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タイトル | |||||||||||||||||||||||||||
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ザ・ダイバー 2000 | |||||||||||||||||||||||||||
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アメリカ海軍でアフリカ系アメリカ人として初めて“マイスター・ダイバー”となった伝説の男カール=ブラシア(グッティングJr)の苦難の道のりを映画化した作品。潜水が得意で、行く行くは海軍のダイバーとなる事を夢見て入隊したブラシアだったが、現実は厳しく、彼はコックにされてしまった。しかし、泳ぎの才能を見てとった、かつての有名なダイバー、プルマン大佐(デ・ニーロ)から甲板兵に取り立てられる。ダイバーを目指すブラシアだが、前例がないのと、アフリカ系アメリカ人を嫌う軍上層部から露骨な嫌がらせを受けるのだった… 実話を元にした。と言うのが売りの映画だったが、何というか、最初からほとんどラストまでのストーリーが丸分かりのありきたりのサクセスストーリーであり、私自身にとってはまるで感情移入が出来ない作品でもあった。 それでも本作は見るべき点、監督が強調したかった意味(と私が思う部分)は確かにある。 プロ意識というのは重要で、自分がプロである。と言う矜持がある限り、人は強くなれる。だけど、そのプロ意識は時として本来持つべき強さをズタズタにしてしまう事もある。 ここではグッティングJr演じるブラシアとデ・ニーロ演じるプルマンという二人のプロの違いを表している。片や這い上がり、一流となるために非常な努力をする事で、プロに“なろうと”した男であり、片や既に有名なプロであった人間。この二人の大きな違いは上昇を指向する強さと、既に下りに向かっているかつてのプロで“あった”人間。この二人の交差が描かれるわけだが、プルマンはまだ自分がプロであろうとしていた。 …プルマンはそのプロ意識故、後背に道を譲る事を潔しとは出来なかった。 この作品は、実はブラシアの成り上がりを描くと同時に、プルマンが自分自身を受けいれ、ブラシアに道を譲ると言う二つの方向性を示していたのだろう。それが出来たと言う点こそ、本当に観るべき部分なのかもしれないな。 |