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1958 | 8'21 死去 | |
蠅男の恐怖 監督・製作 | ||
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1932 | 護国の騎士 監督 | |
インチキ競馬 監督 | ||
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1906 | 4'5 ニュールンベルグで誕生 |
蝿男の恐怖 The Fly |
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高名な科学者アンドレ(ヘディソン)が自殺した。しかもその自殺の方法が、頭部と片手をプレス機で押しつぶすという、あまりに奇妙な方法で。彼の自殺の手助けをした妻を問いつめるアンドレの兄フランシス(プライス)とチャラス警部の問いに対し彼女が語る、アンドレを襲った恐ろしい運命とは… 逆転の発想で、最初のパートが実は最後のパートにつながっていると言う面白い構成。これは上手い方法で、理由の分からぬショッキングな映像を最初に叩き付け、その後ミッシング・リンクを解いていき、最後に納得させる。ここではそれは実に効果的。何故彼が頭と手をプレスしなければならなかったのか、そんな恐ろしい死を選ぶに至ったその理由とは何?と言う過程に目が離せなくなる。それで最後のあのシーンか。上手い上手い。 この映画は、確かに怖い。しかしその怖さと言うのは、モンスターを対象として見ているのではなく、むしろモンスターとなってしまった人間の悲しみをこそ、正面切って描ききったところにこの映画の本当の恐ろしさがあったと思う。 この怖さの理由を、今になって考えてみた。 人の心には避けようもなく差別する心があるが、それは同時に差別されることを怖れる心と同義なのではないかと思う。だからこそ、人は差別されるよりは差別する方を選ぶのだし、差別されないためにも人と同じであることに汲々とするのだろう。 「私は人と同じだ」と言う思いは安心感を与えてくれるが、それが突然変わってしまったら?ここで受けた怖さ、と言うのはまさしくその点にあったのではないかと、そのように私には思える。アンドレは頭と片手が蝿になると言う、見た目ではっきりと分かるモンスターになってしまった。だが、こんなはっきりしたことでなくても、人は事故等によって、容易に今までの“人を差別する”立場から、“人に差別される”立場にされてしまう。それが私たちの中には根本的な恐怖心となって存在している。その根本的な恐れが浮き彫りにされているからこそ、この映画は恐ろしいと思える。 故にこそ、アンドレが死を選ぶことは当然の帰結。と思えるよう、最初にあのシーンを入れたのかも知れない。あの姿になって、生き続けることを選べないのは最初から分かっていた。 後にクローネンバーグ監督によりリメイク作『ザ・フライ』(1986)が作られるが、あの作品だと徐々に人外のものに変えられていく恐ろしさ、それを必死に受け入れようとしている男の姿、それを共有しようとした妻の姿に涙を覚えたものだ。一方、オリジナルである本作ではその変化はあまりにも突然で、受け入れる余地はなかった。逆にそれがより純粋なる恐ろしさとなって観る者を襲ってくる。 そして、後味の悪いまま迎えようとしているエンディング。そこで微かに聞こえてくる「Help me」の声… クモに襲われている蝿男のアンドレの半身を石で叩きつぶすのは、仕方ないと思いつつ、極めつけの後味の悪さを残してくれた。あれは果たして本当に半身が死んだアンドレに対する思いやりとなったのか?それとも単なる殺人ではなかったのか?あの姿に対する本能的な嫌悪感はお前にはないのか?まるで画面の奥から、観ているこちらに対し、無言のままでそれらの言葉が突き刺さってくるようだ。 全て簡単に答えることの出来ない謎を叩き付けたまま、映画は終了する。 なんたる悪趣味な映画だ。だけどやっぱり最後に思う。これは人の本能に訴える形の、とびっきりの恐怖映画に違いない。 |
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