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アレクサンドル・ソクーロフ
Aleksandr Sokurov

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鑑賞本数 合計点 平均点
 本名アレクサンドル・ニコラエヴィッチ・ソクーロフ(Aleksandr Nikolayevich Sokurov)
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書籍
評論
アレクサンドル・ソクーロフ(書籍)

_(書籍)
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011 ファウスト 監督・脚本
2010
2009
2008
2007 チェチェンへ アレクサンドラの旅 監督・脚本
2006 ロストロポーヴィチ 人生の祭典 監督・脚本
2005 太陽 監督
2004 モーツァルト・レクイエム 監督
2003 ファザー、サン 監督
2002 エルミタージュ幻想 監督・脚本
2001 牡牛座 レーニンの肖像 監督・撮影
2000
1999 ドルチェ 優しく 監督
モレク神 監督
1998 ソルジェニーツィンとの対話 監督
1997 穏やかな生活 監督
マザー、サン 監督
1996
1995 オリエンタル・エレジー 監督
精神(こころ)の声 監督・脚本・出演
1994
1993 ロシアン・エレジー 監督
静かなる一頁 監督・脚本
1992 ストーン/クリミアの亡霊 監督・撮影
1991
1990 セカンド・サークル 監督
1989 ボヴァリー夫人 監督
ソヴィエト・エレジー 監督
ペテルブルグ・エレジー 監督・脚本
1988 日陽はしづかに発酵し… 監督
1987
1986 モスクワ・エレジー 監督・脚本
1985
1984
1983 痛ましき無関心 監督
1982
1981 ヴィオラソナタ・ショスタコヴィッチ 監督
1980
1979 ヒトラーのためのソナタ 監督・脚本
1978 孤独な声 監督
1977
1976
1975 マリア 監督
1974
1973
1972
1971
1970
1969
1968
1967
1966
1965
1964
1963
1962
1961
1960
1959
1958
1957
1956
1955
1954
1953
1952
1951 6'14 イルクーツクで誕生

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タイトル

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物語 人物 演出 設定 思い入れ

 

ファウスト 2011
2011ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞
2011
ヨーロッパ映画撮影賞、プロダクションデザイン賞

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アンドレイ・シグレ(製)
アレクサンドル・ソクーロフ
マリーナ・コレノワ(脚)
ヨハネス・ツァイラー
アントン・アダシンスキー
イゾルダ・ディシャウク
ゲオルク・フリードリヒ
ハンナ・シグラ
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
ファウスト <A> <楽>
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (検索) <A> <楽>
太陽 2005

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ユーリー・アラボフ(脚)
イッセー尾形
ロバート・ドーソン
佐野史郎
桃井かおり
つじしんめい
田村泰二郎
ゲオルギイ・ピツケラウリ
守田比呂也
西沢利明
六平直政
戸沢佑介
草薙幸二郎
津野哲郎
阿部六郎
灰地順
伊藤幸純
品川徹
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 1945年8月。これは天皇(イッセー尾形)にとってとてつもなく長い一月となった。敗戦が決定的となる中、国民に平和を願う天皇は降伏を示唆。その決定に従い日本はポツダム宣言受け入れる。そして連合国占領軍総司令官ダグラス=マッカーサーとの会見。そしてその後の天皇の人間宣言までの日々の言動を淡々と描く。
 アレクサンドル=ソクーロフ監督は全4部作で歴史上の人物を描こうとしていることで知られている。すでに第1作としてヒトラーの
『モレク神』、レーニンの『Telets』が映画化され、昭和天皇を描く本作は第3作目に当たる。
 ソクーロフ監督作品を観るのは、実は本作が初めてなのだが、
『モレク神』は映画ファンの中では何かと話題になった作品で、観られなかったのはちょっと悔しかったもの。そんなソクーロフ監督の最新作、しかも日本人としては馴染みが深い昭和天皇を描くと言うので、激しく興味をそそられた。
 これは私自身の話になるが、私のいた大学はかなり学生運動の激しいところで、私自身もちょっと深みに入りかけたという事実があり
『戦艦ポチョムキン』(1925)のレビューでちょっと触れた)、更に仕事上の付き合いで社会運動家との接点も多い。こう言う人間が本作を観たら、一体どんな感想が出るだろう?と多少人ごとのように思いつつ、せっかくの機会だから。と鑑賞となった。
 …何と言うか、
大変複雑な気分である
 素直な感想を言えば、これは日本映画の最大のタブーというか、自粛されるものを真っ正面から作ってくれた作品ではある。つまり、天皇を全く公的な立場からはぎ取ってしまい、人間として描いているから。
 一個の人間を描いていると言う意味においては、置かれていた立場や、そこでの無力感、現人神としての実感もないまま流され、ちょっとユーモラスな人間として描かれ、ちょっと可愛そうな人間を淡々と描いた作品としてとして捉えられる。演じるエッセー尾形の演技も特徴を良く捉えているし、それが時に自然な笑いへとなっていく。ここに登場するのは、悪人でもなんでもない。むしろ同情すべき人物として描かれているのが特徴。それに、
おそらくこれが実情に大変近いのだろうとも思うのだ。この映画を通して天皇自身はほとんど意思を見せない。少なくとも国家の頂点にある者としての責任も、徹底抗戦を拒否することを“示唆”することだけだったし、一人の人間として行動したのも、ほぼ最後に皇后に向かって子供のことを気遣う言動だけだった。後は彼のしていることは現状を受け入れることだけだった。国家元首としてはいささか物足りない言行であるが、これこそが彼の置かれた状況であり、それを受け入れる能力が彼にはあったと言うことである。気が狂わんばかりの重圧を素直に受け入れている男の姿がそこにはある。ここに描かれる天皇の姿は、ただ目の前に起こっていることを受け入れている、素直すぎる人間にすぎない。
 それで興味深いことに、観ていくうちに自分自身が自家中毒のような状態に陥った。何と言うか、
素直にこの作品を楽しんでる自分と、そのままこれを観ては行けない!と考える自分自身とに分裂してしまい、なんだかすごく落ち着かない気分にさせられてしまったわけである。実はまだそのもやもやが説明付けられないのだが、これこそが実は映画を観る上で大切な感情なのだろうとは思う。いつか完全に消化する時を待つことにしよう。
 それにしてもさすがイッセー尾形。あの口ぶりと言い、口の動きや立ち居振る舞いと言い、本当によく特徴を捉えている。彼の姿を観るだけでもこの作品を観る価値があろうというものだ。

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