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_(書籍) _(書籍) |
2019 | パタリロ! 監督・音楽 | ||||||||||
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2013 | 世にも奇妙な物語'13 春の特別編 出演 | ||||||||||
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2008 | Genius Party Beyond 出演 | ||||||||||
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2005 | 有限会社ひきもどし 出演 | ||||||||||
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1971 | 4'9 東京で誕生 |
パタリロ! | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ダイヤ鉱山を持ち、世界的にも豊かな常春の国マリネラ王国。その皇太子パタリロ・ド・マリネール8世(加藤諒)が側近のタマネギ部隊を引き連れてイギリスにやって来た。そのボディガードを仰せつかったのは英国諜報部のエリトのバンコラン(青木玄徳)。無軌道な行動をするパタリロにバンコランは手を焼かされるのだが、それら全ての行動がパタリロの命を狙う数多の暗殺者を煙に巻いていることにも気づかされていく。そんな時、謎の美少年マライヒやがてパタリロの前に、ボディガードを任命されたバンコランと謎の美少年記者マライヒ(佐奈宏紀)が現れる。パタリロの取材と称してその懐に入り込むのだが… 魔夜峰央の同名原作を2016年に舞台劇にしたものをストーリーそのままに、オリジナルキャストとスタッフによって劇場用の演出を加えて映画化した作品。 狙い通り舞台は好評で、そのまま映画化されたようだが、充分な出来と言えよう。 コミック版「パタリロ!」の大きな特徴は主人公のパタリロがフリーダム過ぎる存在という点である。他のキャラがみんな真面目にストーリーを進めているのに、肝心な主人公が何もかもぶち壊していくのだが、いつの間にかちゃんとストーリーが進行していくという面白い構造を取っている。後に映画版クレヨンしんちゃんの初期作品は、まさにしんのすけがパタリロ化していて大いに楽しめたものだが、改めてこれが元ネタだと確信できる。一見無軌道に見えて全てが計算ずくであるべきところに落ち着くのはコントロールが難しいものをかなり練って作られているようで、原作の雰囲気を壊す事なく、まさしくパタリロが目の前にいる!と思わせてくれるので、そこが素晴らしいところだ。 今より40年前の1978年。「花とゆめ」で連載が開始された「パタリロ!」。連載直後からかなり話題になっていて、筆者のいた小学校でも誰かがこっそり学校にコミックを持ち込んで、それを回し読みしていたものである。筆者にとってはおそらく一番最初に読んだ少女漫画になる。 小学生に男同士の恋愛話が成立することを教えてくれたので、こう言う世界もあることを気づかせてくれたこでカルチャーショックをたたきつけてくれた。少なくとも小学生の私にとってこの漫画は最先端の価値観だった。 漫画自体は大変好みで、読む機会があれば今でもパラパラとめくっている。何度か買おうという意欲もあるにはあるが、未だに踏ん切り付かないまま。そのうち機会を見つけてそのうち読み直してみたいとは思っている。 そんな思い出がある作品ではあるが、1〜10巻あたりを読んだのは既に40年近くも前になる。記憶の方もさすがに…と、思いきや、冒頭部分から「あら〜、覚えてるよここ」とノスタルジーに包まれる。 40年前の作品を今普通に放映すると、確かにいろんなところが古くさい。ポリコレ関係もあって人の意識も変わってきたし、当時の最先端の価値観も今になると、さすがに「これはないよ」感が満載だ。 でも、それを敢えて今やって、ネタとして処理するのはありだろう。劇中しつこくポリコレ的にギリギリであることを強調して、これは境界上にあるギャグであることを伝えていく。敢えて古さをネタとしたのは正解で、原作にあった毒をあまり薄めずに出すことができている。ポリコレに配慮した「パタリロ!」なんぞ観たくない身としては、そこはほっとした。 それで概ねストーリーはクリアできたと思うが、本作の場合ストーリー云々よりも重要なのがキャラクターである。主要メンバーでは特に主人公のパタリロを演じるに足る人物がいないと話にならない。そしてたった一人、パタリロを演じることができる俳優がいる。はっきり言えば、加藤諒という俳優を配した時点でこの作品は成功したも同然である。 そもそもからして加藤諒の存在なしに本作は考えられない。それだけまんまパタリロなのだ。本人の性格は別として、容姿もしゃべり方もパタリロを演じるために役者演ってるんじゃないかとさえ思えるほどに似合ってる。ここまではまる人物なのだから、パタリロを演らずしてどうする?というやつだ。 目の前にまんまパタリロがいる。これだけで充分な作品と言えよう。 |
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