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ネイサン・グレノ
Nathan Greno

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鑑賞本数 合計点 平均点
書籍
2011
2010 塔の上のラプンツェル バイロン・ハワードと共同監督
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塔の上のラプンツェル 2010
2010米アカデミー歌曲賞
2010ゴールデン・グローブ歌曲賞、アニメーション作品賞
2010放送映画批評家協会歌曲賞、長編アニメ賞
2010タランティーノベスト第5位
2011サターンアニメーション賞

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ロイ・コンリ
ジョン・ラセター
グレン・キーン(製)
ダン・フォーゲルマン(脚)
マンディ・ムーア
ザカリー・リーヴァイ
ドナ・マーフィ
ブラッド・ギャレット
ジェフリー・タンバー
M・C・ゲイニー
ポール・F・トンプキンス
ロン・パールマン
リチャード・キール
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 隔絶された高い塔の上に住む魔法の髪を持つ少女ラプンツェルは、外は“恐ろしい世界”だから絶対に出るな、と言う母親の教えから、18年もの間、塔の中だけで暮らしてきた。そんな彼女の18歳の誕生日の前の日に、王女のティアラを盗んで追っ手から逃げてきたフリンという泥棒が塔に遭遇する。フリンに外に連れ出すよう願うラプンツェルだが…
 物語は
申し分なしと言えよう。設定展開共に毒気をあまり感じられないファンタジックさを強調し、アクションシーンもふんだんに取り入れており、アニメーションとしての完成度は高い。思春期に入った等身大の女の子に起こった物語として、ほぼ完成の域に達した作品ともいえよう。これだけ見事だと、悪く言いようがない
 で、普通に書いてると単なる褒め言葉にしかならないので、今回はちょっと違ったことを書いてみたい。

 昔からディズニーは女の子を主人公にして作品を作ってきた。その中には女の子の精神的成長を描くものも結構多かったが、その成長物語がこの作品では主題として明確化ている。
 具体的には本作では主人公のラプンツェルを高い年齢に設定し、思春期の女の子の成長を描こうとしているところがはっきりしており、彼女が様々な困難と葛藤を経て、これからなすべき事を見つけだしていくことになる。
 だが、これはかつてのディズニーの作り方とはやや異なるような気がする。
 ディズニー作品はまずドラマがあって、その課程で女の子の成長が描かる傾向があったはず。
 それに対し、、この作品では
成長を前提として物語が組み立てられているのが大きな特徴だろう。
 これまでのディズニーキャラにも比較的年齢の高い女の子は出てきていたが、そこに登場する女の子の大部分は精神的に成熟しているか、さもなければ体は大きくても最初から最後まで精神はこどものままというパターンがほとんどだった。つまり、自分自身で殻を破ろうとするのではなく、全部外から来るものによって否応なく変えられていくことが主題となっていたことになる。
 それに対し、本作は主人公のラプンツェルが(外的要因があるにせよ)自ら成長しようとする姿勢が明らかになってる。
 対象年齢を比較的高く取り、心の成長を主題に取る。古くからのディズニーの作り方とは随分異なっているので、そういう意味ではずいぶんディズニーも変わったものだ。とか思ってはいたのだが、もうちょっと考えてみると、これは本作が始まりではない。数年前から明らかにそういう方向へとディズニーは変わっているようだ。
 実際本作は満足のまま観終えることができたのだが、最後のスタッフロールを観て、いろいろ考えさせられた。
 まず製作者の中に“ジョン・ラセター”の名前があった。
 これだけで
すっきりと納得した
 ラセターは言うまでもなく
『トイ・ストーリー』以来、次々と名作を作り出してきたヒットメーカーである。単なるアニメーションスタジオであったピクサーをここまで有名にしたのはラセターの手腕によるところが大きい。
 その名前を見て、「なるほど質が高くなるわけだ」という納得した思いがあったが、同時に、この作品はピクサー作品ではなく、ディズニー作品。単なるディズニーの一部門の人がここまでディズニーの中心に食い込んでいるのか。と驚きもした。

 数年前、ディズニーとピクサーは緊張関係にあった。元々ディズニーの一部門であったピクサーが独立するかどうかでもめ、紆余曲折の末に元の鞘に収まり、ピクサーはディズニー傘下に留まることになった。ヒットメーカーであるピクサーを分離するのはディズニーにとっても痛手なので、収まるべきところに収まったとその時は思っていたのだが、その後でちょっとした噂を耳にした。
 それは、
「あれはディズニーによるピクサーの吸収ではなく、ピクサーによるディズニーの乗っ取りだ」というもの。
 それでちょっとネットで検索してみた…
出るわ出るわ。その吸収の舞台裏が。
 何故あんなに吸収にもめたか。それはピクサー側が出した契約更新内容が、自分たちがディズニーの経営そのものにかかわるということが前提にあったようである。ディズニー側としては、いくらピクサーがヒットメーカーとはいえ、それは明らかな乗っ取り戦略であり、自分たちがこれまで培ってきたものを否定されたくなかった。特にピクサーの言い分を飲めば、これまでディズニーを支えてきた上層部がみんな首になってしまう。そんな爆弾のようなものを内部に留め続けるのか?
 一方、今の不確かな時代にあって、ほぼ確実にヒット作を作れる製作会社を手放すのは、あまりに惜しい。
 そんなことで揉めに揉めた後、全面的にピクサーの言い分を飲んでディズニーは新生した。ディズニー上層部にとっては苦渋の選択だっただろう。

 …とは言え、結果はこの通り。少なくともアニメ部門にとっては間違いなく質は上がった。

 そういえばつい先日、前ディズニーCEOのアイズナーの自叙伝
「ディズニー・ドリームの発想」を読み、いかにしてディズニーを再生したかについて書かれていたのだが、まさにあの本の直後、ディズニーになにが起こったのかを知ることができたのもこの作品のおかげだ。

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