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1981 | 郵便配達は二度ベルを鳴らす 監督・製作 | |
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1976 | ステイ・ハングリー 監督 | |
1975 | ||
1974 | ||
1973 | ||
1972 | キング・オブ・マーヴィン・ガーデン -儚き夢の果て- 監督・製作・原案・脚本 | |
1971 | ||
1970 | ファイブ・イージー・ピーセス 監督・製作・原作 | |
1969 | ||
1968 | ザ・モンキーズ/恋の合言葉 HEAD! 監督・製作・脚本 | |
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タイトル | |||||||||||||||||||||||
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郵便配達は二度ベルを鳴らす 1981 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1930年代の不況時代。仕事探しをしているフランク=チェンバース(ニコルソン)はカリフォルニアの辺鄙なカフェに立ち寄った。すぐに出て行くはずだったが、何故か店長のニック=パパダキス(コリコス)に気に入れられ、更にニックの若い妻コーラ(ラング)を一目見て気に入ったフランクはこのカフェの従業員として働くことにした。やがて、ニックの目を盗んで結ばれた二人は、やがて恐ろしい計画を実行に移す… ジェームズ=M=ケインによる同名小説の四度目の映画化作品。私が知っているのは1942年のヴィスコンティによる『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1943)だけだが、この作品には奥深いメッセージ性があり、ヴィスコンティ嫌いの私にしては、珍しく評価の高かった作品だった。 それと較べると、本作はストレートに原作に沿った作りをしているが、本作には大きな強味がある。 徹底的にねちっこく描写される雰囲気とキャラクタに関してはヴィスコンティ版よりも上を行ってる。爛れたようなあからさまなセックス描写と、『ファイブ・イージー・ピーセス』から抜け出したかのように常に苛ついているニコルソンの姿。その苛つきに感化されたように、場面場面において違った側面を見せるラングの女性らしさ。それら全てが上手く結びついてる。少なくとも、その描写に関しては満点をくれても良い。ニコルソンについては明らかに性格俳優として扱っており、それが成功した作品だろう。ラングも『キングコング』の、単なるセクシーさしか求められない役からはっきりと脱皮して見せた。 ただ問題は、その描写力に物語が追いついてなかったと言うこと。場面場面は映えるのだが、通して観ると、どうしても物語が散漫。折角濡れ手に粟の幸運を手に掴んだのに、それがあまりにもあっさりし過ぎている上に、罪悪感から来る感情の齟齬もないし、主人公が一体何をしたかったのか、もうちょっとだけ明確にすべきだったんじゃないだろうか?特にこういうピカレスクものだと、主人公の存在感だけでなく、思考性というのも重要になるのに、それがないがしろにされすぎ。それが残念な所。 話題になった性的描写も今となってはそんなに問題あるものじゃなくなってしまったし…結局性描写は諸刃の剣なんだよな。売りが出来ると、以降の作品ではそれを越える描写が出てしまって、たいした過激さに見えなくなってしまう。 |
ファイブ・イージー・ピーセス 1970 | |||||||||||||||||||||||||||
1970米アカデミー作品賞、主演男優賞(ニコルソン)、助演女優賞(ブラック)、脚本賞 1970全米批評家協会助演女優賞(スミス)) 1970NY批評家協会作品賞、助演女優賞(ブラック)、監督賞(ラフェルソン) 1970ゴールデン・グローブ助演女優賞(ブラック) 1971キネマ旬報外国映画第7位 2000アメリカ国立フィルム登録簿登録 |
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音楽一家に生まれ、将来を嘱望されていた“ボビー”ことロバート(ニコルソン)は、今は全てに背を向け、その日暮らしを送っていた。何に対しても積極的な姿勢を示そうとせず、同棲しているレイ(ブラック)ともいい加減で、気が向けば適当に拾った女といいかげんに遊んでいた。レイの妊娠を知らされても、全く結婚する気も起きない。そんな時、クラシック・ピアニストの姉ティタ(スミス)から父が卒中で倒れたと聞かされ、久々に家に帰ることにするのだが… 前年に超低予算『イージー・ライダー』(1969)が大ヒットを記録し、アメリカ映画界はニュー・シネマブームへと入っていったが、同じ製作者のバート=シュナイダーとリチャード=ウェクスラーが再びロードムービーとして手がけた。芸術家一家の出身で将来を嘱望されたが、家を飛び出て放浪していたというラフェルソン監督自身の体験を元にした作品と言われる。ちなみに“ファイブ・イージー・ピーセズ”とは初心者向けのピアノ教則本のこと。 まさにニュー・シネマと言った内容で(他のニューシネマ作品と較べると、主人公の年齢をやや上に持っているけど)、恵まれた環境に置かれているはずの主人公が、とにかく苛ついて苛ついて仕方なく、目の前にあるものに何でも噛みついている。とにかく苛ついてはいるが、気は強くないので、結果的に引きこもり逃げ回るしかない。そんな人間を、そのまま描いてる感じ。 この作品を観たのは結構昔で、丁度会社辞めてフリーターやってた時期にビデオで観たのだが(観たの自体『イージー・ライダー』よりも早かった)、身をつまされるような気分にさせられたものだ。長いこと軽度の鬱に悩まされていた事もあって、あの時は本当に「俺だけはボビーの事が分かるぞ!」と勝手に自分の中で盛り上がってしまって、ニコルソンが泣くシーンではわたし自身まで泣いてしまった記憶があり。まさに同じ気分だったと勘違いしていたんだな(ところで考えてみると、大の男が泣くシーンって、本作が初めてかもしれない)。父親と和解できず、悶々としていた自分自身を断ち切り、最後の最後、身一つで去ってしまうシーンは、やっぱり素晴らしいものがある。 でも、本作が受け入れられたのは、まさにそう言っ心境の人間が多数いた時代だったから。50年代の高度成長時代を経て、アメリカは物質的には非常に恵まれた状態にあった。特に世界大戦や朝鮮戦争を通して命を賭けて戦い、その後でがむしゃらに働いた世代が惜しげなく子供にものを与えていった。だが、いくら物質的に豊かになっても、それは子ども達にとっては幸せにはなれなかった。 確か養老孟司だったかと思うが、この当時のヒッピー世代のことを、「持つことに罪悪感を覚える最後の世代」と言っていた。まさにボビーはその世代を代表する存在だったと言えるだろう。 『イージー・ライダー』で存在感を見せていたニコルソンが、本作によってブレイク。その後の映画を引っ張っていく存在となっていく。 共演したニコルソンとアンスパッチの間にはこどもが出来てしまう。 |