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2019 | 大脱出3 出演 | ||||||||||
2018 | クリード 炎の宿敵 製作・脚本・出演 | ||||||||||
大脱出2 出演 | |||||||||||
バックトレース 出演 | |||||||||||
2017 | ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス 出演 | ||||||||||
2016 | |||||||||||
2015 | クリード チャンプを継ぐ男 製作・出演 | ||||||||||
2014 | エクスペンダブルズ3 ワールドミッション 原案・脚本・出演 | ||||||||||
ゲットバッカーズ 出演 | |||||||||||
キャノンフィルムズ爆走風雲録 出演 | |||||||||||
2013 | バトルフロント 製作・脚本 | ||||||||||
リベンジ・マッチ 出演 | |||||||||||
大脱出 出演 | |||||||||||
2012 | エクスペンダブルズ2 脚本・出演 | ||||||||||
2011 | Mr.ズーキーパーの婚活動物園 出演 | ||||||||||
2010 | エクスペンダブルズ 監督・脚本・出演 | ||||||||||
2009 | スタローン in ハリウッド・トラブル 出演 | ||||||||||
2008 | ランボー 最後の戦場 監督・脚本・出演 | ||||||||||
2007 | |||||||||||
2006 | ロッキー・ザ・ファイナル 監督・脚本・出演 | ||||||||||
2005 | |||||||||||
2004 |
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2003 | シェイド 出演 | ||||||||||
スパイキッズ3-D:ゲームオーバー 出演 | |||||||||||
TAXi(3) 出演 | |||||||||||
2002 | シルベスター・スタローン ザ・ボディガード 出演 | ||||||||||
D−TOX 出演 | |||||||||||
2001 | ドリヴン 製作・脚本・出演 | ||||||||||
2000 | 追撃者 出演 | ||||||||||
1999 | |||||||||||
1998 | アラン・スミシー・フィルム 出演 | ||||||||||
アンツ 声優 | |||||||||||
1997 | コップランド 出演 | ||||||||||
1996 | デイライト 出演 | ||||||||||
1995 | 暗殺者 出演 | ||||||||||
ジャッジ・ドレッド 出演 | |||||||||||
1994 | スペシャリスト 出演 | ||||||||||
1993 | デモリションマン 出演 | ||||||||||
クリフハンガー 脚本・出演 | |||||||||||
1992 | 刑事ジョー ママにお手あげ 出演 | ||||||||||
1991 | オスカー 出演 | ||||||||||
1990 | ロッキー5 最後のドラマ 脚本・出演 | ||||||||||
1989 | ロックアップ 出演 | ||||||||||
デッドフォール 出演 | |||||||||||
シルベスター・スタローンの レインボー 出演 | |||||||||||
1988 | ランボー3 怒りのアフガン 脚本・出演 | ||||||||||
1987 | オーバー・ザ・トップ 脚本・出演 | ||||||||||
1986 | コブラ 脚本・出演 | ||||||||||
1985 | ロッキー4 炎の友情 監督・脚本・出演 | ||||||||||
ランボー 怒りの脱出 脚本・出演 | |||||||||||
1984 | クラブ・ラインストーン/今夜は最高! 脚本・出演 | ||||||||||
1983 | ステイン・アライブ 監督・製作・脚本・カメオ出演 | ||||||||||
1982 | ロッキー3 監督・脚本・出演 | ||||||||||
1981 | ナイトホークス 出演 | ||||||||||
1980 | 勝利への脱出 出演 | ||||||||||
1979 | ロッキー2 監督・脚本・出演 | ||||||||||
1978 | パラダイス・アレイ 監督・原作・脚本・出演 | ||||||||||
フィスト 脚本・出演 | |||||||||||
1977 | |||||||||||
1976 | ロッキー 脚本・出演 | ||||||||||
1975 | ビッグ・ボス 出演 | ||||||||||
デス・レース2000年 出演 | |||||||||||
さらば愛しき女よ 出演 | |||||||||||
1974 | ブルックリンの青春 出演 | ||||||||||
1973 | |||||||||||
1972 | レベル 出演 | ||||||||||
1971 | ウディ・アレンのバナナ 出演 | ||||||||||
1970 | ザ・イタリアン・スタローン 出演 | ||||||||||
1969 | |||||||||||
1968 | |||||||||||
1967 | |||||||||||
1966 | |||||||||||
1965 | |||||||||||
1964 | |||||||||||
1963 | |||||||||||
1962 | |||||||||||
1961 | |||||||||||
1960 | |||||||||||
1959 | |||||||||||
1958 | |||||||||||
1957 | |||||||||||
1956 | |||||||||||
1955 | |||||||||||
1954 | |||||||||||
1953 | |||||||||||
1952 | |||||||||||
1951 | |||||||||||
1950 | |||||||||||
1949 | |||||||||||
1948 | |||||||||||
1947 | |||||||||||
1946 | 7'6 ニューヨーク州ニューヨークで誕生 |
エクスペンダブルズ 2010 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2010ゴールデン・ラズベリー監督賞 2010ツイッタートレンド8位 2011サターンアクション/アドベンチャー作品賞 |
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数々の危険な任務を金で雇われてこなしているバーニー・ロス(スタローン)率いる傭兵軍団"エクスペンダブルズ"。そんな彼らに南米の島国ヴィレーナを牛耳る独裁者ガルザ将軍(ザヤス)の抹殺という困難な大仕事が依頼される。この依頼を受けるかどうか、現地へ視察に向かったバーニーと副隊長のクリスマス(ステイサム)は、ガルザの実の娘でありながら反政府活動をしているサンドラ(イティエ)と出会うが、その為に軍に狙われることになってしまう。この事件の背後にCIAの影を見たバーニーは、この仕事を降りることにするが、どうしても島に残してしまったサンドラのことが気に掛かり… シルベスター・スタローンがハリウッドのアクションスターを一堂に会して造り上げた痛快娯楽大作。出演者の名前だけでも、スタローンを始として、ジェイソン・ステイサム、ジェット・リー、ミッキー・ローク、ドルフ・ラングレン、ブルース・ウィリス、アーノルド・シュワルツェネッガーと、全員ピンで20年前から主役張っていた人達ばかり。名前を呼び上げるだけでも心に震えが来るくらいの豪華メンバーだ。こんなものをスクリーンで見せてくれただけでも眼福と言った感じ。スタローンってこんなに人脈と人望があったんだなあ。 実際、これは80年代から90年代にかけてのハリウッドアクション大作をリアルタイムで知っている人間としては、本当に感慨深いこと。少なくともスタローンとウィリス、シュワルツェネッガーが同一画面に出てるってだけでも、20年前に願っていたことが今になって叶った。と言う思いにさせてくれる。かなり世代は狭いかも知れないけど、これ観て“幸せ”と思える人間は結構いるんじゃないだろうか?それは、彼らが今活躍していることから、それこそ20年前の勇姿が透けて見えてくるから。それぞれのキャラの見所毎に、名場面が脳裏に甦ってくる。 “20年前”と言ったが、彼らは今でも現役で主役を張って活動している面々。ただ、今やほとんど大作の話は無くなって大概B級アクションばかりとなってしまっており、それだけにこの作品は「嬉しい」と思う半面、どこかもの悲しさも感じられたりする。彼らが暴れまくるような作品は、どんどん追いやられ、こうやって集合してようやく一本の大作が出来るくらいになってしまったのか。と、一抹の寂しさと、昔は良かった、と言う年寄り臭い感慨と… 何というか、この作品観てると、善し悪しじゃなくて、“幸せ”を感じてしまうんだな。映画観ていてそんな気分にさせてくれると言うだけでも観る価値があるってもんだ。 そしてこんな作品を作れるのはスタローン以外にはいない。スタローンは実に30年以上もアクションスターの筆頭に挙げられる人物で、そのネームバリューあってこそ、これだけの人達を集めることが出来たのだし、そしてそんなスタローンだからこそ、その思いに応えようとしてくれる人達がいることを思わされる。 ただし、本作は単なる懐古趣味に走っただけの作品ではないのも確か。スタローンは実は監督としてはかなり凄腕でもあるのだ。 実際役者としてのスタローンはラジー賞の常連でもあり、おおかたの批評家の目からは大根と見られる事が多いが、それは本来のはまり役からは離れているから。ロッキーがあまりもはまっていたため、以降ヒーロー役ばかりが回ってきた。これらは確かに観客側では求めてるかも知れないけど、スタローン自身のはまり役とは違ってる。むしろこの人は無理に格好良い役やらせるより、田舎の木訥な兄ちゃんが、分不相応な役割を担ってしまって、戸惑い続ける。と言った感じの役の方がよく似合う。その事は自分自身がよく知っているようで、実際に彼自身が自らを主人公として監督なり脚本を書いた作品は質が高いものが多い。 アクションをやらせる場合は背伸びさせないで自然体、そのままの姿でやらせた方が良い。『ロッキー』であれ『ランボー』であれ、そう言う位置づけだからこそ格好良く見えるのだ。 そんなスタローンが作ると言うのだからこそ、往年のアクションスターが大挙して集めることが出来たんじゃないだろうか。とりあえず、今できることをやってもらえる。と言う思いこそが彼らの望みだったのだろうから。 レビューはここまでにしても良いのだが、ただ、本作に関してはもうちょっと言いたいことがある。 スタローン自身は、本作を相当な皮肉な思いを持って作ったのではないか?とも思えたりする。 やや斜に構えて本作を見てみると、色々出てくる。 まずタイトルである『エクスペンタブルズ』というのは「消耗品」という意味。ハリウッドにとってのアクションスターというのは、まさしく消耗品的な見方をされていた。そんな奴らを集めて映画作るとなれば、「俺たちは消耗品の集まりだ」と主張しているかのよう。 物語は、極めて単純に見えるが、敵の首領であるはずの将軍の設定が面白い。実力で将軍の地位に就いたし、人望もあるのに、結局はCIA、つまりアメリカという国そのものによって一定の期待をかけられ、それを演じるしかない。先ほどスタローンがハリウッドスターとして不本意な役ばかりやらされていたと書いたが、まさにあの将軍の立ち位置は過去のスタローン自身そのものとも見られる。更に言うなら、2000年代になってハリウッドの映画がどんどん質が悪くなってきた事実というのは、ハリウッド映画の製作者が今や映画人ではなく、経済界の人に変わってきたと言うこともある。リメイクやアメコミヒーロー作品の量産って、実は映画人から出てくる思考じゃないから。これまで金のために我慢してやっていた事を、金なんか関係なくぶっ潰してやる。と言うエクスペンタブルズの行動は、ハリウッドに対する挑戦というか、相当な皮肉が込められてたのでは?それで大ヒットしたんだから、良い意趣返しになっただろう。 まだまだある。スタローン、シュワルツェネッガー、ウィリスのスリー・ショットは、実はこの三人(にデミ・ムーアを加えた4人)は“プラネットハリウッド”というレストランの共同出資をしていたことがあって、ビジネス・パートナーだった。そんな三人が、腹に一物持ち、互いを全く信用せずに会話してるのは、なんかお互いに嫌味を言い合ってるみたいで。まあ、それを狙ったんだろうけど。 個々の俳優で言っても、例えばドルフ・ラングレン。この人は数々の映画の主演を演じているが、未だにその代表作と言われると、『ロッキー4 炎の友情』だったりする。彼がアクションスターの地位を築いたのはスタローンあってこそ。そんな彼がわざわざ裏切り者を演じるのは、やっぱり何かの皮肉が込められてる気にさせられるし、ジェット・リーが金に卑しいとか身長のことを度々口にするのも、どうしてもハリウッドだとアジア系俳優は出演料に関して渋られることもあって、アジア系アクションスターの主張を代弁してるような?そういう風に考えると、画面の端々に色々な皮肉っぽい演出があるので、その意味でも相当に楽しめる。まあ、ロバート・アルトマンとまではいかずとも、こう言う皮肉を作れる監督は今はとても貴重だ。 そう言った皮肉部分を考えてみても、スタローンは監督として相当実力を付けてきた事を窺わせてくれる。これからまだまだ楽しい作品を作ってくれることを期待したい。 |
ランボー 最後の戦場 2008 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2008エドガー・ライトベスト第20位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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タイ北部。ミャンマー国境近くで孤独な日々を送っているジョン・ランボー(スタローン)のもとに、軍事独裁政権が続くミャンマーの少数民族支援のためアメリカ人の宣教団が訪れる。その中にいたサラという女性の熱意に打たれランボーは、彼らを目的地の村まで送り届ける。だがその後、彼らがミャンマー軍にとらえられてしまったと言う情報が入り、彼らを救うため5人の傭兵を同じ村へと送り届けることになった。その依頼を受けたランボーは戦場への帰還を決意する。 前作『怒りのアフガン』から早20年。再びランボーが戦場に還って来きた。『怒りのアフガン』の時と現在では随分時が経つが、世界にはまだまだ紛争が残り、なまじ技術が進んでしまったために、より大量に、より残酷に人が殺されるようになった世界へと移ってきた。 本作はまさにその残酷さを象徴するかのような物語。のっけから実際の紛争で亡くなった人々の死体の映像が続き(しかも腐乱したやつとか焼き殺されたのとか)、劇中でも手とか脚とか脳みそとかが画面いっぱいに飛び散る。下手なホラー映画よりもゴアな描写は凄いし、怖がらせようと言う姿勢が無いため、容赦なく乾いた残酷シーンが連発する。この作品に限ってR15指定というのが本当によく分かった。 対して物語は極めて単純。ランボーにとって必要なのは死に場所とそこに赴く動機さえあれば、後は不必要とばかりに物語を切り、一旦戦場に出たら、もう活き活きと派手に暴れ、殺せるだけ人を殺していく。殺人のために作られた機械というか、サイボーグみたいな存在として描かれる。 ただ、これは決して文句ではない。むしろこれこそが本当に観たかったランボーの姿だったのだから。彼に論理や感傷は不必要。それらは活動の前後ですっぱり終わらせ、劇中は暴れるだけ暴れて欲しい。それがランボーに望んでいたこと。ランボーの場合は論理体系が『ロッキー』とは異なるのだ。前作『怒りのアフガン』はその辺の割り切りが出来なかった事が最大の敗因だと思われる。あのランボーは最後までイジイジし続け、敵の論理も理解しようとしていた。そんなランボーは観たくなかったのだ。そしてそれらの論理を完璧に切り捨て、まさに鬼神としてランボーはミャンマーの地に降り立った。 これこそが本当にランボーなのだ。 どっちかというとジャンル映画好きな私としては、こういったゴアシーンもあって良いし、ランボーが格好良いから良し。 …としたいところ。なのだが、この作品を手放しで褒めるには、私の中で何かが邪魔をする。 それは多分大きな矛盾なのだが、このようなランボーの姿こそが観たかったのだが、一方ではこんなランボーの姿は観たくなかった。というアンビバレンツな感情なのだろうと思う。 多分、ヒーローとはクリーンである必要はないが、殊更残酷であってはいけない。もちろん本作の場合“残酷”ではなく“リアリティ”であり、致し方なかったから。とされてしかりだが、しかしやはり本作の場合それが行き過ぎていた。 特に本作の残酷描写は他の作品の追従を許さない。微に入り細に至り、しかも一つ一つ丁寧にゴア描写をやってくれる。ここまで個性的に描くのは初めてのこと。これが売りになるのは分かるのだ。だけど、同時にこれを売りにしてはいけない作品だったんじゃないか?もうちょっと違った部分を売りにして欲しかった。と言うのが本音。見たかったランボーの姿があるのだから、それをもっと強調させて、全年齢で見せられる作品を作ってこそ、本作の本当の面白さが出たのではないかな? あくまで個人的な意見だが。 |
ロッキー・ザ・ファイナル 2006 | |||||||||||||||||||||||||||
2007allcinemaONLINEユーザー投票第2位 | |||||||||||||||||||||||||||
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かつて2度に渡りヘビー級チャンピオンとしてボクシング界に君臨したロッキー(スタローン)も今では引退し、“エイドリアンズ”というイタリア料理の店長に収まっていた。愛する妻エイドリアンに先立たれ、息子ロバート(ヴィンティミリア)は家を飛び出してしまい、孤独な日々を送っている。そんな中、かつての馴染みのバーでかつて少女時代を知っていたマリー(ヒューズ)というシングルマザーと出会い、彼女と彼女の息子との交流を深めていくうちに、まだ心にくすぶる熱い炎を自覚していく。丁度その頃、ヘビー級では強すぎるチャンピオン、ディクソン(ターヴァー)が誕生していた… 『ロッキー5』から実に15年ぶりに、スタローン自身が監督となって作り上げた、ロッキーの“その後”の物語。製作は勿論シリーズ全てを製作しているアーウィン・ウィンクラー。 ロッキーと言う言葉は一定の幅の映画ファンには一種特別な響きを持つ。自覚しようとしまいと、あの当時の映画少年にとってはその名前は心に焼きついていると言っても良い。なにせ「ロッキーの老後の話?そんな痛々しいもの観たくもないよ。『ロッキー』(1976)の思い出をこれ以上汚されたくないもんだ」とか思っていた私自身、劇場で予告編を観た途端、体温が一気に上がった気にさせられてしまったほどだから。その時、自覚があるないに関わらず、ロッキーは特別だ。と初めて知った次第。 これほど熱くさせてくれるなら。と言うことで拝見。 改めて思う。理屈で捉えるべきではない映画もあるのだと言うこと。 本作は、こう言っては何だが、大変ベタな作り方の上に、ほぼ忠実に1作目の『ロッキー』をトレースした作品に仕上がっている。正直な話、物語そのものはベタベタな70年代アメリカン・ドリーム神話をそのままストレートに作られているだけで、これと言って特色がある訳ではない。 しかし、特色がないというのは、ある意味ではとても重要な要素でもあるのだ。この作品が2006年という時代に作られたと言うこと。その点が何より重要である。 70年代の泥臭いサクセス・ストーリーは特に映画では近年忌避されるようになった。このところ作られるハリウッド映画はどこか閉塞感を感じさせられるものばかり。元よりアメリカがチャレンジャーであった時代は映画も又解放感が感じられていたものだが、現在製作されている作品は見事にこぢんまりしたものばかり。邪推すると911テロはアメリカという国を大きく狭めてしまったのではないだろうか?自分たちの国が狙われているという感覚は自然意識を内に向けてしまう。 そう言う意味では“心揺さぶられるような”戦いを描いた映画というのが近年では全然無くなってしまった。今更売れないというのが大きな理由だろうけど、CG中心のアクションでは、いくら楽しくても“燃え”はしないのだ。特に『ロッキー』で心からの燃えを感じた人間にとっては欲求不満が溜まっている。 だからはっきり言ってしまうと、私たちは求めていたのだ。単純明快で泥と汗にまみれた努力物語を。それは私たちの心にもやはり劇中ロッキーが語ったように「くすぶる炎」があるからであり、それを押し込めて現実を生きている自分自身がいる。それをどこかで解放してくれる物語を求めている。そういう心を解放してくれるような物語がなかなか与えられていなかったという事実に、多分私たちは乾いていた。 その渇きとはロッキー自身もそうだけど、おそらくここに登場するロッキーの息子ロバートこそが実は私たち自身を指し示していたように思える。かつて父の強さに憧れ、試合に声援を送っていたロバートは、その熱さを心に押し込め、むしろ親の影響を嫌がって生きている。彼にも燃える心はあるはずなのだが、それを表に出すことを恥じる。「けっ。今更こんな単純な物語なんて」とか言っている“自称”映画評論家に似ているかもしれない。 そんな時に与えられたのが本作だったとも言える。 ここでのロッキーは、そこそこ社会的にも成功を収め(どことなく『レイジング・ブル』(1980)のラ・モッタに似せたのは狙ったのかな?)、老後を送るには結構悪くない生活を送っている。少なくとも過去の自慢話を聞いてくれる人には事欠かないし、レストランも結構繁盛している。だけど、常に物足りないものを感じ続けているのも事実。社会的には満足でも、愛するエイドリアンも息子のロバートもいない生活。ボクシングを除けば家族しかなかったはずのロッキーにとっては大きな痛みだった。 既に老境に入っているとはいえ、このまま徐々に徐々に老いていくのか?という思いと、まだ心にくすぶる炎は完全燃焼していない。という思い。それが通常考えれば無理なボクサーとしての復帰へとつながっていく(マリーの存在はそのきっかけとなったのは確かだろう。ロッキーは今でもエイドリアンを愛し続けているが、それと同時にマリーに惹かれている自分もいる。その思いに答えを出すため、一度全てを吐き出したかったはずだ)。 普通考えれば無理な話だ。しかしその無理なことをやってしまう。それがロッキーという存在である。たとえ若くても世間に飲まれてしまっている私たちがやろうと思っても出来ないことを彼はやるのである。私たちの願望を乗せて。 ここではかなりあっさりと描かれているが、1作目を彷彿とさせるトレーニング風景は、それだけでも涙が出そうになるくらいに格好良かったし、ディクソンとの試合も、速さと手数で翻弄する敵に対し、重いパンチを的確に入れていく方法、最大の強さはタフさであること。その辺が忠実に描かれている。見たかったロッキーの姿というのがそこには確かにあったのだ。 現在の、こぢんまりした時代だからこそ、そこから踏み出す作品が必要とされていたのだ。それに本作は見事に応えた。 そして何より、最後にロッキーの伸ばした手が名も知れぬ観客の手にタッチして終わる、その瞬間に気付く。これはロッキーから、これを観ている人達に対するメッセージであると言うことに。今の時代でも、人間の心には炎がある。それはロッキー一人のものではなく、彼を通して伝えられていくと言うことに。息子ロバートはロッキーの生き様を見て一歩踏み出した。それはロバートだけではない。対戦相手であるディクソンも、そして名も知らぬ観衆達も。 勿論それは観ている私たちも。 『ロッキー』の素晴らしさは、物語以上に、「俺もロッキーになれる」と思えるような作り方になっていることだった。ロッキーが勝負するのは、結局は自分自身に対するものであり、意地を貫き通すことが自分に勝つことにつながるというものだった。 そして本作は、老境に入ろうが、やっぱり「俺はロッキーになれる」と思えるような作品になっている。それが一番大きい。『ロッキー』で一番大切な部分を意識的に映画にすることが出来た事が一番の成果なのだから。 お陰で私も又、心に確かに炎があると言うことを再確認させていただいた。 そして、映画はそれを受け止める人の心を必要とすることも。理屈ではなく、心で受け止めるべき映画も確かにあるのだ。 ところで、ロッキーの息子役はこの作品の直後、テレビドラマ「HEROES」で大ブレイクしたマイロ・ヴィンティミリア。 |
ロッキー4 炎の友情 1985 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1985ゴールデン・ラズベリーワースト監督賞(スタローン)、ワースト音楽賞、ワースト作品賞ワースト助演男優賞(ヤング)、ワースト助演女優賞(シャイア、ニールセン)、ワースト脚本賞(スタローン) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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最強の王者としてアメリカボクシングに君臨するようになったロッキー(スタローン)だが、親友のアポロがソ連からやってきたドラゴ(ラングレン)というボクサーにリング上で殺された。親友を失ったロッキーは、ドラゴを破るため、単身ソ連へ向かう。ソ連の誇る科学に裏打ちされたドラゴに対し、ロッキーは独自の訓練で挑む。 この年はスタローンの当たり年のようで、『ランボー2 怒りの脱出』も公開。しかもどちらも大いに受けた。本作は1985年全米興行成績3位(ちなみに2位が『ランボー2 怒りの脱出』)。 もうやめようよ。ロッキーが痛々しいよ。正直、これが最大の感想。アポロを殺してまで何をやりたかったの?それとも人気が出てきたアポロを殺すために作ったストーリー? ラングレン演じるドラゴは迫力満点で、冷徹な戦士を淡々と演じていた。尤も、最後は倒されるわけだから、どうしても終わり頃になると感情らしいものが出てくるのはご愛敬。 ハリウッドで嫌いな映画作りとしてはアメリカ=善、ソ連=悪。と言う単純な図式があり、それをなんの衒いもなく作ってしまったことに馬鹿馬鹿しさしか感じない。特にこの時代は東西冷戦の中でも最も東西の対立が深刻化していたこともあって、この時代にこれを投入したのは冷戦時代のプロパガンダにしか思えない。 1〜3は少なくともロッキーの内的変化がしっかり描かれていたと思うのだが、この作品になると、まるで変わらない。殆ど一貫してアメリカのヒーロー。これじゃどうしようもないわ。 ただ、少なくともアクションヒーローとしてラングレンの名前を有名にしたことだけは評価出来るだろう。 ところで、時間というのは面白いもので、最近は少しこの作品を再評価し始めてる。スタローンは純粋にアメリカン・ドリームを信じているのだと思うのだけど、ロシアのマシンボクサーをここに登場させたのは、ひょっとしてまさしくアメリカのスポーツ界がやっていることを皮肉にしているのかも知れない。そう考えると、素朴なアメリカン・ドリームに戻りたいというスタローンの主張も見え隠れする気になるのだが、どうだろう? 某サイトの投稿を読んでいて笑ったのがあったので付記する。 「この映画を見てドラゴの髪型が気に入って、早速理容店に行き、「ロッキーの敵みたいな髪型にしてください」と頼んだら、その人は3しか見たことがなかったらしく、危うくモヒカン刈りにされそうになった」…なんだかつぼにはまって大笑いしてしまった。 |
ステイン・アライブ 1983 | |||||||||||||||||||||||||||
1983ゴールデン・グローブ歌曲賞 1983ゴールデン・ラズベリー最低主演男優賞(トラヴォルタ)、最低助演女優賞(ヒューズ)、最低新人賞(ヒューズ) 1989ゴールデン・ラズベリーこの10年最低主演男優賞(トラヴォルタ) |
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五年前NYでディスコ・キングとして君臨したトニー・マネロ(トラヴォルタ)は、更に高みを目指しブロードウェイでのダンサーを目指していた。昼夜の区別無くアルバイトしつつ、手当たり次第にオーディションを受ける日々を送っていた。同じ役者の卵の恋人ジャッキー(ローズ)と共に頑張っていたが、ある夜ジャッキーが出演しているブロードウェイ・ショーのヒロイン役であるローラ(ヒューズ)に一目惚れしてしまう。更にローラの口利きで彼女の新作オーディションの端役にありつくことも出来たのだが… かつて『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977)で一声を風靡したトラヴォルタだが、それからの作品にあまり恵まれず、鳴かず飛ばずという感じのままだったが、やはり自分の原点はそこにあると思ったか、改めてミュージカルに挑戦した作品。その際、何を思ったか、スタローンに監督と脚本を頼み、作り上げられたのが本作。1983年全米興行成績8位。 それで作品自体は決して悪いものではないのだが、なんだかバランスが取れてない印象がある。 その理由として考えられるのは、スタローンがトラヴォルタのトニーを無理矢理自分の土俵に持ち込んでしまったからではないか?と思う。 かつて『ロッキー』(1976)の脚本を描いたことからも分かるが、スタローンの思いは“アメリカン・ドリーム”にある。それは才能を持つものが、自ら埋もれてしまうことを潔しとせず、努力によって栄光を勝ち取るというものになる。 ただ、スタローンが作るとバリエーションが低くなってしまい、この作品も『ロッキー』及び『ロッキー2』をミュージカルにしてしまったような感があり(まあ無理矢理恋物語を絡めたのはトラヴォルタに対する譲歩なんだろうけど)。 それがミュージカルと合ってるか、と言うと…これが又全く合わないところが哀しい。這い上がる過程が長々と続くため、折角のミュージカルシーンがとにかく暗く、しかもそこに三角関係のドロドロが入り込んで、最早ATGの世界に突入していく。 これで最後のダンスシーンでカタルシスがあれば良かったんだが、あれも結局ダンスで喧嘩してるだけになってしまい、ダンスってよりも格闘技を観てる気分にさせられてしまう。 何よりも『サタデー・ナイト・フィーバー』の続編という癖に、前作無くてもほとんどのシーンが成立してしまう。トニーの覚悟や時代の流れも挿入させるべきだったんじゃないかな? そう言う意味で物語の演出的にはことごとく失敗してる作品なんだが、それでも良いところはたくさんある。何よりもトラヴォルタが「別人?」ってくらいにシェイプアップしてその肉体美をさらけ出し、それを存分に使っているのが一番(なんでもこれはスタローン自身がかつて『ロッキー』の際、自ら行ったトレーニングをさせたのだとか)。 それと、物語そのものは『サタデー・ナイト・フィーバー』とのつながり無しで成り立つんだけど、ラストシーンでステイン・アライブを流しつつ、ステップを踏んで歩くシーンだけは、やはりそのつながりを感じさせられるし、そこに至るまでが長いながら、ここだけで充分「良かった」と思えるところがある。 ミュージカル俳優としてトラヴォルタは再起を賭けたが、評価は低いまま。 |
ロッキー3 1982 | |||||||||||||||||||||||||||
1982米アカデミー歌曲賞 1982英アカデミー主題歌賞 |
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ついにアポロを倒し、本物の栄光を手に入れたロッキー(スタローン)。彼の名声は高まり、家庭にも恵まれるのだが、その分、ロッキーの中からハングリー精神は確実に抜けていった。若手ボクサーのクラバーから挑戦を受けたロッキーは余裕を持って試合に臨むが、野獣のようなクラバーの前にあえなく破れ去ってしまう。そして再びどん底を経験したロッキーの前に現れたのは、かつてのライバルのアポロだった… 『ロッキー2』に続き、スタローンが監督として作り上げたシリーズ三作目。トップは『E.T.』に阻まれてしまったものの、1982年全米興行成績2位。 最初これを観たときは「な〜んだ、『ロッキー2』と変わらないじゃないか」と思ったものだが、後になって色々見えてくるものもあった。 ボクサーの栄光と言うのは儚いものだ。あれだけ名声を受けたとしても無様な負け様を見せた途端、誰も見向きしなくなる。今回も脚本を書いたスタローン自身、そのことを念頭に置いてこれを仕上げたのだろう。一旦燃え尽きてしまったハングリー精神をいかに元に戻すか、元を超えるだけのハングリー精神を鍛え上げられるか。そういう意味で、『ロッキー2』と内容的には似ていても、質的には結構違いがある。何も持たない時と全てを持っている時の違い。スタローンはそれを描きたかったのかもしれない。 |
ロッキー2 1979 | |||||||||||||||||||||||||||
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前作の激闘で世界中から賛辞を浴びたロッキー(スタローン)だが、眼部に相当のダメージを受け、医者からボクシングを引退するよう勧められる。エイドリアン(シャイア)との仲も急速に発展し、何か正業に就こうと努力するロッキーだが、どうしてもうまくいかない。一方、ロッキーとの対戦で非難が集中、王者としての評価を著しく下げてしまったアポロ(ウェザース)は復讐の念に燃えていた。巷の噂を打ち消すにはロッキーと再戦し決着をつけるしかない。そこでアポロ陣営はマスコミを総動員しロッキーへの挑発を開始した。 ヒットメイカーの製作者アーウィン・ウィンクラーを配し、スタローン自らがメガフォンを取った作品で全米興行成績3位。アクション映画でありながらアカデミー作品賞を受賞した『ロッキー』(1976)の続編としては妥当だろう。 前回のアポロとロッキーの戦いはエキシビジョン・マッチだったため、ロッキーはチャンピオンにはなっていない。それで本物のチャンピオンベルトをかけて戦いをさせようと言う訳である。 明らかにこれはこれからシリーズとして続けようと言う意図が見え見えだが、前半で落とすだけ落として後半で一気に盛り上げる形は一番安心して、興奮できる映画形式ではある。冒頭に栄光を描いておいて、中盤に落としこみ、そこで溜めて爆発のカタルシス。物語形式としては確かに優れている。 今回はスタローンが主演・脚本だけでなく、監督までこなすという三面六臂の活躍をしているのは凄い。色々アラはあってもこのパワーにはやっぱり持って行かれる感じ。特に前半でちやほやされる所からたたき落とされる描写は、以降のスタローン監督作品には欠かせない要素の一つ。 |