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バイロン・ハワード
Byron Howard

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鑑賞本数 合計点 平均点
allcinema Walker ぴあ IMDb CinemaScape
wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ
書籍
2016 ズートピア 共同監督
2015
2014
2013
2012
2011 ラプンツェルのウェディング 監督
2010 塔の上のラプンツェル 共同監督
2009
2008 ボルト 監督
2007
2006
2005
2004
2003
2002
2001
2000
1999
1998
1997
1996
1995
1994
1993
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1989
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1979
1978
1977
1976
1975
1974
1973
1972
1971
1970
1969
1968 12'26 三沢で誕生

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タイトル

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物語 人物 演出 設定 思い入れ

 

ズートピア
2016米アカデミー長編アニメ賞
2016英アカデミー長編アニメ賞

2016日本アカデミー外国作品賞

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クラーク・スペンサー
ジョン・ラセター(製)
ジャレド・ブッシュ
フィル・ジョンストン(脚)
ジニファー・グッドウィン
ジェイソン・ベイトマン
イドリス・エルバ
ネイト・トレンス
J・K・シモンズ
ジェニー・スレイト
トム・"タイニー"・リスター・Jr
レイモンド・S・パーシ
オクタヴィア・スペンサー
シャキーラ
ドン・レイク
ボニー・ハント
上戸彩
森川智之
三宅健太
高橋茂雄
玄田哲章
竹内順子
Ami
芋洗坂係長
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
さがして! みつけて! ズートピア(書籍)
 知恵が発達した動物たちは、弱肉強食の世界を克服し、肉食獣も草食獣も仲良く暮らす夢のような都市ズートピアを完成させた。だが適材適所により、暴力を伴う仕事は主に肉食獣が就いている現状を批判する田舎に住むウサギのジュディ・ポップスは、努力して警察学校を首席で卒業。憧れのズートピア警察に赴任した。だが誘拐事件が起こっている最中にも関わらず、ジュディに割り当てられた仕事は交通整理ばかり。そんな中、やる気が空回りしがちなジュディは誘拐事件に関わってしまい、交通整理をしている間に知り合った詐欺師のキツネのニック・ワイルドを巻き込み、半ば勝手に捜査を開始するのだが…
 世界的アニメーションの権威ディズニーは、様々な批判は食っているが
(私もよくレビューでは批判してる)、こどものために質の高いアニメーションを次々と投入し続けている。ディズニーの凄いところは、様々な批判があったとしても、きっちり踏まえてそれを次回作に生かしていると言う所だろう。特に2000年代になり、ピクサーとの共同作業となることで、それが一気に顕著になった。かつて「ピクサーは凄いけど本家ディズニーは今ひとつ」と言われていた時代ももう昔。今やディズニーアニメは確実に時代の最先端を行くものに変化している。
 本作はそんなディズニーが、今まで受けてきた批判を土台にして、
今の時代にこそ語らねばならないことを語った作品となっている。
 本作の舞台となるズートピアは、一見理想社会である
(Zootopiaというネーミングも「動物園」“zoo”と「理想郷」“Utopia”の合成語)。知性を持った動物たちは、自ら律することを学び、肉食獣は弱い草食獣を襲うことが無くなり、共存を果たした世界となっている。
 ただ一見それは平等な世界に見えるものの、そこには様々な格差や口には出さない差別なども存在している。
 それを越えることが本作のテーマとなっているのだが、そこがかなりストレートに、そして相当重要な領域に踏み込んでいる。

 差別の構造というのは、単純なようでいて実はかなり根が深い。通常“差別”とは強い立場の者が弱い立場のものを一方的に圧迫するように思えるのだが、実はそれは一面に過ぎない。一見弱い立場にあり、圧迫を受けている側は、弱い者同士集まって団結をすることによって、その共同体が、社会的に強い立場にある者を差別しているという事実もある。
お互いがお互いを差別し合うことによって、差別というのは重層的なものとなっていく
 そんな部分までも本作は描いているのだ。
 ここでのジュディは立場的には差別される立場にある。草食動物は肉食動物の庇護下に置かれ、肉食動物によって守られているから安心して暮らせている。それが大型肉食動物の誇りとなっていることから、市民を守る立場にある職業には基本的に大型肉食動物しか就くことが出来ない構造となっているのがこの社会である。確かにそれは一見適材適所だが、それは同時に身分の固定となってしまう。
 ジュディが警察に就職すると言う事は、その固定化された社会構造を打破することだったのだが、それはこれまで誇りを持って警察官となっていた大型肉食動物のプライドを逆撫ですることとなり、そのために反発を食う。ここに差別構造が出てくる。平等社会にあって、これは決して差別とまでは言えないかも知れないのだが、心の中までは規制できない。そう言う差別の心はどうしても出てくるものだ。
 物語の前半から中盤にかけ、ジュディはそんな差別をはねのけようと努力して、実際とてつもなく努力してその差別を乗り越えることに成功する。

 ここまでで終わって「めでたしめでたし」で終わらせる事も出来た。それでも純粋な成功物語として構造的には成り立つ。

 だがここで、誇り高く発言したジュディはこれまで手助けしてくれたニックの心を無視した発言してしまう。努力して平等を勝ち取ったはずのジュディの中に、実は差別の心が潜んでいたという事実があったと言う事に気づかされる訳だ。
 彼女は逆境の中、努力して努力して、成功を収める。その成功の影には、自分が差別されている立場にあるということから、負けてなるか!という心持ちが存在したはずである。それは努力のモチベーションであると同時に、不当に自分の身分を貶める者に対する、逆転した差別の心をも作り出している。
 
差別と戦うとは即ち、差別する側にレッテルを貼ることでもある。差別と戦う側に立つ時、それはどうしても避けられない感情でもあるのだ。

 そしてそれを気づかされた時、これまでジュディの心にあったモチベーションがへし折られてしまった。
 最終的には種族間にわだかまる差別心は解消されることはないが、それでもお互いを理解し合えるように努力することを約束する。
 
ここまで描く事で、本作は物語的にも非常に優れた作品となったのだ。

 さて、それで本作がまさしく2010年代に作られる意味合いは?
 それこそ世界に対する主張に他ならない。

 かつて未来をうかがった際、世界とは、どんどん国際的になっていき、世界的な意味で人の交流は興っていくだろうと思われていたし、実際冷戦後の世界はそのように動いていたかのように思えていた。
 人同士がわかり合うことは出来なくても、お互いを認め合うことでパートナーとなり得るだろうし、少なくともビジネス上はそう言う関係を作り上げることが出来たような気になっていた。
 だがそれが一皮剥けばどうなったか?行き過ぎた平等意識は反発を生んでしまい、結果として夢見た理想社会は絵に描いた餅のような状況である。東西問わずにレイシズム発言がどんどん強くなっているのが今の世界なのだ。

 そこで、「もう一回原点に帰って“差別”を考えよう」というコンセプトで本作は作られることになった。
 誰の心にも差別は潜んでいる。それ自体を否定することは出来ない。だが、それを単純に肯定するのではなく、その上で共に歩む道を模索しよう。
 これは構造的には1980年代のポストモダン的思考であり、決して新しいものではない。だがそこに内包される重要性は今の世界にこそ有効となるという主張があり、それがとても素晴らしい。

 
心の平等性を希望に、レイシズムには徹底して抵抗する。この考えこそが、映画がこれまで培ってきた思考の集大成でもあるのだ。

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