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パール・ハーバー―その運命の一日(書籍) |
2020 | ||||||||
2019 | ||||||||
2018 | バンブルビー 製作総指揮 | |||||||
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2017 | トランスフォーマー 最後の騎士王 監督・製作総指揮 | |||||||
2016 | ウィジャ ビギニング 〜呪い襲い殺す〜 製作 | |||||||
13時間 ベンガジの秘密の兵士 監督・製作 | ||||||||
パージ:大統領令 製作 | ||||||||
ミュータント・ニンジャ・タートルズ:影<シャドウズ> 製作 | ||||||||
2015 | ||||||||
2014 | トランスフォーマー ロストエイジ 監督・製作総指揮 | |||||||
ミュータント・タートルズ 製作 | ||||||||
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2013 | ペイン&ゲイン 史上最低の一攫千金 監督・製作 | |||||||
2011 | トランスフォーマー ダークサイド・ムーン 監督・製作総指揮 | |||||||
アイ・アム・ナンバー4 製作 | ||||||||
2010 | エルム街の悪夢 製作 | |||||||
2009 | トランスフォーマー リベンジ 監督・製作総指揮 | |||||||
2008 | ||||||||
2007 | トランスフォーマー 監督・製作総指揮 | |||||||
ヒッチャー 製作 | ||||||||
2006 | テキサス・チェーンソー ビギニング 製作 | |||||||
2005 | アイランド 監督・製作 | |||||||
悪魔の棲む家 製作 | ||||||||
2004 | ||||||||
2003 | バッドボーイズ2バッド 監督 | |||||||
テキサス・チェーンソー 製作 | ||||||||
2002 | ||||||||
2001 | パール・ハーバー 監督・製作 | |||||||
2000 | ||||||||
1999 | ||||||||
1998 | アルマゲドン 監督・製作 | |||||||
1997 | ||||||||
1996 | ザ・ロック 監督 | |||||||
1995 | バッドボーイズ 監督 | |||||||
1994 | ||||||||
1993 | ||||||||
1992 | ||||||||
1991 | ||||||||
1990 | ||||||||
1989 | ||||||||
1988 | ||||||||
1987 | ||||||||
1986 | ||||||||
1985 | ||||||||
1984 | ||||||||
1983 | ||||||||
1982 | ||||||||
1981 | ||||||||
1980 | ||||||||
1979 | ||||||||
1978 | ||||||||
1977 | ||||||||
1976 | ||||||||
1975 | ||||||||
1974 | ||||||||
1973 | ||||||||
1972 | ||||||||
1971 | ||||||||
1970 | ||||||||
1969 | ||||||||
1968 | ||||||||
1967 | ||||||||
1966 | ||||||||
1965 | 2'17 カリフォルニア州ロサンジェルスで誕生 |
トランスフォーマー 最後の騎士王 2017 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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オプティマス・プライム(カレン)が地球を去って後、ロボットを排除しようとする人類と、この地球で生き残りをかけるロボット達の争いは激化していた。そんな中、地球に降下してきたロボットを助けて回るケイド・イェーガー(ウォルバーグ)は、ある日シカゴでロボットの救出中に死んだロボットからタリスマンを手渡される。丁度そこに居合わせた人間の少女イザベラ(モナー)を助ける。ロボットに対する愛情が強いイザベラはオートボット達と意気投合し、ケイドの家の居候を決め込むのだった。しかしついにケイドとオートボットの基地が人類の対トランスフォーマー部隊に補足されてしまい… 気がつくとトランスフォーマーシリーズももう5作。1作目からもう10年も経ってしまったことに驚く。そして結局最初から劇場で観ている私もいる。この間に私の中でのベイ監督に対する評価は随分変化した。昔はとにかく爆発さえさせてりゃ満足なんだろ。程度の認識だったが、『アルマゲドン』と『パール・ハーバー』で本気で嫌いになり、この監督にだけはトランスフォーマー作って欲しくないと思っていたものだが、作品につきあっている内に、だんだん細かい事なんてどうでも良くなってきた。ベイ監督はベイ監督で変わらない人なんだから、それはそれで受け入れよう。その上でこの人のやる馬鹿を楽しもう。ここまで来ると、ベイ監督作品を愛しめるようになってきた。そう。「楽しむ」よりも「愛しむ」という表現の方が似合ってる。 特に前作『トランスフォーマー ロストエイジ』は素晴らしい出来で、3時間の間に3時間半突っ込めるという幸せな体験までさせてもらえた。素晴らしい最高の馬鹿作品である。 で、その馬鹿の上書きをするような続編が出来たというので、体調を整えてわくわくしながら劇場に観に行った。 しかし、別な意味で本作は私の期待を超えていた。 まず、ツッコミまで入りづらい。 馬鹿は馬鹿で、ツッコミどころだって他の映画に比したらすごく多い。でも前作のような桁違いのツッコミが入らない。 画面上ですぐに分かるツッコミがあまりなく、思った以上にしっかりした出来になってしまった。楽しくツッコミ入れることが出来ないのはちょっとストレス。 馬鹿なところを挙げると全部根本的な設定部ばかり。 例えば前作でロックダウンがオプティマスにやろうとしてきたことは、創造主に引き合わせることだった。それを回避したのになんで自分から会いに行ってるんだ?しかも行ったらビンタ一発であっけなく敵の手下に成り下がってる。これだったらロックダウンに連れて行かれた方が早く着いた分ましだったんじゃないか? 『トランスフォーマー リベンジ』によれば、地球はトランスフォーマーのパワーの源であるオールスパークがあるからやってきたと言っていたのに、そのことは全く顧慮されておらず、いきなり新しいアイテムが登場。しかも前作でほとんどいなくなったとか言われていたトランスフォーマー達が今も次々地上に降りてくる。これ、前作の設定の否定になってる。 過去の歴史でトランスフォーマー達が関わってきた写真が出てくるが、1作目で宇宙からやってきた描写はどう説明付けるんだ?それ以前に人間とここまで絡んできておいて、一作目時点で誰もトランスフォーマーのことを知らなかったなんて、無理がありすぎる。 それと冒頭に登場した少女イザベラだが、あんな思わせぶりな現れ方をさせておいて、ほとんど物語に関わってこない。登場した意味がほぼ皆無。続編に意味が出てくるのかも知れないけど、今回の作品に関してはいない方が話は余計な尺を採った分すっきりするくらい。せめて話にもっと絡めろよ。 それと前作であれだけもったいぶった登場のさせ過多をさせたガルバトロンが又メガトロンに戻ってる。明らかに性能も悪いし、そもそもただ画面に登場するだけで本当に何もしてない。折角復活させて、ようやく活躍出来るかと思った矢先、空気にするなんて不憫すぎる。 そして何よりラスト。いつものようにオプティマスの述懐で物語は閉じるのだが、これこそ最大のツッコミ場所。「お前が言うな!」。思わず本当に劇場で大声上げたくなった。 …と、まあこの辺がツッコミどころなのだが、全部物語の根幹部分のツッコミなので、画面にツッコミが入れにくいという問題点がある。 ただその辺は「どうせベイの作品だから」と笑い飛ばせれば充分。そもそも緻密な設定の作品を観たければ、この監督の作品を観なければ良いのだ。そう言う馬鹿な作品を観たいがためにベイ監督の作品を観るのだから。 だから馬鹿さを楽しむにはぴったりな作品だとは言えよう。 そして本作にはもう一つ大きなテーマがあるかと思われる。 特に本作にはカーチェイスシーンがふんだんに使われているのだが、演出方法が見事にフランケンハイマーの演出になっているという点。 フランケンハイマーの演出は特徴があるが、特にカーチェイスには際だったスタイルがある。それは敢えて道の狭さを強調するという点。この人が演出するカー・チェイスは、最初は広い道を走っていても、いつの間にか路地に入り込んでいて、しかも相当のスピードを出すため、緊迫感が溢れたものになっているのが特徴である。ただ、その演出やりすぎた上に、いつも誰か路地にいて、ダイビングして車を避けるという演出を繰り返しやっており、それ観ただけで「ああフランケンハイマー健在だ」と棒読みで言いたくなるのだが、まさにその棒読みのフランケンハイマー演出を繰り返し演出する。まさにリスペクト通り越した見事なパクリ演出である。 そもそもアクション映画に於いてはマイケル・ベイとはトップクリエイターなのである。そのトップクリエイターが敢えて自分のスタイルを捨ててまでフランケンハイマーにこだわるのだからたいしたものだ。 CG全盛時代にこんな泥臭い演出を選択する監督には、一回り呆れを通り越して敬礼したくなるほどだ。 立派立派。はいはい。 |
13時間 ベンガジの秘密の兵士 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2016米アカデミー音響賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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トランスフォーマー ロストエイジ 2014 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ディセプティコンによる大規模侵攻によるシカゴでの決戦から5年が経った。ディセプティコンの危機が去ったことによって、アメリカ政府は今度はオーバーテクノロジーの塊であるオートボットを危険分子と見なし、厳しい取り締まりを行っていた。そんな時、テキサスで一人娘のテッサ(ペルツ)と共に暮らしている発明家のケイド(ウォルバーグ)は、安価で廃品のトラックを手に入れる。だが実はそのトラックこそが政府の手を逃れ身を隠していたオートボット司令官オプティマス・プライムだった… 3部作として作られた『トランスフォーマー』も、ひと通りの物語を終えた。だがその人気は衰えること無く、ベイ監督が総力を上げて新しいシリーズとして復活したのが本作。前3作の主人公だったラブーフは降板し、ウォルバーグを迎えて作られた、まさしく派手そのものの作品となった。 興行成績はこれまでの3作品を軽く超え、世界中で大ヒットしたことになるのだが… 1作目は製作総指揮にスピルバーグが入ったこともあってか物語として結構バランス取れた作品にはなっていた。少なくとも、見せ場をきちんとコントロールして、メリハリのある物語にはなってたんだが、だんだんスピルバーグのコントロールも効かなくなってきたか、2作目辺りから、だんだん物語は破綻していき、その代わり演出は冴えに冴えていく。3作目に至っては、ツッコミ所満載のネタ作品にも関わらず、トランスフォーマー達の流れるような動きやきっちり計算された戦いなど、他の追従を許さないレベルの見事さを見せつけてくれた。 この過程は即ち、スピルバーグの手から物語が離れていく過程であったかとも思える。 良くも悪くも、シリーズのヒットを受け、自身を持ってベイ監督が自分のフィールドに引き込んだおかげだろう。 そして4作目の本作は、まさしく監督の自信作と断言できる。ある意味監督の総決算ともいえるベイ印と言って良い作品に仕上がっており、観ている側としても、とても楽しい作品だった。 ここまでベイ監督の作品に付き合ってきたこともあって、もう諦めを通して、無茶苦茶を楽しめる境地に達している自分自身に気がついてしまった。昔の私だったら怒っていたはずの演出も、「ベイ監督だから」の一言で全部許せる気になっている。 ツッコミ所を全部出したら、多分私のこれまでのレビューの最長記録に達する長さになるほど、ほぼ全編ツッコミどころばかり。鯛焼きでたとえるなら、頭から尻尾まで全部ツッコミというアンコが詰まった作品。しかもツッコミにツッコミが重なる多重構造によって、3時間弱の時間が全く飽きさせてくれれない。ここまでくると呆れてる暇さえない。楽しい。とても楽しいぞ。 それに付き合ってくれたウォルバーグが又素晴らしい。前三部作のラブーフもいい演技はしてたけど、いかんせん若くて真面目なので、監督の演出を担うには荷が勝ちすぎた感じだが、ウォルバーグはその辺の演出を理解した上で、ちゃんと主体的に馬鹿馬鹿しい演出をちゃんと担ってくれている。いや、本当になんでこんな事するの?ってのがやたらたくさんあるけど、この人だったら良いか。と思わせるところが流石だ。まさしくベイ監督作品の主役には適役。不自然に漢字入りのパッケージ品を食ったり飲んだりするシーンが多いけど、その不自然さを不自然なまま無理やり演じてくれるのが実に良い。監督の行き過ぎた演出は下手に説得力持たせないほうが良いし、その方が印象に残るってもんだ。 ベイ監督とウォルバーグ。この二人のタッグがここまではまるとは。 突き抜けた馬鹿は逆に素晴らしい。 ツッコミどころは今回は敢えて書かないけど、構造的な疑問点が何点かあるので、以降ちょっとだけ。 一点目。前作までの主人公であったサムに対するフォローが全くなかったが、一体この話の中での彼はどうなっているんだろう?オートボットのことを知りすぎているし、実際友人でもある以上、その身柄が無事とは思えない。CIAあたりによって監禁されている可能性がとても高いが、あれだけの冒険をした上で、そんな立場に置かれていると考えると、なんかとても可愛そうな気がする。そこの部分で何かしらフォローが入っていればよかったかな? あと、地球産のトランスフォーマー作るのは良いけど、オプティマス・プライムをベースにしたものをなんでガルバトロンなんて名前をつけるのか。そのネーミングセンスの悪さがなんとも。実際に過去のアニメ版『トランスフォーマー ザ・ムービー』(1986)で、メガトロンが復活させられての名前で、このシリーズでも以降オプティマスの宿敵として出てくるのは分かるんだけど、地球人がその名前をつけるのはなんかおかしいよな。 あと、以降の話に関わってくるのかもしれないけど、謎のトランスフォーマー、ロックダウンが何をしようとしているのか、ほとんど説明がない。本人曰く、「創造主からオプティマスを連れてくるように言われた」とのことだが、結局彼のやってることがあまりに脈絡がなく、何を考えてるのか全然分からないまま。物語上、重要な部分に関わるキャラなので、もうちょっと説得力を持たせる説明が欲しかったな。そもそも創造主なる存在がなんだかよく分からないし。 この辺は次作以降に期待…はできない。なんせベイ監督だもん。 |
ペイン&ゲイン 史上最低の一攫千金 2013 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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トランスフォーマー ダークサイド・ムーン 2011 | |||||||||||||||||||||||||||
2011米アカデミー視覚効果賞、音響賞 2011ゴールデン・ラズベリー最低作品賞、最低監督賞、最低助演男優賞(デンプシー)、最低助演女優賞(ハンティントン=ホワイトリー)、最低脚本賞、最低スクリーン・カップル賞(ラブーフ&ハンティントン=ホワイトリー)、最低アンサンブル演技賞 2011興行収入第2位 2012サターン特殊効果賞 |
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オートボットと共に二度も地球の危機を救ったサム・ウィトウィキー(ラブーフ)は、無事大学を卒業したものの、空前の就職難とこれまでの戦いのPTSDから就職が出来ないままでいた。そんな彼がようやく就職したアキュレッタ・システムズで、ジェリーというおかしな社員にトイレに連れ込まれ、そこで書類を手渡される。その内容は恐るべきもので、なんと1960年代には世界はトランスフォーマーの存在を知っており、アポロ計画の本当の目的と、計画の中止にもトランスフォーマー達が関わっていたと言うことだった。一方、軍と協力してディセプティコンの残党狩りをしていたオートボット司令官オプティマス・プライムは、廃棄されたチェルノブイリ原発でおかしなものを目にする。それは人類とオートボットとの関係を大きく変えてしまうものだった… マイケル・ベイ監督とスピルバーグによる大好評のシリーズ第3弾で一応の完結編。『アバター』(2009)の3Dエンジンを使ったど派手な演出で、世界的に大きなヒットを飛ばした。 一作目、二作目とも、出来は悪いものではない。むしろ「あのベイがここまで!」と言うくらいしっかりしたものが作られてたので、かえって驚かされたくらいだが、この3作を続けて観てみると、この二人の力関係が少しずつ変化している課程を見てる気にさせられる。 一作目はあの大味なベイらしからぬ緻密な描写とテンポの良さがあり、むしろスピルバーグが監督と言っても不思議ではない出来に仕上がっていた。 対して二作目は、かなり荒削りになって派手さばかりが前面に出ていた。テンポの良さは薄れ、ダレ場も多く、力業で見せようという本来のベイらしさが強まっているかのような印象あり。 結果として一作目はスピルバーグらしさが、二作目はベイらしさが強調されていたが、三作目の本作は、明らかに更にベイらしさが強くなっている印象を受ける。 二作目以上に大味な物語展開。不必要な部分も多く、ジョークも外し気味。派手なだけで後に何も残らない物語構造。爆発の多用。でもこれがベイらしさなのだ。 かつて『トランスフォーマー リベンジ』のレビューの際、「本当に翼を持ってあらぬ方向にぶっ飛んだ、ベイ監督らしい作品を期待したい」と書いたが、そういう意味では本当に期待通りの作品と言っても良い。 でもスピルバーグらしさは後退したとはいえ、大味な物語展開をつなぐシャープな演出は本作でもきちんと存在しており、ダレ場もちゃんと見所にして飽きさせない作りはスピルバーグ健在という印象を持たせてくれる。結局ベイの大味さをきちんと受け止められるのはこの人しかいない。たとえどれだけ話がおかしくなっていても、それを受け止め、ちゃんと映画に出来たのだから、それだけで良いだろう。 玩具企画から誕生したトランスフォーマーは、アメリカでのアニメ化を皮切りとして多角的な映像作品が作られてきた。その中で映画版の特徴であり面白さは、オートボット対ディセプティコンの対立構造よりも人間の作り出した組織との関わりが大きいと言う点にあるだろう。 アニメ版では主役はオートボットであるため、人間はディセプティコンの攻撃に逃げ回るだけで良い。オートボット達は正義のヒーローとして弱い人間を守る存在なのだから。 だが映画の場合、主役は人間側にある。この状態でアニメと同じ事をやったら、主人公が全然目立たないという問題が起こってしまう。実際一作目で主人公のサムは何が何だか分からないうちに戦いに巻き込まれ、逃げ回ってる内に終わってしまってた。それに対し続編では既にオートボットとの連携がなされた後の話になっている。 だからこそ本作は人間の努力を最大限演出してみせた。オートボットと連携するNESTのみならず、アメリカ軍もそれぞれディセプティコンと戦い、実際にこの話ではオートボットの戦士よりも人間の方がより多くのディセプティコンを倒しているくらいだ。 思うに、この三部作は、地球を守る主権を人間が取り戻すまでを描いた作品としても見ることが出来る。1作目が、突然飛来したロボット同士の戦いに巻き込まれて右往左往するだけだったのに、ここまで人間は成長した。人間の方を中心に見るなら、極端に人間は進化しているのである。 そして人間の力で運命を切り開くという構図は、実はベイ監督作品に共通して見られる構図でもある。だからこそ本作は自分のカラーを前面に押し出すことが出来たのだろう。 いずれにせよ、頭から尻尾までベイらしさが出ている作品として本作は受け取るべきだろう。 これからは蛇足だが、本作を観ていていくつか感じた事。 新世紀に入ってなるだけ人が死ぬ描写は抑えられるようになってきた。特にレーティングでこどもも観る作品は病的なほどに人の死に敏感で、アクション作品でも全年齢対象作は大抵人を殺さぬよう注意が払われていたと思う。それが最近の作りだったと思うのだが、この作品では割と平気で人を殺すシーンが多く出ている感じ。熱射砲によって人間が骨だけになるシーンなんかはちょっとやり過ぎかな?あるいは少しそう言う規制が緩くなっているのかな? もう一つ、これもベイらしさかもしれないが、どっかの映画から場面を引っ張ってくるのも随分とやり過ぎ。シカゴでディセプティコンの戦艦が降りてくるとか、セイバートロン星がやってくるとかは『インデペンデンス・デイ』(1996)の構図丸パクリで、ラストシーンが『赤い河』(1948)の構造と同じなのはともかく、劇中デジャヴ感がもの凄い。 オープニングの月の遺跡発掘シーンから始まり、高速道路で敵の攻撃を避けるバンブルビーのアクションもどこかで…で、飛ぶ人間が出てきたところで確信したが、これ『怪獣大決戦 ヤンガリー』(2000)からだろ?そりゃあの作品と較べたら5倍くらいスマートにはなってるけど、やってることがまんまじゃないか。 なんかそう思ったら凄くこの作品、私の中で落ち着いた。 そうだ。これ、馬鹿映画なんだ。そう思ったら、もの凄く納得がいった。 あと、やっていても意味が無いが、いくつかだけツッコミ。 <1作目、2作目のヒロインだったミカエラはここには登場してないが、それはたった一言「フラれた」だけの説明。あれだけ生死の境を共にしたパートナーの扱いが悪すぎると言うか、ぞんざいすぎるぞ。 一作目で、メガトロンが既に地球に来ていて凍っていたのだが、それは地球にある目的があったからと説明されている。2作目でそれはザ・フォールンという原初のトランスフォーマーの遺産を手に入れるためだと説明されたが、何故か本作ではセンチネル・プライムと共闘するためにすり替わってる。しかも地球にやってきた時期がもの凄く違ってるし、あれだけいた素体のディセプティコンがこれまで一切出てこなかった理由が全く付けられてない。あれだけの数が出撃を待っていたんだったら、一作目でメガトロンが起きた時点で地球にやってきても問題無かったよな? 先代プライムであるセンチネルがセイバートロン星を脱出した時はすでにマトリクスはオプティマスのものになっていたと言うが、何故そうなったのかも全く説明なし。その部分にどんなドラマがあったのかが、本作を観る上で肝になるはずなんだが。 トレーラー部分を事故で横転させられたオプティマスが「これでは飛ぶことが出来ない」と呟いていたが、その直後に飛んできた。 オートボット全員がロケットに乗って宇宙へと追放されたが、なんか全員切り離し用燃料タンクに入っていて地球に戻ってきたと説明されていた。あれだけの重さを宇宙に運び、しかもロケットはちゃんと宇宙に出ているのに、そんないい加減な戻り方って出来るのか? センチネルの目的はセイバートロン星を地球の近くに持ってくること。でもあんな近くにテレポートさせたら重力干渉が起こって地球もセイバートロン星もぶち壊れるぞ。そもそもセイバートロン星は骨組みばかりの星だからあの時点でも自己崩壊起こして不思議じゃない。 ラストで見事オプティマスは宿敵メガトロンを倒すのだが、やってることはほとんど騙し討ち。正義のヒーローとしては、あまりにどす黒いやりかたに見える。しかもその後で訳の分からない格好良い台詞を言ってるが、なんか自分のしたことを正当化しようとして歯の浮くような事を言ってるようにしか見えない。> …あれ?こんなに書くつもり全く無かったんだが。でもまだまだ出てくるぞ。 |
トランスフォーマー リベンジ 2009 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2009米アカデミー音響賞 2009ゴールデン・ラズベリー最低作品賞、最低監督賞、最低脚本賞、最低助演女優賞(ホワイト)、最低スクリーン・カップル賞、最低リメイク・続編賞 2009絶叫大賞スクリームアワード最優秀SF女優(フォックス)、最優秀新人女優(ルーカス) 2009イギリスの年間興収第7位 2009allcinema興行収入第1位 2010MTVムービー・アワードトンデモシーン賞 |
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地球を舞台としたオートボットとディセプティコンの激闘から2年が経過した。新たな仲間を加えたオートボットのリーダーオプティマス・プライムはアメリカ軍と協力して世界各国に点在するディセプティコンの生き残りを狩っていた。一方前の戦いに巻き込まれたその渦中に巻き込まれたサム(ラブーフ)も大学生となり、キャンパスライフと、恋人ミカエラ(フォックス)との長距離恋愛生活に入っていた。だが、キューブのカケラを手にして以来、サムの体には異変が起き始める。そしてそのサムと、オートボットの動向を宇宙から探る目が… 大好評を博した『トランスフォーマー』の続編で、前作に続き、マイケル・ベイが監督を、製作総指揮をスティーヴン・スピルバーグが執っての、満を持しての投入。勿論大ヒットを記録している。 ちなみにこのほんの一月ほど前に『ターミネーター4』が公開され、こちらは思ったほどヒットしなかったので、ベイ監督はそれを引き合いに出してかなり挑戦的に本作の良さを語っていたが、少なくとも数字を見る限りでは、完全に本作の方が上を行っているのは事実。 そんで本作の出来だが、はっきり言ってしまえば「面白い」。ストーリープロットは単純ながら、ツボを抑えた演出と、派手なロボットバトルの噛み合わせが良く、更に人間側の努力をないがしろにしないように配慮された脚本には、前作とは格段の進歩を見せているし、物語もストレートなので、下手に勘ぐることなく、素直に流れに身を任せていればいい。かなり低年齢層をターゲットに捕らえたのは、成功だと思う。 この物語の構造を観てると、脚本家は相当に日本のマンガが好きなんじゃないだろうか?と思わせる部分あり。少年マンガの王道パターンを見事に貫いてる。以下にちょっと書き出してみよう。 長期に及んでヒットを続ける息の長いマンガにする方法は、先ず主人公とライバルキャラのバトルに持ち込む。たとえ物語の始まりはどうであっても、途中から路線変更してでもライバルは登場させること。 この場合、主人公に対するライバルキャラは複数登場し、話が進むに従ってだんだん強くなっていき、「到底こいつには敵わない」という敵を小出しにしていく。 そして敵キャラの中で必ず主人公側に寝返るキャラが出る。それは単に主人公が強いからではなく、その優しさなど、人格に触れてのことが多い。 主人公若しくはその仲間は必ず一回は死ぬ。 そのキャラを生き返らせるために周囲のキャラが努力すると、割と簡単に生き返る。しかも生き返った時には大抵パワーアップしていて、「絶対敵わない」ライバルキャラを一撃で撃破してくれる。 一つの戦いが終わった。そして次の戦いが始まる。という予兆でとりあえず話を閉じる。 …まさしく王道ではあるが、人気マンガの多くはこのフォーマットをしっかり踏襲することで長期に渡るヒット作が作られていく。勿論個々のマンガの特長を活かし、工夫を凝らしている作者側の努力が最も重要なのは確かだが。本作はまさしくそれをそのまま踏襲してる感じ。 『ターミネーター4』の場合は舞台がディストピア、ましてやこれまでの作品の歴史的な重さがある。どうしても年齢層を高く作らざるを得ないのだが、本作の場合は歴史的な重みなんぞ無視して、徹底的に観客に楽しんでもらえるように作られているので、どれほど軽くなっても許される。 それと、やっぱり演出の凄さは見事なもの。度々引き合いに出して悪いが、『ターミネーター4』でも見事な映像美だと思ったけど、本作は更にその上を行ってる。ロボット同士のバトルシーンはちゃんとメリハリを利かせ、誰がどの位置に立っているかを把握させつつ、その上で殴り合いをさせてる。銀色の固まりがくんずれほずれつしてるだけにしか見えなかった前作とは格段の向上が見られる。 …と、まあ本作は色々褒めることは多い作品には違いないのだが、点数が今ひとつ上がらないのは、やっぱりあまりに単純なストーリー展開と、設定のおかしさがあってのこと。それに、これは私個人の問題として、ベイ監督作品がそもそも嫌いだ。という問題で。結局この話は今までのベイ監督作品の延長でしか無く、それを褒めると言う事は、今までけなしてきた自分自身を否定することになってしまうため。という極めて個人的な理由から(もし本作が本当に素晴らしかったら、素直に「私が間違っていた」と言うけどね)。少なくともスピルバーグと組んだことは、間違いなくベイ監督にとってプラスに働いている。 後、何故か主人公の(と敢えて断言するが)オプティマス・プライムの台詞が引っかかる部分がある。人間に対しては、プライドの高さを見せつつも、低姿勢で対処しているのに、ディセプティコンとの戦いになった途端、「この屑鉄が」とか「スクラップにしてやる」「死ね」とかの台詞がばんばん出てくるし、更に倒れた敵には容赦なくとどめの一撃を食らわせてもいる。 人間社会で生きると言う事にオプティマスは相当にストレス溜めてるんだろうなあ。と思うに付け、ふと変な事を考えた。 ベイ監督は何だかんだ言っても現在のハリウッドにとってはヒットメーカーの希望の星だし、割と高確率でヒット作をものにしている。金の使い方は半端じゃないが、それに見合った見返りが期待できる映像作家であることは間違いがない。 たとえ出来たものがスッカスカの中身空っぽ作品で、残ったのは数字と批評家の失笑ばかりだったとしても、本人はそれを全然気にしてるように見えない。「好きなものを作って、それが受けるんだったらそれで充分」と言うのが彼の主張だから…多分。 そんなベイ監督に手をさしのべたのがスピルバーグ。思えばスピルバーグ自身もデビュー以来、少なくとも『E.T.』(1982)辺りまでは、批評家から娯楽作家としか見られてなかった(改めてスピルバーグ作品を観てみるとメッセージ性にあふれているのだが、当時の批評家はそれを黙殺し、観ている側もエンターテインメント部分だけを求めていた)。そんなスピルバーグからすれば、ベイは気になる存在だったのではなかろうか。それにドリームワークスの存続のためにはヒットメーカーの存在が不可欠だし、子飼いのラブーフをスターにも出来る。ベイと組むのは多少のリスクはあっても理にかなった考え方のように思える。 それに出来るものがたとえメッセージ性皆無のスカスカの物語だったとしても、ベイ監督に足りない緩急も自分なら付けられると言う自負もあったんじゃないだろうか。スピルバーグとしては、爆発馬鹿のベイをコントロールすることが一つのモチベーションとなったとも思える。 それで実際前作は、この二人の力がバランス良く合わさった作品に仕上がったのは確か。ベイの派手で見栄えのする大味な演出と、それをつなぐスピルバーグの緻密な演出がほどよく組み合わさり、確かにうまく仕上がっている。 そして本作はその関係が崩れることなく、ますますパワーアップしてる。ベイの持ち味の派手さは限定され、ダイナミックなシーンでもきちんと配慮された演出が見て取れる。 これはベイ監督の実力が上がった。と言う側面もあるだろうけど、抑えるべきところをスピルバーグから学んだところも大きかっただろう。 一方、ベイ監督にとってはこの作品、かなりストレスも高かったようにも思える。 それはちょっと深読みすればオプティマスの言動に見て取ることも出来る。人類を守ると言う意識にあふれたオプティマスは、人間に対しては慇懃な態度を崩さないが、言葉のはしばしに嫌味を込めることも忘れてないし、ましてやディセプティコンに対しては徹底的に罵倒し、容赦なく破壊もする。徹底的に押さえつけられたベイの心情を代弁しているのがオプティマスとも考えられよう。だったらスピルバーグの立ち位置は、官僚思考の塊人間のセオドアであり、同時に老トランスフォーマーのジェットファイアーとしているのではないかな? 自分に翼を与え、消え去ってくれる老人。ベイにとってスピルバーグとはそう言う存在…であって欲しい。と言う願いが込められてるように思えてしまう。そう考えると、本作はかなりニヤニヤしながら観られる作品になる。 さて、ベイに本当に翼が与えられたかどうか。それは確実に来るであろう第三部に期待させていただこうか。どうせなら本当に翼を持ってあらぬ方向にぶっ飛んだ、ベイ監督らしい作品を期待したい。そうすればこっちも思い切り罵倒してやれるし。 |
トランスフォーマー 2007 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2007米アカデミー視覚効果賞、音響賞 2007MTVムービー・アワードこれから公開のサマー・ムービー賞 2007allcinemaONLINEユーザー投票第12位 2008MTVムービー・アワード作品賞、男優賞(ラブーフ)、ブレイクスルー映画賞(フォックス) 2008エンパイアSF/ファンタジー作品賞、ニューカマー賞 2008サターン特殊効果賞、SF作品賞 |
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中東に展開中のアメリカ軍基地が何者かによって襲われ、通信が途絶。丁度その頃アメリカではサム(ラブーフ)が、念願の車を購入しようとしていた。彼が選んだのはまるでサムに買われるように置いてあった中古のカマロである。だが実はサムは自分でも全く知らないうちに地球を揺るがす事になるある引き金を引いていたのだ。宇宙を二分する正義と悪との戦い。オートボットとディセプティコンズの戦いの火ぶたが、今アメリカで切られようとしていた… 1984年にアメリカで作られたアニメーションを元に(アニメ制作自体は日本および韓国で、劇場版『トランスフォーマー ザ・ムービー』(1986)もあり)、設定を大幅に変えて現代に復活させた作品。「トランスフォーマー」自体はタカラ(現タカラトミー)の商品で、1970年代末頃から現在に至るまで様々に設定を変えて続いているので、最早オリジナルがどうこう言うレベルではないのだが、実は私はこの1984年版のアメリカ産「トランスフォーマー」がとても好きで、私のアメリカメディアの知識は多くをこの作品に負っているのも事実。 さてそう言うことで思い入れもかなりある作品。これが映画化!となった時はちょっと怖かった。観たいけど、観たら多分無茶苦茶けなすことになるんだろうなあ。特にベイ監督との相性は最悪だし…と言う思いを抱きつつ恐る恐る劇場へ。 …いや、正直な話、ここまでの作品が観られるとは思ってなかった。と言うのが正直な感想。オリジナルの思い入れなんぞ全く差し挟む余地のない、怒濤の如き見所の連続と、飽きの来させない絶妙な演出。見事な作品だったと言える。 これはおそらく監督にマイケル=ベイ、製作にスピルバーグという二人の才能が上手く合わさった事によるものだと思われる。 ベイ監督は派手な“だけ”の作品を作る監督で、彼の作る作品は確かに見せ場はたくさんあって、本当に派手なドンパチやらカーチェイスやらが出てくるのだが、ベイ監督作品の致命的なところは、見せ場が全部ぶつ切りになってる上に、物理的にはあり得ない事ばかりやってくれるために肝心なシーンで失笑することが多く、しかも物語が極めて単純な上に行き当たりばったりなので、派手なシーン以外思い出が何一つ残らないと言うところにある(多少なりとも物語を考えようとした『アイランド』は興行的に失敗してる)。 対してスピルバーグも娯楽作品を作らせたら派手なものを作ることが多いが、むしろこの人の作品の良さは、緻密な演出にこそある。派手なシーンがあるなら、それをどのように効果的に入れればいいのかを知悉しているため、無駄がない。よって無節操なベイ・エフェクト(と勝手に呼ばせてもらおう)を緩急を付けて効果的に画面に登場させ、飽きさせないようたっぷり観させてくれる。 この二人の合わせ技は優れてた。仮にベイ監督単独で本作作ったら間違いなく最低レベルの評価しか与えられなかったのを、ここまで点数を上げさせたのはスピルバーグ演出に他ならない。2時間半を全く飽きさせないってのだけでも凄いよ。 ただ一方、その良さを全て台無しにしてしまうのが物語という奴。ベイ監督の悪さが全て出てしまった脚本は、いくらなんでも無節操な意味に無意味すぎる。 本作には主人公が存在しない。一応サムとウィリアムの二人が人間側では出てくるが、はっきり言えばほとんどなんの意味も持たない。サムがイーベイに出品したお爺さんの眼鏡が引き金になったのは良いんだが、肝心のキューブとメガトロンは既に回収されているので、眼鏡はなんの意味も持たず、放っておけばいつの間にかその場所に着いてる。ウィリアムは娘に会いたい!と願いつつ、そのためになんの努力もしてない。結果として二人の主人公は自分の意志を全く持たず流されるだけ流されて、いつの間にかハッピーエンドになってしまってる。この辺は呆れかえると言うよりはむしろ「流石ベイ!」と唸ってしまうほど。この意味の無さには感動間違いなし。ラストを締めるのが人間ではなくオプティマス・プライムである時点で、物語の方向性を見失ってるよ。 様々な説明がなされてないが、説明無しで観てるだけで充分という設定の浅さは、逆に評価すべきかも知れないけど。 メインストーリーが大味な割に小技だけはえらく凝ってるのもベイ監督らしさかな?(特にバンブルビー絡みの小技はいくつもあるけど)隕石落下シーンで「『アルマゲドン』より100倍凄えぜ」には呆れる。何にも変わって見えないぞ。 |
アイランド 2005 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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近未来。そこでは完全管理の地下都市が作られていた。そこの住民には大気汚染から守られ、単純作業に明け暮れていた。彼らの夢は地上最後の楽園とされるアイランドへと移住すること。リンカーン(マクレガー)もその一人で、同じ地下生活者のジョーダン(ヨハンソン)と共にアイランドに行くことを夢みていたが、ある日、換気口から入ってきた一匹の蛾を見て、ある疑念を抱く… 悪い意味でアクション監督しかできないベイ監督によるSF作品。この人の作品はどうやら私には鬼門らしく、これまで何を観ても文句以外が出てこなかったので、金払ってまで不快感を持ちたくないため勿論映画館はスルー。それに予告編が変すぎた。だってあれ観てるだけでストーリーが全部分かってしまうのだから。ご丁寧に字幕で全部ストーリーを見せてるし、オチの映像まで予告編で流れてた。なんじゃこりゃ?つまりこれは、「この映画は予告でストーリーの全てが語り尽くせるほどの内容だから、アクション部分だけ観てください」。という意味なのか? それでテレビで放映されたので、無料ならば。と言うことで拝見。 ちょっと驚いたのは、これまでのベイ監督の作品と較べ、ずいぶん話が練り込まれているという事実だった。SF的な設定は悪くない。『THX−1138』(1971)からソリッドな演出と奥行きを取り去った抜け殻みたいな設定ではあるものの、地下社会に住む人たちの生活とか、現実世界の対比とか、結構描写も悪くない。 『THX−1138』のように人間の欲望を抑え込むのとは異なり、この管理社会は積極的に競争原理を取り込んでいる。ここは理想的な社会ではなく、本当の理想は“アイランド”にこそあるため、彼らはそこに行こうと努力を強いられる。しかも人間の努力が反映されるのはほんの僅かで、ほとんどは偶然によって(と彼らに思わせることによって)運命は左右される。言わばクジのようなものなのだが、このクジというのは、管理する側にとってはまことに都合の良いシステムなのである。何故なら、一攫千金の可能性があると思わせることは、現状の不満を具体的な行動に移すことをためらわせるからである。あれだけ格差社会でありつつ、国民であることの誇りを持ち続けるアメリカ人の不満はこれによってある程度解消されていると言われるほど。社会に積極的にクジを取り入れるってなかなか面白い方法だよ。 本作の場合、相変わらずのご都合主義の嵐で問題ばかり。倫理的な問題としてのクローンとは。と言う問題へと持っていく事が出来るなら、話は面白い展開を見せたはずなのだが、その辺やはりベイ監督と言うべきか。その辺の問題は突っ込むことなく、全部力押しで終わらせてしまった。それはそれで潔いとも言えるんだけどね。 ベイ監督作品にしてはまとまってたって所かな? |
バッドボーイズ2バッド 2003 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2003全米年間興行収入第9位 2003全世界年間興行収入第9位 2004MTVムービー・アワード アクション・シーン賞(高速道路での追跡シーン)、チーム賞(スミス&ローレンス) |
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トレーラーから車が落ちてくるシーンは『ルーキー』から、終わりの人家密集地帯を車で突っ切るシーンは『香港国際警察』から。 |
パール・ハーバー 2001 | |||||||||||||||||||||||||||
2001米アカデミー音響効果賞、歌曲賞、視覚効果賞、音響賞 2001ゴールデン・グローブ音楽賞、歌曲賞 2001ゴールデン・ラズベリー最低作品賞、最低主演男優賞(アフレック)、最低監督賞(ベイ)、最低脚本賞、最低スクリーン・カップル賞(アフレック&ハートネット&ベッキンセール)、最低リメイク・続編賞 2001放送映画批評家協会歌曲賞 2001毎日映画コンクール優秀宣伝賞 2002MTVムービー・アワード アクション・シーン賞(奇襲攻撃シーン)、男優賞(ハートネット)、女優賞(ベッキンセール) |
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1941年。ヨーロッパが戦場となっている時。アメリカは戦争静観を続けていた。それに我慢できなかったパイロット、レイフは恋人のイブリンと親友のダニーを残し、志願兵としてイギリスに渡る。そしてドイツ軍との空戦の結果、戦死の報がもたらされる。ハワイ勤務となったダニーは意気消沈するイブリンを慰める内、二人の間にはいつしか愛が芽生える。だが、レイフは生きていた。帰国し、ハワイに来たレイフを前に、ぎこちないダニーとイブリン。折しもそれは日本軍による真珠湾攻撃の前日だった。そして、ついに日本軍の攻撃が始まる。多数の死傷者を出した真珠湾の被害に、ルーズベルト大統領は日本に対し宣戦布告。そしてダニーとレイフには特別な作戦が下される… 目眩がするくらいに素晴らしい! これ程の感動は、去年観た『最終絶叫計画』(2000)以来のこと。よくもまあ、3時間も我慢できたものだ。知り合いはこの作品に「エイリアン、真珠湾に襲来」という素敵なタイトルを付けているが、実際本作は『インデペンデンス・デイ』(1996)の敵を宇宙人から日本人に変えただけ。相手は宇宙人とか日本人の姿をした、最早存在しない全体主義の共産主義者であり、それを個人を大切にする自由主義者のアメリカ人が叩きつぶす。それだけの物語。 最早、どれを取っても突っ込み放題。列挙してるだけでもレポートができそうなくらい。 いくらでもザクザク出てくるが、その内のいくつか。 まず、ストーリー。ラブ・ロマンスものとして見た場合、これは昨年公開された『サイダーハウス・ルール』(1999)そのまんま。私の敬愛するハルストレム監督と、大好きな作家ジョン・アーヴィングを小馬鹿にしてるのか?なんでもベイ監督は本作をラブ・ロマンスにした理由を問われた際、「『タイタニック』(1997)だってロマンスがなかったら、ただ船が沈むだけの話じゃないか」と豪語したとか。 日本軍の極秘作戦会議。竹で骨組みだけ作った部屋のようなものを作り、屋外で秘密会議を行っている(しかも「秘密会議」と墨で黒々と書かれた垂れ幕まで貼って)。真珠湾攻撃の作戦を普通のプールに模型を浮かべてふんどし姿の若者が動かしている。なんで機密会議を、そこらでこどもが遊んで原っぱでやってるんだ? これだけで最早何も言えなくなるが、まだまだ終わらない。 真珠湾攻撃のシーン。物理的に出来ない攻撃方法(僅か数メートルの間隔で編隊を組むゼロ戦編隊。後ろに向かって落下する爆弾。人間を殺すためだけに高度飛行専門のゼロ戦が地上すれすれを飛行する。軍事拠点をほったらかしにして、民間施設や広場を攻撃する。爆撃に出たはずなのに、雷撃機が一機もない。機関銃で巡洋艦が爆発する)。それに対し、ゼロ戦の性能まで知っている米軍パイロット(後に不時着したゼロ戦を捕獲して、初めてその名称と性能が分かったという事実がある)。機銃で撃っただけで爆発する戦闘機(ミサイルじゃあるまいし、戦闘機の機銃程度では「爆発」しない。煙を吐いて堕ちるだけ)。未帰還数29の内、性能の遙かに劣るアメリカの戦闘機に8機も堕とされている。 ちなみに、ちょっと前にNHKで放映されたが、この攻撃は既にアメリカでは察知されており、ヨーロッパ戦線に立ちたいアメリカは今か今かと待っていた。しかも、この攻撃で実際に沈没したのは戦艦アリゾナ(BB-39。進水は1915年で第一次世界大戦でのヨーロッパ戦線で活躍)一隻のみ。残りの艦艇は全て改装され、戦線復帰している。 決死の東京爆撃(これは一応本当にあった話。1942年4月にドゥリットル隊による東京空爆があった。被害はほとんど無いに等しいが、当時の軍部の怯え方は尋常ではなかったらしい)で中国に不時着した際、日本軍がやってくるのだが、まるで撃ってくださいといわんばかりに全身をさらけ出して闇雲に突っ込んでくる。武装解除もせず、乗組員を縛り上げる。バックアップも無しで、拳銃で三人ほど殺されたら、後は誰もいなくなる。そもそも戦闘機乗りが志願しただけで爆撃機パイロットになれるのか? ラストのイブリンの回想。「アメリカ=正義」で「日本=悪」の構図であり、アメリカの勇猛果敢さによって日本は撤退を余儀なくされた。と言っている。実際には南方戦線の日本軍を兵糧攻めしてじわじわといたぶった結果の勝利だ。アメリカの映画評論家の言葉だが、あの映画は「タイタニックのヒロインが主人公を殺した氷山に復讐する話に近い」と言っていた。言い得て妙だ。 他にも色々あるが、これ以上は言うまい。予告編見ただけでどれ程下らない作品か分かってしまったが、実際には輪を掛けて凄まじかった。 いやはや、何と素晴らしい作品であろうか。少なくとも、こういう作品を巨費をかけて作ったアメリカという国と、これ程突っ込み所だらけの映画を作ってくれたマイケル=ベイ監督に賞賛を送ろう。 しかし、この映画で何より不可解なのは、夜であるにも拘わらず、映画館の席はほぼ100%埋まっていたと言う事実。その中でどれ程がこの映画を「良い映画」と称するのか、アンケートを採ってみたくなる。 少なくとも、私の心の中で「最大級の賛辞を送る馬鹿映画」の貴重な一本になったのは確かだ。 |
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パール・ハーバー―その運命の一日(書籍) |
アルマゲドン 1998 | |||||||||||||||||||||||||||
1998米アカデミー主題歌賞、視覚効果賞、音響効果賞、音響賞 1998日本アカデミー外国作品賞 1998ゴールデン・ラズベリー最低主演男優賞(ウィリス)、最低作品賞、最低監督賞(ベイ)、最低助演女優賞(タイラー)、最低脚本賞、最低スクリーンカップル賞(アフレック&タイラー)、最低主題歌賞 1999MTVムービー・アワード歌曲賞(エアロスミス)、アクションシーン賞(ニューヨーク破壊シーン)、作品賞、主演男優賞(アフレック)、主演女優賞(タイラー)、コンビ賞(アフレック&タイラー) |
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かつて恐竜を滅ぼした隕石を遙かに上回る質量を持つ小惑星が発見される。テキサス州の大きさにも匹敵するその小惑星が地球に激突すれば、人類の破滅は免れない。NASAは唯一これを回避する方法として、小惑星内部に核爆弾を設置し、内側から破壊すると言う方法を考案する。そしてその任務に選ばれたのは石油採掘のスペシャリストたちだった… タッチスートンが総力を結集して、それまでの最高額の費用を遣って造り上げたSF超大作… いやはやとんでもない作品を観てしまった。 これまでベイ監督作品を観てきて、これ以上凄まじい作品は撮りようがないと思っていた私が馬鹿だった。まさかそれを上回る馬鹿を見せ付けるとは。やはりマイケル=ベイ監督はただ者ではない。私の中では、既にジョン・カーペンターを越え、ルチオ=フルチかエド=ウッドのレベルにまで達している。 ここまで凄いと、開いた口がふさがらないと言うか、物語はもはや陳腐どころか、無いも同然。エアロスミスの音楽と派手な火薬炸裂と一流どころの役者が、愛だ。地球だ。と無意味に騒いでるだけ。いっそこれは一時間半使ったエアロスミスのプロモーションビデオだと思った方が良いくらい。 最早突っ込み放題というか、アラの無いシーンを探す方が難しいくらい。 その中で三つだけ挙げさせてもらいたい。(そもそも最初からストーリーが破綻してるとか、石油採掘人が宇宙に行くという致命的なのは無しにして) 最初のニューヨーク破壊シーン。隕石が堕ちてくるシーンは迫力充分で、MTVムービー・アワードで見事受賞したシーンだが、大気圏外から落ちてきた隕石にしては、全然迫力がない。大体隕石の落下による衝撃というのは、隕石そのものではなく、そこから発するソニック・ブームにより大破壊を起こすものだが、静かに隕石が落ちてきて、落ちた場所しか破壊しないなどと言う、とても信じられないものを平気で撮ってしまう。しかも隕石の軌跡が一つ一つ全く違うというおまけ付き。尤も、まともに考えれば隕石が実際に落下するより早くニューヨークそのものが破壊されてしまっては面白い絵は撮れないと言うのは事実としても… 二隻のシャトルの発射。シャトルの材質がチタン合金。と言われていたが、そんなもの使ったら、多分地上に帰還できない。何のために今のシャトルはセラミックベースの複合素材を用いてると思ってるんだ?しかも隣接して発射するなど、正気の沙汰とは思えない。何らかのトラブルで一機が発射できなかったとしたら、爆風にやられてもう一期も使い物にならないぞ。 小惑星着陸シーン。何で小惑星にあんなに重力があるんだ?しかも作業艇のアルマジロの周辺だけはちゃんと無重力になってるというおまけ付き。それがなかったら、小惑星が未知の重金属で出来ていて、地球と同程度の重力が得られると言う強引な設定も使えただろうに…当然掘削機械も全く地上と同じように用いられている… これじゃいけないと思ったのか、様々な映画からのパクリシーンを導入し(『最終絶叫計画』(2000)とまではいかないけど、一体どれだけの映画がパクラれてるんだか)、非難の的を分散させたのは、いっそ清々しいほど。ここまで見事にパクると、怒りも消えてしまうのが不思議。 何でもマイケル=ベイ監督は子供の頃から爆発に取り憑かれ、庭で爆発シーンを撮影した際、消防車が駆けつける騒ぎになったとか。多分、彼は今も尚、少年の夢を追い続けているのだろう。それだけに爆発や機械がひっくり返るシーンはこれでもか。って言うほどこだわりを持ち(それしかこだわって無いとも言える)、とにかく良く爆発する、壊れる、ひっくり返る、飛ぶ。カタルシスを得るだけだったらいくらでも得られる。とにかくそれ以外を期待してはいけない作品に仕上がっているのがなんと言っても凄い。一種の尊敬を込めて、監督をハリウッドの中野昭慶と呼ばせてもらいたい。 この映画で唯一誉めても良いのは展開の速さ。遅延がないので、馬鹿笑いが止まらなくて良い。 こんな監督がいるという事実に、ハリウッドの層の厚さを感じるが、逆にこんなのが大ヒットするという事実の方が恐ろしくもある。余計なお世話なのだが、テレビでこの映画を紹介した際、「ちょ〜カンド〜」とか叫んでた女性がいたが、その事実に後悔してないだろうか? |
ザ・ロック 1996 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1996米アカデミー音響賞 1997MTVムービー・アワードコンビ賞(ケイジ&コネリー)、作品賞、アクション・シーン賞 |
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海軍の英雄ハメル准将(ハリス)は、12人の部下と共に海軍兵器庫から致死性の神経ガス・ロケット弾を奪うと、観光客81人を人質にかつて重罪監獄であったアルカトラズ島を占拠。ロケットの照準をサンフランシスコに向けた。ハミサイルに搭載された神経ガス兵器を発射前に無効化するため、FBIの化学兵器スペシャリストのスタンリー・グッドスピード(ケイジ)がその任務に選ばれた。アルカトラズの内部構造を唯一知るジョン・パトリック=メイソン(コネリー)を案内係に、海軍特殊部隊シールズと共にアルカトラズに突入するが… マイケル・ベイ監督。この人が作る作品はストーリー無茶苦茶。人物描写は極端。設定無視と、ある意味ハリウッドの第一線で働いていること自体が奇跡のような人物だが、唯一この監督には大きな強味がある。 この監督が作る映画はとにかく派手だと言うこと。必然性やらそんなことを全く吹き飛ばしてくれるほど、派手。次々に主人公に襲いかかる罠の数々とそれを華麗にかわす主人公達(必ず火を用いたトラップが入る)。そして最後は超巨大な爆発で締める。もうこのパターンの目白押し。大体電器で動くケーブルカーがどうやったら爆発するんじゃ? これは監督の少年時代に遡るそうで、元々監督にあこがれていた彼は庭で火薬を集めて爆発をやらかし、それを撮影して悦に入っていたらしい…マジこの人、監督になってなかったら一体何をやらかしたか?と思えるほどやばい人物だ。私個人はこの人を「ハリウッドの中野昭慶」(念のため、東宝の特撮班で、爆発に異様な執着を見せてる人物)と敬意を込めて読んでいる(笑) それで本作品であるが、珍しくその派手さがストーリーとかみ合っていたようで、この年のかなりのヒット作となった。ただ、演出が派手すぎて、これだけ豪華なキャストを生かし切れなかった。見るべきは最後まで冷静さを保ち続けたエド=ハリスくらいで、後はみんなくすんでしまった感じ(コネリーの「♪イモムシご〜ろごろ」のシーンは結構笑えたが)。 この監督は諸刃の剣だと言うことをハリウッドの製作陣はよく分かって使って欲しい。 物語は二転、三転。主人公達は転び、爆発が起き、最後はあっというオチが…うん。アクション映画としての完成度は悪くなかったのかな?(今更ながら) ところで、ここでのコネリー演じるジョンって、「1962年以来ずっと幽閉されていた元イギリス諜報部員」なのだそうだ。1962年と言えば、『007 ドクター・ノオ』(1962)が公開された年。セルフ・パロディ? 尚、冒頭シーンで「シンプソンに捧ぐ」という献辞が述べられているが、このシンプソンというのは長年ブラッカイマーと共にプロデューサーをしていたコンビの一人。この作品の制作中に亡くなっていることから(薬物中毒が進んでいたため、ブラッカイマーに切られてしまったのが間接的な原因とも言われている)。 |
バッドボーイズ 1995 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1996MTVムービー・アワード アクション・シーン賞(格納庫での銃撃戦)、コンビ賞(ローレンス&スミス) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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