ドライビング Miss デイジー 1989 |
1989米アカデミー作品賞、主演女優賞(タンディ)、脚色賞、メイクアップ賞、主演男優賞(フリーマン)、助演男優賞(エイクロイド)、美術監督賞、美術装置賞、編集賞
1989英アカデミー主演女優賞(タンディ)、作品賞、監督賞(ベレスフォード)、脚色賞
1989ゴールデン・グローブ作品賞、男優賞(フリーマン)、女優賞(タンディ)
1990英アカデミー主演女優賞(タンディ)、作品賞、監督賞、脚色賞
1990ベルリン国際映画祭最優秀共演賞(タンディ&フリーマン)
1990キネマ旬報外国映画第8位 |
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リチャード・D・ザナック
リリ・フィニー・ザナック
デヴィッド・ブラウン(製)
アルフレッド・ウーリー(脚)
ジェシカ・タンディ
モーガン・フリーマン
ダン・エイクロイド
パティ・ルポーン
エスター・ローレ
ジョー・アン・ハヴリラ
ウィリアム・ホール・Jr |
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★★★★☆ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
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アルフレッド・ウーリー |
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1948年に長年勤めたアトランタで教職を退いた未亡人のデイジー(タンディ)は、ある日運転中に事故を起こしかける。母の身を案じた息子のブーリー(エイクロイド)は、運転手としてホーク(フリーマン)という初老のアフリカ系男性を雇うことにする。だが金持ち嫌いのデイジーは、どうしてもホークを受け入れられない。そんな彼女の悪態にもかかわらず黙々と職務に励むホークの姿に根負けし、ホークの運転する車に乗るようになるようになるのだった。そんな車の中、紡ぎ出される二人の交流を25年の年月を通して描く。
1988年のピュリツァー賞を受賞したアルフレッド=ウーリーの同名戯曲(フリーマンは舞台でのオリジナルキャストでもある)の映画化で、脚本もウーリーが手がける。タンディとフリーマンの素晴らしい演技もあり、1989年の作品賞オスカーを見事受賞。タンディは80歳でオスカーを受賞し、それまでのオスカー最年長となる。
物語としては性を越えた老人同士の友情物語なのだが、単なる人と人の心の交流だけではなく、時代時代にあった社会的な問題点などもしっかりと描かれているのも特徴だろう。特に根強い人種差別問題についてきちんと描かれているのが最大特徴といえるだろうか。
この作品の面白い所は、あらかじめ敷設してある設定が見事にはまっているという事。ここでは「人種差別」という言葉が重要になっていくのだが、前提条件として、いくつかのキーワードが敷設されている。
主人公のデイジーは実はユダヤ系。これは劇中何度も彼女が、あたかも誇りを持って言っているのだが、それが堂々と言えるようになるまで、彼女の活きてきた時代はかなり大変だったはずなのである。しかも彼女が教師を引退した年というのは丁度『紳士協定』(1947)の公開に重なっていて、ユダヤ人に対する表向きの差別は無くとも、アメリカ人の心情の奥底には抜きがたい差別の心があったはずなのだ。その中で「私はユダヤ人です」と胸を張って言えるデイジーの姿は、それまでどれほど苦労してきたかを垣間見させてくれる。彼女がとても気難しいのは、生来の気性と言うよりは、「強く生きねばならない」と言うことを自分自身に強いてきた生き方なのではないかと思われる。
彼女が頑なにアフリカ系の運転手を避けたのは、彼女は人種的な差別はあってはいけない。と言う考えに凝り固まっていたと言うことになるのだろう。彼女の感覚としては運転手付きの車に乗ると言うことは、自分が今まで忌み嫌ってきた人種差別者と自分を同列に置くことに他ならなかったのである。
だからこそ彼女は差別の対象として運転手を拒否する。しかし、そんな彼女が拒否すればするほど、皮肉なことに、ホークに嫌がらせを与える事で全く違った意味での差別を与えることになってしまったのである。
そして対するフリーマン演じるホークなのだが、彼はデイジーと出会う前にも数多くの差別に遭ってきたのだろう。しかし彼の強さは、どれほど差別を受けたとしても、それをユーモアで返しつつ、なすべき事をきっちりなすという事。彼は差別を受ける事を当たり前として生きてきており、これが彼にとっての処世術だった。そしてデイジーの仕打ちもその一つと思っていた節がある。
この前提条件が覆されるのが、デイジーがホークの車に乗る事を受け入れてから。この関係もしばらくはデイジーの毒舌をホークが笑って受け止めるというだけの関係だったが、やはり密室に長時間二人きりだと、様々な事を話すようになっていく。
ここで初めてデイジー自身が、これまで一人で生きてきて気付かなかった事に気付いていく。差別撤廃主義者であったはずの自分は、確かに制度的な意味では公正だったかも知れないが、人間的な意味では差別主義者だった。強く生きようとするあまり、人を受け入れていなかったと言う事に。その結果、自分こそが差別者と見られていたという事実。
その事実を受け入れるに至り、デイジーは徐々に変わっていくのだが、同時に彼女の変化はホークをも変えていく。彼は差別を受ける事には馴れていたのだが、徐々に彼女はこれまで彼が知っていた人間とは違う事が分かっていくし、彼女によって公民権運動の事も知るようになっていく。
結果的にこの物語はお互い固く、生き方を変えていなかった二人が結び合う事で、お互いに新しい価値観を見つけていくのである。主役は老人でも成長していく事が描かれていく事になる。
一見、最初から最後まで二人の関係は変わっていないように見えながら、さりげなくこの辺りの描写を入れている事が本作の最大の売りだったのでは無かろうか?
そして何よりこれだけ微妙な関係を演じきったタンディとフリーマンの二人の演技が素晴らしい。タンディは最初から最後まで嫌味な役、フリーマンは最初から最後までニコニコした姿を崩さない役なのだが、その表情が徐々に変わって見えるのは、演出の巧さもあるけど、やっぱりこの二人の演技の質が素晴らしいから。
しかし、観た当時は“微妙に面白い”と思ってただけの作品でも、改めてレビューしてみると、その良さが再確認出来るもの。改めて映画について書くってのは面白いものだ。
この年のアカデミーは『ドゥー・ザ・ライトシング』、『グローリー』とアフリカ系が頑張ったが、最も賞を受けたのは本作。
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