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1949 | 9'22 死去 | |
甦る熱球 監督 | ||
アパッチ族の最後 監督 | ||
1948 | 戦略爆撃指令 監督 | |
1947 | ||
1946 | ||
1945 | 奥様の冒険 監督 | |
1944 | サラトガ本線 監督 | |
クーパーの花婿物語 監督 | ||
1943 | 誰が為に鐘は鳴る 監督 | |
1942 | 嵐の青春 監督 | |
打撃王 監督 | ||
1941 | ||
1940 | 我等の町 監督 | |
恋愛手帖 監督 | ||
犯人は誰だ 監督 | ||
1939 | チップス先生さようなら 監督 | |
1938 | ||
1937 | 海の若人 監督 | |
マルクス一番乗り 監督 | ||
1936 | ||
1935 | マルクス兄弟オペラは踊る 監督 | |
1934 | 逆間諜 監督 | |
ハリウッド・パーティー 監督 | ||
1933 | カイロの一夜 監督 | |
かたみの傑作 監督 | ||
春の火遊び 監督 | ||
1932 | 私重役様よ 監督 | |
1931 | ||
1930 | 盗んだ結婚 監督 | |
暴露戦術 監督 | ||
1929 | ||
1928 | ||
1927 | ||
1926 | ||
1925 | 甦りの日 監督 | |
1924 | ||
1923 | ||
1922 | ||
1921 | ||
1920 | 仮病八ツ当たり 監督 | |
1919 | ||
1918 | ||
1917 | ||
1916 | ||
1915 | ||
1914 | ||
1913 | ||
1912 | ||
1911 | ||
1910 | ||
1909 | ||
1908 | ||
1907 | ||
1906 | ||
1905 | ||
1904 | ||
1903 | ||
1902 | ||
1901 | ||
1883 | 7'10 ペンシルヴェニア州フィラデルフィアで誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||
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誰が為に鐘は鳴る For Whom the Bell Tolls |
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1943米アカデミー助演女優賞(パクシヌー)、作品賞、主演男優賞(クーパー)、主演女優賞(バーグマン)、助演男優賞(タミロフ)、撮影賞、作曲賞、劇・喜劇音楽賞、室内装置賞、編集賞 1943ゴールデン・グローブ助演男優賞(タミロフ)、助演女優賞(パクシヌー) |
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1937年の内乱下にあるスペイン北部。アメリカ人のロバート=ジョーダン教授(クーパー)はフランコ政権に対する人民戦線のゲリラ活動に身を投じていた。指令に従って列車を爆破し、ゲリラ集団に帰還したた彼の元に、次の目標が与えられた。人民戦線の大規模攻勢に合わせ、三日後に山間の渓谷にかかる鉄道を爆破すること。そのためにロバートは山に住むもの達の助けを借りることになる。首領のパブロ(タミロフ)はかつて人民戦線派の闘士だったが、今やすっかり弱腰となっており、ロバートの願いを即座に退ける。だが、彼の妻ピラー(パクシヌー)が公然とロバートに肩入れすることで、協力を得ることが出来た。彼女の元にはスペインの町の市長の娘で、ピラーにかくまわれているマリア(バーグマン)がおり、ロバートとマリアはお互いに惹かれ合う。季節外れの雪が吹きすさび、いつパブロが裏切るか分からないと言う悲観的な状況の中、ロバートとマリアの愛情は燃え上がる。 ヘミングウェイ原作の同名小説の映画化作品。この公開はまさに第2次世界大戦の真っ最中だったこともあり、この内容は非常に時代に合致したものだった。1943年の全米興行成績も2位と大健闘する。 時代に沿った…そう考えると、実に微妙な時期に本作は投入されたものである。 本作の主人公ロバートは、今で言えばコミュニストであり、しかもご丁寧なことに海外出張してまで政府への反逆を手助けしている。格好良いこと言ってもテロリストに他ならない。 そのテロを「正義」と言い張る事が出来た時代は映画史においてもかなり短い。共産主義よりもっと質の悪いファシズムがアメリカの敵とされていた、しかも国そのものが犯罪者に規定できていたほんの僅かな時代だった(同時期に投入された傑作『チャップリンの独裁者』(1940)もこの時代だからこそ出来た作品だ)。ほんの僅かな間とは言え、アメリカにとっても共産主義は当時共に手を携え、ファシズムを打倒する同志だったのだ。 まさにこのような時代だからこそ、原作をそのまま使うことが出来た。これがもし2年遅れていたら公開自体が危ぶまれていただろうし、現時点の国際情勢から見ると、リメイクはまず不可能な作品である(ヘミングウェイ自身もかなり左翼にシンパシーを持っていたし)。 本作の売りはやはり極限状態で燃え上がる愛情って事になるんだろう。その意味ではやはり主役にクーパーとバーグマンという超一流スターを配したのは大きい。男が力を尽くして生きるのは、女性への愛のため。と臆面無く主張するには、このコンビは最強といえるだろう。 何でもクーパーは原作者のヘミングウェイ自身が指名したそうなのだが、問題はクーパーがRKOと既に契約していたこと。配給先のパラマウントはそれで困ってしまったのだが、ここで面白い働きをしたのがウッド監督。たまたまそのRKOのクーパーの次回作『打撃王』(1942)の監督が決まってなかったので、ウッド監督が自ら買って出て、その代わりとしてパラマウントにクーパーを借り出したのだとか。舞台裏にも色々ドラマがあるもんだ。 又、すんなり決定したジョーダン役に対し、マリア役は決定に難航。色々な女優が候補に挙がったそうだが、最終的に本人の希望によってバーグマンに決定。これがはまり役となり、原作者のヘミングウェイも出来上がった映画を観て、「あなたこそマリアそのものだ」と言って、バーグマンにサイン入り原作本を贈ったと言う逸話が残ってる。 勿論主役二人だけでなく、脇を固める個性的な役者達の存在も重要。特に強烈な印象を残す女戦士ピラー役のパクシーヌの存在感は主演を凌ぐほど(ギリシア系の彼女は、イギリスの舞台俳優だが、彼女に目を付けた監督が殆ど無理矢理に、U−ボートがうようよいる大西洋を突っ切ってアメリカに連れてきたのだが、途中実際に襲われて命が危なかったとか。ちなみに本作ではクレジットこそされてないが、撮影助手も務めている)。それ以外にも、何を考えてるのか分からぬパブロ役のタミロフも、複雑な役所をしっかり演じていたし、戦士の面々も個性的だった。爆撃で一瞬に殺される面々にもしっかり個性付けがされていたのも凄いところ。 それに当時の特撮の技術もかなり高い。今観ても一見合成が分からないような部分まである。たいした技術だ。 ところで先に「時代に沿った」と私は書かせていただいたが、この時代だからこそ、制作は無茶苦茶大変だったらしい。なにせ撮影開始した途端、日本が真珠湾を攻撃してきたので、撮影に待ったがかかったり、大作だけにロケーションには多数のスタッフを必要とするのだが、その人達が戦争に狩り出されてしまって、スタッフ不足に悩まされるわ、同様に飛んでる飛行機の撮影は許可がなかなか下りなかったとか、様々な問題があったらしい。戦争とは直接関係ないけど、この撮影は展開上、冬に行う必要があり、撮影はカリフォルニア北部のシエラネバダ山脈で行われたのだが、氷点下での撮影だったため、カメラが凍り付いて動かないこともあった。 結果的に、制作だけで2年以上の年月がかかった作品だった。それでこれだけ受け入れられたのだから、冥利に尽きるってもんじゃないかな? |
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「キスしたくても、仕方を知らないの。鼻と鼻をどうしたらいいの?」 |
打撃王 The Pride of the Yankees |
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1942米アカデミー編集賞、作品賞、主演男優賞(クーパー)、主演女優賞(ライト)、脚色賞、原案賞、撮影賞、作曲賞、劇・喜劇映画音楽賞、室内装置賞、特殊効果賞、録音賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ニューヨークの貧民街出身のルー・ゲーリッグ(クーパー)は、苦学の末大学も卒業。その間にアルバイトと野球に打ち込んでいた。そんな彼が認められ、マイナーリーグに入団。更にその下積みを経て、ついにはNYヤンキースの選手となった。前年に亡くなった大リーグ選手ゲーリッグの半生を描く。 2130回連続出場という偉業を成し遂げた野球界の偉人で、今も尚アメリカ人に最も愛され続けている“鉄人”一塁手ルー=ゲーリッグの半生を、これも当時アメリカ人に最も愛されたゲイリー=クーパー主演で作り上げた、一種の伝記映画。ベーブ=ルースを始め、ビル=ディッキー、ロバート=ミューゼル、マーク=ケーニッヒ、ビル=スターンと言ったヤンキースの名手が実名で出演していることでも有名になった。 クーパーは当時のアメリカを代表する大スターであることは間違いないが、演技者としては決して芸達者な人物ではない。後代からすれば、“演技下手”とまで言われるくらいなのだが、しかし彼は特にアメリカでは愛された。それは彼の存在がアメリカ人の理想そのものである。とされているからだそうだ。 当時のアメリカ人が理想としていたのは、木訥な一本気性格で、決して垢抜けないが、家族には優しく、悪には容赦しない。と言った風情。はっきり言ってしまえば、田舎者こそがその理想だったと言われる。そう言う意味では常にはにかんだような表情でありながら、一丁事あれば、颯爽としたヒーローともなれるクーパーの造形は見事にその好みに合致したとも言えるだろう。その愛されるクーパーらしさをそのままゲーリッグに当てはめたのが本作。そのあまりにも出来すぎた人物像には、一瞬「なんじゃ?」と思うかもしれないのだが、理想化されたすがすがしさを感じることができよう。 後、本作が作られた時代も重要だろう。1942年と言えば、第2次世界大戦の真っ最中である。こんな時にこんな清々しいスポーツ作品が作られたアメリカというのは、確かに凄い国であることがよく分かる(戦争の最中だからこそ、明るく健全、家庭生活でも清潔なヒーローが作られたという話もある)。 ちなみに本作を監督したウッドは、後にやはりクーパーと組んで『誰が為に鐘は鳴る』(1943)を監督しているが、実は本作は、その原作者ヘミングウェイ自身が指名したクーパーを引っ張り出すため、本作を監督する代わりに借りだしたのだという(当時は俳優は製作会社専属だったので、ぴったりの俳優を借り出すためには時折行われていたそうだ。ちなみにクーパーは当時RKO専属)。 あと、意外なことに主演のクーパーは運動音痴で右利き。撮影は左右逆に取られているシーンもあり。 脚本はマンキウィッツで、本作は市民ケーン(1941)の次回作となっている。 |
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「私は地上で最も幸せな男です」 |