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1997 | 3'14 死去 | |
1996 | ||
1995 | ||
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1993 | ||
1992 | ||
1991 | ||
1990 | ||
1989 | ||
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1987 | ||
1986 | ||
1985 | ||
1984 | ||
1983 | ||
1982 | 氷壁の女 監督・製作 | |
1977 | ジュリア 監督 | |
1973 | ジャッカルの日 監督 | |
1966 | わが命つきるとも 監督・製作 | |
1964 | 日曜日には鼠を殺せ 監督・製作 | |
1960 | サンダウナーズ 監督・製作 | |
1959 | 尼僧物語 監督 | |
1957 | 夜を逃れて 監督 | |
1955 | オクラホマ! 監督 | |
1953 | 地上より永遠に 監督 | |
1952 | 真昼の決闘 監督 | |
1950 | 男たち 監督 | |
1949 | 暴力行為 監督 | |
1947 | 山河遥かなり 監督 | |
1946 | 不思議な少年 監督 | |
1907 | 4'29 ウィーンで誕生 |
氷壁の女 1982 | |||||||||||||||||||||||||||||||
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登山客で賑わうアルプス山間の小さな町に若い女ケイト(ブラントリー)と親子ほども離れた中年男ダグラス=メレディス(コネリー)が降り立った。訳あり気味な二人は夫婦名義でホテルに宿泊した。翌日から二人はガイドのヨハン(ウィルンン)と共に雪山登山に挑戦するが… ハリウッド名監督の一人ジンネマンの最後の監督作。不倫カップルと一人のガイドが雪山で起こした5日間の事件を描く。 あらすじを書いてしまうと、本当に単なる三角関係だが、物語そのものもそれだけの作品としか言いようがない単純な作品で、せいぜい見所は雪山と、三人の中にある緊張感くらい。挿入された、40年前の花婿発見の話で多少盛り上がるものの、それが物語にほとんど何の絡みも持たないため、単なる挿入に過ぎなかったと言った感じ。 それと、本作の一番の失敗点はコネリーを主役に据えたことだったんじゃないかな。本作が制作された頃は丁度コネリーがこれまでのボンド役からの脱却を図って色々な役に挑戦していた時期に重なっており、本作もその一環に思えるが、コネリーは存在感そのもので演じるタイプの役者なので、小心者で常にびくびくしているような役柄は見事に似合わないし、何より細やかな表情が作れる人でないため、結局何を考えてるのか分からないまま終わってしまった。挑戦は良いけど、明らかに合わない役を選ぶのはいかがなものか? 物語はかったるいけど、所々の演出で光るところはあるので、極端に悪口を言うべき作品では無かろう。山好きの人だったら更に面白さは分かるのかもしれない。 ただ、この評は当時も同じだったらしく、ジンネマンがこの作品を最後に引退してしまったのは、批評家の酷評が大きなショックになったからと言われている。 |
ジュリア 1977 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1977アカデミー助演女優賞(レッドグレーヴ)、脚色賞、作品賞、主演女優賞(フォンダ)、助演男優賞(シェル、ロバーズ)、監督賞、撮影賞、作曲賞、衣装デザイン賞、編集賞 1977NY批評家協会助演男優賞(シェル) 1977LA批評家協会助演男優賞(ロバーズ)、助演女優賞(レッドグレーヴ)、撮影賞 1977ゴールデン・グローブ女優賞(フォンダ)、助演女優賞(レッドグレーヴ) 1978英アカデミー作品賞、主演女優賞(フォンダ)、脚本賞、撮影賞、助演男優賞(ロバーズ)、監督賞、作曲賞 1978キネマ旬報外国映画第2位 |
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リリアン・ヘルマン(フォンダ)は初の戯曲「子供たちの時間」を書いていた。だが創作はなかなか進まず、苛立つことが多くなっていた。そんな彼女が思い出すのは幼なじみのジュリア(レッドグレーヴ)と過ごした子供時代だった。同棲している推理作家のダシール・ハメット(ロバーズ)の薦めもあり、気分転換にジュリアのいるパリへと旅行に行ったリリアンだったが、そこでジュリアは今ウィーンにおり、そこで反ナチの地下活動家となっているという事実を知らさる。衝撃を受けるリリアンだったが、そんな彼女の元にジュリアの手紙が届くのだった。 劇作家で有名なヘルマンの回顧録の映画化で、女性映画の代表作と言われる作品。当時女性活動家としてCIAにも見張られていたというフォンダが自らをヘルマンになぞらえて造り上げた。 1970年代後半は社会運動が盛んな年代で、アメリカのみならず、世界中に多くの社会運動が起こっていた。それまでの儲け至上主義から、もっと身近なものを大切にする視点の転換。虐げられている人達に対する憐れみの心。そして世界で多発する紛争などで生活を脅かされている人びとを救おうという運動である。市民がようやく自分たちの力を自覚し始めた年代と言っても良いだろう(勿論背景にはヴェトナム戦争があったが)。 その中で起こった運動の一つにウーマン・リブと呼ばれる運動があった。これまで虐げられていた女性を解放しよう。という運動であり、自立した女性像を目指す運動である…そういう意味では、ずいぶん現代はこの運動の恩恵を受けてると思われる。 本作はそのリブ運動で最も支持を受けた作品で、本作ではジュリアの生き方を通して「強い女性」を描ききっている。 ジュリアは活動家であり、主人公のリリアンが自分自身の成功を夢見て悪戦苦闘しているのを尻目に、人のために命をかけて戦う闘士になっているが、成功を収めたリリアンのことも唯一の本当の親友として認めており、それを自分の成功のように喜んでもくれる。これこそ強い女性の生き方だ。自分がこれだけやってるんだから友達だったら当然私と同じ事をやれ。と言う押しつけがましいところが無いところも好感度は高い。 彼女は自立している。だからこそ、最後に我が子をリリアンに託さねばならない時の本当に済まなそうな顔が映えるというものだ。これにはレッドグレイブのきっつい顔立ちが上手くはまってる。この人は役幅が狭いだけに、ぴったりの役に当たると異様なほどにはまる。 一方、半分レッドグレイヴの引き立て役となってしまった感のあるフォンダ。これだけ個性が強く、普通だったら彼女の方がもっと表に出て良いはずなのに、流石のフォンダも引き役にしかならなかったようだ。 いずれにせよ、この濃い女優二人にもうお腹いっぱいという感じ(ちなみに本作でギッシュの友人役としてメリル・ストリープが端役でデビューもしてる)。 本作は作品そのものよりも、その背景の方で色々物議を醸した作品でもある。 本作で女優賞オスカーを得たレッドグレイヴはPLO支持者だったため、ハリウッドから徹底的に嫌われてたが、ジンネマン監督は製作会社の意向を無視してキャスティング。しかも製作開始ギリギリで選んだため、製作側が諦めたという経緯があり。更にアカデミー授賞式には会場周辺にはシオニストがデモを行っており、この年のアカデミー賞は稀に見る物々しさだったとか。更に受賞時のレッドグレイヴはシオニストを逆なでするような発言をしたとも。 リリアン=ヘルマンは「マルタの鷹」で知られるダシール=ハメットの恋人であり、自身も優れた戯曲家。本作を通して書かれている「子供たちの時間」はワイラー監督により『噂の二人』(1961)として映画化されている。 |
ジャッカルの日 1973 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1973米アカデミー編集賞 1973英アカデミー編集賞、作品賞、助演男優賞(ロンズデール)、助演女優賞(セイリグ)、監督賞、脚本賞 1973キネマ旬報外国映画第4位 |
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1962年。アルジェリアからのフランス撤退政策をとった政府に反対する秘密組織OASはドゴール大統領暗殺を計画する。だが6回にわたり、それらは警察の活躍や偶然によって失敗。OAS指導者ロダン大佐(ポーター)は暗号名ジャッカル(フォックス)という殺し屋を最後に雇い入れる。だがその資金を得るために行った銀行強盗行為で警察は監視を強化する。ルベル警視(ロンスダール)と補佐のキャロン(ジャコビ)に全権が委任され、捜査が開始された… フレデリック・フォーサイスの同名小説の映画化。1960年代は冷戦構造のただ中にあったが、冷戦構造と並んでもう一つ世界史的に重要な出来事が起こっている。それがアフリカ諸国の独立で、フランスも数多くの植民地を独立させていた(独立されてしまったという見方もあるが)。それが世界史的な流れだったのだが、それを快く思わない人達も国の中にはいた訳で、そう言うテロが散発していた(今から見れば、無差別でない分かわいいものだし、デモで終わる場合もあった)時期を舞台として描かれたのが本作。 フランスを舞台にしてはいるものの、原作・製作・監督・脚本ともにれっきとしたアメリカ映画。しかしそれは正しかったと思う。緻密な物語構成や緊張感などは確かにハリウッドのものだし、職人気質のジンネマン監督の巧さが見えてくる作品である(これが仮にフランス人の手で作られていたら、もっと情緒的な話になってしまっただろうし)。 この作品はドキュメンタリー・タッチが見事にはまった作品で、ジャッカルの視点とルベル警視の視点が交互に、全く別に移動するのだが、同じ風景でも視点によって見事なほどに変わってくる(後の『羊たちの沈黙』(1991)でも使われてたが)。この視点が交差する、その瞬間に向けての疾走感がたまらない。それでもっと面白いのがそのオチなんだけど。ここまで努力してきて、これで良いの?と思うと、笑えてくる。映画にのめり込ませておいて、最後に笑わせるとは、完璧な映画だよ。 本作はベストセラー作家フォーサイスによるものだが、ジンネマンは出版前の小説を読んで、即座に映画化のために動いたのだそうで、ジンネマンの先見の明をよく示すエピソード。 又、撮影も画期的で、これまで許可を受けられなかったフランス内務省内部での撮影が許可された他、撮影のため、モンパルナス広場を三日間通行止めにして行われたとのこと。特に映画の撮影には鷹揚なフランスらしいエピソードだ。 ド・ゴール大統領に扮したのは彼の物まね専門のアドリアン=カイラだったが、本当にそっくりだったため、撮影中は奇異の目で見られっぱなしだったとか。 |
わが命つきるとも 1966 | |||||||||||||||||||||||||||
1966米アカデミー作品賞、主演男優賞(スコフィールド)、監督賞、脚色賞、撮影賞、衣装デザイン賞、助演男優賞(ショウ)、助演女優賞(ヒラー) 1966NY批評家協会作品賞、男優賞(スコフィールド)、監督賞、脚本賞 1966ゴールデン・グローブ作品賞、男優賞(スコフィールド)、監督賞、脚本賞 1967英アカデミー作品賞、男優賞(スコフィールド)、脚本賞、撮影賞、美術賞、衣装デザイン賞 1967キネマ旬報外国映画第4位 |
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日曜日には鼠を殺せ 1964 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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日曜日には鼠を殺せ Behold a Pale Horse |
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スペイン内乱から20年が経過した。かつて反乱の英雄マヌエル(ペック)はフランスへ逃れ、そこで静かに暮らしていた。一方、故郷では警察署長(クイン)が未だにマヌエル逮捕に執念を燃やしていた。ある時、マヌエルのもとに子供がやって来て、署長の拷問で殺された父親の敵を討って欲しいと頼む。未だに故郷では自分が英雄のままであることを知るマヌエルだが、最早かつての情熱は無くなり、静かにここで余生を送りたいと願い、動こうとしなかった。その頃、故郷の母が危篤となり、署長はこれをマヌエルをおびき出す好機と考える。それを知った母は神父(シャリフ)に、決して帰って来てはならないと遺言を託して息を引きとる… パウエル監督との共同監督して数々の傑作を生み出してきたプレスバーガーは小説家でもあり、いくつもの作品を残しているが、その中で戦後の人間関係を描いた「日曜日には鼠を殺せ」を、これも一流のジンネマンが監督して作り上げた作品で、ペックとクイン、シャリフという三人の主役級キャラを使っての作品。 キャラの使い方はかなり上手く、少なくとも三人のキャラを緊張感ある役割に仕上げていて、特に最も目立たないながら、強烈な個性を残したシャリフの使い方については名人芸レベルと言える。苦悩を隠しつつ、それでも人には笑顔を見せるという陰のある演技を演じていた。勿論主役のペックも、無表情で何を考えているのかが分からないという難点はあるものの、それを魅力に出来るレベルの巧さがあるし、何でも起用にこなすクインは言うまでも無し。 だからキャラクタを見るには良い作品なのだが、ただ物語が重厚に過ぎて、非常に話がもっさりし過ぎてるのが本作の難点。最後の銃撃もとってつけた感じがしてしまい、演出レベルではちょっと寂しい。正直途中で眠気を覚えてしまった。コミカル的な演出も皆無のため、ちょいと真面目すぎる感じかな? 演出上の問題として、手紙を届けるかどうか。という点にだけ話の重点を取りすぎてしまったのが問題なんじゃないかな。延々とそればかり続くため、話が全然進んで見えないし。言うなればとても地味な作品。 |
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尼僧物語 The Nun's Story |
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1959米アカデミー作品賞、主演女優賞(ヘップバーン)、監督賞、脚色賞、撮影賞、劇・喜劇映画音楽賞、編集賞、録音賞 1959英アカデミー女優賞(ヘップバーン、アシュクロフト)、作品賞、男優賞(フィンチ) 1959NY批評家協会女優賞(ヘップバーン)、監督賞(ジンネマン) 1959ゴールデン・グローブ優秀賞 |
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ベルギーの名門の家に生まれるが、かねてより憧れていた修道女となったガブリエル(ヘップバーン)。伝道とそこでの奉仕を求め、コンゴへと派遣される。現地で出会った磊落な外科医フォルテュナティ博士(フィンチ)や、ハンセン病患者収容所を経営するブエルミュレ神父らと交流を持つ。苦しいが彼女にとっては幸せな日々が続いていたが、そんな時彼女の故国ベルギーがナチス・ドイツによって占領されたというニュースと、抵抗運動のさなか、父が死んだという知らせが彼女の元へと届く… 実在の修道士マリー=ルイズ=ハベットの手記を元としたキャサリン=ヒュームのベストセラー小説の映画化。旬の女優だったヘップバーンを起用(この年ヘップバーンは3つの主演作に出演している)。1959全米興行成績7位。 本作のヘップバーンの器用は多分清楚さを強調するためだったのだろうとは思う。しかし、それが上手く行ったかと言うと、かなり疑問。改めて思うが、当時のヘップバーンの魅力は“清楚さ”ではなく“天真爛漫さ”の方にあったと思う。少なくとも本作と次回作の『ティファニーで朝食を』を較べるなら、断然『ティファニーで朝食を』の方が遙かに彼女には似合ってる。 それにジンネマン監督というのも問題で、監督らしさではあるが、この作品の場合、途中の演出が重すぎて物語そのものがもっさりしたストーリー展開に思えてしまうし、いわば出家した人が還俗することの葛藤について、本人の苦しみみたいなものも今ひとつ伝わってこない。小説を捻らずにそのまま映画にした感じで、観ていて爽快感が少ない。 最後に最終的に下した決断が正しいのかどうかもはっきりしてないのも、ちょっともやもやした気分にさせてしまう。 とはいえ、歴史を背景とした人物像はたいしたもの。尼僧となることでかつての自分を捨て去った気持ちになったとしても、自分の出自は必ずついて回るし、それを捨てきれない自分もいる。アンビバレンツの中で決断を下していく。それが人生を賭けた重さとなって現れていた。 ちなみにラストシーンで音楽が使われていないのはWB映画では珍しいのだが、これはジンネマン監督が「もし明るい音楽だったらWBは尼僧が還俗することを祝っているように思われるし、暗い音楽だと観客の気が滅入ってしまう」と主張したためだという。それが重さにつながっているのかな? オードリーは、原作のモデルとなったマリー・ルイズ・ハベット(1905〜86)に実際に会ったり、修道院に泊り込んだりして役作りをしたのだとか。 |
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地上(ここ)より永遠に From Here to Eternity |
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1953米アカデミー作品賞、助演男優賞(シナトラ)、助演女優賞(リード)、監督賞、脚色賞、撮影賞、編集賞、録音賞、主演男優賞(ランカスター、クリフト)、主演女優賞(カー)、劇・喜劇映画音楽賞、衣装デザイン賞 1953英アカデミー作品賞 1953NY批評家協会作品賞、男優賞(ランカスター)、監督賞 1953ゴールデン・グローブ助演男優賞(シナトラ)、監督賞 1954カンヌ国際映画祭特別グランプリ(ジンネマン) 2002アメリカ国立フィルム登録簿登録 |
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1941年夏、ハワイ・ホノルルの兵営にプルーイット(クリフト)という青年兵が転隊して来た。自分に素直にありたいと、それだけを願うプルーの性格のためこの地に送られてきたのだ。だがここでも上官に睨まれてしまい、酷い扱いを受けることになる。その中でも彼をかばうマッジオ(シナトラ)、情報部軍曹ウォーデン(ランカスター)がいたが、やがて彼らも軍部から目をつけられるようになっていく。ウォーデンとカノン(カー)の恋愛劇を絡ませて描く。 名作揃いの1953年のアメリカ映画の中で、他の多くの候補を破って堂々作品賞でのオスカーを得た作品で(なんと8つものオスカーを得ている)、全米興行成績も1953年では2位(1位は『聖衣』)と言う記録を残している、映画界に燦然と輝く名作(何せあの『ローマの休日』や『シェーン』さえも抑えたんだから)。私としても軍内部を扱った名作というので、観るのを大変楽しみにしていた作品だった。 それでやっと観ることが出来たのだが…作品の感想はともかくとし、ジンネマン監督入魂の作品と言うことだけは分かった。 微妙さを要されるキャスティングの妙、当時タブー視されていた軍への批判、大胆な水着やラブシーンなど、確かに当時にしてはかなりの冒険を行っており、それが上手く噛み合わさった作品であることは確かだ。 本作は軍を扱ってはいるが、12月8日の日米開戦の直後までの話なので、殆ど戦闘シーンは登場せず、もっぱら軍の内部の人間模様を描いているのが特徴。軍というのがいかに上官のエゴがはびこり、その中で押しつぶされてしまう人間がいるか。と言うことで、当時は相当の問題作として受け止められていたようだ(リベラルが多いハリウッドの良心と捉えることも出来る)。 集団生活を送っていると、時折規格外の人間というのが出てくる。何よりも自分の主張を大切にし、決して集団にとけ込もうとしないような、そんな人間がいる(私自身その傾向があるが、私の場合は主張云々より単に面倒くさいのが嫌いなだけだったけど…)。人を使う立場に立ってみると、これほど腹の立つ存在もない。何でこんな簡単なことを拒否する。ほんのちょっと協力してくれても良いじゃないか。と苛つき続ける日々を送ってるわけで…むしろ私はクリフト演じるプルーイットの生意気さの方が腹立ったような… それに時は経ち、映画の規制も大分緩やかになってきたこともあり、本作品以降には同じ主題を扱った映画は結構たくさん作られてきたので、今の目で見る限りは本作の主題は可愛いものだ。悲惨な作品は以降続々と作られている。その辺がちょっと乗り切れなかった部分か? それに当時はこの部分が絶賛されたはずの、ランカスターとカーの(不倫の)ラブ・シーンも、私には意味が感じられない(特に海辺のシーンは有名で、ダイヤモンド・ヘッド近くのロケ地が長く観光名所となったほどではあるのだが)。ラブロマンスが長引く分、主題がどんどんずれていって、散漫な印象を受けたし、ランカスターとクリフトとの関わりも薄い。なんでこんな風に作ったのか?(調べてみたら、これは製作側の思惑だったらしい。コロムビアの方針で2時間を超えさせず、陸軍協力のため、様々な要請があり、プロダクション・コードによる検閲のため、反戦よりもメロドラマの方に重点が置かれた結果だ)。結果的に主題が分かれてしまい、二つの物語が同じ時間軸で進んでいく形となってしまった。少なくとも私にとってはこれは失敗に思える…結局色々あっても、その基調はメロ・ドラマなんだな。 それでもキャラクターに関しては確かに見事。原作者自身がプルーイットをクリフトをイメージして描いたと言うだけあり、はまり役。クリフト自身も並々ならぬ覚悟をもって本作に臨んだようで、撮影前にはかなり前からハワイ入りしており、ホノルルにあるスコフィールド兵舎で実際に長時間の訓練を受け、撮影終了後も数ヶ月役から抜け出せなかったという逸話が残ってる。 又、マッジオ役で助演男優賞でオスカーを得たシナトラの作品の入れ込み具合も尋常ではなく、当初シナリオを手に入れて読み、マッジオ役は自分しかないと、内定していたイーライ=ウォラックを押しのけて売り込む(実際にはブロードウェイの劇が先約であったため)。シナトラはマッジオという署名でジンネマン監督、プロデューサー、コロムビアのハリー=コーン社長に電報を送りつける。その攻勢に根負けしたコーン社長は自費でハリウッドに来るならスクリーン・テストを受けさせると約束。妻のエヴァ=ガードナーの『モガンボ』ロケにつきあってアフリカにいたシナトラはすぐにやってくる。シナトラは僅か8000ドルのギャラで嬉々として演じている。お陰でシナトラは演技派男優として再び脚光を浴びることになる。この辺、実はかなりあくどいこともやったようで、マフィアとのつながりを指摘されたりもしている(勿論フィクションだが、『ゴッド・ファーザー』(1972)でその辺の顛末が描かれている)。 制服の似合う男ランカスターも存在感があったし、デボラ=カーも表面は物憂げに、内部では燃えさかる炎を持った女性という役所を上手く掴んでいた。他の年だったら主演女優賞も得られていただろうが、さすがにこの年は『ローマの休日』のヘップバーンがいたのが不運だった。 総評すると、良い作品であるとは認めるけど、私には合わなかったと言うことで。 |
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真昼の決闘 High Noon |
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1952米アカデミー主演男優賞(クーパー)、劇・喜劇映画音楽賞、歌曲賞、録音賞、作品賞、監督賞(ジンネマン)、脚色賞 1952NY批評家協会作品賞、監督賞(ジンネマン) 1952ゴールデン・グローブ男優賞(クーパー)、助演女優賞(フラド)、撮影賞、音楽賞 1989アメリカ国立フィルム登録簿登録 |
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西部にあるハドリーヴィルの町に長年保安官として尊敬を受けてきたウィル・ケイン(クーパー)は、エミイ(ケリー)と結婚式を挙げていた。実はこの結婚は、彼の保安官生活を締め括るものとなるはずのものだった。ところが、突然、そこへウィルが5年前に逮捕して投獄したフランク・ミラーが、保釈され、ウイルへの復讐を胸にハドリーウ゛ィルにやってこようとしているとの電報がやってくる。正午にフランクがやってくるまで約1時間半。エミイの引き留めを振り切り、責任感からウィルは再び保安官のバッジを胸につけるのだが… ジョン=W=カミンガムの小説「ブリキの星章」の映画化作品。クーパーにケリーと言う、今の目でみると、登場するキャラクタは豪華かつ定番なものに思えるのだが(事実日本公開時は単純な西部劇として受け止められた)、実際には“異色作”と呼ばれる事が多い作品。 それは町の平和を守るはずの保安官が大変臆病に描かれていることや(実際この作品を観たハワード・ホークス監督は「保安官が民間人に助けを求めようとするとは情けない映画だ」と非難し、更に町を守る義務を持つ保安官がバッジを投げ捨てたことも気に入らなかったらしく、その答えとして、後にこれも傑作とされる『リオ・ブラボー』(1959)を作りあげる)、話自体他の西部劇と較べて淡々としすぎているのも事実。むしろ心理描写の方を主題としているように見受けられる。 僅か一時間強で行われるドラマで、主演のクーパーが碌々動けない状態(当時、クーパーは持病のヘルニアが悪化していた)、しかも低予算(実は本作は元々グレゴリー・ペックの起用が考えられていたが、ペックが役を蹴り、更にパトリシア・ニールとの不倫騒ぎでボロボロの状態だったクーパー自身が再起をかけ、びっくりする位低い出演料で出演してる)で撮らねばならないと言うハンディを逆手に取っての、一種のウルトラCをやってのけた。実際これだけ悪条件が重なっていなければ、この作品がここまでの完成度とさせる事はできなかったのではないかとさえ思えてしまう。 映画とは時に順調に撮影が済んでしまうよりも、こう言ったトラブルの連続の末にできたものの方が面白くなることがあり、それが映画を知る上での楽しさにもなるものだ。 この映画を語る上で重要になるのは、時間の使い方。一時間半の物語を一時間半使って撮る。劇中の時間を現実の時間に対応させると言う変わった撮り方をしている事が挙げられよう。 時間軸を合わせる方法は他のいくつかの作品でも用いられていて、その効果を考えてみると、緊張感を演出しやすいと言う点が挙げられる。刻一刻と時間が過ぎ、焦る主人公の顔を撮る事で、切迫した雰囲気が演出できるのが強み。だが、一方では、主人公以外の人間をなおざりにしがちで、大作では使いづらく、さらに派手な演出が使いにくい弊害も持つ(スローモーションのような時間を引き伸ばしたり、逆に減らしたりと言った演出が使えず、クライマックスに使える時間も限られる)。又、時間をコントロールするのも難しく、冗長なだけの演出になりかねない。 それを傑作に仕上げたのが監督のセンスで、手法の巧さと言える(意図してのことかどうかは別として)。迫り来る時間と、自分自身の決断が正しかったのか否かの後悔。誰も自分を助けてくれないと言う怒り。そのような様々な感情を含んで時計を見て、容赦なく時が過ぎていくのをただ見守るのみ。静かな中にそれらを封じ込めて演出されているのがなんとも見事。特に遺書を書くシーンでは、人々の目、時計の振り子、汽笛の音というつながりはモンタージュ技法をたっぷりと用いており、サスペンス演出はかくあるべし。と思わせてくれる。 そういう意味ではやはりクーパーの存在感が光るが、ここで“発掘”されたと言う、グレイス・ケリーの存在感も挙げておくべきだろう。ほぼデピュー作であるにも関わらず、既にここで自分の芸域を確率している。ここでの彼女は争いを断固としてはねのけるクェーカー教徒という設定だが、今観ても、そんな設定よりはケリー本人にしか見えない。 それに、この迫ってくる時間と恐怖というのは、個人のものだけでないという深読みも可能。 アメリカの掲げる民主主義とは、不正に対して大衆が立ち上げるものと考えられてきたが、実際はこのように矢面に立たされた人が単独で行ったことを、あたかも全員で行ったかのように標榜するものであるという指摘とも取れる。 他に徐々に右傾化していくハリウッドに対し、何もしようとしない映画屋たちに対する皮肉とも取れる(監督がジンネマンな上に、オリジナル脚本はハリウッド・テンの一人だったベン・マドゥだからねえ)。カットされたものの、最後にウィルがバッジを踏みつけるシーンも撮影されたそうだ。実際この年、赤狩りでいわゆるハリウッド・テンがハリウッドを追放されたが、ここでのウイルの姿は、まさに彼らを彷彿とさせるし、本作の脚本家フォアマンは本作上映後、自らヨーロッパへと去っていった。あたかもウィルが最後に町を全く振り返らずに馬車に飛び乗って去っていったように。 めぐり合わせの良さもあるとは言え、いろんな意味で画期的な作品であった事は間違いがない。 本作は歴代のアメリカ大統領に最も愛された映画と言われ、アイゼンハワー、ニクソン、レーガンなどがフィルムを取り寄せていたというが、共和党の大統領で、しかも戦争中の大統領というのが面白いところではある。たった一人で戦うウィルの姿に自らを重ねていたのだろうか? |
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