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1942 | 1'11 ニューヨークで誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||||||
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マイ・ビッグ・ファット・ウェディング 2002 | |||||||||||||||||||||||||||
2002米アカデミー脚本賞 2002ゴールデン・グローブ作品賞、女優賞(ヴァルダロス) 2002ヨーロッパ映画賞インターナショナル作品賞(ズウィック) 2002インディペンデント・スピリット新人俳優賞(ヴァルダロス) 2002放送映画批評家協会アンサンブル演技賞、脚本賞 2003MTVムービー・アワード ブレイクスルー演技賞(ヴァルダロス) |
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ギリシャ系アメリカ人のトゥーラ(ヴァルダロス)は、内気な性格と地味な容姿のせいで30過ぎでもなかなか男性との縁を持てないでいた。“ギリシア人と結婚して死ぬまで家族の食事を作る”というギリシア女性の美徳を信奉する両親はそんなトゥーラが気が気ではなかった。ところがある日、父のレストランで店にやって来たアメリカ人男性イアン=ミラー(コーベット)に一目惚れ。これまでの自分を変えるべく、一念発起するのだが… 強烈なカルチャーギャップが巻き起こす騒動をユーモラスに綴った作品。2002年を代表する映画の一つで、スリーパー映画(前宣伝もせず、批評家の受けも悪かったが、公開してみると、驚くほどのヒット作となった作品)と呼ばれる。元は主演のニア・ヴァルダロスが自身の体験を基に自作自演した一人芝居だったのだが、それを観たトム・ハンクスとリタ・ウィルソンの夫妻の目に止まり、彼らのバックアップで映画化が実現したと言うことでも有名になった。少なくともハンクスはプロデューサとしての目も確かであることを証明する結果にはなった。 まあ、物語の展開そのものは良くあるロマコメにちょっとした自虐的民族ギャグを加えたって感じなので、アメリカ人でもなければ女性でもない私には今ひとつ個性を感じることが 出来なかったのだが、一応この設定のユニークさは推測出来る。 アメリカは移民国家であるが故に、一つ大きなタブーが存在する。特に民族ネタは一般生活の中では語ってはいけないものとされている。これは結構よく言われるのだが、スタンダップコメディアンを目指して日本からアメリカに渡った日本人芸人がことごとく失敗するのは、この認識を持たないからだという。「ほら。私は日本から来ました。珍しいでしょう」…一発目でこれを出したら、もう誰もその話を聞かなくなってしまう。それだけ民族の特異性を語るのはタブー化されているのだという。 これだけ表面的には押さえつけられている。だが同時に民族差別ネタは大変好まれると言う矛盾を抱えているのもやはりアメリカなのである。表の部分で差別をするのがいけないからこそ、アンダーグラウンドではこそこそと語られていくのだ。 映画においても実はこれはあって、特に大手の映画製作会社は民族ネタを殊の外嫌う。やるとしてもコメディではなく、真面目な内容にするように心がける傾向が強い(勿論無い訳ではない。特にアフリカ系監督によって作られたブラック・エクスプロージョン作品はかなり受けの良いのもあり)。そういう間隙を縫うようにしてこういったインディペンデント映画が作られていくのだが(逆に民族ネタ使ったコメディは、その大部分がインディペンデント映画であると認識しても良い)、特に民族ネタを使った作品がここまでのヒットするのは珍しい。 それはコメディとしての質の高さと言うこともあるだろうけど、本作の場合は、本来差別される側のマイノリティが差別する側のマジョリティに向かって手をさしのべるとした作りであることが大きな強味だろう。この作り方だと、いくらマイノリティが自虐的になったとしても文句を言われることは無い。ここが上手い所だ。 このヒットによって、てっきりこのネタが増えるかと思ったのだが、あんまり増えたように思えない。今でもやっぱり民族ネタはハリウッドでは難しいのだろうか? |