヨーロッパに対する憧れは捨てられず、一旦ヨーロッパに渡るとその退廃にドップリと漬かってしまう。オチの部分できちんと戻るのも、アメリカ人好みかな?
設定部分は素晴らしいし、前半部分の大物ぶりがどんどん情けなくなっていくウォルター・ヒューストンの好演ぶりは認めるのだが、残念ながら、どうにも私には、それが痛々しいだけに感じられてしまって。
何にせよ、家族をこうも簡単に捨てる物語ってのは、どうにも合わない。
尚、本作を観ると、当時のアメリカ人のヨーロッパコンプレックスというのがまざまざと見せつけられる気分になるが、いくらラブコールを送っても、それが返ってこないところに本作の真骨頂があるのかも知れない。
ちなみに本作は日本にも輸入されたが(日本人向きにしようと題まで日本風にしたのに)、全くの不入り。これは軍国主義に傾いていた日本の世相を反映してのことと言われている。
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