Wikipediaより |
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昭和期の映画監督。松竹、東映、東映テレビプロダクションに属した。早撮りの名人として知られ、松竹時代は歌謡映画、東映時代は時代劇映画、東映テレビ時代はテレビ時代劇のヒット作を連発する。法政大学在学中に清水宏の助監督として松竹に入社。清水の盟友の小津安二郎組に移り、1931年助監督の身分のまま『受難の青春』で監督デビュー。戦争中は松竹の他の監督が苦手とした戦争国策映画を撮り続け、『撃滅の歌』などを手がける。ズーズー弁をしゃべるため、師匠の清水宏に「ズー」と綽名され、愛称として定着。大酒飲み、気さくな性格、親分肌、面倒見が良かった。 |
Wikipediaより引用 |
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経歴 |
1908'1'25 |
秋田県平鹿郡沼館村で誕生 |
1929 |
法政大学を中退して清水宏の助監督となり、その後小津安二郎の助監督となる。 |
1945 |
『そよかぜ』の劇中歌『リンゴの唄』(歌:並木路子)が大ヒットする |
1946 |
日本初のキスシーンが登場する映画と宣伝された『はたちの青春』が大ヒットする。 封切日の5月23日は「キスの日」になった。
(実際は川島雄三の『追ひつ追はれつ』が先) |
1952 |
制作部長のマキノ光雄に誘われ、東映に移籍 |
1964 |
東映京都撮影所で大リストラが行われ、専属契約を解除され、東映テレビプロダクションに移籍。 |
1979 |
引退 |
1993'9'13 |
死去 |
1994 |
日本アカデミー賞会長特別賞が贈られた。 |
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