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ハワード・ヒューズ
Howard Hughes

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Howard Hughes
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アメリカの実業家・映画製作者・飛行家・発明家。20世紀を代表する億万長者として知られ、「資本主義の権化」「地球上の富の半分を持つ男」と評された。
地元のカリフォルニア州選出の上院議員で、後に大統領となったリチャード・ニクソンとの親密な関係である。潔癖症に陥ったヒューズは、極度に細菌を恐れるようになり、トランス・ワールド航空を売却した資金で、1966年にネバダ州のラスベガスにある有名なカジノホテル、デザート・イン(英語版)を買収すると、完全に除菌された最上階のスイートルームから、殆ど外出しなくなる。明確な遺書を残さなかったため、彼の残した天文学的な財産の行方を処理するためにはおよそ20年もの歳月が必要であった。
Wikipediaより引用
経歴
1905'12'24 テキサス州で誕生
1907 父親はドリルビットの特許と共にシャープ・ヒューズ・ツール社を設立。莫大な富をもたらす
1924 2年前に母が亡くなり、この年父が亡くなったことで莫大な遺産を手にする
1925 カリフォルニア州に移住し、エラ・ライス(Ella Rice)と結婚する
1927 映画製作と飛行家業に莫大な遺産を投じる。
1928 『暴力団』が第1回アカデミー賞最優秀作品賞候補にノミネート
1930 史上初めて100万ドルを超えた『地獄の天使』を監督する
1935 航空機製造会社、ヒューズ・エアクラフト社を設立
1937 キャサリン・ヘプバーンとの不倫関係が噂となる
自らの操縦によりニューヨーク - ロサンゼルス間を7時間29分25秒で飛行し、当時のアメリカ大陸横断記録樹立
1938 91時間で世界一周飛行を行い当時の最速記録を樹立した
1939 「トランス・コンチネンタル・アンド・ウェスタン航空」(T&WA)を買収
1946 自らが開発に関わった高速偵察機の試験機XF-11を操縦中に機体が故障して大怪我を負う
1947 当時世界最大のヒューズ・エアクラフト開発のH-4 ハーキュリーズ飛行艇を完成させる。結局一機のみ作られる
1948 経営危機に陥っていたRKOを880万ドルで買収する
1949 テリー・ムーアと二度目の結婚をする。
1950 「トランス・コンチネンタル・アンド・ウェスタン航空」をトランス・ワールド航空(TWA)と改名する
1955 トランス・ワールド航空の経営資金を捻出するため、RKOを売却する。
1957 ジーン・ピーターズと三度目の結婚をする。ムーアとの離婚が成立していなかったため、重婚となる
1966 TWAを手放す。
1976'4'5 死去
5+
4+
3+
地獄の天使
2+
個人的感想
映画そのものは地獄の天使のみ視聴。派手な作品だが、今の目だとやはり技術的にはまだまだ。
ただそれ以上に伝記のアビエイター(2004)の印象が強烈。
1976 4'5 死去
1975
1974
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1967
1966
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1962
1961
1960
1959
1958
1957 ジェット・パイロット 製作
1956
1955 四十人の女盗賊 製作総指揮
海底の黄金 製作総指揮
1954 フランス航路 製作総指揮
1953
1952 マカオ 製作総指揮
1951 替え玉殺人計画 製作総指揮
犯罪都市 製作
1950
1949
1948
1947
1946
1945
1944
1943 ならず者 監督・製作
1942
1941
1940
1939
1938
1937
1936
1935
1934
1933
1932 暗黒街の顔役 製作
1931 犯罪都市 製作
1930 地獄の天使 監督
1929
1928 暴力団 製作
1927 美人国二人行脚 製作
1926
1925
1924
1923
1922
1921
1920
1919
1918
1917
1916
1915
1914
1913
1912
1911
1910
1909
1908
1907
1906
1905 12'24 テキサス州で誕生

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レビュー
地獄の天使
Hell's Angels
1929〜30米アカデミー撮影賞
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ハワード・エスタブルック
ハリ・ベーン(脚)
ベン・ライオン
ジェームズ・ホール
ジーン・ハーロウ
ジョン・ダーロウ
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 オックスフォード大のローイとモンティーの兄弟は友人のカールの招きで彼の故郷ドイツへと旅行した。そこで出会ったヘレンという女性に惚れ込むモンティーだったが、不祥事を起こしてイギリスに戻る事に。その後大学を出た二人は揃って戦闘機乗りとなるのだが、第一次世界大戦が始まり、敵同士に分かれたイギリスの兄弟とドイツのカールは、共に苦悩する。
 伯父の遺産が転がり込んで百万長者となったハワード・ヒューズが、自分の思いの丈をぶつけて作った渾身の作品。撮影には破格の金額を投資したことで知られ、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ各国で第一次世界大戦で実際に使われた年代ものの本物の戦闘機を87機購入。4年の歳月と、撮影されたフィルムは225万4750フィート。公開プリントの249倍ものネガが使用されたという。まさに本当の金持ちの道楽として作られた事がよく分かる。この辺はヒューズの伝記である『アビエイター』(2004)に詳しいが、あれを観ても、意気込みは伝わってくる。実際ヒューズ自身も戦闘機に乗ってスタントを行ったが、コントロールを失い、墜落してしまったという出来事もあったが、それでも監督として最後まで撮影を続けたという(撮影でスタントが3人も死んだという話もある)。公開後映画は大ヒットしたものの、その製作費を回収するには至らなかった。
 で、映画としての出来だが、物語は第一次世界大戦におけるイギリスは絶対的に正しく、ドイツは悪い。という単純な勧善懲悪もので、演技も大げさだし、全然こなれてないのだが、それを補ってあまりあるのが空戦シーン。
 既に『つばさ』(1927)という航空ものが既にあったが、それを観て衝撃を受けたヒューズが、これを超えてやる!という意気込みが伝わってくる。今の時代からすればさして難しい技術ではないとは言え、この時代に飛行機にカメラを積んでぶれないように他の飛行機を撮影するなど、もの凄い困難があった事だろうと思われる。しかもこれが今の目から観ても迫力がある。この空戦にこそ本作の神髄がある。
 当時では始まったばかりのトーキー撮影(撮影途中で技術が開発されたため、完成途中でわざわざ作り直したという)。しかもパートカラーまで使うという凝りようで、本当に最先端技術を使ったんだろう事はよく分かる。
 ただはっきりしていることで言えば、これ撮影してるヒューズはとても楽しかっただろうね。それはよく分かるよ。
製作年 1930
製作会社 カドー社
ジャンル 戦争(第一次世界大戦)
売り上げ $3,950,000
原作
マーシャル・ニーラン (検索) <A> <楽>
ジョセフ・モンキュア・マーチ (検索) <A> <楽>
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