<amazon> <楽天> |
|
|||||||||
|
||||||||||
![]() |
||
1963 | 12'12 死去 | |
1962 | 秋刀魚の味 監督・脚本 | |
1961 | 小早川家の秋 監督・脚本 | |
1960 | 秋日和 監督・脚本 | |
1959 | 浮草 監督・脚本 | |
お早よう 監督・脚本 | ||
1958 | 彼岸花 監督・脚本 | |
1957 | 東京暮色 監督・脚本 | |
1956 | 早春 監督・脚本 | |
1955 | 月は上りぬ 脚本 | |
血槍富士 企画協力 | ||
1954 | ||
1953 | 東京物語 監督・脚本 | |
1952 | お茶漬の味 監督・脚本 | |
1951 | 麦秋 監督・脚本 | |
1950 | 宗方姉妹 監督 | |
1949 | 晩春 監督・脚本 | |
1948 | 風の中の牝鶏 監督・脚本 | |
1947 | 長屋紳士録 監督 | |
1946 | ||
1945 | ||
1944 | ||
1943 | ||
1942 | 父ありき 監督・脚本 | |
美しい横顔 構成 | ||
1941 | 戸田家の兄妹 監督・脚本 | |
1940 | ||
1939 | ||
1938 | ||
1937 | 淑女は何を忘れたか 監督・脚本 | |
限りなき前進 原作 | ||
1936 | 一人息子 監督・原作 | |
大学よいとこ 監督・原案 | ||
1935 | 鏡獅子 監督 | |
東京の宿 監督 | ||
箱入娘 監督 | ||
1934 | 浮草物語 監督・原作 | |
母を恋はずや 監督 | ||
1933 | 出来ごころ 監督・原案 | |
非常線の女 監督・原案 | ||
東京の女 監督 | ||
1932 | また逢ふ日まで 監督 | |
青春の夢いまいづこ 監督 | ||
大人の見る絵本 生れてはみたけれど 監督・原案・潤色 | ||
春は御婦人から 監督・原案 | ||
1931 | 東京の合唱 監督 | |
美人と哀愁 | ||
淑女と髯 監督 | ||
1930 | お嬢さん 監督 | |
足に触った幸運 監督 | ||
エロ神の怨霊 監督 | ||
その夜の妻 監督 | ||
落第はしたけれど 監督・原作 | ||
朗かに歩め 監督 | ||
結婚学入門 監督 | ||
1929 | 突貫小僧 監督 | |
会社員生活 監督・原案 | ||
大学は出たけれど 監督 | ||
和製喧嘩友達 監督 | ||
学生ロマンス 若き日 監督・潤色 | ||
宝の山 監督・原案 | ||
1928 | ||
1927 | 懺悔の刃 監督・原案 | |
1926 | ||
1925 | ||
1924 | ||
1923 | ||
1922 | ||
1921 | ||
1920 | ||
1919 | ||
1918 | ||
1917 | ||
1916 | ||
1915 | ||
1914 | ||
1913 | ||
1912 | ||
1911 | ||
1910 | ||
1909 | ||
1908 | ||
1907 | ||
1906 | ||
1905 | ||
1904 | ||
1903 | 12'12 東京で誕生 |
秋刀魚の味 1962 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1962ブルーリボン助演女優賞(岸田今日子) 1962キネマ旬報日本映画第8位 1962毎日映画コンクール男優主演賞(東野英治郎)、女優助演賞(岸田今日子)、撮影賞 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
妻と死別し、今は長女の路子(岩下志麻)と静かに暮らす平山周平(笠智衆)は、それなりに充足して過ごしていたが、古くからの知り合いで飲み仲間の河合や堀江から路子を早く嫁にやるようにいわれ、更に周平の学生時代の先生の娘が父親の面倒を見ている内に婚期を逃して今も働いていると言うことを聞かされ、少々焦り気味になってしまう。それで見合い話を路子に切り出すのだが、実は路子には好きな人がいて… 本作は小津映画後期の傑作と言われている。小津映画を代表する作品は何か?と聞かれると、多くの人は『東京物語』と答えるかもしれないが、普遍的な小津映画は?と聞かれると、むしろ本作や『晩春』のような、父が娘の婚期を心配する話の方を考えてしまう。 それだけに本作は円熟期を迎えた小津監督が自分の造りたいものをのびのびと作り上げた作品という感じで、小津の思いが込められているように思える。 時代は移り変わっていく。その中で、親子関係を見つめてきた小津が、ここで最後、本当に今でしか作ることが出来ない作品を作ろう。と思い立ったのだったら、確かにこの普遍的テーマは最も小津らしい。 もう60年代になると、これまでの価値観は大きく覆され、若者の時代へと変わりつつあった。激動の太平洋戦争を戦い抜いた男達はもう一線から引き、戦争について話すことも禁じられてしまった。そして戦争のことなど微かな記憶にしか残さず、今の青春を謳歌する若者達の姿。既に邦画にも多くのヌーヴェル・ヴァーグ作品だって出ている。 しかし、そう言った価値観の変遷の中でも、きちんと見据えておかねばならないものとして小津が投入したものこそが「親子関係」なのではなかろうか? 本作は当時としても時代遅れのそしりを免れなかっただろうが、それを時代遅れとさせないことが出来たのが小津監督の凄さとも言える。表情に乏しい笠智衆が、かつて自分がどれだけの激戦をくぐり抜けてきたか、いつものように淡々と語る口調こそが、小津の負けん気であり、そして小津自身が愛してやまない時代とのぶつかり合いを代表するものだったのだろう。 |
小早川家の秋 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1961毎日映画コンクール女優助演賞(新珠三千代) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
代々造り酒屋で手広く商売を続けてきた小早川(こはやがわ)家は長男が嫁の秋子(原節子)と子供を残して死んでしまい、65歳になる当主の万兵衛(中村鴈治郎)が未だにがんばっていた。万兵衛は未だに結婚先の決まらない末娘の紀子(司葉子)と、秋子の再婚を気にはかけていたが、これまでの女道楽を今もなお続けていると言う頑強ぶりを見せつけている。そんな中、大黒柱の万兵衛の体に突然の異変が… 小津監督お得意の娘の結婚と父の関係を描いた作品で、原節子の小津作品最後の作品。この作品では上手く世相を捉えて、過去に栄華を誇った資産家の一家が、徐々に近代のシステムに飲み込まれてしまう課程を丹念に描いているのが巧い。 人を引きつける魅力があり、決断力もあるが、同時に女にだらしないという旧世代の当主を代表するかのような万兵衛を中村鴈治郎が好演しており、それが他の小津作品と較べ、ちょっと違和感があるものの(活き活きしすぎてる気がする)、その違和感もやがて小津風の雰囲気に飲み込まれ、やがて静かに幕を閉じる。きちんとそれを計算してやってるんだから、流石監督だ。と納得できてしまう。周りの世界は急速に変化をしているのに、この映画では、万兵衛の死に象徴される旧システムの崩壊が、一家のレベルで静かに進行していく。それだけでなく、やや新しい世代にある秋子は、夫が死んでも自分一人で働いているし、次女の紀子はあんまり結婚そのものを重視してない。三つの結婚話が実は全然違っていると言うところがあって、改めて考えてみると面白い素材を使ったものだ。 ただ一方、この作品はカラーの色がきつすぎて、話にそぐわないように思えてしまう。好んで赤を用いているようだが、その色合いがきつすぎるのだ。人間よりも庭に植えられた花の方に視点が行ってしまい、しっとりと落ち着くと言うよりはせわしない感触を受ける。音楽も今ひとつそぐわないようだし、キャラクタが多すぎる分、浮いてるキャラが多いような… そんなことを考えていたのだが、調べてみたらこれは珍しい監督の東宝作品。しかも宝塚撮影所を使った唯一の作品だそうで、いつものメンバー以外に中村鴈治郎を含め、多くの東宝キャストが入り込んでいたからと言うのが理由のようだ(なんでも『秋日和』に司葉子が出演してくれたので、そのお礼返しだったそうだ)。監督の作り上げる作品は一見単調なだけに、キャストがどれだけ大切なのかを改めて思わされるエピソードである。 ちなみに、本作で原節子が演じている画廊の絵は全て本物。監督曰く「本物を使うと緊張感が出るから」とのこと。 小津作品は理解したいとは思うのだが、なかなか難しい。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
秋日和 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1960キネマ旬報日本映画第5位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「最近の映画は三面記事的な刺激の多いものがあるが、そこへいくと僕のは、いつもながらの品のいい話。誰でも安心して観られる映画だ」と語っている | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
浮草 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
志摩半島にある小さな港町に何年ぶりかで嵐駒十郎一座の舞台がかかった。しかし座長の駒十郎(中村鴈治郎)はもう一つの目的を持っていた。実はこの町に昔駒十郎との間に子供をもうけたお芳(杉村春子)が移り住んでおり、彼女と我が子清(川口浩)とに逢うためだった。すっかり成長した清は今では郵便局に勤めつつ、進学を目指して勉強中だった。そんな清に自分が父と呼べぬ寂しさを抱きつつも、良きおじさんを演じる駒十郎。だが、その事に一座の一人で駒十郎と情を交わしていたすみ子(京マチ子)が感づいてしまう。すみ子は腹いせに一座の若手加代(若尾文子)を使って清を誘惑させてしまう。 本作は小津映画の晩年の作品になるが、戦後の他の作品と較べても、少々特異な位置にある作品。カメラアングルとか、紛れもない小津作品であるにもかかわらず、物語はどこかぴりっとした辛口風味があり、人たちが感情をあらわにする描写も他の作品に較べると大変多い。物語も舞台風だし、季節の移り変わりも、徐々に色が変わるのではなく、雨や寒さという物理的なものを用いている。 そう思って調べてみたら、本作はもともとサイレント時代に小津監督自身が作った『浮草物語』のリメイクだとか。それで納得。戦前と戦後では小津監督自身の映画の作り方が変わっていたが、それが丁度合わさった作品と言うことになるのか(元は喜劇調の作品だったそうだが)。 特に戦後の小津作品には基本的にカメラ・ワークが存在せず、ほとんどの場面がカメラ・アングルで処理される。いわば大変ダイナミズムを演出しにくい作品なのだが、それだけに役者の技量がここで問われることになる。それに充分応える形でカメラの宮川一夫の腕が光り、それに応えての中村鴈治郎と京マチ子の演技は素晴らしい。 悋気と短気がぶつかり合い、土砂降りの中で道を隔ててお互いをののしり合うのだが、その怒鳴り合う姿は小津作品そのものを超えて、もの凄いダイナミズムを見せている。 物語自体は私の好みでは決してないにせよ、この二人に京マチ子、若尾文子、杉村春子と言ったそうそうたるキャストを揃えたお陰で、キャラクタだけで充分堪能できる。配役の勝利とも言えるだろう。 風や雨などの派手な演出は小津監督らしくもないけど、このキャストに見合うだけの演出にはこれが必要だったのかな? なんだかんだ言っても見事な作品には違いない。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
お早よう | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
小津作品としては久々に子どもをピックアップした作品。劇中でおならすることがやたら多い。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
彼岸花 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大和商事会社の取締役を務める平山渉には一人娘節子がいた。外面が良く、友人の娘の結婚話には理解力を持って接する平山だったが、自分の娘に関してだけは話が別で、節子に突然結婚を申し出た青年谷口正彦には渋い顔ばかり。娘を嫁に送る父の複雑な心境と、それによって振り回される周囲の騒動を描く人情喜劇。 小津作品は本当にこういった、どこにもありそうな素材を使った作品が多い。父と子の世代の違いによる心の食い違い、仲間との馬鹿話、夫婦の会話など。正直、物語だけで考えるならば、こんなのでよく映画になるな。と言うイメージがあるのだが、不思議なことにこんな何気ないストーリーが監督の手にかかると大変魅力的、且つ面白く思えてしまう。まことに不思議な監督だ。役者同士の呼吸の巧さと、徹底してこだわったカメラアングルの見事な融合のお陰かも知れない。 彼らは感情が激した時もきちんと演技をしている。その抑えた演技が、その人物の内面を感じさせることも重要だろう。 畳みかけるように監督の思想がやってくるのではなく、むしろ観ているこちら側が考えなければならない。これが小津作品の特徴であり、そして彼の作品が受け入れられている理由ともなっているのではないかと思える。それは勿論他の監督の作品でもあるんだが、ここまで特化した映画が作れる監督はこの人くらいだろう。 娘役の有馬稲子にとっても、本作が出世作となる。 カラーでも、やはり小津監督独特のカメラアングルは健在で、殆どがあおりのバストショット。人物も語っている間は先ず動くことがない。 それで感情を表現できるのだから、やっぱりただ者じゃないな。 1958年邦画興行成績は10位で、監督作品にしてはかなりヒットした作品とも言える。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
東京暮色 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
最後の山田五十鈴演じる喜久子が傷心の旅立ちをする際、明るい校歌が用いられ、それが寂しさを増す結果となる。この校歌は明治大学のもの。 戦後の小津作品の中では異色と言えるほどに陰鬱な作品。最後の一筋の光が救いとなる。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
早春 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
既に結婚後8年が過ぎた杉山正二(池部良)と昌子(淡島千景)の夫婦は倦怠期を迎えていた。サラリーマンの正二は毎日蒲田から丸ビルの会杜に通勤する内に電車で青木、辻、田村、野村と言った面々と通勤仲間で仲が良くなっていき、休みにはその面々で色々出掛けることが多くなっていた。その仲間にキンギョと綽名される金子千代(岸恵子)がおり、ある日曜日に江ノ島に出掛けた二人は急速に親しくなっていく。しかもその仲を妻の昌子に知られてしまい… 高度成長時代の当時を題材に取った監督得意の庶民的ドラマ作品だが、いくつか珍しい試みがなされた作品だった。監督作品では初めてのキスシーンが出たことでも有名だが、直接的に男の浮気を主題としたこともそうだし、大変生活臭に溢れているのも大きな特徴と言えるだろう。 小津監督作品で生活臭がない作品はないのだが、この作品ではそれが突出してる。しかもそこに出てくる食べ物はみんな安上がりに済む大衆食品ばかりである。裏木戸から声をかけて夕餉の支度の買い物の声が飛び交う下町。オフィスでお昼に何を食べるかさえずり合うOLの姿。気の合うもの同士が集まって麻雀をしながら飲んでる酒や同じメンバーで囲んでいる鍋。どれも決して高尚な食べ物ではなく、とりあえず飢えを満たし、専ら会話がごちそうのような食事ばかり。特に小津監督はこういう食べ物については細かい人だけど、ここまで大衆の食べ物にこだわった作品はかえって珍しいと思える。 これらを通し、本当に徹底して庶民の目から見た日本というのを描こうとしていることが感じられる。 そう言う意味では戦前の作品はともかく、戦後作品で、これだけ日本の状況が見える作品もあまりない。 戦後から既に10年が経過。朝鮮戦争による特需に沸いて、日本が右肩上がりの成長期に入った時代だった。戦前の価値観は既になりを潜め、若い人間が作り出す新しい秩序が徐々に入り込み始める。思想的、経済的に日本が最も成長を遂げた時代と言っても良い。 本作でもそれは通勤ラッシュや、仕事のきつさの中にあって、それでもたくましく生きていく若い人間達。そろそろ自由恋愛が流行りだし、中には不倫も事件として起こるようになった。特に今回は駅を舞台とするシーンが多く、雑踏や列車の行き来をパワフルに捕らえているのも特徴と言えるだろうか。特に列車の到着シーンは、リュミエール兄弟ばりだが、小津映画の特徴であるローアングルで撮影されているため、車両の床下まで見えている。この辺の特徴づけも上手いところ。 それ自身を生業としている女性の世話をすること(表現上よくないので、敢えてぼかさせてもらってる)は江戸の昔からあったことだが、気質の家の女性が妻ある男と通い合うことは不義密通などと言われ、大事件だった。心中ものの大部分はこれがテーマになってるほどだから。 しかし、それも価値観が変わった。「不倫」と言う言葉に置き換えられて、意識は軽くなり、立場的にもむしろ女性が強くなっていった。実際、この作品でもラストは決してじめじめしたものとはならずに、危機はあったものの、かえって夫婦の結びつきが強くなったと言った感じに仕上がっている。 今で言うならかなり当たり前の作品。しかし、この時代に先見の明でこれを作ったという点に監督の力量があったと言えるのかも知れない。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
東京物語 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
故郷の尾道から20年ぶりに東京へ出てきた平山周吉(笠智衆)ととみ(東山千栄子)の老夫婦。成人した子どもたちの家を訪ねるが、みなそれぞれの生活に精一杯だった。唯一、戦死した次男の未亡人紀子(原節子)だけが皮肉にも優しい心遣いを示すのだった… 小津作品の最高作品と呼ばれる作品で、なかなか興行成績に結びつかない監督作品の中で1953年の邦画興行成績で8位を得た好作。更に意外なことだが、これだけ海外での評価が高い監督であるにもかかわらず、海外の映画祭で受賞した作品はこれ一本だけ(しかもロンドン映画祭サザランド杯一つのみ)。これは小津作品の大部分が海外配給に積極的でない松竹で製作されたためだと言われている。本作でさえ、アメリカで一般公開されたのは20年も後になってから。勿体ない話だ。 本作を一言で言えば、「小津作品とはまさしくこれ!」。 とにかく淡々とした描写と、その中で繰り広げられる、どこかに本当にありそうな人間関係。こんなのの一体どこが面白いのか?と言われると不思議なことなのだが、何故か不思議に惹かれてしまう。実際面白く思えてしまう。多分小津監督以外が監督したならば、たいして評価を受けることもなさそうな作品なのだが、この人が監督したと言うだけでなんでこんなにメリハリが出てくるのか。不思議な作品だ。失礼ながらこれだけ退屈な作品なのに観ていて飽きない。 その大きな部分は、小津監督は観客を“集中させる技術”に長けていたと言うことがあるのだろう。殆ど登場人物はその位置を移動しないのでカメラ・ワークは極力抑えられ、一画面の中でシークエンスが展開するのだが、基本的に広角で撮られる画面の中心とその周辺で行われる人の動き、あるいはその表情の変化など、静かな中に確かに動きが感じられる。止まった画面の中で確かにそこにはアクションが存在してる。その中でも登場人物の表情の変化というのが一番の重要ポイントかもしれない。特に笠智衆なんて、殆ど表情が感じられないような(これ又失礼)人物が、ちゃんと表情の違いで見せているのだから凄いところだ。小津監督の場合、それは表情だけではない。身体全体を用いてそれを表現している。笠智衆で言っても、オープニング・カットで自宅で座っている姿と、ラストで座っている姿。どっちも同じように座っていることには変わりないのに、明らかにラストシーンでは脱力して力無いように見えるのが技術だ。小津作品では常連の原節子は、わざと動きを制限されているように思うのだが、その不自然さが逆に色々なことを心では考えて、感情が渦巻いているのだけど、それを抑えて静かに振る舞ってるって感じが出てる(実はこの作品では一カ所だけカメラが動くシーンがある。周吉ととみが帰郷を決意するシーンなのだが、この時にカメラはズームとパンを行っている)。 前に読んだことがあるが、監督はこの作品について、「戦後の家族法生活の崩壊を描いた」と語っていた。確かに戦前の日本にあった父母を敬う心というのが崩れ落ちてる事が残酷に描かれていたと思うが、現代と較べてみるとねえ。少なくとも形の上では敬ってるもんなあ。今は両親なんて財布としか思ってないか、両親は自分に重圧を与える存在としか思ってないガキばっかりだから…人のことは言えなかったりして(苦笑) …最初、これを前にした時、一体何を書いたら良いんだ?どんなレビューになるんだ?とか思ったのだが、あんな前に観た作品の魅力(これを書いてる時点で5年ほど前にビデオで一回観たきり)が次々に出てくるから不思議なもんだ(笑) 本作では助監督として今村昌平が付いているが、ここで今村は小津に相当に幻滅したのだという。子供達の歩く姿をリアルに撮ろうと、今村が子供達に自由に歩かせたところ、小津監督からどやされ、結局は整列した行進になったそうだ。更に、なんでもこの撮影時に今村の母親が脳溢血で死去したのだそうだが、葬儀を終わって復帰した今村に、小津は本作のラスト部分を見せ、「脳溢血ってこんな風に死ぬんだろう」と訊ねたとか…恐ろしいが、一流監督とは、こういうものなのだろう。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
お茶漬の味 1952 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
結婚生活八年を迎えようとしている佐竹茂吉(佐分利信)と妙子(木暮実千代)の夫婦。そもそも信州の田舎出身の茂吉と東京の上流階級で育った妙子は、結婚当初から何度と無くすれ違いを感じていたのだが、妙子にとって、それは徐々に耐えきれないものになりつつあった。昔からの女友達と遊び回ることで夫への鬱憤を晴らしていく妙子だったが、そんな家庭に姪の節子(津島恵子)がやってくる。奔放な性格の節子は無理矢理見合いさせられたところを逃げ出してしまったのだ。節子を叱る妙子だったが、茂吉は「無理に結婚させても自分たちのような夫婦がもう一組できるだけだ」と口を滑らせてしまう。その言にショックを受けた妙子は家から離れる決心をするのだが… 小津監督作品として一番有名なのは『東京物語』だろうが、本作も完成度としては決して負けていない。実際、海外の人に日本的な映画と問われたら、多分私はこの二本をセットにして紹介するだろう。事実1952年日本興行成績では2位であり、小津作品の中では公開当時最も売れた作品であることは間違いなし。 それは本作の完成度が高いと言うだけでなく、実は本作は小津作品の中では最もモノローグが多く、言葉で説明する部分が多いため、大変分かりやすい作品なのだ。日常の細やかな仕草を演技で表すことに小津作品は定評があるが、事細かに説明してくれる本作を最初に観ることをお薦めしたい(どっちかというと成瀬巳喜男作品っぽくもあるけど)。 小津作品は決して難解ではない。ただ流れる映像に浸っていれば、それで心地よくなれる作品が多い(ついでに言うと、時としてそれは瞼にも及ぶ事あり)。そう言う観方が出来る作品なのだが、本作の場合は、むしろ説明的なモノローグに導かれ、そのまま画面にぐいぐいと引っ張っていってくれる力強さがある。 小津監督は特に食事にこだわった作品が多いが、ここでは特に最も庶民的且つ懐かしい食べ物としてお茶漬けを題に取ったのは大成功だろう。なんだかんだ言ってもこれこそが日本の原点とも言えるんだから。舌で感じる日本って奴だ。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
麦秋 1951 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1951ブルーリボン主演女優賞(原節子)、助演女優賞(杉村春子)、監督賞(小津安二郎) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1951邦画興行成績6位。 この年松竹に入社した今村昌平が助監督に入っている。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
宗方姉妹 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1950ブルーリボン主演男優賞(山村聡) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
京都の実家から離れ、今は東京に住む節子(田中絹代)とと夫の三村(山村聰)の元に節子の妹の満里子(高峰秀子)が居候していた。節子はバーを経営しているが、その売り上げは芳しくなく、夫の三村は職も持たずぶらぶらするだけで、それが満里子にはどうも歯がゆくてならない。ついに満里子は節子を三村と別れさせ、かつて節子の恋人だった田代(上原謙)とよりを戻させたいと考えるのだが… 本作は数多くある小津作品の中でもかなり特異な位置にある作品と言える。まずこれは大佛次郎による原作付きの作品であり、ほとんどの作品を松竹で作っている小津安二郎による初めての新東宝作品。そして監督作品では唯一日本興行成績でトップを取った作品(1950年)。 本作を俯瞰してみると、監督らしさというのは確かに多く見られる。特に戦後になって監督作品で顕著になっていった、世代の移り変わりによる古い価値観と新しい価値観のぶつかり合いと、その中で特に結婚問題が大きくクローズ・アップされている点は間違いなく小津流。あくまでこのテーマを突き詰めて映画化していった小津監督らしさはいくらでも見て取れる。 しかし、一方では大きく変わっているの部分もある。まず本作では、戦後の小津監督作品では結構珍しい離婚の危機を正面に捕らえている点がある。小津監督作品には離婚というのは結構数多く描かれているのだが、その大部分は既に離婚した。と言うところで、それを静かに後悔とも、懐かしいとも思える表情で顧みるシーンは多くても、実際に離婚の危機で慌てる描写は珍しい。それと何より、本作では演技者それぞれが大変活き活きとして見えるのだ。内容的には大変その当時の現代風にあふれた作品と言っても良い。 小津監督作品の面白さの一つは演技者それぞれが、監督の意志に従い、ぴたりと演技を決めるところにあるのだが(だから役者の方にも職人芸が強いられる)、この作品ではややその枠組みよりもキャラクタの感情面の方が強調されていたように思えてしまう。特に高峰秀子の演技は、内に思いを込めず、思った通りのことを率直に出しているし、それをそのまま行動に表してもいる。この辺りが良いアクセントとなっている。 このいつもの小津らしく無さが新東宝で撮ったことによるのか、小津監督の模索によるものかは、今となっては分からないが。 本作は間違いなく小津作品でありつつも、らしくなさも強調された、興味深い作品だ。更に、本作でかなりの好評を受けていながら(生前の監督にとっては最大の興行収入を上げている)、再び松竹に戻ると、いつも通りの作品を撮っていると言うのも面白いところ。故にこそ本作は一種の監督の異色作であると同時に代表作の一本ともなっている。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
晩春 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大学教授の曽宮周吉(笠智衆)は鎌倉で娘の紀子(原節子)と二人で住んでいた。父一人娘一人の生活を長く過ごしてきたが、特に周吉の妹の田口まさが27歳になる紀子を周りが心配し、見合いを勧めてくる。今の生活を崩したくないと言う思いと、娘に幸せになって欲しいと言う思いの板挟みになる周吉。そしてこれからも父と一緒に暮らしたいと思いつつ、周囲の思いやりも考える紀子… 戦後3作目にして、ようやく本来の調子を取り戻した作品と言われる。それだけに監督の持つ普遍的な(?)テーマを封じ込めた作品と言った趣のある作品。最初から最後まで丁寧に決められた物語を追っていくと言う感じ。まさに職人芸だ。 正直、本作を観ることでようやく小津監督の本当の凄さというものを感じることが出来た。ストーリーそのものより、何というカメラ・アングルをやってくれるんだ!と言うことで。小津映画にカメラ・ワークはない。固定されたカメラのフレームの中に全てを集約している。これは後年の作品全てに共通してるのだが、本作はそのフレームが嫌味なほどに感じられ、正直びっくり。カメラの切り替えで、全く別に撮影されたはずの映像が、完全に時間軸が連続しているように見せる所が見事すぎる。監督が完璧に時間軸を把握してなければ出来ない芸当だ。それと本作で凄いのは冒頭の自転車のシーンと、公園での長回し。全くカメラは動いてないのに、そのフレームに完全に収まって、しかも遠近法を駆使して映像化。そのシーンだけで無茶苦茶感動。後、個人的には、これも小津映画の特徴である、もの食うシーンが小気味良いのも重要か。 ストーリーの方は、職人監督としての監督の力量を見せつけた感のある展開(つまりはいつもと同じと言うことだが(笑))だが、原節子が溌剌とした姿を見せているのが特徴。元より華がありすぎる感がある原は、こういった抑えに抑えた演技こそがその魅力を引き出す事を表してる。 余談だが、本作が原節子の初参加作品だが、監督は前々から原に感心を持っていたらしく、初めて会った時は顔を赤らめたと言われる。意外にシャイな監督の側面が窺えて面白いところ。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
風の中の牝鶏 1948 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
小さな我が子浩を抱え、夫修一の復員を待ち続ける時子。彼女は爪に灯をともすような生活を送り、自分の持つ服を一枚一枚売ってなんとか飢えを凌いでいた。知り合いの織江はそんな彼女に身体を売ることを勧めるが、時子は夫が帰るまでと、ひたすら忍耐の日々を送る。だが、突然起こった浩の発熱は収まらず、高価な薬を用いることになった。その金を得るために時子はついに決意するのが、その数日後に修一が復員してくる… 監督の作品というと、戦前のモッダーンな雰囲気を持つ作品、戦後の古き良き日本人の感性と現代的価値観のぶつかり合い、と言ったものが思い浮かぶが、その中で本作は、監督の作品の中では異端的作品だと言える(監督自身が「失敗作」と言っている位)。 戦前には監督はヤクザの映画を何本か作っているが、そこでも直接的な暴力シーンは出てこない(勿論戦後の代表作品では皆無)。ところが本作では夫が妻を殴るというやるせない雰囲気を強く出していた。どろどろした人間関係と、一度の過ちに対しこだわる夫婦。生真面目で信頼関係が厚かった分、互いが互いを許せなくなり、自分自身をも許せなくなってしまう。真面目な人間ってのは、融通が利かないから。危機なんてどこにでも転がってるもんだ。 確かに監督特有の映像表現を用いて、監督以外作ることが出来ないような作品であるのは確かだが、こんな事も出来るんだよ。と言う監督の意地として観るべき作品なのかも知れない。何にせよ、色々な意味で観ててかなり辛い思いをする作品だ。しかし、それだけに観ている側に強烈な印象を与え、監督の一側面を知らされた気分にさせられる。 そうそう。あんまり出てくるわけじゃないけど、笠智衆が既にこの時には(44歳)既に枯れた演技を出していたので、それがなかなか味わい深い。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
長屋紳士録 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東京のある長屋に一人の子どもが連れてこられた。幸平(青木富廣)というその子は親を亡くしたと言っており、長屋のみんなは面倒くさがって幸平を無視する。押し付け合いの結果、金物屋の女将おたね(飯田蝶子)が幸平を引き取ることになった。 監督の5年ぶりにして戦後第1作となった作品。5年というブランクを考えるに、戦争というのは大変大きな影響をもたらしたことを感じさせる出来になった。 戦前の監督作品はモダンで皮肉に溢れた作りが売りだった。どんな作品を作っても、笑いを忘れないというか、基本はコメディという姿勢を貫いた。 しかし、出兵した小津は大変な経験をしたらしく、戦後はがらりと作風を変えた。 作品はコメディよりも何か別なものを強く主張するようになる。それは日本的な風景であったり、親しい仲にあっての感情のすれ違いであったり。大変微妙なものになっていく。 本作はまだその作風を確立していないが、その過程にあるような話で、コミカルさよりもしっとりとした人間関係が主軸となっていて、確かに小津監督特有のタッチへと向かいつつある事を感じさせてくれるものだ。 戦後すぐに復帰した邦画界で、なるだけ短いスパンで次々国産映画を世に出したいという松竹の要求を入れたために演出不足も感じさせる。 ここに描かれるのは既にある家族をどうするかではなくて、反発しながら家族になる過程を描いているのが特徴だろう。貧乏暮らしの中で、家族が無いというだけの理由で子ども押しつけられ、面倒くさいだけだった世話がやがて楽しくなっていき、それが生き甲斐になっていく過程がしっかり描かれていく。実はこれが私には見事にツボにはまった演出で、こんなの見せられてしまうと悪い点数を付ける気になれなくなる。 そこで唐突におこるペーソス溢れるラストシーンはちょっと胸に来るが、折角ならここは幸せになって欲しかった気はするし、唐突すぎるのでちょっと展開が早すぎる感じもあり。 もう少ししんみりさせて欲しかったところもあるが、この出来なら復帰作としては充分だろう。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
父ありき | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中学教諭の堀川周平(笠智衆)は男手一つで息子の良平を育ててきたが、周平の勤める中学校の修学旅行で事故が起こり、生徒が死亡してしまう。その責任を取って辞職した周平は苦しい中でも良平をしっかり学校に行かせるため、嫌がる良平を説き伏せて良平を寄宿舎へ入れ、自身は東京へ働きに出かける。そして良平の成長すを楽しみに、頑張り続ける。やがて立派に成長した良平(佐野周二)は、父を迎えに来る。 今ではもうなかなか見ることが出来なくなった父子の情がストレートに出された好作。戦争中というハンディキャップにありながら、しっかり小津監督らしさを前面に出して作り上げ、監督にとっては初めての大ヒット作となった作品である。 本作は殆ど笠智衆と佐野周二という二人の男ばかりが出てきて、色気とか波乱な物語とは無縁の作品なのだが、なんだか本当に心にしみる。こんな純粋な物語でも、充分面白く出来るんだな。現代で観ると、どうしてもノスタルジーが入ることになるのだが、公開当時は、リアルタイムでこのような親子の情が感じられていた時代なので、更に身に迫ってきていたのだろうと思える。日本人であると言うことを誇りに思える作品でもある。 ちなみに本作が笠智衆の初主演作だが、当時なんと38歳と言うのは信じられないところでもある。見事な老け役ぶりだった。 一貫して国策映画を撮ることを拒否してきた小津監督だったが、当時の日本の風俗を描くためには、どうしてもそれは避けて通ることは出来なかったらしく、本作でも直接的に軍国主義を礼賛してはいないものの、戦争に行く息子を晴れ晴れしい目で見る父の姿などが描かれている。お陰で情報局が募集した「優秀国民映画シナリオ募集」にも入賞した。しかし、監督本人は相当複雑な気持ちだっただろう。 本作のシナリオは既に5年前の1937年に完成していたというが、最初のシナリオだとなかなか松竹の了解が取れなかったのと、小津自身の出兵により、製作は大幅に遅れてしまったとのこと。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
戸田家の兄妹 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
淑女は何を忘れたか | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
穏和な性格で知られる大学教授の小宮(斎藤達夫)は家庭ではきつい性格の妻時子(栗島すみ子)に頭が上がらない。そんな日常だったが、そこに時子の姪節子(桑野通子)がやってきて、この夫婦の姿に呆れた顔を見せる。モダンガールを自称する節子だったが、この家の状況に黙っていられずに叔父を応援し始める。 小津監督出征前の最後の作品で、この作品を撮り終え、小津監督は陸軍伍長として召集される事となる。 この時代の邦画は残念ながら良質な作品がない…語弊があるな。作品単体としては素晴らしいものが結構あるのだが、監督の技量がいくら高くても、画質と音質がそれに見合わないため、現在で観ると、それを解釈するだけで疲れてしまう。本作のような軽快なコメディも、集中して観ないと何を言っているのかよく分からないという問題があり、素直に楽しめなかった。特に戦前の小津作品は軽快な作品が多いだけに、それを素直に楽しめなくしてしまった日本の映画界も問題がある。 それに、なんか妙にキャラクタの演技が硬いのも気になる。小津流の微妙な演技を強いられ、それに慣れてなかったためだろうか?活き活きするか、押さえ込むか、その微妙なところを少々外したように見えた(画質が悪いだけだろうか?)。 ただ、本作は小津監督にとっても大変重要な転機を与えたのではないかとは思う。一貫して国策映画を撮ることを拒否した小津監督は、自分の取りたい作品も撮れなかったため、コメディに活路を見いだしてきたのだと思うのだが、スラップスティックコメディではなく、日常の何気ない仕草の中にコメディ的要素を組み込めることを本作で確信したのではないかと思う。戦後に作った作品は、コメディタッチよりはペーソスの比率が高くなっているが、それでも、小津監督が今も大きな評価を得ているのは、その中に暖かな笑いが込められているからなのだろう。ある意味、本作が以降の小津監督のベースとなっていると思われる。 小津監督とは名コンビと言われたカメラマン茂原英雄とのコンビ開始作でもある。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
一人息子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
信州で母一人子一人でつつましく暮らす一家があった。上の学校へ行きたいという息子に、母(飯田蝶子)は自らの生活を犠牲にして息子を東京に送る。そして十数年後。立派に東京で成功しているはずの息子(日守新一)に会いに上京してきた母だったが… 小津監督のトーキー第1作。トーキー映画は既に日本でも全盛であったが、小津監督はこれまでなかなかそちらに手を出そうとはしなかった。その理由は小津の片腕とも言われるカメラマン茂原英朗が独自のトーキーシステムを開発中で、それが完成したら使うという約束をしていたからだった。そしてここにめでたく茂原式トーキーの完成を見たため、小津監督もついにトーキーへと踏み出したと言うこと。ここにおいて小津映画の特徴といえる茂原式トーキーが完成。 戦後の小津のスタイルである世代の断絶というものを戦前で始めた作品でもあり、小津監督の転機となった作品とも言えるのでは無かろうか? 本作を観ていると、本当に現代的なセンスとの違いというものを感じさせられる。当時は子供は親に従い、親を幸せにするために一生懸命な時代だったのだな。それが子供としての義務であり、ここに登場する息子は、その基準からすれば言わばドロップアウトした存在に他ならない。しかし、今から見るなら、これは決してドロップアウトなどではない。それどころかこれほど母のことを思い、母に尽くそうとするその姿は、私自身の過去を振り返っても反省する事しきりである…事実、決して親孝行してないもんなあ。これは当然逆も然り。息子の嘘を知りつつ、その嘘を受け止め、暖かい目で見守る母。 人もうらやむような、見た目の成功なんて良いじゃない。これだけ思ってくれる人がいるんだから。 本作の狙いはむしろ失敗した息子の情けなさを描くほろ苦いコメディにあったのかも知れないのだが、むしろ私は胸を締め付けられる思いにさせられてしまった。 ただ、ラストに少々不満はある。最後に郷里で一つ溜息をつく母親は、ちょっと寂しすぎるんじゃないか?それとも現代的なセンスと当時の意識にずれがあるんだろうか?まだ分からない。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
鏡獅子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
東京の宿 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
喜八(坂本武)は、善公(突貫小僧)と正公(末松孝行)の二人の息子を連れて、東京まで職探しにやって来たが。だが思うように仕事は見つからない上に荷物までなくしてしまい、親子三人野宿する羽目に。 戦前の小津監督が得意とした喜八ものの一本(原作はウィンザアト・モネだが、これは小津と池田忠雄と荒田正男との合同のペンネーム。戦後、撮影方法が確立するまで小津監督は実に様々な試みをしている。まるでハリウッド映画のような洒脱なピカレスク・ロマンものも作るが、最も得意としたのは純日本的なコメディ。特に喜八ものは多く作られた作品だが、これらに共通するのは、非常に厳しい現実世界に対し、それらを笑い飛ばすようなコミカルな演出だった。 喜八は善人だが今ひとつ空気を読めない人間のため、すっとぼけた行動をすることがあり、ちょっと騙されやすい。それが魅力なんだが、息子役の突貫小僧が如才なく動き回るため、良い対比になってる。このコンビあってこその魅力とも言えるか。 本作の場合、コミカルな部分はやや抑え気味に、社会の厳しさの方が強調されているように思えるが、むしろこういった厳しさを強調した方が映画の作りとしては優れていたのではないだろうか? 職が無くて街を彷徨う親父と、それにくっついていくしかない子供の描写が実に映えた…って、ひょっとしてこれって『自転車泥棒』(1948)なんじゃないのか?あの作品よりも13年も前にネオ・リアリスモが完成されていたとは、なんとも凄い話だ。これ一本を観るだけでも小津監督の実力ってのが分かる。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
浮草物語 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
信州の田舎町に旅役者の市川喜八(坂本武)の一座がやってきた。最初の内こそ大入りだったが、喜八はこの町に居座ってなかなか動こうとはしない。実はここには喜八の昔の女おつね(飯田蝶子)と、その息子で高校を卒業した信吉(三井秀男)がいたのだ。座にいる今の女房役おたか(八雲理恵子)は事情を知っていて、それだけに悋気を抑えることが出来なかった。それで妹分のおとき(坪内美子)に信吉を誘惑させるのだが… 戦前の小津作品の代表作で、本人も思い入れがあったか、後年『浮草』としてセルフリメイクしている作品。戦前のアメリカ映画「The Barker」が元となっていると言われる。 戦前の小津監督作品はいくつかの系統の作品に分かれる。あたかもハリウッドを意識したような小粋なオシャレな作品。もう一つは、世相を取り込んで、当時を生きる人々のペーソスを織り込んで描く時事的な作品。そしてもう一つが本作に表されるような人情もの。特に主に坂本武を主人公とした作品群は“喜八もの”と呼ばれる。これらの作品がやがて統合されていき、戦後の小津作品を形作っていくことになる。 喜八ものについては、これらの主人公はみんな別人だが、全体を通して粗暴だが人が良く、人のためにいつも一肌脱ぎ、結果的に本人は損しても、人助けが出来たことで良しとすると言ったタイプ。これらの主人公の名前を常に喜八としているため、一種のシリーズもののようになっている。このシリーズではほとんどが性的な話に至らないものばかりだが、本作は珍しく男女関係を中心に描いた話となっている(地方が舞台というのも戦前の作品ではかなり珍しい)。 しかし、そこら辺は流石小津。ドロドロの愛憎劇にしようと思えばいくらでも出来る世界を一抹の寂しさを加えてさらりと描き、しかもきっちり自分の作品にしてしまうところに既に非凡さが現れている。 本作の特徴は、全員が悲しそうな顔をしていると言う事があるだろうか。それは息子に対して本当の父親だと言い出せない喜八にしても、父無し子として育ちつつ、母を心配しつつ、しかし自分の可能性を信じたい信吉であれ、全てを自分の腹にしまい、ただ黙って生きてきたおつねも。ここに登場するキャラはみんな心に秘密を抱え、それを言い出すことが出来ずに、ただ寂しそうに佇んでいる。 その秘密が明かされたとき、全ての関係は一体壊れてしまうのだが、そこからのラストシーンに至るシークェンスは、全てを達観した清々しさも感じられ、これまた素晴らしい出来。人生の一番辛いときに笑う人間というのをここまでしっかり描いてくれた、やっぱり人情ものとして完成された作品だと思える。 後年セルフリメイクとして『浮草』を作ることになるが、リメイクの必要もないくらいに完成度は高く、カメラアングルにしてももはや完成の域にあり。小津作品を語る上では重要な作品だと言えよう。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
母を恋はずや | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
原作者の小宮周太郎は小津安二郎の変名。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
出来ごころ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
息子の富夫(突貫小僧)と長屋で二人暮らしている喜八(坂本武)はある日失業して路頭に迷う春江(伏見信子)を見つける。見かねた喜八は飯屋のおとめ(飯田蝶子)の所に泊めてやってくれと頼むのだが… 戦前の小津作品を代表する喜八もの第1作。下町庶民の助け合いと、それを情のこもったユーモアに仕上げられているのが特徴で、後年山田洋次監督の男はつらいよにつなげられる松竹の得意パターンへとなっていく。 喜八ものに共通するのは下町情緒だが、出てくるキャラ、特に喜八が下品なようでありつつ、実は紳士的でフェミニストだったりするのが面白い所。ここでも春江を引き取り、面倒を看る喜八は助平心や恋愛感情よりも、目の前の困った人を見捨てることが出来ない。という正義的・紳士的な態度から出ている訳だし、粗野な中、非常に上品さを感じる。 この品の良さはおそらく監督自身から来るものだろうし、監督が当時傾倒していたハリウッド映画から来るものだろう(事実本作は『チャンプ』(1931)から発想を取ったとのこと)。 これは優等生的な作品とも言えるのだが、これが作られた年代を考えると、とても画期的なことだと分かる。何せ1933年と言えば、日本は着々と軍事力を上げていた時代だし、戦争に向けて心構えを強要していた時代でもある。自然映画も威勢の良いものが求められている時に、こんなほんわかした作品を作り上げたという小津監督の卓越した感覚に拍手を送りたい。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
非常線の女 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
元ボクサーで、いまは身を持ち崩してヤクザものになってしまった襄二(岡譲二)。彼の子分の宏(三井秀男)に足を洗わせようと直談判に訪れた姉の和子(水久保澄子)に思いを寄せるようになっていった。彼女にほだされついには渡世人家業から足を洗うことまで考えた襄二だったが… 後年家族の心の交流に焦点を当てた、独特の作品群を世に送り出した小津監督。その監督の映画好きはとみに知られるところだが、意外に小津監督はギャング映画が大好きで、自分の世界を確立するまでは結構実験的な作品も作っている。本作もその実験的な作品の一つに数えられる。ある意味オーソドックスなギャング映画。 ただし、やはりここは日本であり、感情を描こうとする監督の思いもあってか、内容的には非常にウェット。内容はギャング映画というより歌舞伎から綿々と続けられている侠客ものの方に近いし、人情味あふれたものに仕上がっている。 ギャング映画だと、それがヤクザな稼業であることを、ある意味割り切って、そこでのトップを目指す。と言った演出が見られるのだが、ここの襄二に見られるヤクザものの姿は、自分の生き方が日蔭であることを自覚して、それを決して誇りに思ってないし、むしろ一般の人たちとの興隆の中で、それを恥ずべきものとして捉えていく方向性に持って行っている…日本における侠客ものの映画と、ハリウッドに代表されるギャング映画の違いって、この辺りで説明できそうな気がする。 あと、本作はモノクロではあっても、コントラストが良く付いているので、非常に見やすい上に、保存状態がかなり良かったらしく、画面に見栄えもするのもありがたいところ。 結構昔に観た作品なのだが、最近になって観直し、これがサイレントであったことに気が付いた(笑)。言葉が聞こえてたような気がしたんだけどね。これも監督の力なのかな? |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
東京の女 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東京で慎ましやかに生活する姉弟。昼間はタイピストとして働く姉のちか子(岡田嘉子)だったが、弟の良一(江川宇礼雄)の受験費用を稼ぐため、良一には黙って酒場で働いていた。だがそれを知ってしまった良一は… 映画の大部分はそれ単体で充分評価されるべきものなのだが、時折、歴史と照らし合わさないとよく分からない映画、あるいは歴史的事実を知ることで理解が深まる映画というものがある。いち早くヒトラーの危機を察知したチャップリンによる『チャップリンの独裁者』(1940)や、冷戦構造の中だからこそ意味が増したキューブリックによる『博士の異常な愛情』(1964)などが代表と言って良いけど、他にも世界大戦中の国策映画になると、その時の状況を知らないと分からないものも多い(黒澤監督でさえ『一番美しく』(1944)を撮っている)。小津監督はそのなかで、一切の国策映画を撮らなかったことで有名だけど、時代に鈍感だったのかと言えば、さにあらず。特に大戦前の監督作品は敏感すぎるほどに時代に敏感だった。流行をふんだんに取り入れ、庶民でも味わえる贅沢をよく演出していた。 それで本作だが、初見の時、何をこんな馬鹿なことを。と思ったものだ。これだけ必死になって自分のために働いてくれる姉を感謝するか、憎むかはともかくとして、自殺まで考えるはずが無かろう!何をリアリティのない話を。そんな風に思っていた。実際その時点ではこの作品の評価は思い切り低かった。 しかし、先日特番の小津特集ででこの作品に言及されていて、その時に気が付いた。これ、1933年の作品だったんだと言うことに。実はこの1933年というのは日本史において特筆すべき出来事があった年なのだ。 この年2月12日に、実践女子専門学校の生徒が、同級生を立会人にして三原山火口に飛び込んだ。この立会人の女性は実はそれ以前にも自殺の立ち会いをしていたことが発覚して、雑誌がそのことをセンセーショナルに報道。それから一躍三原山は自殺の名所となった。更にこの年、若者のブームとなったのは、なんと自殺だった(本当の話)。この年だけで未遂者を含めると904人もの若者が投身自殺を図ったという。 本当に些細な事で自殺してしまう風潮。それを小津監督は見事に捉えていた。と言うことになる。日本が戦争に向かってひた走ろうとしていた時代の警鐘として、本作は国策映画とは全く逆のベクトルで作られた作品であったと言えよう。 ところで本作には削除されてしまった部分が存在するそうな。岡田嘉子演じる姉のちか子が夜の仕事してるシーンがそれ。ただし、これは不道徳だからと言うわけではなく、彼女が共産党員として働いてるシーンがあるからだそうだ(小林多喜二が「党生活者」を出版したのは前年で、この年に特高によって逮捕され、拷問の末に殺されている)。 時代というものを背景にこの作品を観てみると、非常に面白い。 ところで本作はエルンスト・シュワルツというドイツ人が書いた「二十六時間」という小説の翻案とされる作品。しかし実はエルンスト・シュワルツなる人物は架空で、本もない。小津監督のしゃれっ気だ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
青春の夢いまいづこ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
大人の見る絵本 生れてはみたけれど | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東京の郊外に引っ越してきたサラリーマンの一家。早速二人の息子(菅原秀雄、突貫小僧)は近所のガキ大将にいじめられるが、逆にやっつけてガキ大将にのし上がる。そんなある日近くにある父親の上司の家での映画上映で、父親(斎藤達雄)が卑屈な態度をしているのを観て、二人は憤慨するが… 戦前の監督作品の傑作と呼ばれる作品で、これまでの邦画にはなかった活き活きとした少年の表情と、いかんともしがたい現実を知ることのギャップが見事に示されている。 ただ、これは本来監督が作ろうと思っていたものとは違っていたらしく、最初は明るいこどもの話を作るつもりが、出来たものはこどもの哀しみを前面に出したものとなってしまったと言うのが真相らしい。しかしこのリアリティはどうだ。戦後イタリアで流行るネオ・リアリズムを完全に先取りしている。 誰しも持つ無邪気な子供時代の記憶。自分の観ている世界は半分現実で半分は夢のようなもの。夢も思いこむことで現実にする力を子供は持っている。しかし、徐々にそこから子供なりに現実というものを知るようになる。自分はスーパーマンじゃないんだし、父親だって社会の波に揉まれて苦労しているんだと言うことを…それが成長すると言うことだ。 ここでの二人の子供、特に長男の方はその現実を身を以て体験することになる。自分は周りの子供の中でも一番強い。その自分が適わない父親なのだから、当然世間一般でも強いと思っていた。いや、彼の頭の中ではそれは疑うことのない真理だった。子供にとって父親とはそう言う存在なのだから。 しかし、そのこども達も現実を知ることになる。 自分の父親が決してスーパーマンではなく、決して一番えらい人ではないと言うことに。 勿論それ以前にそれを知るに至るまでの葛藤が必要になる。ここで描かれるこども達は、映写機に映るおちゃらけた格好を見せる父親の姿は我慢がならないものであり、そんな自分自身を「お前達のためだ」と主張する父親を軽蔑したくもなる。これまで畏怖の対象であった父親の権威は、ここでは単なる高圧的な態度と暴力にしか映らなくなる。そこで彼らは父親に、そんな人にぺこぺこするな。そんな格好をしたことで食べ物がもらえるんだったら、食べなくてもいい。子供なりの純粋な、そして社会に対する反抗がここにある。 しかし、その反抗も長続きはしない。僅か一晩。そして朝の一時を父と過ごすことで、そんな父親を、こども達は受け入れていく。 父というのは子供にとって絶対の存在だが、その父の本当の姿を見ることで、子供は精神的に成長をしていく。その瞬間を映し取ったと言うのが本作の最大の特徴であり、最大の強みなのだろう。 あくまで国策映画から距離を置いていた監督だったが、流石に本作は今までの日本人の価値観そのものに関わってくると思ったか、松竹も公開を2ヶ月見合わせたほどだが、キネマ旬報ベスト1位に選ばれてしまうのが面白いところ。 尚、本作で小津監督は後の自分自身の特徴とも言える映像表現を確立したとも言われる。初期小津作品の傑作。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
東京の合唱 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
将来を嘱望される保険会社の若手サラリーマン岡島(岡田時彦)は、ボーナスの支給日に解雇されたベテラン社員(坂本武)をかばって社長に直談判するが、そこで大喧嘩してしまい、自分まで馘になってしっまた。妻すが子(八雲恵美子)と三人の子供を抱えたまま、日銭を稼ぐために毎日職探しに出かける岡島。そんな時、職業紹介所の前でかつての恩師だった大村先生(斎藤達雄)とばったり出会った。洋食屋を始めた大村は従業員を探していたのだ。それで大村のつてで新しい職が見つかるまで、岡島はその洋食屋で働くことになるのだが… 戦前の小津作品特有のペーソスを含んだ喜劇。殊にこの時代は日本は不況のまっただ中にあったので、時事に敏感な小津監督は好んで職探しを題材に取り入れている。しかし、どの作品を観ても悲惨な状況の中にあってユーモアを決して忘れず、それをほのぼのした笑いに仕上げているのが面白いところ。 実際、この手の作品を悲惨に描こうと思えばいくらでも悲惨に出来るし、それはそれで見るべき価値のある作品になるのだが、あくまで映画はエンターテインメントであることを念頭に置いた映画の作り方をしているのは終始一貫している。暗い時代だからこそ、今の時代を柔らかく描くことに務めようとしているのだろう。 小津の立ち位置は変わらない。だからこの時代は貧しさを優しく見つめ、戦後の高度成長期にあっては、金儲けに狂奔する人間を皮肉に見つめる。どんな時代にあっても、自分がいるべき位置をしっかりと保つことが出来た希有な監督とも言える。 本作は岡田時彦演じる岡田の人間的成長の物語として見ることも出来よう。持ち前の正義感で社長とまでぶつかってしまうという熱血漢でありながら、岡田はエリートサラリーマンとしての自分をどこかで信じていた部分があった。それが解雇の憂き目に遭い、サンドイッチマンのまねごとまでやらされる時の、ふてくされた姿となり、そしてラストでこれからの運命を受け入れて地方へと出て行く時の晴れやかな顔。人生は山あり谷ありと言うけど、今の時代をただふてくされて生きていくだけが人生だけじゃないよ。という小津の暖かい心情がにじみ出ているようだ。 ところで本作で岡田時彦の娘役をやっているおかっぱ頭の女の子は、後に大スターとなる高峰秀子だったという事実…全然分からなかったよ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
淑女と髯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大学の剣道部主将の岡島(岡田時彦)は、立派な髯を持つバンカラで鳴らしていた。しかし、その髯のおかげで女性には嫌われ、就職口もなかなか見つからないままだった。ある夜、不良にからまれていた女性の広子(川崎弘子)を助けた岡島は、彼女の忠告を受け、髯を剃ったところ、美青年ぶりを発揮し、途端に仕事が決まり、女性にもモテはじめるようになるが… 小津監督作品は戦前、戦後で映画の描き方が少々違っているような印象を受ける。戦前作品は時代の先端を走るモダンな感覚を出し、戦後になると古き良き時代の方に重きを置いているように思える。 しかし、これらを通して一貫しているのは、新しい価値観と古き価値観のぶつかり合いについて。 監督は自分のいる場所をよく分かっていたのではないだろうか?戦前のモダンさも、戦後の懐古主義も、実は監督の立ち位置は全然変わってないのかも知れない。戦前は時代の先にあった監督の立ち位置が、時代が進むに従い、同じ立ち位置でも時代の方が先に行ってしまったのかも。 監督はそこで無理をせず、自分のスタンスを変えることなく一貫して自分の映画を作っていったのだろう。自分の今立っている位置をはっきり認識していたためだ。 それで時代性のぶつかり合いが監督のスタンスであるならば、本作はそのバランスが大変良く保たれている。 この作品の主人公岡島は、髯のお陰で、一見まさに古い価値観の典型のように見える。周囲もそう見ていて、だから新しい価値観を受け入れようとしている女性達からすれば、ほとんど野獣のような存在で、見せ物か、あるいは自分たちに襲いかかってくる存在としか見ていない。 しかし、実の話、彼ほど新しい男はいなかった。 いや、これは単に流行を受け入れるという意味で新しいと言うのではなく、彼は大変重要な心を持つと言う点にこそある。彼はどんなものをもしっかり受け止め、それを自分の価値観の中でしっかり取捨選択して、自分の中で消化出来ている(考えてみると、これこそが小津監督自身のスタンスだったような気がする)。 彼は人間を偏見なく、人間としてみている。だから彼は外見とか、今その人がやっていることで判断はせず、それが街の不良娘であれ、大金持ちの娘であれ、つきあい方を変えていない。ありのままの自分を人に見せることに何のためらいも持たず、逆にそれによって相手の本性を受け入れようとしていた。その中でありのままの人を愛そうとする。日本の伝統を受け継いでいながら、最大の自由人の姿がそこにはあった。 これはコメディには違いないけど、実は新しい価値観を受け入れる事に関するプラス面を最大限表現しようとした作品とも言える。そう言う意味で、本作は大変興味深い作品だった。 尚、本作の助監督として佐々木康が入っている。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
その夜の妻 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
落第はしたけれど | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
卒業試験を間近に控えながら全く勉強しておらず暢気にかまえていた大学生(斎藤達雄)達だったが、頼みの綱のカンニングに失敗。なかまたちはそれでもぎりぎりで卒業したものの、一人落第が決まってしまう。そんな彼がかねてから思いを寄せていた喫茶店の娘(田中絹代)から卒業祝いにネクタイをプレゼントされてしまう。本当のことがどうしても言えないのだが… 小津監督のサイレント時代の作品には斎藤達雄がよく登場する。それだけ小津が好んだ役者なのだが、何となくその理由は分かる。長身で彫りが深い斎藤は他の役者と較べはるかにバタ臭く、和製ハリウッド作品を目指す当時の小津監督にはぴったりだったんだろう。斎藤もそれに応え、全ての作品で様々な役を見事に演じているが、本作ではそのバタ臭い顔が情けなく歪んでいくあたり、なかなか見応えあり。 しかしこの時代に作られた作品として考えると、むしろ現代にコミットしている気がしてならない。長期の不況の中、大学を出ても就職先はなく、それよりはむしろ大学に居残る方を選んだ方が良いとか、就職先もなく、みんなで下宿先で大学に居残った人間を羨ましそうに見てるとかの皮肉な描写に溢れ、一方ではその中での恋心とか、やるせない思いもよく出ていた。実際これって今の日本では当たり前の光景となっている事を感じさせられてしまう。 留年というのは流石に本人にはこたえる。しかし、価値の転換もあり得るのだ。という小津監督の視点が感じられて良し…勿論それが当たり前になってしまっては困るのは事実なんだけど。 そう言えばこの時代には内定という制度はなかったのかな?ここに登場する学生はみんな卒業してから就職活動してたみたいだけど。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
朗かに歩め | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
街で肩で風切り歩く“ナイフの謙”と異名を取るヤクザ神山謙二(高田稔)がひょんな事からOLの杉本やす江(川崎弘子)に出会う。社長のセクハラに辟易していた弘子を助けてやろうと一肌脱いでいる内に、謙二はやす江に恋心を覚え、ついにヤクザ稼業から足を洗うことを決意する。 小津監督らしからぬ作品…と初見ではそう思ったけど、実際よく考えてみると、これも小津らしさが溢れた作品なんだな。元々小津監督はアクション作品が非常に好きで、更に戦前はモダニズムに溢れた作品を次々と投入していった。 実際そう思って観てみると、本作は後の邦画の主流となる任侠もののような泥っぽさがまるでない。むしろチャンドラー作品のようなおしゃれっぽさが全編に溢れている(後の石原裕次郎映画に通じるものもある)。この年監督は27歳。それでこの時代にここまでおしゃれな作品が作れた(だって満州出兵の時代だよ)ってだけでも充分凄い人だと思える。これはかなりの冒険だったと思うが、チャレンジ精神もあったんだね。 監督作品にしては珍しく暴力が出るのも特徴と言えば特徴か。 物語はいささか単純に過ぎるきらいもあるけど、最後でほっとさせるのは、かえって新鮮だった。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
突貫小僧 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
和製喧嘩友達 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
共同生活をしてるトラック運転手の留吉(渡辺篤)と相棒の芳造(吉谷久雄)はある日道で行き倒れていた娘(浪花友子)を助ける事に。急ににぎやかになった長屋で三人の共同生活は順調に進んでいった。やがて彼女には好きな男が出来るのだが… 小津監督の戦前作品の何作は大戦の影響で散逸してしまい、今や観ることができない作品も多い。本作も長らく“幻の作品”だったのだが、1997年に『突貫小僧』と共に“パテベビー”という家庭用小型映写機用にリプリントされたものが発見され、ようやく陽の目を見ることとなった。ただし、本来77分あったものが一巻分にされてしまったので、現存するのは16分バージョンのみ。 本作にはスターが登場する訳でもなく、話も地味だが、それでも本作は松竹蒲田撮影所作品としてはかなりのヒットを飛ばした作品となったらしい。既にこの当時監督の名前で客を入れることが出来るまでに小津監督の知名度が上がっていることが分かる。 短いだけあって、話は急展開だったし、実際に娘との恋愛感情に発展することもないのだが、この作品は小津監督らしいこだわりに溢れている。特に留吉と芳造の二人はトラックの運転手なんかしてるというのに、朝食は首にナプキンを巻いてフォークとナイフで目玉焼きを食べるなど(しかも塩とソースで食べてる)、バタ臭さに溢れ、その辺のオシャレさが監督らしい所。目玉焼きだけじゃなくマシュマロを食べるシーンなどもあって、監督得意の食事シーンがここに既に確立していた事実を見せてくれてもいる。 しかしこれだけでは本来の作品の持つ魅力はまだ分からない。いつかこれが全部観られる時が来るだろうか? |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
学生ロマンス 若き日 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
評論
ニッポン・モダン -日本映画 1920・30年代-
愛すればこそ スクリーンの向こうから
小津映画 粋な日本語中村 明
小津安二郎先生の思い出
小津安二郎文壇交遊録
小津安二郎と戦争
小津安二郎の喜び前田 英樹
殉愛 原節子と小津安二(書籍)西村 雄一郎
はじめに喜劇ありき―清水宏、小津安二郎、成瀬巳喜男、山中貞雄、伊丹万作、そして斎藤寅次郎
国際シンポジウム 小津安二郎 生誕100年「OZU 2003 」の記録
小津安二郎と20世紀
小津安二郎映画読本―「東京」そして「家族」
小津安二郎の食卓
小津安二郎をたどる東京・鎌倉散歩
監督 小津安二郎
小津安二郎 東京グルメ案内
_(書籍)