大いなる幻影
La grande illusion |
1938米アカデミー作品賞
1937ヴェネツィア国際映画祭芸術映画賞(ルノワール)
1938NY批評家協会外国映画賞 |
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ジャン・ルノワール
シャルル・スパーク(脚)
ジャン・ギャバン
ピエール・フレネー
エリッヒ・フォン・シュトロハイム
ディタ・パルロ
ジュリアン・カレット
マルセル・ダリオ
ジャン・ダステ |
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| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
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第一次大戦中、フランス空軍のマレシャル中尉(ギャバン)とド・ポアルデュ大尉(フレネー)は敵情視察中にドイツ軍の捕虜となる。収容所内で持ち上がった脱走計画に乗り気のマレシャルに引きずられつつ気が進まないまま協力するド・ポアルデュ。だが計画直前、フランスによるドーモン奪回のニュースを聞いたマレシャルは感激のあまり舞台に飛び上がって“ラ・マルセイエーズ”を歌ってしまい、営倉に入れられてしまう。その後スイス国境に近いケーニヒスブルグの古城に彼らは移され、そこでの所長フォン・ラウフェンシュタイン(シュトロハイム)と心を通わすマレシャル大尉。だがここでも脱走計画が持ち上がり…
第1次世界大戦を題材に取ったドラマ。貴族同士の責任感の共有とか、脱走計画があまり切実性を持っていないとか、ある意味とても牧歌的な雰囲気に溢れており、面白い側面から眺めている映画だ。と言う印象を受けた。いや、あるいは第2次世界大戦を経験していない時代だからこそ、こう言った牧歌的な作品が作られるのかも知れない。フランス映画ってのもポイントかも。
戦時中とは言え、当時飛行機はやはり貴族の乗り物という意識があるのか(意識としては馬の延長なんだろう)、飛行機乗りはエリートとして描かれている事が多いのだが、本作ではその貴族的な振る舞いが敵味方を超え、フランスとドイツという敵同士の国で、貴族というキー・ワードで心を通わせる(シュトロハイムが又良い)描写が描かれているし、脱走中にかくまわれた家で童謡を歌うギャバンと言い、緊張感の中でほっとさせる演出がしっかりなされているし、その中でギャバンをかばって死ぬフレネーの描写などもあったりして、重い描写もちゃんと演出してる。重い中に牧歌的な雰囲気を封じ込めることが出来た珍しい作品である。
この「幻影」というテーマは重い。これは人間が作り出してしまった、人殺しというシステム、あるいは自由そのものを指すのか?と拝見当時は思っていたものだが、今から考えると、これは人間関係についてなのかと思ってきた。刑務所の中でフランス人とドイツ人が見かけ上仲良くしているし、待遇も決して悪い訳ではない。しかし、自由を求める彼らは地下を掘り進み、刑務所から出ようとする。その時にこそ、これまで見かけ上仲良くしていた関係は崩れてしまう。そしてこれまで脱出のために一丸となってトンネルを掘り進んでいった仲間達にとっても、脱出した瞬間から、自分が助かるために仲間を見殺しにしなければならない現実に直面することになる。個人的な好き嫌いが時代の波に流されていく。これも又、「大いなる幻影」と言えるものなのだろう。又、シュトロハイムとギャバンの交流シーンは、貴族と庶民の交流という体裁を取っており、この両者はお互いに分かり合える。という、やはり「幻影」を演出しているのも特徴か。
それにカメラ・ワークも素晴らしい。モノクロ映画なのだが、白と黒のコントラストが本当にくっきりしていて、空から観た地上、城、峨峨たる山脈…そう言った映像的美しさにあふれている。
後、この映画を語る上で重要なのは言葉。普通どんな映画でも混乱を避けるために一つの言語が使われるものだが、本作はフランス語、ドイツ語、英語が飛び交う。ちゃんとその辺まで考察してる証拠(尤も、観てるこっちは日本人だから言葉が違うことくらいしか分からないけどね)。第2次世界大戦に向け、少しずつきな臭くなっていく時代にこうやってフランスとドイツの役者達を集めて反戦映画を作ってくれた事に拍手を送るべきだろう。だからドイツ人観客のことも考えられていたはずなのだが、結局この作品の影響を怖れたナチスドイツは本作を上映禁止としてしまった。
尚、もう少し時間が経って、「幻影」の意味をもう少し考えてみると、徐々に戦争は機械的になっていき、大量虐殺の時代へと入っていく。平和が遠ざかっていくことを「幻影」と捉えているのかも。という気にもなる。
この映画はドイツで禁止され、後にイタリアでも禁止されたが、外国語映画として初めてアカデミー作品賞にノミネートされた。1938年、ナチスは『大いなる幻影』の上映を妨害した。ルノワールは「これは私に真の誇りを与えてくれる物語だ」と振り返っている。 |
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