トム・ジョーンズの華麗な冒険
Tom Jones |
1963米アカデミー作品賞、監督賞(リチャードソン)、脚色賞、作曲賞、主演男優賞(フィニー)、助演男優賞(グリフィス)、助演女優賞(シレント、エヴァンス、レッドマン)
1963英アカデミー総合作品賞、国内作品賞、脚本賞、国内男優賞(フィニー)、国内女優賞(エヴァンス)
1963ヴェネツィア国際映画祭男優賞(フィニー)
1963NY批評家協会作品賞、男優賞(フィニー)、監督賞(リチャードソン)
1963ゴールデン・グローブ作品賞、英語外国賞
1964キネマ旬報第8位 |
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ジョン・オズボーン(脚)
アルバート・フィニー
スザンナ・ヨーク
ヒュー・グリフィス
ジョーン・グリーンウッド
ダイアン・シレント
イーディス・エヴァンス
レイチェル・ケンプソン
リン・レッドグレーヴ
ジョイス・レッドマン
デヴィッド・ワーナー |
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★★★★☆ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
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18世紀イギリス。大地主のオールワージーの寝室に赤ん坊が捨てられていた。オールワージーはその子をトム=ジョーンズと名付け、手元で育てることにした。成長したジョーンズ(フィニー)は真面目なオールワージーの一人息子ブリフォルとは対称的に女にだらしない男に育ってしまった。そんなジョーンズは大地主のウェスターン(グリフィス)の娘ソフィー(ヨーク)と愛し合うようになるのだが、トムを嫌う二人の家庭教師がトムの乱行を捏造して、つげロし、オールワージーはしぶしぶトムに勘当を言い渡した。財産も全く受けないまま、傷心のジョーンズはロンドンへ旅立つのだった。しかし、明らかに女難の相のあるジョーンズを女性が放っておくはずがなく…
同じ英語を使った映画でも、アメリカの作品とイギリスの作品とでは大分毛色が違い、大体観るとアメリカで作られたか、イギリスで作られたかが分かるものだが(アメリカの製作会社がイギリスの映画を製作するため、結構大作も出てくるが)、面白いことに結構な数のイギリス映画がアメリカで最高峰と目される作品賞のオスカーを得ることがある。本作は一見しただけで明らかにこの時代に作られたイギリスの作品と分かるのだが、見事に1963年のオスカーを得た作品となる(英国アカデミーも受賞し、2冠を得ている)。しかしコメディとカテゴライズされる作品がオスカーを得たのは極めて珍しい。
私にとって映画を観る楽しみは幾つもあるけど、何と言ってもその中で良質な作品を見つけた時のうれしさが何より良いところ。自分にとって良作と言えるのも、後になってじわっと来るやつや、作品を観てるうちにどんどん面白くなってくるもの、そしてオープニングからぐいぐいと引き込まれるパターンがあるが、本作は明らかに後者。とにかくオープニングから魅せてくれた。
事実、オープニンの凄さが本作の魅力の大きな部分。わざわざサイレントの映画を一番最初に出してきて、過去の話をテンポ良くまとめているのが、古典的な舞台劇を充分意識しているのが分かり、それだけで楽しい。
舞台というのは見立てによって作られるため、どれほど深刻な題材も、視聴者が不快に思うことなくしっかり受け止めることが出来る。時にそれが嫌になる作品もあるが、本作は巧いバランスを取っていて、本作も突き詰めて考えると人間関係なんかは無茶苦茶ドロドロなのに、意外にからっとして受け止めることが出来る。
そう言った小技の上に、本作の演出の素晴らしさが成り立っているのだが、本作を通して見られる女性の姿はたいへん魅力的だ。
歴史上目立つのは男ばかりなのだが、その肝心な男の行動原理は一体何かと言うと、多くの場合女性が主導権を握っている。フェミニストが聞いたら怒るだろうけど、女性というのは虐げられているように見えて、実は実際男なんかよりはるかに強い。コメディ・タッチだからこそ、それがしっかり描けたのは凄かった。だってここに出てくる女性ってみんなしたたかだし、虐げられてるように見えながら、実はちゃっかり自分の目的とするものは手に入れてる。結局それで右往左往するのは男ばかり。いかにも映画的な映画で、夢のような物語なのに、ここまで現実に即した作品を作るとは驚き。
物語そのものはディケンズ風の成功物語になっているが、よくよく考えてみると、主人公のトムがやってる事って、実は殆ど何もなかったりする。彼がしてるのは決断することだけ。後は周りが動いて話が展開していく。まるで人生の縮図。
だからこれを観ていると楽しいと思う一方、その笑いが全部自分に跳ね返ってくるようで、どっちかというと苦笑いに近い感じになる。
それと、妙に粘っこい感じのするカメラ・ワークが面白い。特にあの食事シーンなんかは、性的なものを一切出さないままで、もの凄くエロチックさを演出していたのが凄い。相手から決して目を背けることなく、ねちっこくねちっこく、ねぶりながら食事をいただく…狙ってやったんだろうけど、見事だった。機微に富んだ演出だこと。
実際これは作り手が楽しんでることがよく分かる作品で、リチャードソン監督自身が「これは僕にとって休日のような映画。そろそろ現実社会にコミットしない映画を作っても良い時期だと思ったんだ。社会的な意味など何もなく、ただカラフルでセクシーな楽しさだけがある」と語っていたとのことだが、元よりリアリズム作家だったリチャードソン監督のこと。しっかり社会的にコミットしてるよ。大笑いしながらどこかシニカルな笑いが忍び込む、こういうイギリス的笑いって私は大好きだ。
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