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2020 | 続・ボラット 栄光ナル国家だったカザフスタンのためのアメリカ貢ぎ物計画 監督 | ||||||||
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1901 |
続・ボラット 栄光ナル国家だったカザフスタンのためのアメリカ貢ぎ物計画 Borat Subsequent Moviefilm: Delivery of Prodigious Bribe to American Regime for Make Benefit Once Glorious Nation of Kazakhstan |
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2020米アカデミー助演女優賞(バカローヴァ)、脚色賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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14年前。カザフスタン大使としてアメリカに上陸し、ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習(2006)という映画を作ったボラット(コーエン)は外交失敗によって幽閉されていた。そして2020年。大統領に呼び出されたボラットは、てっきり死刑になるかと思いきや、土産物を携えてアメリカに行き、トランプ大統領に貢ぎ物を届けるように命じられる。だがアメリカについて土産物のコンテナを開けたところ、土産物のはずの猿は骨だけになっており、その代わりに何故かボラットの娘が中に入っていた。仕方なく娘を大統領のお土産にしようと考えるボラットは、娘を少しでも魅力的にしようと考え、アメリカの文化を娘に見せる事にする。 14年前に全方面に向かって喧嘩売ったと言われた『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』(2006)を作り上げたサシャ・バロン・コーエン。役者としてはキャリアがある人だし、個性役者としては着実にキャリア積んでるのに、よくこんなキャリアを踏みにじるような作品作ったもんだと変な感心させられた。 あの作品、決して好きとは言わないまでも、心の中にある言いたくても言えないものをはっきり映像化させてくれたというだけで充分に意味がある作品だったと思ってる。 基本設定は前作と同じ。カザフスタンの外交担当として派遣された自国優先主義の完全なレイシストであるボラットという常識知らずがアメリカの片田舎で騒動を起こすというもの。 ボラット自身がレイシズムを隠そうとしないため、アメリカ国内の一部の人間は彼を毛嫌いするが、一部の人間は逆に本音を引き出されてしまう。アメリカ人レイシストの本音のようなものが聞けるという意味ではとても貴重な作品だった。作品がどれほど酷かろうと、その点だけは認めるべきだろう。 そして特徴付けるものとして、セミドキュメンタリーであると言うことがある。基本的には脚本があって、それに沿って物語は展開していくが、その旅の途中で本当に突撃取材を行ってしまうこと。これが映画の撮影である事は隠し、何も知らない人の家に言って勝手なインタビューをしたりする。やらせなのか本当なのかはよく分からないが、どっちであっても本編がいかがわしいので、それなりに納得できる。虚実がない交ぜになって混沌としているのが本作の面白さでもある。 前作の場合はまだ顔が知られてなかったため、本物のドキュメンタリー風ではあったが、それで顔が売れすぎてしまったため、本作のドキュメンタリー部分はとても少ない。途中でトランプ支持者の家に立ち寄ったところくらいか? そして前作のようなレイシズムよりもむしろ性差別の方に重きを置いてるのも前作との違いだろうか。ボラットの娘は祖国で家畜や家の所有物のように扱われていたのが、アメリカに来てからだんだん自我に目覚めていく過程を見ていく訳だ。 そして最後に彼女が自分勝手に生きることと、人間として生きる事の違いを理解するまでを描く。 これで最低限映画としての体裁は整えた。 後はとにかくやりたい放題で、酷く作る事を目的としてるみたい。 概ねは酷い作品だが、それは狙ってのこと。新型コロナウイルスネタまでぶち込んでいて、変にこれ信じる人がいたら、新型コロナウイルスはカザフスタンから来たと思い込む人が出るんじゃなかろうかと思うくらい無茶苦茶やってる。 |
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