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1971 | トロイアの女 監督・製作・脚本 | |
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1967 | 魚が出てきた日 監督・製作・脚本 | |
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1964 | その男ゾルバ 監督・製作・脚本 | |
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1961 | エレクトラ 監督・製作・脚本 | |
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1922 | 6'11 キプロスで誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||
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魚が出てきた日 1967 | |||||||||||||||||||||||||||
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ギリシア上空で一機の軽飛行機が墜落した。墜落前、飛行機は2つの金属せいの箱をパラシュートで落としていたが、その箱はカロス島の羊飼いに拾われてしまった。実はそれは厳重に封印された原爆であり、そのことを知った、これを保有する大国はこの回収のために大人数の専門家たちを旅行者のふりをさせてギリシアへと派遣する。一方箱を拾った羊飼いは、中身が金目のものではないかと思い、箱を何とかしてこじ開けようとしていた… ギリシアの誇る名監督カコヤニスが作り上げた原爆を題材にしたブラック・コメディ。 原爆と冷戦構造をベースにした作品は数多く存在する。この二つの組み合わせだけで、さらにコメディと考えるならば、なんといっても名作『博士の異常な愛情』(1964)がある。ブラック・コメディとしては本当の名作だが、テーマと言い、物語と言い、本作もそれに劣るものではない。 ただ『博士の異常な愛情』と本作の違いは、まず完全に上からの視点から見ていることで、登場するのは大統領をはじめとする政治家と専門家ばかり。彼らは原爆の位置からはずいぶん離れた地下でニュースを観ているだけの存在。この作品のおもしろさは、どんな状態に置かれてもヘゲモニーを得ようとしている人間の小ささを笑うもの。 それに対し本作はほとんどの人間は太陽ふりそそぐギリシアの小島の現地の人間であり、原爆がなんだかも分かってない。その無知故に原爆を弄び、その危険性を観て笑うと言うもの。 テーマが同じでも切り口がまるで違う。そしてそのどちらも、観ている側としては自分の問題としてそれを受け取ることができるということだろう。 危機管理の立場にありながら、結局自分自身のことしか考えない政治家の立場であり、それがどれだけ重要なものかも知らず、ちょっとした欲張りから取り返しのつかないことをしでかしてしまう。両極端ではあっても、そのどちらも自分自身の中にあるものであり、確かにこういう反応をしてしまうであろう自分自身を顧みることで初めて笑える。だからこそブラック・ジョークたりえるのだ。危険すぎるネタだからこそ、それがうまくはまると光輝いて見える。 本作の魅力はもちろんそれだけではない。これはカコヤニス監督らしさだが、この人は自然と人間の対比がとかく上手い。 『その男ゾルバ』における自然は、過酷であるにも関わらず、美しすぎるものとして描かれている。そんな自然の中で人間の弱さを徹底して描いていた訳だが、本作の場合は、徹底して自然を美しく、そしてその中で本当にお馬鹿をしている人間を対比して描いている。 |
その男ゾルバ Alexis Zorbas |
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1964米アカデミー助演女優賞(ケドロヴァ)、撮影賞、美術監督・装置賞、作品賞、主演男優賞(クイン)、監督賞(カコヤニス)、脚色 1965英アカデミー総合作品賞、国外男優賞(クイン)、国外女優賞(ケドロヴァ) 1965キネマ旬報外国映画第7位 |
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イギリスの小説家バジル(ベイツ)はクレタ島にある父の遺した石炭の採掘現場に視察にやって来た。誰も管理することのなかった鉱山はすっかり荒れ果てていたものの、途中の船旅で出会った不敵なギリシア人ゾルバ(クイン)と意気投合し、ゾルバを現場監督に任命して新しい出発をすることにした。自分もクレタ島に宿を取ったバジルだったが、その村にいた未亡人(パパス)と心を交わすようになる。一方、あらゆる女性に敬意を持って接することを信条としているゾルバは様々な女性と仲良くなりつつも、宿屋の女主人ホーテンス(ケドロワ)と結婚することになってしまった。しかし、この村の習慣に従い、不倫のかどで未亡人は村人に殺され、ゾルバの結婚後死んだホーテンスは身ぐるみはがされてしまう。現実の厳しさを痛感させられる中、ゾルバの設計した炭を運ぶケーブルが完成するのだが… カンザギス原作の同名小説を元に、ギリシアのクレタ島を舞台に描かれる友情の物語。破天荒な男ゾルバを描くための作品だが、ここに真面目な男バジルを登場させることによって、ゾルバの魅力が増してる。脇役を主人公とすることで、主役を際だたせる巧い作り方をしてる。 そう言うことで、本作はゾルバという男、すなわちアンソニー=クインの魅力というものを遺憾なく発揮してる作品と言える。このゾルバという人物、同じくクインが演じた『道』(1954)のザンパノと結構似てる。恐らく監督もそれを意識したのだろうが、大きく違うところもある。 この二人は共に女好きで強い意志力を持った男性として描かれるが、ザンパノは徹底して陰の部分を強調していたのに対し、ゾルバは陽を強調してる。人間誰しも心の中に陰と陽どちらも持ってるものだが、この二つを見事に演じ分けられたクインは流石に実力がある。 ところで、ザンパノは陰、ゾルバは陽と言ったけど、よく考えてみると、全く逆に考えることも出来る。ザンパノはひたすら自分の都合の良いことだけを考えて生きているので、社会的に見る限り、悪人だが、これほど素直に生きている人間はいない。むしろ心は陽性なのだ。一方このゾルバはかつて戦争で激しい心の傷を負った事がある。バジルのからかいに似た愛国心の話を、極めて苦々しい表情をして聞いていたのが印象的。彼は心に激しい良心の呵責を覚え続けており、だからこそ、分け隔てなく人に優しくしようとしていたのかもしれない。彼には差別の心がないが、それは彼の中で激しい葛藤を経た上で初めて得られたものなのかもしれない。彼の心は極めて陰に近い。 …尤も、人に優しいからと言って、それはあくまでゾルバ流の優しさであり、ずかずかと人の心に土足で入り込むような態度に、時に周りの人間はそれをお節介と受け取ることもあろうし、鬱陶しい人間と思われることもあろう。更に逆にそこまでお節介を焼きながら自分のことについては語らないゾルバを「冷たい」と思うかも知れない。しかしそれを全部ひっくるめてがゾルバという人間の魅力となっている。 物語はバジルとゾルバの二人の友情物語が主軸となって展開しているのだが、それを取り巻く環境は本当に殺伐としている。よそ者はあくまでよそ者であり、決して仲間に加えようともせず、自分たちの共同体の論理を守るためには人殺しさえも正当化してしまう。使者に鞭打つことも敢えてやってのける田舎の人間の姿がこれでもか!と言うほどにリアルに突きつけられ、それに従うしかないゾルバとバジル。その中で作られていく友情。これはなかなか凄いよ。 それまで机に向かって生活するばかりだったバジルが、ゾルバから与えられたものは、ゾルバが奪ってしまったものよりも大きかったのかも知れない。だからこそ、最後のダンスシーンが映える。 最初から最後まで、決して明るくならない物語が、救われたような気分にさせてくれる。 ちなみに本作は後に舞台化もされ、日本では藤田まことがゾルバを演じたそうな。 同じくクインを中心とした『道』を傑作とする人は多いけど、本作の魅力はそれに劣るものではない。 しかし、改めて書いてみるもんだな。観た当初、全然面白いとも思えなかったのに、情景を一つ一つ思い出しながら書きつづっていく内に、本作の魅力ってものに気づかされたよ(最初、何を書こうか迷ったけど、いざ書き始めたら止まらなくなってしまったし)。 |
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