|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
タイトル | |||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||
リオ・ロボ 1970 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||
南北戦争末期、北軍のマクナリー大佐(ウェイン)の護衛する金塊輸送列車がコルドナ大尉(リベロ)率いる南軍部隊に襲われ、金塊が盗まれてしまう。戦争終結後、コルドナはこの事件が北軍の裏切り者によってなされたことを知り、その犯人を捜し始める。リオ・ロボで悪徳保安官ヘンドリックス(ヘンリー)の仲間にその裏切り者がいると聞き込んだマクナリーは仲間を殺された仇討ちのため、リオ・ロボへと乗り込む… ホークス&ウェインコンビ作の代表作の一本。どんな形でも悪人は容赦なくぶちのめす!と言った感じのいかにもウェイン好みっぽいテンポ良い西部劇で、深いことを考えず、安心して観ることができる作品。物語もかなり見所が多く、特に最初の鉄道襲撃シーンの迫力は、大作映画の生の迫力をまざまざと見せつけている。 ホークス作品は単純だけど、幅広い視聴者に楽しんでもらおうって姿勢が一貫しているから、家族みんなで安心して観ることが出来るのが最大の強味だろう。 強いて悪い所を上げれば、敵の描写があまりにもステロタイプな上に強烈な個性が無いことか?まあ、ウェインが格好良ければそれで良い。という割り切った作りだからこれで良いのかな? スカッとしたいと思った時に観るには最良で、今でも充分家族みんなで楽しめる。 ここに登場していたシェリー=ランシングはMGM、コロムビアのプロデューサーを経て10年後に20世紀フォックス社長となる。女優に幅広い見地を得させるのはホークス監督の功績かな? |
エル・ドラド El Dorado |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
用心棒としてアメリカ中を飛び回っていたガンファイターのコール(ウェイン)は、その腕を見込まれ、久々にテキサスのエル・ドラドに帰ってきた。そこには旧友のハラー(ミッチャム)がシェリフとなっていたのだが、コールに用心棒を依頼したのは、この町の水利権を狙ってハラーと敵対するジェイソン(アズナー)だったことが分かる。旧友との絆を切りたくなかったコールは依頼を断りに行くのだが、既にもうこの町を巻き込むトラブルから逃げられなくなっていた。 古き良きアメリカの西部劇と言った感じの作品。かつてアメリカの西部劇ってのは、「西部人情劇」と言われていたとのことで、腕は立つが女性に対しては純情な田舎者の牧童なりガンファイターなりが、友情と愛情の間で苦悩しつつ、最後はその腕前を披露してスカッとさせるという黄金パターンがあって、その体現者としてジョン・ウェインがいる。 本作はその全てのパーツが揃った作品であり、キャラクターの良さと完成度の高さもあってこの作品に西部劇の良さが全部詰まってるような作品となっている。 特にミッチャムとウェインの絡みは本当に最高。親友だからこそ、裏切りが許せないために時に敵対したりしつつ、ますますその絆を強めていく。友情を越えた絆を感じさせる二人の関係には、ある意味うっとりするほどのはまり具合。 そんな意味で実に手堅く造られた質の高いプログラムピクチャーなので、色々映画観た後で本作を観たりすると、すごくほっとできるのでお薦め。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
男性の好きなスポーツ Man's Favorite Sport? |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ハタリ! Hatari! |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1962米アカデミー撮影賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タンガニーカにあるモメラ野獣ファーム。ここは世界中の動物園のために野生動物の捕獲と保護を行っているトラッパー達の集まる場所だった。ブランディー(ジラルドン)という娘を中心として世界中から凄腕のトラッパーがあつまるが、そのリーダー格はアメリカ人ショーン(ウェイン)で、彼が力強く仲間達をまとめている。そんなある日、女写真家の“ダラス”セラフィナ(マルティネリ)が彼らの行動を取材にやってくる。当初ならず者の集まりと思っていたトラッパーが意外に紳士的であることを知っていく… 「ハタリ」とはスワヒリ語で「危ない」という意味。動物を殺すのではなく、生け捕りにするトラッパー達の物語をウェイン主演で映画化。アメリカ、イタリア、フランスの各国から俳優が集められた。この豪華な内容で1962全米興行成績も8位と健闘。 アフリカの大自然の中、トラッパーの物語がのびのびと展開。物語そのものに特筆すべき部分はなく、盛り上がりもどことなく中途半端だが、なによりこの作品は演出が際だって良い。オープニングからサイを追いかけるジープが雄大な自然を疾走し、その捕獲風景がきちんと描かれるし、他にも木に鈴なりになっている猿の群れ。町中を象と追いかけっこするなど、観ていて感心して笑える出来る演出に溢れており、とにかくサービス精神がこれでもか!と盛り込まれているので、観ていてとても気持ちが良い。それにマンシーニのスコアが加わり、演出はこれ以上ないほどの豪華さ。 「盛り上がりに欠ける」とは言ったが、物語そのものはテンポ良く進むし、単純な男達とちょっとだけ小悪魔的な女性の丁々発止のやりとりも楽しめる。ただ、どこに行ってもウェインは全然変わらず、「強き良きアメリカ!」を全身で体現しているような演出はちょっと鼻につき、ウェイン一家総出演にもちょっとげんなりする感じ。オチは面白いんだけど、落とし所は今ひとつで、ちょっともの足りず。エピソードの一つで終わってしまった感じ。 家族みんなで楽しく観たいならお薦めの一本。 本作では政府の許可を受けた二人のトラッパーの一人ウィリー=デ・ベアが撮影に協力しているとのこと。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
リオ・ブラボー Rio Bravo |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
テキサスの町リオ・ブラボーの保安官のチャンス(ウェイン)は、殺人犯ジョーを捕えた。しかし、町の勢力家であるジョーの兄バーデット(ラッセル)はこの処置に怒り、部下に命じて町を封鎖してしまう。ジョーを町から連れ出すことも、応援を頼むことも出来なくなってしまったチャンスの味方は、スタンピイ老人(ブレナン)と早射ちの名手だがアル中のデュード(マーティン)の2人だけ。孤立した町の中、なんとか活路を見いだそうとするチャンスは、度々訪れるホテルに流れ着いた賭け事師フェザース(ディッキンソン)と仲を深めていく。ジョーを狙うバーデッドと、あくまで保安官としての職務を果たそうとするチャンスの対決の時が近づく。 西部劇を作らせたら最強のコンビであるホークス監督&ウェインのコンビで満を持して作られた痛快西部劇。サイレント時代から西部劇にこだわった監督の集大成とも言え、オープニングシーンはほぼ無声映画そのもの。歌も含め、音楽の使い方が凝っている。保安官としての責任感や友情、愛情、そしてガン・アクションという基本を全て押さえ、豪華な作り方が特徴。 ただ、そもそも本作を作るに至った理由というのは、ジンネマンの『真昼の決闘』(1952)を観たホークス監督が、「保安官が町の人に助けを乞うなど西部劇ではない!」と言い放って、“これぞ西部劇”と言えるものを作ろうとしたためだったとか。そのため『真昼の決闘』とシチュエーションを似させているのだが、主人公のチャンスは絶望的な状況にあっても決して弱音を吐かず、最後は手持ちのカードを全て使い、幸運も味方に付けて勝利を収める。定式に則った、「これぞ西部劇!」と言えるものに仕上げている。 それで演出、人物とも名人芸の作品である事は確かだが、一方で『真昼の決闘』が大好きな私としては、どうしても軍配はあちらの方に上げたくなる。職人的な仕事であるとは思うけど、あまりにひねりがないので、素直に終わりまで観て終わった。と言う感じ。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
紳士は金髪がお好き Gentlemen Prefer Blondes |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ニューヨークからパリへと渡る二人のダンサー。金髪のローレライ(モンロー)は婚約者がいるにも拘わらず、金持ちと見るとついなびいてしまう。一方ブルネットのドロシー(ラッセル)は船の中でたくましい男を物色する。全く異なった二人だが、互いのことを思う気持ちは本物だった。だがフランスへ向かう客船の中で紳士から貰った髪飾りが、パリについた二人を騒動に巻き込む事に… ハリウッド映画界にとてつもない活力を与えてくれた希代の美女マリリン・モンロー。しかし、彼女を映画で使うのはとても難しい。物腰がスローで、演技もさほど上手いとは言えない。彼女が登場すると、どうしても物語のテンポが止まってしまう。しかも存在感だけは人一倍あるため、自然と彼女に目が行く。結果、モンローの演技下手がモロに印象に残るというわけ。これはとてつもなく難しい。それ故、彼女の出演作は失敗作が増えてしまう。 ただ、この作品に関してはその辺は割り切っているようで、同じくセクシー女優として大成しているラッセルとそろい踏みさせ、セクシーさを強調することによって、上手い具合にモンローを撮っている。すこし頭が軽く、金に目がないと言う、まさにモンローそのもののイメージを具現化したようなローレライ役は成功したのではないかな?決して歌は上手いとは言えないけど、歌い方も存在感あったし。娯楽映画を作らせたら職人芸的な手腕を発するホークス監督にもぴったりで、活気溢れる作品に仕上げてくれた。1953年全米興行成績では9位に入っている。 最初の内、金のことばかり考えて、打算的な側面を強調しつつ、最後に「聡明なのは重要よ。だけど、男はそれを好きじゃないから」(うろ覚え)と言う台詞はまさしくモンロー自身の台詞ではなかったのか?恋の遍歴を繰り返し、浮き名を流しつつも、常にそのイメージに振り回される彼女自身、それを嫌っていたような節があるし。 どっちかというとモンローよりラッセルの方が中心っぽい映画だったが、おいしい所は全部モンローが持って行ってしまった。ラッセルにとっては屈辱的だったかも。 なお、女性の打算性と魅力を前面に押し出した本作を批評家のジョナサン=ローゼンバウムは本作を「資本主義の『戦艦ポチョムキン』(1925)」と称したそうだが、見事な寸評だ。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
スターエーストイズ マイ フェイバリット レジェンド シリーズ マリリン モンロー 「ローレライ リー」 |
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
モンキー・ビジネス Monkey Business |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
赤い河 Red River |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1948米アカデミー原案賞、編集賞 1990アメリカ国立フィルム登録簿新規登録 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
かつて裸一貫でテキサスへとやってきたダンスン(ウェイン)と相棒のグルート(ブレナン)は、途中レッド・リヴァーで拾った少年マシューを養子にし、テキサスに農場を開く。牛2頭から始めた農場も南北戦争が終わる頃には十名を越える牧童を擁する大農場となっていた。増えた牛をミズーリーで売ることにしたダンスンは戦争から帰ってきたマシュー(クリフト)と共に一万頭に及ぶ牛の大移動を始める。だが、行程は困難で、やがてダンスンは気むずかしく周りの人間に当たるようになっていく。そんな義父にたまりかねたマシューは… ホークス監督の初西部劇作品。親子(養父と養子の関係だが)の関係を主題とした西部劇の傑作で、1948年全米興行成績3位と言う記録を残している。そして本作によってジョン・ウェインは単なる大スターから、アメリカを代表するスターへと変貌を遂げた。ウェインにとっても本作は彼のフィルモグラフィの分岐点に当たった(以降ウェインはここで使用した“Dの文字と川の図の描かれたバックル”をほとんどの映画で使用し続けたことからもそれはよく分かる)。 実は本作は『戦艦バウンティ号の叛乱』(1935)の西部劇版リメイク。 アメリカン・スピリットというものを責任感と養子に対する愛情故にガチガチの石頭になったウェイン扮するダンスンと、旅を続けるためには義父を切り捨てねばならないことを決断するクリフト演じるマシュー。この二人の対極的な立場がたいへん面白い。 父であるダンスンは気むずかしい所もあるが、牛二頭からここまで農場を広げただけあって、非常にやり手であり、それに対する息子のマシューはそんな養父を愛しつつも、自分が一人前になるためにはどうするのかを模索し続ける。この旅はある種、子離れ親離れを描く精神的な旅路と言っても良く、愛情を語ることが下手な男二人が、親子関係から仲間関係へと展開していく出来事を旅という形を通して描いている。特に西部劇史上に残る名シーンと言われる最後の殴り合いのシーンは圧倒される。緊張感と、開放感。そして最後にほっとする瞬間、見事と言って良い。“どこかにわだかまりのある親子”→“敵同士”→“対等のパートナー”となる過程が実に上手く描かれていた。 頑固親父役のウェインはこの人しかいないと言うくらい見事なはまり具合だが、これが映画デビューと言うクリフトが良い。“一体何が一番重要なのか”と言う本質を捉えているのはマシューの方で、これを演じきったクリフトは上手い。西部の男としてはやや神経質なタイプだと思っていたのだが、それを逆手にとって冷静さというものをよく表していて、繊細な精神をうちに秘めながらもマッチョという骨太な西部の男を見事に演じきっていた。クリフトと言えば『陽のあたる場所』(1951)とか『地上より永遠に』(1953)での演技が評価されることが多いけど、私は本作こそが彼の代表作だと思っている。 牛の大移動とそれをコントロールするスタッフや、それをしっかりカメラに収めたホークス監督の技量も大したもの。広がる西部一杯にあれだけの数の牛が移動し、それを率いる牧童達の行動。これぞスペクタクルだ。 しかし、私には受け入れられない部分が本作にはあって、それでどうしても点数を落としてしまう。 いくら何でもここまで人間の命を軽く見るか?この映画を通して結構な人間が死んでるけど、その大部分ってダンスンに撃ち殺されてるだろ?それが西部の厳しさって言うのなら、何故息子だけは除外する?親子の愛情を確認するためだけに一体何人殺せば良かったんだ?そんな風に思ってしまい、最後の屈託ない笑いが、どうしてもやりきれない気分にさせてくれた。自分の使用人だったら、いくら殺しても法に問われることはない…なんてはずはないし。 確かに良質の作品とは思うからこそ、そう言うのに引きずられたくなかったな。 ここで編集賞を取ったクリスチャン・ネイビーは後に『遊星よりの物体X』で監督デビュー。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
三つ数えろ The Big Sleep |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1997アメリカ国立フィルム登録簿登録 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
私立探偵フィリップ・マーロウ(ボガート)は、富豪の退役将軍スターンウッドに呼ばれ、調査を依頼される。実は彼の次女カーメン(ヴィッカーズ)が彼女の知らないことで強請を受けているというのだ。早速調査を開始したマーロウは、いかがわしい本屋の主人ガイガーが、カーメンと密会している現場を押さえた。だが、そこにはガイガーの死体と、意識を失っているカーメンがいるだけだった…謎が謎を呼び、マーロウ自身も命を狙われるようになるが、彼の行き着く先は…そしてカーメンの姉ビビアン(バコール)の不思議な行動は何を意味するのか… レイモンド・チャンドラーの傑作であり、フィリップ・マーロウを世に送り出した最初の作品「大いなる眠り」の映画化。ここでマーロウ役にハンフリー・ボガートを起用したが、彼の存在感はマーロウにぴったりで、彼以上のはまり役が見つからないほどの存在感を見せていた。その理由はボガートの物腰の良さだろう。お陰でマーロウを下品にするのを上手く抑えていた。 ただ、チャンドラーの小説はストーリーがかなり複雑になるのが特徴で、小説でさえ伏線部分とかがどこにあったのか?と読み返しが必要となる。決して読みやすい作品ではない。それを映画化しようと言うのだから、どうしても単純化せざるを得ないはず… …と、思ったら、意外にも原作を殆ど変えてない。 ええ?これじゃ原作読んでないと、ストーリーを追うのも大変だよ。原作読んだ身でさえ、一部ついていけなかった位。まさしく「一見さんお断り」の映画だな(これで分かりづらいのは監督も同じだったらしく、脚本も担当しているチャンドラーに「このわけを説明してくれ」と聞いたところ、チャンドラー本人が「分からない」と答えたと言う逸話が残っている)。 ストーリーにおいてだが、原作のラストをちょっと変えてしまっているのもなんか変。道理で映画ではヴィッカーズ演じるカーメンの存在感を低くしたのは、そのためか。この映画の邦題を『三つ数えろ』としたのは、まさにその変わってしまったラストを表していたのかもしれないな。出来はともかく、これはこれで名タイトルだったかもね。概ねストーリーが大変分かりづらくできているので、危機に陥ったマーロウの活躍を見る程度にしか楽しみが無くなってしまうのは問題だけど、前半部分で、本屋の店員との会話は楽しかった。店番役のマローンの存在感がありすぎたので、配役的には失敗してると思うが、いっそのこと、ストーリーに少し手を入れて、彼女をもっと出してみるべきだったかも知れない。 しかし、本作でのボギーの格好良さは特筆もの。本当に痺れるよ。 本作品でボギーとバコールの仲は急接近し、撮影終了後に結婚する(ボギーは4回目の結婚)。25歳も年の離れた結婚だったが、その後の二人の熱愛ぶりはボギーの死まで続くことになる。 また、本作は編集の違う2つのバージョンがあることでも知られる。映画として完成したのは1945年だったが、ワーナーの都合で公開が翌年となり、その際バコールの出演シーンを撮り直したのが1946年バージョン。公開された1946年バージョンの方で知られるが、DVDには編集前の1945年版も収録されている。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
教授と美女 Ball of Fire |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
1941米アカデミー主演女優賞(スタンウィック)、原案賞、劇映画音楽賞、録音賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||
ダニエル・トッテン財団の以来により、百科事典編纂のために集められた8人の教授達。彼らは作業に没頭し、いつしか9年の年月が過ぎ去っていた。そんな俗世間から離れていた8人は、ある日間違って館に入ってしまったゴミ収集人の語る、現代(1941年)の俗語を全く知らないと言う事実に直面させられる。今の言葉を知らずして百科事典はできないと、教授の一人ポッツ(クーパー)は学びのために外に出て、ナイトクラブへと入っていくのだが、そこで出会ったシュガーパス(スタンウィック)というストリッパーに、館に来て言葉を教えて欲しいと頼む。ところが実は彼女は警察に追われる身で… 世間知らずの教授と気の良い女性とのラブコメ作品。次々と新しい出来事が起こって、物語がどんどん展開していくスクリューボール・コメディの典型的なパターンの作品。 しかしながら、監督ハワード・ホークス、脚本ビリー・ワイルダーという二大巨匠が組んで作られただけあって、本作は一筋縄にはいかない。 本作が単なるドタバタ喜劇とはちょっと違っているのは、設定の妙であろう。なんせ会話の中心が言語学者だけに、台詞の一つ一つが故事を用いたり、古典的な台詞を引用したりと小洒落ていて、奥深い教養を感じさせる会話劇になっているのが面白い。そしてそれら言語のエキスパートである彼らが会話について行けないというのも、なかなか皮肉が効いている。 設定の面白さという意味では、本作は実は白雪姫の翻案ともなっているという点も挙げられる。世間知らずで引きこもっている教授達の前に突然現れる美女。そこで生活が一変してしまうというところから、視点を七人の小人の方を主人公にして白雪姫を作っていると言うところの面白さであろう。事実相手がどんなえらい教授達であっても、彼女にとっては、世間知らずのカモであり、明らかにイニシアティブは彼女の方にあるのだから。言葉を知るためのはずが、いつの間にやらダンスの練習やら女性の口説き方を教授されるとか、世間の地位から逆転していく過程が楽しい。 ただ、これを観ていて思うのは、本来白雪姫役として登場したはずのスタンウィックなんだが、いつの間にか彼女はのけ者にされ、気が付くとお姫様役はクーパーの方が担っているという逆転現象。スクリューボール・コメディだからこその醍醐味を感じさせられるものである。 会話も面白く、キャラ立ちも良い。二大巨匠の共作は、見事なかみ合いを見せた好作でもある。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
コンドル Only Angels Have Wings |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
暗黒街の顔役 Scarface |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ギャングの親分コスティロの用心棒トニー・カモンテ(ムニ)は、野心満々の男だった。やがてコスティロのライバルであるロヴォに買収されてコスティロを暗殺し、ロヴォの片腕となる。ロヴォの下、次々にライバルを陥れるのだが、ますます野望は燃えさかっていく。だが留まることのないその野望は… これこそギャング映画の基本であり、頂点と言える作品(尤も撮影自体は1930年に完了されたが、製作者のヒューズが検閲ともめたため、2年後の公開となっている)。 映画の都ハリウッドは、年代によって様々な変化を経験している。その時代毎に「変革者」と呼ばれる監督が作り出した映画によって、流行や幅が随分変わってきている。時代にあった映画が作られ続けている訳だ。 30年代のハリウッドでの大きな変化と言えば、暴力を伴うアクション作品が出始めた事が大きなトピックであろう。 それまでにもそう言う作品は作られてはいたのだが、メジャーにはならなかったし、今で言う西部劇も、その頃はアクションよりは人情話の方がメインで作られていた。 そんな映画作りがメインになってきたのは、二人の変革的な監督によって。 一人はジョン・フォード。彼が作った西部劇、殊に『駅馬車』(1939)は西部劇に新風を入れ、それまでの西部劇をガンアクションを主体とした作品に変えていくことになる。 もう一人はハワード・ホークス。この人が作った実録犯罪ものである本作こそが、ハリウッドの流れを決定的に変えていくことになった(何か東映みたいだな)。 本作は新しい時代を作り出したと言うだけあって画期的な演出に溢れ、今の目で観てさえ新しさを感じられるほど。既にソ連では確立されていたモンタージュ技法を始めとして、空間を用いたダイナミズム、悪のキャラを悪のまま格好良く見せる方法など。つまり、これは本当に新しい技術を使ったのではなく、それまでにもあった技術を上手く組み合わせたものなのだが、そのセンスの良さは確かに凄いものがあった。当時の最高技術を越えようとした野心的な演出が冴えている。 大分前になるが、デ・パルマの『スカーフェイス』(1983)観たとき、あの暴力表現と物語のソリッドさにおおきく刺激を受けたが、そのオリジナルである本作もそれに劣るものではない。いや、むしろ時代性というものを併せて考えるならば、公開時に観客と映画界に与えた影響はとんでもないものだっただろうと推測出来る。 映画でここまでの表現が出来るのか?と言うより、「ここまでやって良いのか!」と言う映画人の喜びの声が聞こえてきそうだ。 単体の物語として素晴らしいのみならず、映画の表現の幅をここまで広げることが出来たことで、ハリウッド映画史においても非情に重要な位置を持つ。はっきり言ってしまえば「格が違う」。 本作の主人公トニーの生き方は申し分なく格好良い。後ろ盾が何もなく、ただ野望だけしかないトニーは、度胸と腕っ節だけを頼りに最短距離で頂点まで上り詰める。勿論こう言う生き方が行き着くところは破滅しか無いのだが、それも含め、“太く短く”生ききった男の姿がここにある。それらを数々の映像技術によって加速させて描いた技法は感嘆できる。 ラストシーン、崩れ落ちるトニーが最後に観たものが“World is Yours”という有名なシーンもこれ以上ない皮肉っぷりで、印象に残る。 以降派手好みになってしまったハワード演出も、本作では抑えも利いていて、派手さと緻密さを併せ持った上等な演出っぷりを魅せており、本当に楽しい作品に仕上がってる。 ピカレスクアクションの古典と言うだけでなく、今の目でこそ再評価して欲しい作品の一本である。 本作はホークス監督の初期の名作だが、実は元々はハワード・ヒューズがカポネを題材とした映画を作ろうと思い立ったことから企画が始まったのだとか。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|