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1993 | 10'31 死去 | |
1992 | ||
1991 | ||
1990 | ボイス・オブ・ムーン 監督・脚本 | |
1989 | ||
1988 | ||
1987 | インテルビスタ 監督・脚本・出演 | |
1986 | ||
1985 | ジンジャーとフレッド 監督・脚本 | |
1984 | ||
1983 | そして船は行く 監督・脚本 | |
1982 | ||
1981 | ||
1980 | 女の都 監督・脚本 | |
フェリーニの都 出演 | ||
1979 | ||
1978 | オーケストラ・リハーサル 監督・脚本 | |
1977 | ||
1976 | カサノバ 監督・原案・脚本 | |
ネオ・ファンタジア 撮影協力 | ||
1975 | ||
1974 | フェリーニのアマルコルド 監督・脚本 | |
あんなに愛しあったのに 出演 | ||
1973 | ||
1972 | フェリーニのローマ 監督・脚本 | |
1971 | ||
1970 | フェリーニの道化師 監督・脚本・出演 | |
1969 | サテリコン 監督・脚本 | |
1968 | スイート・チャリティ 原作 | |
1967 | 世にも怪奇な物語 ロジェ・ヴァディム、ルイ・マルと共同監督 | |
1966 | ||
1965 | ||
1964 | 魂のジュリエッタ 監督・脚本 | |
1963 | 8 1/2 監督・脚本 | |
1962 | ボッカチオ'70 監督・脚本 | |
1961 | ||
1960 | ||
1959 | 甘い生活 監督・原案・脚本 | |
1958 | ||
1957 | カリビアの夜 監督・脚本 | |
1956 | ||
1955 | 崖 監督・脚本 | |
1954 | 道 監督・脚本 | |
1953 | 街の恋 監督 | |
青春群像 監督・脚本 | ||
1952 | ||
1951 | 白い酋長 監督・脚本 | |
1950 | 寄席の脚光 監督・製作・脚本 | |
神の道化師、フランチェスコ 脚本 | ||
越境者 原案・脚本 | ||
1949 | ||
1948 | アモーレ 製作・脚本 | |
1947 | ステファノを射て 脚本 | |
1946 | 戦火のかなた 脚本 | |
1945 | 無防備都市 脚本 | |
1944 | ||
1943 | ||
1942 | ||
1941 | ||
1940 | ||
1939 | ||
1938 | ||
1937 | ||
1936 | ||
1935 | ||
1934 | ||
1933 | ||
1932 | ||
1931 | ||
1930 | ||
1929 | ||
1928 | ||
1927 | ||
1926 | ||
1925 | ||
1924 | ||
1923 | ||
1922 | ||
1921 | ||
1920 | 1'20 リミニで誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||
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ボイス・オブ・ムーン 1990 | ||||||||||||||||||||||||||||
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インテルビスタ 1987 | |||||||||||||||||||||||
1987カンヌ国際映画祭40周年記念賞(フェリーニ) | |||||||||||||||||||||||
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チネチッタ撮影所の50周年記念作品を撮る事となったフェリーニ(本人)とスタッフたちは、カフカの「アメリカ」をベースにしたオリジナル作品を夜のチネチッタ撮影所で撮影を開始ししようとしていた。そこへ日本のテレビ局の取材班が突然やってきて、フェリーニにマイクを向けるのだった。そのインタビューを受け、監督が思い出す、このチネチッタで起こった出来事や、その時に居合わせた自分自身のことなど…やがて彼らは往年の大スターたちとの邂逅を果たしていく。魔術師の格好をしたマルチェロ=マストロヤンニ(本人)、引退後ヴィラで優雅に暮らすアニタ=エクバーグ(本人)彼らと出会いつつ、映画そのものを描こうとする意欲作。 チネチッタ撮影所50周年記念映画として作られた本作。そもそもその撮影風景までが演出されて入っていると言う変わった内容の作品。映画製作の思いの丈を存分に発揮した映画おもちゃ箱的な内容。フェリーニファンを大いに喜ばせた。 フェリーニは間違いなくイタリアを代表する世界的な大監督だが、撮っている作品の多くは実験的内容を含む。中でも『8 1/2』は物語性よりは映像の可能性を追求したような作品で、映画の楽しさを追求したような作品に仕上げられていた。本作も又、かなり皮肉は入っているけど、映画作りの楽しさを存分に見せた作品になる。特にフェリーニを慕って来る人達が豪華で、現実なのか、映画の出来事なのか、全然分からないところもポイントだろうか。特に魔法使いの格好をしたマストロヤンニは登場から人を食っていて、更に映画ならではの演出の数々を見せつけてくれる。いつの間にか本人なのか、魔法使いのマンドレイクなのか、だんだん分からなくなっていく。良いよねえ。こういうメタ作品って。 フェリーニ自身の思い出や映像論も展開され、映画の勉強にもなかなか役立つ作品だし、この年齢になってまだまだ映像への挑戦を続けている監督の精力にも驚かされる。 映画そのものを題材とした作品としては、トリュフォーの『映画に愛をこめて アメリカの夜』(1973)が有名だが、本作も又、映画作りの楽しさを追求した作品として記憶して然るべきだろう(押井守ファンとしては『トーキング・ヘッド』(1992)も入れておきたい)。 監督の遊びとして、幻に終わった映画を劇中劇として登場させているのも特徴だろう。最初にフェリーニが撮っている作品は『アメリカ』。そして魔法使いの格好をして登場したマストロヤンニは『魔術師マンドレイク』の扮装。どちらもフェリーニ監督が撮影しようとして果たせなかった作品だった。 |
ジンジャーとフレッド 1985 | |||||||||||||||||||||||
1986英アカデミー外国語映画賞 1986ゴールデン・グローブ外国語映画賞 |
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ローマにあるテルミニ駅の列車の到着から物語が始まる。ここでの到着シーンは、歳を重ねたアメリア(マシーナ)の心象風景と重なる。 |
女の都 1980 | |||||||||||||||||||||||
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カサノバ 1976 | |||||||||||||||||||||||||||
1976米アカデミー衣装デザイン賞、脚色賞 1977英アカデミープロダクションデザイン賞、衣装デザイン賞、撮影賞 |
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フェリーニの アマルコルド 1974 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
1974アカデミー外国語映画賞 1974NY批評家協会作品賞、監督賞(フェリーニ) 1974キネマ旬報外国映画第1位 1975アカデミー監督賞(フェリーニ)、脚本賞 |
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ムッソリーニによるファシズム旋風が吹き荒れる時代のイタリアの田舎にある小さな港町。ここで生まれ育った少年チッタ(ザニン)も15歳となり、青春真っ只中に入っていた。彼の過ごした一年の事件を、イタリアの美しい風景と共に描く。 フェリーニの子供時代の自叙伝と言われている作品で、一人の少年を中心に1930年代を舞台に描く群像劇。撮影も監督の生まれ故郷の北イタリアのリミニ地方で行われている。ちなみに“アマルコルド”とはフェリーニの故郷である北部イタリアのリミニ地方の今はもう死語になっている言葉で“エム・エルコルド"(私は覚えている)という言葉がなまったものとのこと。 モノクロ時代に一つの時代を作った監督たちがカラーになっても良い作品を作り続けられる例はあまり多くない。人間ドラマそのものに色は不必要だと言うのは間違いがないのだが、むしろその色の持つ可能性をとことん推し進めることに成功したのはフェリーニの功績も大きいだろう。既に十年前に『魂のジュリエッタ』でそれは表れており、色を用いて心象風景を描き出すことにも成功しているのだが、本作ではそこから更に一歩進め、風景の中にノスタルジーを描いている。そもそもモノクロ時代からフェリーニは自分自身を描くことを命題にしていたのだから、その二つが見事に合致したのが本作であるとも言える。 思い出とは色の中にある。春夏秋冬を通し、そこにある色が鮮烈に残っていると言うのが本作の狙いだろう。事実、ここに映された風景は、たとえ全く見たことがない景色であったとしてもノスタルジーを秘めている。雪国の生まれである私にとっては、やはり雪のシーンは強烈な印象を受ける。しんしんと降り積もる雪の中、大きく羽を広げる孔雀の姿。このシーンは私にとってもベストショットの一つ。 失われてしまったと思えるものが甦る。映画とはそう言う機能も果たしているのだな。 ただ、本作は単なる想い出だけに止まっていないのも本作の特徴。フェリーニ作品に度々表れる巨大な女性への偏愛の度合いや、作り物としか見えない軍艦。ムッソリーニの巨大な首が通りを歩くシーンなどはノスタルジーを超え、辛辣な社会風刺をも感じさせてくれる。 |
フェリーニのローマ 1972 | |||||||||||||||||||||||||||
1972カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会賞 1972キネマ旬報外国映画第2位 |
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ローマで撮影されるのだが、ロケではなくセット撮影のみで撮影される |
魂のジュリエッタ Giulietta degli spiriti |
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1965NY批評家協会外国映画賞 1965ゴールデン・グローブ外国映画賞 1966米アカデミー美術監督・装置賞、衣装デザイン賞 |
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結婚記念日で夫ジョルジュ(ピス)の帰宅を待つジュリエッタ(マシーナ)は、今日は二人きりで静かな夕べを持ちたいと思っていたのに、夫は多勢の客をつれて帰ってくる。パーティの最中、周囲の盛り上がりとは裏腹に彼女は気持ちが滅入ってくる。その夜からジュリエッタは妄想に悩まされることに… フェリーニ監督の最初のカラー作品。 監督の作品の場合、評価される作品はモノクロで撮影された『道』とか『8 1/2』(内容的に本作と通じるものがあるように思う)あたりが多いのだが、私はむしろ表現能力においては、色を手に入れたお陰で監督自身が持つ心象風景の自在さが遙かに増したように思える。『フェリーニのアマルコルド』の自然を追う美しさもあるが、むしろ監督の真骨頂は本作にこそあったのではないだろうか。 テクニカラーによるカラー撮影は既に1930年代の終わりからあったが、金がかかりすぎることと、色が付くと言っても、基本的に原色を鮮やかに発色するテクニカラーだと、思ったようなものが撮影できないと、実に1960年代になってもカラーに踏み切れない監督はかなり多くいたが、その中で色を手に入れたお陰で大きく表現能力を伸ばした監督もいる。その中でもフェリーニ監督ほど自在に色を使えた監督は珍しいと言えよう。 テクニカラーの発色の良さを活かし、白を基調とした画面の中に数々の原色を配することによって見事に心象風景を映像化してくれた。 ここに出てくるのは現実と妄想の境界が曖昧になったジュリエッタが見る風景だが、普通に家においてある電気器具や鏡などが、何かの拍子に悪夢へと変わっていく。普通の家の中に、サーカス団が隠れていたり、鏡の中に自分の子供時代があったりして、タルコフスキーの『鏡』(1974)を先取りしたような内容はとにかく、「凄い」の一言。 それに色彩のコントラストがとにかく鮮やか。夫に忠実なジュリエッタ自身を示すかのような真っ白の家の中に、突然原色のコントラストを持ったクラウン(ピエロ)が出てきたり、真っ黒な棘だらけの空中ブランコが出てきたりするのは、どきっとさせられるのと同時にそのはまり具合は本当に見事。心象風景としては、大変面白い手法を使ったものである。 映画の一つの強みとして心を映像化する。と言うことがある。それこそ映画の黎明期から繰り返し繰り返し試みられ、今もなお、試行錯誤が続いている、悪夢映画と言っても良いが、悪夢映画こそ私にとっては最も魅力的なジャンルだ。ここに表されてるテーマは現代でも全く古さは感じられない。 マシーナも『道』とは全く違う、中年女性の役を見事に演じていた。『道』のジェルソミーナ同様、精神的な均衡が崩れ落ちようとしている時の表情はどきっとするし、フェリーニとの相性最高のニーノ=ロータのスコアも見事だった。 ところで、内向的なジュリエッタに対して妻のことなど無頓着に客を迎え入れる夫とは、やっぱりフェリーニ監督自身のことなんだろうか?そう考えると、なかなか趣があるぞ。 本作が素晴らしい作品であることは間違いがない。ただストーリーはほとんど無いに等しく、観てるうち、途中ちょっと眠気を覚えてしまったため、最高点はとりあえず付けないでおこう。『道』同様、後で是非観直してみたい。多分観る度に点数が上がっていきそうな予感はある。 |
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8 1/2 8½ |
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1963米アカデミー外国語映画賞、衣装デザイン賞、監督賞、脚本賞、美術監督・装置賞 1963英アカデミー作品賞 1963NY批評家協会外国映画賞 |
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売れっ子映画監督のグイドは療養を兼ね、温泉保養地で新作映画を作ろうとする。だが、彼にはどのような映画のアイデアも無かった。その中でアイディアを出そうと様々なことを行うグイドだったが… 映像芸術家としてのフェリーニの真骨頂とも言える作品。これがアメリカだったら絶対に製作自体出来なかっただろう。最初から手詰まり状態でよくここまで作ったものだと感心できる。映画を作らねばならないと言う重圧の中を、精神世界にまで入り込んで作り上げてくれた。 本作のマストロヤンニ演じるグイドはフェリーニ監督自身が投影されていると言われるが、実際にこの映画の撮影が始まった時も、監督は主演をマストロヤンニにするという以外、全く構想が無かったとか。故に撮影そのものも監督の即興と直感で作られており、それが不思議な緊張感を醸している。自己投影されているため、マストロヤンニを通し、フェリーニの心情そのものを良く表している。 この作品の圧巻はラストのダンスシーンだろう。ニーノ=ロータのスコアに合わせ踊るシーンは不思議な心地よさを伴う。ここで、映画を撮っている本人が映画の登場人物で、それを意識して自分自身を役者として俯瞰してみていると同時に、やはり監督であるという二つの役割を強いているグイドの姿が見える。 ちなみに本タイトルはフェリーニの9本目の映画(内1本は共同製作だから1/2)という意味。これは監督がこの映画の題そのものを考えてなかったため、苦し紛れに考え出したものらしい。しかし、本作の成功は監督に大きな転機を与えることになった。個人的期間を芸術に変えることができることが出来ることを確信した監督は、これからの映画作りが明らかに変化していく。 一方では、このような作り方も映画には許されることを内外に示す事ともなり、監督のみならず、多くの映画人、観客にも衝撃を与えた。本作が他の映画に与えた影響は計り知れないものがある。押井守監督の『Talking Head』(1992)であれ、寺山修司の『田園に死す』(1974)など、私の好きな作品はことごとくこの作品の匂いがしてくる。 |
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甘い生活 La dolce vita |
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1960英アカデミー総合作品賞 1960カンヌ国際映画祭パルム・ドール(フェリーニ) 1960キネマ旬報外国映画第2位 1961米アカデミー衣装デザイン賞、監督賞(フェリーニ)、脚本賞、美術監督・装置賞 1961NY批評家協会外国映画賞 |
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マルチェロ・ルビーニ(マストロヤンニ)は、かつて作家になる夢を抱いてローマに出た青年だったが、大都会の喧騒にまみれた生活を続けている内、今や社交界ゴシップ専門のトップ屋となっていた。毎晩開かれる狂乱のパーティにもぐりこんではスクープを狙い、ついでにただ酒をかくらっては意気投合した女性とベッド・イン。同棲してる女性エマの服毒にも動じなくなってしまう。大富豪の娘マッダレーナ(エーメ)、ハリウッド女優(エクバーグ)らとの交流。このような生活に疲れ、時として普通の生活を望もうとも叶わぬ夢。彼の行く道は一体どこにいくのか。 フェリーニ監督作品はいくつか時代によって変化が見られるが、本作は一つ目の転機となった作品とも言われる。折しも本作は丁度フランスでヌーヴェル・ヴァーグが起こってきた時に作られたためか、これまでの価値観をぶち壊し、常識を超えたところにある生活の中でのただれたような空虚な祭りが延々と続く。映像で言ってもあえて登場人間に答えを言わせず、ショットの連続と暗喩で観ている側に考えさせるようにしたのも特徴だろう。 とはいえ、本作は複合的な意味で、やはりフェリーニらしさにあふれている。 フェリーニのローマに対する思いいれ。これは「昔は良かった」という懐古趣味でも、「こうあるべきだ」という指導的な立場でもなく、「いまのローマはなんだ!」と怒るわけでもない。古くから連面と続く歴史を含め、今のローマを愛していること。今が狂乱の場にあるならば、一歩引いたうえでその狂乱を愛そう。という姿勢で貫かれていること。描写には多少の誇張ももちろんあるだろうが、フェリーニの精神的な若さというか、柔軟さを常に持ち続けたフェリーニの感性がなせる業だろう。 それと、フェリーニ作品に貫かれている、様々な状況における主人公の心の動きが主眼となっているのも大きな特徴。マストロヤンニ演じるマルチェロが観ているのはそのまま心象風景につながり、虚しさの目で観る空疎な空騒ぎが、自らがそれにはまりこむことで瞬間的に精彩を帯び、祭りが終わると空疎に戻る。やっぱりこれあってこそのフェリーニだろう。 もう一つ付け加えると、この作品が最初になるのだそうだが、巨大な女性に対する愛着。一種のフェティシズムなんだろうが、以降は必ず登場すようになっていく。本作でのエクバーグの存在感には圧倒されてしまう。 作家性の強い映画監督は、どのように作っても、やはりこの人しか作れないものを作ると言う好例といえようか。 ちなみにパパラッチという言葉はこの映画の登場人物パパラッツォに由来する。ここに登場する人物像は極端に戯画化されているが、それが今や当たり前になったのは隔世の感があり。 |
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崖 Il Bidone |
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道 La strada |
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1954ヴェネツィア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞(フェリーニ) 1955英アカデミー作品賞、女優賞(マシーナ) 1956米アカデミー外国語映画賞、脚本賞 1956NY批評家協会外国映画賞 1957ブルーリボン外国作品賞 |
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貧しい家庭に生まれた知的にしょうがいを持つ娘ジェルソミーナ(マシーナ)は、旅まわりの曲芸師ザンパノ(クイン)に買われ、旅芸人の助手となって旅に出た。ザンパノにより無理矢理“妻”にされた上、金ができれば他の女を追いかけるザンパノに振り回されるジェルソミーナ。ある時に二人はサーカスの一団に身を寄せるが、何かとザンパノをからかう若い綱渡りの青年(ベイスハート)に腹を立てたザンパノは、ついにその綱渡りを殺してしまう。あまりにショッキングな光景を目にしたジェルソミーナは、ついに精神の均衡を崩してしまい… 言うまでもなくイタリア映画界を代表する偉大な監督フェリーニの、監督4作目にして恐らく最も愛されているだろう作品(当時流行っていたネオ・リアリスモからは「象徴主義に陥った」と酷評されていたらしいが、監督自身ここからの脱却を意図していたと思われるし、事実本作を契機にイタリア映画は新しい方向性に向かう)。 少なくとも私にとってこの作品の面白いところは、観た時のみならず、後々までも印象が変わり続けるという点にある。 実際私がこの作品を初めて観たのは、確か未だ思春期まっさかりの時期だったが、はっきり言って分からなかった。 何でジェルソミーナがここまでの仕打を受けながらザンパノを恋しがるのか。それは理屈に合わないではないか。恨みこそすれ、こんな最低のやつに惹かれる心持ちがどうにも割り切れない。 そんな風に思っていたもんだった。理屈に合わないものは理解出来るわけがないと思いこんでいた。まあ、「たとえみんなが認めたとしても、私だけはこれを否定してやる」と言う自己陶酔が入っていたのは否めないが。 やがて時が経ち、それなりに世間と折り合いをつけて生きていく事を覚えて、世の中には理解出来ぬ不条理さがあるものだと(身をもって)わかったし、監督の他の作品なども観るうち、いつの間にか監督のファンにもなっていた。 それでいつか観直したいと、ずーっと思っていたもんだった。そしてそれがようやく叶って、つい先日観直した。 …これが又。圧倒。どんなに辛くても離れられないジェルソミーナの心情ってものを思うに、なんともその薄幸ぶりが身に迫ってくる。 金て買い取られ、暴力で“妻”にさせられたジェルソミーナは、その時点で確かにザンパノによって人生をボロボロにされている。それは確かだが、果たして彼女は不幸だったか? いや、多分この時点では決してそうではなかったと思う。なぜなら、彼女はそれに対して、“私は必要とされている”事を喜びとすることが出来た。 ザンパノは粗野でどうしようもない男だが、私なら耐えていける。むしろここで自分の幸せを見つけていこう。と言う具合に気持ちを切り替えていたように思える。 ただ、その幸せには重要な一点がある。 ザンパノが本当に自分を必要としていると言うこと、つまりは愛してほしい。と言うこと。ただ私のことを「好き」と言ってほしかった。それだけあれば、後は何にもいらない。そんなささやかな望みだったのではないだろうか。 しかし、そんな望みさえザンパノは叶えてはくれなかった。平気でジェルソミーナを裏切るのみならず、彼女を全く見ようともしない。 どんなになっても捨てることはできない。いや、捨て去ろうとは思わない。人はそんな心境になることがありえることがようやくわかってきた(実はこの感情こそがDVを助長するのだという事も事実だが)。 一方、クイン演じるザンパノの考えと言うのも、やはりわかってきた。 将来のことなど考えず、人の気持ちを分かろうともせず、それで自分は誉められて当然と考える。自分を傷付けようとする者には容赦しない。一見無責任で非道な男だが、実際は、これこそ理想的な男の姿として憧れる自分が確かに存在するし、こうやってしか生きていけない男と言うのもいるのだ。 単に「最低」と言うのではなく、ザンパノは私の中にもいるのだ、と言う単純な事に気付いたお陰で、この作品の評価は全く変わってしまった。 だからこそ、最後のザンパノの慟哭がこれほど心に響く。最後の最後にこの物語が、実はジェルソミーナではなく、ザンパノが人間性を取り戻すまでの物語として観られるようになる。そう考えると、これは一種のどんでん返し作品でもあるんだな。 これは飾らぬ人間の心の奥底を描いた作品であり、魂のラブストーリーでもある。 これだけの役を見事に演じ切ったマシーナとクインの二人にはいくらでも誉められる。『その男ゾルバ』(1964)の、粗野だが人情味あふれるゾルバ役も素晴らしかったが、やっぱりクインの代表作はこれだ。 一方のマシーナ。これはもう、何かに取り憑かれたような、凄まじい演技力だった。 こう言う役を演じるのは、余程の演技力が必要のはず。ちなみにマシーナは大学教授の娘で、子供の頃から神童と呼ばれており、ローマ大学の文学部を卒業した才女…この作品では本当に10代に見えてしまった(笑)。なお、夫でもある監督のフェリーニによると「マシーナは、パントマイム型、道化師型の女優。しかし私との関係においては、正常と完全さに対する絶え間ないノスタルジーを具現化できる充分に神秘的な人格である」と語っているそうだ。 本当に、二人ともよくぞここまでやってくれた!と言う見事な演技。 それにここで用いられるニーノ・ロータによるスコアが又素晴らしかった。ラストでのもの悲しいラッパによる「ジェルソミーナ」は、しみじみとした名曲だ。 …これは観直してみた、現時点での私の考え。それが前は全く分からなかったと言う自分の不明も感じさせてくれたが、今から10年後位に又観直したら、どんな驚きが待っているだろう?だから敢えて現時点で最高点は差し上げず(10年前は50点だったんだが)。楽しみがひとつできた。 |
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