ダイ・ハード ラスト・デイ |
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アレックス・ヤング
ウィク・ゴッドフリー
トム・カーノウスキー
ジェイソン・ケラー
スキップ・ウッズ(製)
スキップ・ウッズ(脚) |
ブルース・ウィリス |
ジェイ・コートニー |
セバスチャン・コッホ |
ラシャ・ブコヴィッチ |
コール・ハウザー |
ユーリヤ・スニギル |
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★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
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長い間音信不通だった息子のジャック(コートニー)がロシアで収監されていると聞かされたニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(ウィリス)は、その裁判を見守るためにモスクワへと降り立った。ところが、ジャックが出廷するはずの裁判所が突然爆破され、マクレーンはまたしても事件に巻き込まれてしまう…
ブルース・ウィリスの出世作にして、アクション作の傑作『ダイ・ハード』。思い出したように続編が作られ続けられている作品だが、その出来は様々。しかし、アイディア勝負が受けた一作目から、話が進むに連れ、どんどん派手になっているのだけは共通している。
それで五作目にあたる本作は、とても悪い意味で進化してしまった。
元々一作目があんなに面白かったのは、運悪く事件に巻き込まれてしまった主人公が、知恵を総動員して、敵の裏をかきながら生き延びるというのが一番の楽しさだったはず(ウィリスがさほど知性的に見えないのが大きな売りとなっていたとも思う)。
続編が作られる度、それらは少しずつ形を変えていったものだが、本作ではウィリスが主人公であるという以外、全てを切り捨てたとしか思えない。今回のマクレーンは、巻き込まれるよりも積極的に関わっているし、脳みそが筋肉で出来てるの?というくらい何も考えていない。もはや一作目にあった良いところは欠片すら残っておらず、単なる派手な“だけ”の作品に堕した。
多分これ、スタローンの『エクスペンダブルズ』(2010)に触発されて、とことんB級にこだわった作りなんだろう。だけど派手な“だけ”が許される作品と、許してはいけない作品というのがあり、『ダイ・ハード』はそれをやってはいけない作品の一つだ。
『ダイ・ハード』の売りは派手さではなく、むしろ逆境に陥った主人公マクレーンが、(ない)知恵を絞って苦労して苦労して生き残り、最後に破れかぶれに特攻していくところにある。それを単なるB級アクションに仕上げては、全く違った作品にしかならない。どんなに画面が派手になっても、観てる側は気分的にどんどん盛り下がる。
更にこの時期に原発問題をあんなに軽く扱ったのも腹が立つ部分だ。特に日本に住んでる身としては、こんな単純に放射能対処されると、なんかとても複雑な気分にさせられてしまう。
期待した分、失望も大きい。こんな作品は求めてなかった。
本作で褒める部分があるとすれば、唯一これだけ。90分ちょっとで終わったこと。ある意味これは拷問に近い時間だったので、この程度の時間で終わってくれたことは助かった。
それ以外にほめるところは取り立てて見あたらず。
それで少し時間が経ってから、少し構造的に考えてみた。
ロシア人のコマロフを中心とするならば、欲に駆られてジャックを自分に取り込もうとしたところ、親父が出てきて散々に街を破壊された挙げ句全てを失ってしまった…
これはどこかで観た設定だが…と、考えた時、はたと気がついた。これはそのまんま『大巨獣ガッパ』(1967)じゃないのか?
ああ、なるほどついにマクレーンは怪獣にまで成長したって事で…おい。 |
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