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イングマール・ベルイマン
Ingmar Bergman

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鑑賞本数 6 合計点 25.5 平均点 4.25
allcinema Walker ぴあ IMDb CinemaScape
wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ
書籍
ベルイマン自伝
ベルイマン (Century Books―人と思想)
ベルイマンを読む―人間の精神の冬を視つめる人
ベルイマンは語る
愛の風景
ベルイマンの世界
2007 7'30 死去
2005 Bergmanova sonata 脚本・出演
2003 サラバンド 監督・脚本
2002 Persona 脚本
2000 Bildmakarna 監督
不実の愛、かくも燃え 脚本
1997 Larmar och go"r sig till 監督・脚本・出演
1996 Enskilda samtal 脚本
1995 Sista skriket 監督・脚本
1994 日曜日のピュ 脚本
1993 Backanterna 監督
1992 愛の風景 脚本
Goda viljan, Den 脚本
Markisinnan de Sade 監督・脚本
1990 A Little Night Music 脚本
1986 Tva saliga, De 監督
1985 ベルイマンの世界/ドキュメント「ファニーとアレクサンデル」 監督・脚本
Dom Juan 監督
1984 リハーサルの後で 監督・脚本
Karins ansikte 監督・脚本
1983 Hustruskolan 監督
1982 ファニーとアレクサンデル 監督・脚本
1981 Sally och friheten 製作
1980 夢の中の人生 監督・脚本
1979 Faro-dokument 1979 監督
Min alskade 製作
1978 秋のソナタ 監督
A Little Night Music 脚本
1977 蛇の卵 監督・脚本
1976 鏡の中の女 監督・製作・脚本
1975 魔笛 監督・脚本
1974 ある結婚の風景 監督・脚本
Misantropen 監督
1973 The Lie 脚本
1972 叫びとささやき 監督・製作
1971 愛のさすらい 監督
1970 Farodokument 1969 監督
Reservatet 脚本
Play for Today<TV> 脚本
1969 夜の儀式 監督・脚本・出演
沈黙の島 監督
ある結婚の風景(TV) 監督
1968 ベルイマン監督の 恥 監督・脚本
狼の時刻 監督・脚本
1967 Stimulantia 監督
1966 仮面/ペルソナ 監督・製作・脚本
1965 Don Juan 監督
1964 この女たちのすべてを語らないために 監督・脚本
1963 沈黙 監督・脚本
Dromspel, Ett 監督
Tramalning 脚本
1962 冬の光 監督・脚本
1961 鏡の中にある如く 監督・脚本
Lustgarden 脚本
1960 処女の泉 監督・製作
悪魔の眼 監督・脚本
Ovader 監督
1958 魔術師 監督・脚本
女はそれを待っている 監督
Rabies 監督
Venetianskan 監督
1957 野いちご 監督
第七の封印 監督
Bakomfilm smultronstallet 監督・製作
Herr Sleeman kommer 監督
Nattens ljus 脚本
1956 Sista paret ut 脚本
1955 夏の夜は三度微笑む 監督・脚本・出演
Kvinnodrom 監督・脚本
1954 愛のレッスン 監督・脚本・出演
1953 道化師の夜 監督・脚本
不良少女モニカ 監督・脚本
1952 シークレット・オブ・ウーマン 監督・脚本・出演
1951 夏の遊び 監督・原案・脚本
Franskild 脚本
1950 歓喜に向かって 監督・脚本・出演
Sant hander inte har 監督
1949 牢獄 監督・脚本
渇望 監督・出演
1948 エヴァ 監督・脚本
闇の中の音楽 監督・脚本
愛欲の港 監督・脚本
1947 インド行きの船 監督・脚本
Kvinna utan ansikte 脚本
Skepp till India land 出演
1946 危機 監督・脚本
われらの恋に雨が降る 監督
1944 もだえ 助監督・脚本・出演
1918 7'14 ウプサラで誕生

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秋のソナタ
1978米アカデミー主演女優賞(バーグマン)、脚本賞
1978全米批評家協会主演女優賞(バーグマン)
1978NY批評家協会女優賞(バーグマン)
1978ゴールデン・グローブ外国映画賞

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イングマール・ベルイマン(脚)
イングリッド・バーグマン
リヴ・ウルマン
レナ・ナイマン
グンナール・ビョルンストランド
エルランド・ヨセフソン
★★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 ノルウェー北部の田園地方の教会に住む牧師のヴィクトール(ビョルク)と年の離れた妻エヴァ(ウルマン)。二人は牧師館でエヴァの妹で退行性脳性麻痺を病んでいるヘレナ(ニーマン)の面倒を看ていた。そんな時、世界的なピアニストの母シャルロッテ(バーグマン)が帰国する事が分かり、エヴァはシャルロットを牧師館に招く。久々の親子再会に喜び合う二人だが、エヴァが母を呼んだのには他にも理由があった…
 スウェーデン出身の大女優イングリッド・バーグマンが、自らのフィルモグラフィ最後を締めくくる作品として、
40年ぶりに、最後の最後に故郷に帰国し、ベルイマン監督の元作り上げた作品(今気付いたが、バーグマンって、スウェーデン語だとベルイマンになるんだな)。
 家族を題材とした映画は大好き。特にそれまですれ違いが続いていた家族が集まり、本音を話し合うことによって、真正面から傷を見つめ、互いに受け入れあっていく。言ってしまえば、それまでの形式だけの家族が本物の家族になる過程を描いた作品が好き。特にこういった作品は映画の形式では数多いのだが、これが当代随一の監督と名優バーグマンとウルマンという二大スターによってなされたと言う事で、本作の見応えは実に凄まじい。
 現時点で私はベルイマン監督作品をそれほど多く観ている訳ではないが、その大部分の作品は、家族のあり方について描かれている事を感じさせる。それも上手くいっている家族ではなく、どこかひずみを持ち、それを互いに言い出せない状態の家族。長い間抑圧された思いをぶつけ合ったり、あるいはそれをぐっと飲み込んで生きていくことになるのか。その解決方法は様々。家族とは、根底に愛はあるのだが、胸の奥に恩念も又潜ませている。それを静かなタッチで見事に映像化している。
 映画ではエキセントリックな感じに仕上げられることが多いが、リアルな家族の姿がここにはある。実際
家族というのは存在が近いがために、色々いやらしい部分が見えてくるし、それでも生活を送っていかねばならないからこそ、言いたいことを言わずに終わらせてしまうことも多い。普通の場合、それは思春期として現れ、親を不潔な存在として捉え、一方親はこどもを一種のモンスターとして捉える。その緊張感をはらんだ時期が家族には存在する。
 大概の場合これはこどもが自立することによって、お互いに一個の存在として認識できるようになって和解していくもの。多少問題があっても、子離れ親離れができるならば、これで一件落着である。
 しかし、こどもの頃に植え付けられた虐待のイメージが強いと、それができない場合もある。ここで虐待とは暴力という形ではなく、特に最近は
ネグレクトと言われる、無視という形で現れる場合もある(同様に過保護も問題があるが)。親から無視されて育ったこどもは、成長してからかなりやっかいな問題をはらむことが多い。本作は実はそのネグレクトを主題とした物語と言えよう。
 バーグマン演じるシャルロットはそれでもエヴァに対し「愛していた」と語る。だがその愛情は全く注がれることがなかった。芸術家であるシャルロットにとって最上の愛情は自分の仕事にかかわるところに注がれ、家族は二の次。しかもしょうがいを持つ娘がいることが重責となっているので、結果としていくら愛していると自分では思っていても家族から目を背けることになる。外から見たら申し分ない家庭に見えても、中の家族にとっては
「第一に愛されてない」といううつろさがずっと続くことになる。
 特に感受性の強い(疳の強い)エヴァは、それを心に押し込め続けてきたのだろう。彼女が結婚したのは父親とまごうばかりの年上の男性だったのも(ついでに言えば宗教家であったのも)それが原因だったのかもしれない。
 彼女は今、自分が精神的に不安定であることを自覚しているのだろう。だからこそ自分の気持ちに決着を付けるために母を呼ぶ。
 この物語は互いに本音をぶつけ合い、それで傷ついて別れる。ただそれだけ。しかし、家族の再生とはそこから始まる。ここでお互いに本当の気持ちを知った上で少しずつ和解していくものなのだ。和解まで持っていかなかったのはかえってリアル。
 本作での見所は何より二大女優のぶつかり合い。バーグマンにとっては本作が実質引退作だが、自分の全てを投入したと語り、
「初めて演技らしい演技をやらせてもらえた」と語っていたとか。確かにそれまでバーグマンは美しさや気品しか求められてない傾向があったが、演技派女優であることの意地を見せた感じ。一方ベルイマン作品には常連のウルマンも凄い。最初の内、全然目立たない控えめの女性のように見せていて、その仮面が徐々に剥がれてはき出すように本音を言い出すようになる過程を見事に演じきっていた。
 観ていてきついけど、素晴らしい作品なのは確か。
ある結婚の風景 1974
1974全米批評家協会作品賞、主演女優賞(ウルマン)、助演女優賞(アンデショーン)、脚本賞
1974NY批評家協会女優賞(ウルマン)、脚本賞
1974ゴールデン・グローブ外国映画賞
1975英アカデミー主演女優賞(ウルマン)
1981キネマ旬報外国映画第8位

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イングマール・ベルイマン(脚)
リヴ・ウルマン
エルランド・ヨセフソン
ビビ・アンデショーン
ヤン・マルムショ
グンネル・リンドブロム
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
  元のフィルムはスウェーデン国営放送局による50分の6回シリーズのドラマ。
叫びとささやき 1972
1972全米批評家協会脚本賞、撮影賞
1972NY批評家協会作品賞、女優賞(ウルマン)、監督賞、脚本賞、撮影賞
1973米アカデミー撮影賞、作品賞、監督賞、脚本賞、衣装デザイン賞
1973英アカデミー主演女優賞(チューリン)、撮影賞
1973カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会賞(ベルイマン)

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イングマール・ベルイマン(脚)
イングリッド・チューリン
ハリエット・アンデルセン
リヴ・ウルマン
カリ・シルヴァン
★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 スウェーデンのある地方の大邸宅で召使いのアンナ(シルヴァン)と共にひっそりと暮らすアグネス(アンデルソン)。彼女の病気が重くなったとの知らせを受け、姉のカーリン(チューリン)と妹のマリア(ウルマン)が駈けつけてきた。四人の女性が屋敷に集まり、それぞれが自分自身の人生と夫との生活を赤裸々に語り合っていく。
 心理描写に定評があるベルイマンが、女性の心理描写を徹底して描いた作品。過去から現在に至る、コンプレックスや愛憎が錯綜し、息苦しい情念の世界が展開していく。この当時の映画としては画期的と言えるほど赤裸々の性生活の告白や、見つめ合っていくうちに怪しい雰囲気になる姉妹の関係など、描写においてはとんでもなく高度にまとまった作品であるとは言えよう。
 しかし、それが分かった上で、
この作品は気持ちが悪い。それは、観てるだけで不安になって気が滅入ると言った気分悪さで、ちょっとだけずれたら最高作品になるのだが、微妙なところでホラーのような思いをさせられてしまった…いや、これはホラーというよりは「怪談」と言うべきなのかもしれないな。そもそも怪談というのは怪物を必要としないわけだし、女の情念を前面に出すって、そのまんま怪談だな。
 それは物語の重さもそのように作られているのだが、何よりも色彩と音の演出が気持ち悪いというか、苛立たせるものばかりだからなのだろう。目にきつい赤色をそこらかしこに配置し、更に、劇中至るときに“かさかさかさかさ”という音が間断なく聞こえてくる、その音も気持ちが悪い。
 それで一番怖いのは、ベルイマン監督はそれを分かっていて敢えてそう言った演出を狙って使っているのだろうとは思えるところかもしれない。
 映画というのは一種の快楽装置だと私は思っているが、
全く逆の方向に持っていくことも出来る。本作は、現代最高のカメラマンと言われるスヴェン=ニクヴィストの技量を遺憾なく発揮した芸術作品と言えるだろうが、まさに本作の狙いは、不快さと不安を煽ると言った方向性であり、そう言う意味では本当に実験映像的な面白さがここにはある(日本では寺山修司がその方向性を継承しているけど)。それを分かって敢えて作り上げ、しかもそう言うものを商業ベースで作れるベルイマン監督の巧さも感じ取れる。
 本作はホラー的要素を強く持つ作品だが、それは本作をアメリカに提供したのがロジャー=コーマンであったと言う事からも分かるだろう
(実はアメリカでは結構受けが良かったらしい)
 映像に関わりを持った人には是非観ておいて欲しい作品ではあるが、精神的に安定しているときに限って。と付け加えさせていただこう。
処女の泉 1960
1960米アカデミー外国語映画賞、衣装デザイン賞
1960カンヌ国際映画祭FIPRESCI賞(ベルイマン)、特別賞(ベルイマン)
1960ゴールデン・グローブ外国語映画賞

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マックス・フォン・シドー
ビルギッタ・ペテルスン
グンネル・リンドブロム
ビルギッタ・ヴァルベルイ
アラン・エドワール
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
処女の泉(書籍)
 スウェーデンの片田舎の豪農の一人娘がある日曜日、遠方の教会にロウソクを捧げにいった。森で三人組の旅人に出会った娘は弁当を振舞うが、その優しさにつけ込んだ三人組によって殺されてしまうのだった。その後彼らは、何も知らずに当の豪農の家に一夜の宿を求めるのだが…
 北欧に伝わる
「ヴァンゲのテーレの娘」による聖なる泉伝説を、できるだけ原点に忠実に映画化した作品。ベルイマン監督は本作は最も気に入っている作品の一つだと語っている。
 一時期「本当は怖い〜」とかいうシリーズが流行ったことがある。昔話を例に挙げ、ディズニーあたりが脱臭した物語ではなく、その原典をたどり、実はこんなに残酷な作品なのですよ。ということを分かりやすく紹介したもので、「こんなもん読むくらいなら原典読めよ」と言われたらそれまでの作品だった。
 でも確かに昔話って、原典をたどると相当にえぐいのが多い。いじめられた主人公は平気でいじめられた相手を殺すし、理不尽な描写もかなり多い。
 一応童話の形ではあるものの、本作の原典も相当にきつい物語なのだが、それを忠実に映画化したものだから、現在だったら確実にレーティングシステムに引っかかるような物語になってる。なんせ娘が強姦されて殺されるのも、その父親が復讐で強盗を残酷に殴り殺すのも、全部ちゃんと映像化してるもんなあ。特に現代の目から見たら、いくら復讐とは言っても、
人殺しをした人が聖なる存在となるのか?と言う激しい疑問点が残り、クライマックスの泉がほとばしるシーンが素直に「良かったね」とは思えないところが問題。
 とは言え、そのパッションこそがこの作品の味であり、この時代にこれだけ容赦のない暴力描写が作れたのか。と感心することは出来る。単純な作品ながら、ぎゅっと詰まった充実した作品として受け取ることも出来る。
 その分、印象深いシーンは多い。ポルノ性を一切排除し、本当に暴力的なレイプシーンも、父親が鬼のような形相で強盗たちを殴り殺すシーンも、鮮明に思い出せる。
 ただ、一番印象に残ったのは、強盗に襲いかかる前にサウナに入っているところだろうな。あのシーンは激しく違和感が残った。あのシーンが何故必要だったのかと考えると、あれは一種の禊ぎなのかもしれないな。
 いろいろ考えさせられる作品で、出来れば保有しておきたい作品の一本。
野いちご 1958
1958ヴェネツィア国際映画祭イタリア批評家賞(ベルイマン)
1958ベルリン国際映画祭金熊賞(ベルイマン)
1959米アカデミー脚本賞
1959ゴールデン・グローブ外国映画賞
1962キネマ旬報外国映画第1位

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イングマール・ベルイマン(脚)
ヴィクトル・シェストレム
イングリッド・チューリン
グンナール・ビョルンストランド
ビビ・アンデショーン
グンネル・リンドブロム
マックス・フォン・シドー
★★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 イサク(シェストレム)は医者として50年に及ぶ業績を讃えられ、名誉博士号が与えられることになる。授与式の行われるルンドに飛行機ではなく車で行くことにこだわるイサクに、妻は呆れ、息子の嫁(チューリン)の運転で向かうことになる。途中何人かの人達を車に乗せたり、イサクの思い出の地を訪れたりして、そこで過去犯してしまった後悔の記憶を織り交ぜ、虚々実々の物語が展開する。
 数々の傑作を作り出したベルイマン監督作品の中でも最大の傑作と言われている作品。
 北欧映画は第一次大戦以前はかなりもてはやされていたらしい。
決してエンターテインメントに捕らわれることなく、哲学的な命題を淡々と描き、しかもそれをしっかり物語として観させるという、技術的にもかなり困難なことに挑戦し、しかもそれが成功している作品が多かったため。その代表と言われていたのが本作の主役を務めているシェストレム監督だった。だが、彼がハリウッドに招かれて以降、スウェーデン映画は衰退してしまったという過去がある。
 そしてしばらく低迷していたスウェーデン映画の復興をなしたのがこのベルイマン監督だった。この二人が組んで作られたのが本作。
 ベルイマンはこの当時はまだ40前の、“若い”監督であり、一方シェストレムは当時78歳。二人が代表する「過去」と「現在」のスウェーデン映画を見せる作りになっているのが特徴。

 映画とは過去を映し出す鏡であり、夢でもある。スウェーデン映画の過去と現在。あたかも本作はそれを思わせるかのように物語も展開していく。

 ここで登場するイサクは、外面的には功上げ名をなした人物として描かれるが、冒頭から常に不機嫌なまま。その不機嫌さはどこから来ているのか。と言うのが話が進むに従って明らかになっていく。
 彼はさまざまなビジョンを観る。それは時として過去に捨てた女性の姿であったり、妻の不貞であったり、そして今、息子の嫁から聞かされている現在の自分の姿であったり。それらは全て後悔という姿を取っているのだが、不幸に浸ろうとする自分を周囲が許しておかない。そりゃそうだ。
過去を観ようにも、現在の時計は動き続けているのだから。
 しかし一方過去は甘美である一方、否応なしに自分を責め苛む。それを打破するのもやはり現実である。
 現実に目を向けることが一番難しいかも知れない。だけど現実は自分をしっかり引き戻してくれる。
 ここでイサクはしばらく過去の旅をしてきたが、過去を旅することで改めて自分自身を受け入れる事が出来、最後は現実にきちんと着陸している。まさにこれこそロードムービーの基本だろう。ラストが下手にラストを感傷的でないことも、これからまだ人生は続くことを思わせてくれる。

 役者としては久々だったためか、時々せりふを忘れたり、昔風の大芝居をしがちだったが、ベルイマン監督が「自然に」とアドヴァイスすると、見違えるような演技を見せたという。

 

第七の封印 1957
1957カンヌ国際映画祭審査員特別賞(ベルイマン)
1963キネマ旬報外国映画第6位

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マックス・フォン・シドー
グンナール・ビョルンストランド
ビビ・アンデショーン
ニルス・ポッペ
ベント・エーケロート
グンネル・リンドブロム
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 中世。失敗した十字軍に従軍し、ぼろぼろになりながらも故郷の途についた騎士アントニウス(シドー)。ペスト禍が広がる故郷を前にしたアントニウスの前にマントを羽織った死神(エーケロート)が現れる。死に神は彼の命は後僅かであることを告げ、チェスの勝負を挑んでくる。死神から何とか譲歩を取り付けたいアントニウスはその勝負に応じるが…
 本作はベルイマン監督らしい、非常に哲学的命題を持った作品で、抗いがたい運命に翻弄される人間と、その心理状態の移り変わりを捉えた名作。特にアントニウスの従者役のビョンストランドと死神役のエーケロートのキャラが立っていて、暗い作品の中、不思議にコミカルな演出がなされているのが面白いところ。
 エリザベス=キューブラ=ロスという人の書いた
「死の瞬間」という本がある。人は死を前にしてどのような心理状態の移り変わりをしていくか、と言う名著だが、死を受け入れる事の困難さ、そしてそれをやり遂げることが人生最大にして最後の役割である。と言う事がここに書かれている。死を前にした人は何段階かの課程を経て死を受け入れるのだそうだが、その中に「取り引き」という課程が入る。「こういう生活をしたら生き延びられるかも知れない」あるいは「たとえ危険な方法でも生きられるのならば、どんなことでもする」という心理的な課程。アントニウスが死に神のチェス勝負に挑むのはその瞬間の出来事に符合するし、そして様々な課程を経て死を受け入れるに至るまでを克明に描いていたとも言えるだろう。ラストのダンスは意味不明なんだが、確かどこかであれは「死者を送るダンスだ」と書いていた人がいたようないないような…(『モンティ・パイソン 人生狂想曲』(1983)に似たシーンがあるけど、これにインスパイアされたか?)。死と向き合う事がチェスというゲームにおいてなされるというのも一つの特徴。人生なんてこれと同じ。死神に徐々に駒を取られ、最後にキング=自分を取られた時、人生は終わる。なんて事を言いたかったのかも。ベルイマン監督の特徴でもあるが、生きていること事態が死に向かって一歩一歩踏み出しているという描写になされることが多い。しかし、死そのものは怖いものではなく、生きていること事態が苦痛のため、死はどこか救いに似ている。
 何よりベルイマン監督のイマジネーションに敬意を表したい。

 そういや本作の死神は『ラスト・アクション・ヒーロー』(1993)にも登場してる。たまたまあれを観るほんのちょっと前にビデオで本作を観ていたので(観ていて良かったよ)、なんだか嬉しくなった記憶がある。

 こういう不思議な作品はなかなか観客受けがしないので、
自費製作で徹底的に時間をかけてコツコツと監督がセルフフィルムで作るか、その逆にあっと言う間の早撮りで作るかのどちらかになりやすいが、本作は後者。監督の『夏の夜は三たび微笑む』が成功したお陰でスヴェンスク・フィルムインダストリが35日以内の撮影なら。と言う条件で撮影することが出来たもの。早撮りだからこそ、イマジネーションがフィルムに焼き付けられるってのもあるんだな。勿論脚本もベルイマン監督本人が行っている。
 ところで地平線でのダンス場面では撮影当日に雨が降ったため、みんなで帰り支度をしていたところ、突然天気が変わったので再びカメラを回す。ただし俳優の何人かは既に帰っていたため、大道具助手などに衣装を着せて踊らせたそうな。

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