グリッター きらめきの向こうに 2001 |
2001ゴールデン・ラズベリー最低主演女優賞(キャリー)、最低作品賞、最低監督賞、最低助演男優賞(ビースレイ)、最低脚本賞、最低スクリーン・カップル賞(マライア・キャリーと彼女の胸の谷間に対して)
2004この25年のワースト・ミュージカル作品賞 |
<amazon>
<楽天> |
ケイト・ラニアー(脚) |
マライア・キャリー |
マックス・ビースレイ |
テレンス・ハワード |
エリック・ベネイ |
ドリアン・ヘアウッド |
アン・マグナソン |
ダ・ブラット |
|
|
★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
2 |
3 |
3 |
1 |
2 |
|
|
クラブの歌手を母に持つビリーは幼き頃より非凡な歌唱力を持っていた。しかし貧しさ故に母はビリーを手放さざるを得なかった。そして成長したビリー(キャリー)も又クラブの歌手となったが、そんな彼女の歌に目を付けた音楽プロデューサーが彼女を誘うが、それは歌えない歌手の吹き替えだった…
歌姫と呼ばれるに至ったマライア・キャリーが主演し、自身の半生を辿る作品。
2001は映画史においていくつもの最低作品が出た年だが(恒例のラジー賞がこの年ほど楽しかった年はない。一例を挙げれば『パール・ハーバー』や『PLANET OF THE APES 猿の惑星』など)、デッドヒートの中で見事最低主演女優賞をもたらしたと言うだけでも充分だろう。
生きている人が自分自身を描く作品に出演するのは結構映画には多い。本作もマライアが自身役として出演しているが、しかし、本作の場合致命的に脚本が悪いのが問題。そもそも彼女の苦労話など、どこにでもありそうな、何という事もないもので、それを普通のサクセスストーリーに仕上げても退屈なだけ。
それをカバーするために歌のシーンが多々取り入れてあるのが唯一の売りなのだが、これだったらなにもこんな対策映画じゃなくて普通のPVで充分で、企画そのものに無理があったとしか思えない作りがなんとも。決して演技力がある訳でなし、ただ歌が上手いだけで、後は人任せと言った感じの物語は退屈なだけだった。
退屈なだけだったらまだいいんだけど、なんか観ていてイライラする作りは監督の責任か?なんか時間を無駄にした気分だ。
強いていえば、本作の作りは「私を見て」と言う構成なのだが、だったら単純に自分が出るのではなく、いかにそれが時代に合ったのか、そして他者から必要とされているのかと言うことをしっかり描く必要があったと思う。単純に本人が出て歌っていればそれで充分だとでも言うのだろうか?映画そのものをバカにしてるかのように感じるよ。 |