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シネマトグラフ覚書―映画監督のノート(書籍) _(書籍) |
1999 | 12'22 死去 | |
1998 | ||
1997 | ||
1996 | ||
1995 | ||
1994 | ||
1993 | ||
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1989 | ||
1988 | ||
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1986 | ||
1985 | ||
1984 | ||
1983 | ラルジャン 監督・脚本 | |
1982 | ||
1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | たぶん悪魔が 監督・脚本 | |
1976 | ||
1975 | ||
1974 | 湖のランスロ 監督・脚本 | |
1973 | ||
1972 | ||
1971 | 白夜 監督・脚本 | |
1970 | ||
1969 | やさしい女 監督・脚本 | |
1968 | ||
1967 | 少女ムシェット 監督・脚本 | |
1966 | ||
1965 | ||
1964 | バルタザールどこへ行く 監督・脚本 | |
1963 | ||
1962 | ジャンヌ・ダルク裁判 監督・脚本 | |
1961 | ||
1960 | スリ(掏摸) 監督・脚本 | |
1959 | ||
1958 | ||
1957 | ||
1956 | 抵抗(レジスタンス)-死刑囚の手記より- 監督・脚本 | |
1955 | ||
1954 | ||
1953 | ||
1952 | ||
1951 | ||
1950 | 田舎司祭の日記 監督・脚本 | |
1949 | ||
1948 | ||
1947 | ||
1946 | ||
1945 | ||
1944 | ブローニュの森の貴婦人たち 監督・脚本 | |
1943 | ||
1942 | ||
1941 | ||
1940 | ||
1939 | ||
1938 | ||
1937 | ||
1936 | Jumeaux de Brighton, Les 脚本 | |
1935 | ||
1934 | Affaires publiques, Les 監督・脚本 | |
1933 | C'e'tait un musicien 脚本 | |
1932 | ||
1931 | ||
1930 | ||
1929 | ||
1928 | ||
1927 | ||
1926 | ||
1925 | ||
1924 | ||
1923 | ||
1922 | ||
1921 | ||
1920 | ||
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1905 | ||
1904 | ||
1903 | ||
1902 | ||
1901 | 9'25 ピュイ=ド=ドームで誕生 |
ラルジャン 1983 | |||||||||||||||||||||||||||
1983カンヌ国際映画祭監督賞、パルム・ドール | |||||||||||||||||||||||||||
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物理的な牢獄に入ることによって精神的な牢獄から抜け出すという意味がある。 |
バルタザールどこへ行く Au hasard Balthazar |
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1966ヴェネツィア国際映画祭審査員特別表彰、イタリア批評家賞、国際カトリック映画事務局賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ロバの一生に人間の一生を託する作品だが、黙々と使命を果たすロバは、まさにブレッソンがこれまで作ってきた主人公達と通じるものがある 人間が生まれながらにして持つ残酷さと破壊的な衝動を描き、同時に神聖さとは何かを模索する。批評家アンドリュー・サイスはこれを称し「人を感動させる数々の優れた芸術表現の最高峰にぽつんと立っている」と評す |
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ジャンヌ・ダルク裁判 Procès de Jeanne d'Arc |
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1962カンヌ国際映画祭国際カトリック映画事務局長賞(プレッソン)、審査員特別賞(プレッソン)、青少年向映画賞(プレッソン) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ジャンヌがいるシーンの大部分は牢獄だが、これは精神の入れ物としての肉体を描いているとも言われる。ジャンヌが自ら選択して肉体を脱ぎ去る時に本物の自由が与えられる。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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スリ(掏摸) Pickpocket |
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1960キネマ旬報外国映画第9位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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母親を残してパリで生活する青年ミシェル(ラサール)は、職にもつかず毎日ぶらぶらと暮らしていたが、駅での混雑を見ているうちに、不意に他人の財布をすり盗りたいという欲求を持つようになった。手先の器用な彼は難なくそれを実行してしまうが、それ以降やみつきになってしまう。いったんは母親のためにすりをやめようとも考えるのだが、ひょんなことでプロのすりたちの連携を見ることで、またしてもその欲求が… プロのすりたちの様子をドキュメンタリー・タッチで描いたブレッソン監督の傑作。あたかもゲームのように他人の財布をすり盗るすりの手腕に、丁度当時のフランス映画らしくヌーヴェル・ヴァーグ的な手法を組み合わせた作品で、実に興味深い。すりとはそもそも犯罪なので表に出すことがあってはいけないが、それゆえにこそ人には見せられない、見せてはいけない手腕を磨きに磨き、鮮やかに財布をすり盗る描写がすごい。 これは一種のゲーム中毒に似ている。実生活ではまったく冴えず、むしろ人目を避けて生活しながら、一旦非現実の世界に入り込むと、そこで彼はヒーローに早変わりする。それを繰り返すうちに、人には言えない裏の生活の方が充実してしまい、そこからどっぷりと漬かってしまって抜け出せなくなる。人に言えないからこそ、背徳めいた冥い喜びがそこにはある。 それでもミシェルはいったんはそこから足を洗えたのだ。まだ彼は母親と言う現実との接点を持っていたし、母に対し済まないと言う思いもあった。それが更生の道を歩ませることになるのだが… ここで物語の巧妙さが出る。 止めたとしても、中毒は治らない。ましてや楽しそうにそれをやっている仲間がいるなら。後ろめたいことをやってる人間は同族に対する嗅覚が異様に鋭くなる。ミシェルがスリグループと出会うのは、いわば必然的な結びつきあいだった。 こうなってしまうともはや後は止めようがない。転がり落ちるかのように転落していくだけだ。 若者がなにがしかの中毒になってしまい、そこから逃れられない。という形は、やはりヌーヴェル・ヴァーグによって始まったのだろうと思うが、その最初期に、その基本形が出来上がったことを見るのもなかなか興味深い話だ。 充実したスリの行動と、味気のない現実の対比。これをコントラストをつけることで、どんどん落ちていく若者の必然性が描かれるようになる。まさしくこれはヌーヴェル・ヴァーグの時代だからこそ可能となった物語展開で、それをブレッソン監督は最大限に活かしてみせたわけだ。時代が生んだ傑作と言っても良いだろう。 スリのシーンの見事さは現代の目で見ても鮮やかで、それがうまく機能してるし、役者が素人だというのもリアリティに貢献している。 |
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抵抗(レジスタンス)-死刑囚の手記より- Un condamné à mort s'est échappé ou Le vent souffle où il veut |
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田舎司祭の日記 Journal d'un curé de campagne |
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