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ジャッジ・ドレッド 2012 | |||||||||||||||||||||||||||
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バンテージ・ポイント 2008 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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スペインのサラマンカでテロ撲滅の国際サミットが大々的に開催された。だがアメリカのアシュトン大統領(ハート)によるスピーチが行なわれようとしたその瞬間、銃声が轟き、大統領が狙撃されてしまう。続いて爆発も発生し、広場が混乱状態に陥る中、トーマス(クエイド)とケント(フォックス)の二人のシークレット・サービスは狙撃犯の捜索に奔走する。市長を護衛していると主張する地元刑事エンリケ(ノリアガ)や、観光客のハワード(ウィテカー)が収めていたビデオカメラの映像などから、複数の容疑者が浮上するのだが… 一つの事件を複数の立場の目から見るという一風変わったアクション作。このパターンは映画でもいくつか作られているが、主に推理もの。折角出来た流れを分断してしまうこともあって、アクション主体作で使うのは珍しい。と言うか、映画では初めてじゃないのかな?(テレビでは実は結構これ使われてる。特にSFものだと1シーズンに一つくらいは過去に戻ったり、様々な人物で同じ物事を見たりといったパターンは出てくるものだが)。 そう言う意味では本作は海外物のテレビドラマをよく観ている人かどうかで評価はかなり変わると思う。 映画としては初めての試み。 その試みは良い意味にも悪い意味にも働いてる。 良い意味では、一見アクションが分断されているように見えつつ、様々な伏線を頭に残しながら改めて同じ場面を観ることによって、観ている側にも様々に事件の展開を広がりを持たせられること。意外なことにこれが大変面白いし、興味深い。アクション作も、作り方によっては繰り返し同じシーンを見せられても飽きないのだな。これは以降の映画にとっても重要な事じゃないかな?息継がせぬアクションをつるべ打ちにするのではなく、一つの見せ場を大切にすることがこれから求められるのだと思うし。これを上手く使えばアクション作品に新しい可能性を切り開くことも可能だ。 一方悪い意味では、折角の視点の変化なのに、もう一歩踏め込めなかったこと。複数の視点から同じ事件を見ると言う場合、サスペンスの場合は視聴者に対して罠を張ることが出来る。要するに複数の視点から見ているのに、見せない部分を作ることによって、あるいは犯人の一人が事件を観ることによって、視聴者に混乱を与えると言ったテクニックが使えるし、事実それが複数視点の醍醐味でもある。実はそれが私にとっても目的であり、はっきり言えば「気持ちよく騙してほしい」あるいは「悔しがらせてほしい」という思いがあった。 だが、この作品の場合はメインがアクションであるため、その辺の描写が等閑になってしまった感じ。騙されたって感じがせず、何にも考えないままストーリーに身を任せていれば良い。結果として単純なアクション作品で終わってしまった。サスペンス色を強くするとテンポが落ちるという判断だろうか?結果的に取り残した物語性も多かったし、人間性を深めることも出来なかった。 この作品の場合一つの事件を複数の視点で見ることによって多角的に見せる。というところで留まってしまい、もう一歩踏み出して「衝撃の事実」を見せるところまでは行ってない。悪く言ってしまえば、既成の普通のアクション作品を視点を変えて見せてみただけ。とも言える。その辺がちょっともやもやした感じ。もう一歩踏み込んで欲しかった。 細切れで人間性を深めにくい作品ではあったものの、登場するのがヴェテランの芸達者ばかりのため、短い時間に最大限の個性を見せているのは丁寧な作り。それぞれが役柄に応じて性格を最大限によく出してる。作品そのものは目新しいが、人間描写に手を抜かないと言うところが最大のポイントと言えようか?後一歩踏み込めば傑作になったのにね。 |